黄昏時に染まる、立夏の中で

麻田

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第88話










 しかし、怜雅はひとつも効いていないと笑顔で続ける。

「証拠を求めるということは、罪を認めているようなものですよ?」

 さらにもう一束の書類を史博に投げつける。煩わしそうに手で払いのけて床に落ちたそれを見て、息を飲んだ。
 そこには、くっきりと歯型のついた香耶のうなじの写真がついていた。それから、データの表があって、英語と数値が細かく羅列している。

「香耶の噛み跡から検出されたものです。随分、入念に数値の強いものを二人に与えたのですね。時間が経っていたのに、はっきりと数値に出てしまいました」

 怜雅の言っていることがじわじわと頭を巡って理解されていく。
 つまり、彰と香耶の発情はこの人によって起こされたものであり、二人は意図的に番にさせられた。

(本人たちの意思は関係なく…)

「なん、で…」

 彰と史博の仲が良くないことは、なんとなく知っていた。しかし、その兄弟喧嘩に違う人を巻き込んで、ましてやそれがオメガの一生を決めるような事件なことに、疑問と怒りが湧き上がってくる。
 僕の声に史博が視線を落とすと、眉間に皺を深く刻んで、苦々しくつぶやいた。

「依織…、そんな目で私を見ないでくれ…」

(だって…)

 彰は、僕の目の前で飛び降りた。
 香耶と番になったショックがおそらく原因なのだ。そして、精神的に脆くなり、僕の大好きだった明るくて太陽のようにまぶしい彰は分厚い雲に覆い隠されて、姿すらも感じられなくなってしまったのだ。

(その原因を、この人がつくったってこと…?)

「なんで…、どうし、て…?」
「あれは、ずっと邪魔だったんだよ。私の大切なオメガに手をかけて」

 史博が顔を歪めながら僕に長い指を伸ばした。顔に触れようとしてきたその手に、ひっ、と喉が引きつった悲鳴が出て、逃げたいけれど身体は固定されているから、腕で顔を覆った。

「依織…どうして…」

 震えた声は、いつも自信に満ちた史博のものとは思えないほど、頼りなかった。
 けれど、その姿に僕は同情をひとかけらも抱けなかった。ただただ、心の中は黒に浸食されていくように、ただ嫌悪に染まり切るのを待つだけだった。

「依織」

 とん、と身体を叩くように声が届く。振り向くと怜雅が僕をまっすぐに見つめていた。

「最後のチャンスだ。自分で選べ」
「貴様…っ!」

 髪を乱した史博が唸るように怜雅を威嚇する。しかし怜雅は史博に、一切の興味を示さず、ただ、じ、と僕の言葉を待ってくれていた。

「僕、は…」

 自分の中にある記憶は、ずっと大田川と一緒だった。
 隣には彰がいて、いつも笑ってくれていた。彰と一緒にいる時間は、僕の一番大好きな時間だった。
 史博と結婚する。それは、曲げようのない事実で、そうなることに疑問を抱くことすらなかった。
 ただただ、大田川と共にある人生を享受してきた。決められていたから。僕の人生は、そういうものだと思ってきた。

 何度も考えては、諦めてきた。自分で決めて、諦めたのだ。あるかもしれないその道は、ほとんどが幻のようなもので、実現なんかできやしないと思っていた。
 だから、見ないようにしたし、考えないようにした。
 さっき、最後の希望を捨て置いてきたのだ。
 それは、僕がこの人と一緒になれば、みんながしあわせになれると思っていたから。

(でも、そのしあわせは、違うのかもしれない…)

 香耶は彰を愛していた。見ていて、それはわかる。鈍感な僕ですら感じるのだ。
 だから、二人が愛し合って番になったのだと思っていた。実際に、目の前の男によって、その刺激の強い場面をまざまざと見せつけられたから。

(それは、二人が選んだことではなかった…)

 詳しくまではわからないけれど、薬物を投与されて、意識のはっきりしないまま、彼らは番になったのだ。一生を共にする、大切な儀式を、オメガが夢に見るその瞬間は、歪んだものにされてしまった。この男によって。
 どんな事情があっても、それは、オメガを冒涜する行為だ。

「僕、は…」

 震える唇をきつく噛み締める。
 瞼を降ろすと、そこには今まで関わってきた人たちの顔が浮かんでいく。きらびやかな笑顔の彰が浮かび、最後には僕に微笑む透が残った。
 か、と全身が高揚して、握っていた拳に力が入る。

「僕の大切な人たちを傷つけてきたこの人を、許せない…!」

 離して! と叫び、自分が知らなかったほどの力がこみあげて、史博を突き飛ばす。それから、咄嗟に走り出して史博からとにかく逃げようとする。すると、目の前から電子音が鳴り、ドアが開く。

「依織先輩!」

 ど、と柔らかく熱い何かに包まれて、鼓膜をよく震わす声が聞こえた。顔をあげると僕の肩をつかんで、眉根を寄せる透がいた。

「ど、どうして」
「何かされませんでしたか? ケガは?」

 僕を頭のてっぺんから爪先まで見下ろして、瞳を覗きこみながら様子をうかがう。心配の色を一色にさせた顔には、滝のように汗が流れていて、息もきれている。

「と、透…っ」

 さっき、永遠の別れだと思ったのに。
 今の透は、こんなにも簡単に、僕を追いかけて、捕まえてしまえるようになってしまったのだ。
 ぎゅう、と胸が鷲掴みにされたように痛んで、目頭が熱くなる。堪えきれそうにもなくて、透の胸元に飛び込んだ。鼓動は早鐘で強く主張していた。身体は熱くて、香りも籠っていて、透がここにいるのだと実感する。透は長い腕で僕をめいっぱいに抱き寄せて、耳元で名前を囁いた。吐息は震えていて、それがさらに僕の心を絞めつける。

「もう、僕から離れないで」

 噛み締めるように唱えられた言葉は、す、と心の中に落ちて沁み込んでいった。血液に乗って全身を巡って、潤み満たされ、そして溢れていく。
 僕は思わず、透の身体をきつく抱きしめていた。
 ここにいれば、すべてのものから守られる絶対的安心感を得ていた。何度でも手をとり、助けに来てくれる。会う度にたくましくなっていく愛する人に、心惹かれない訳がない。
 鼻の奥がつん、と痛んで、息がつまってしまい、透と囁いたのに唇が動くだけだった。それなのに、透には伝わっているようで、はい、と小さく返事が返ってきて、強く抱きしめられる。身体の中に熱がうまれて、透の身体に溶け込んで、ほろほろと崩れ落ちていくようだった。涙が、つ、と静かに頬を撫でる。

「依織…!」

 後ろから重く響く怜雅の声がして透の腕が緩んだ。振り返ると、怜雅が身体を強張らせて視線を向けている。その先には、鈍く黒光する銃を手にして、こちらに向けている史博がいた。
 事態を認識し始めると脳が同時に身体を冷やしていく。透の大きな手のひらが僕の肩を抱き寄せて、体温を分けてくれる。しかし、緊張しているのは透も同じで身体を硬くしていた。

「依織、こっちに来なさい」

 史博は真顔ではっきりと芯のある声で僕を呼んだ。しかしその瞳は淀んでいて、光のないものだった。ぞ、と恐怖に背筋が凍えて、唾を飲み込むので精いっぱいだった。史博の出す威圧によって、肌がひりついて、膝が震える。立っているのも苦しい。




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