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第23話.外出

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さて、入学当初は不定期であった時間割(カリキュラム)も時が経つにつれ整っていった。
基本的には一週間のうち、座学(ざがく)四日、運動三日である。座学とは教室にて座って受ける授業の事で、数学や語学がそれに当たる。

運動は言わずもがな、あの岩木教諭(じゅうけんおやじ)の授業(しごき)の事だ。
体力作りと称して一日中走らされたり、銃剣突撃。また軍式の集団行動を練習する。
個人的に彼に文句は無い……文句は無いのだが、あまりにも脈絡無く当日の訓練内容が決まるため、本人の気分で指導しているのでは。という懸念はある。

さあ、それで一週間。七日が過ぎる。
休日は無いという事になるが、実際はそうでもない。突然教諭達が「今日は休講とする」などと言い出すので、しばしば暇ができるのだ。

私は普段は調べ物をしたり、溜まった家事を片付けたりと寮内で過ごす事が多いのだが、偶(たま)には仲間と町に繰り出す事もある。

ちなみに制服姿で外出する事は禁じられているし、外泊も許可が無ければ認められない。学校内の情報を外部に漏らすのは御法度だ。内部で何をやっているのかを隠匿する意図があるのだろう。
まあまず、体力の有り余った男子学生を外に放って問題を起こさない訳がないから、制服を着せぬというのは良い判断だと言える。

「おうい穂高(ちび)、町見に行こうや」

ある日の休日、吉野と吾妻が部屋を訪れた。この二人とは良く行動を共にする。吉野の実家は商売人で、吾妻は農家の次男坊。経済状況も近く、身の上話などに花が咲いて、いつしか気心の知れた友となっていた。

「買い出しか?日用品に不備はないが」
「いや駅前にな、ミルクホールって言うのができたらしいんや」
「ミルクホール?」
「なんや流行ってるの知らんのか。牛乳一杯に甘い洋食がついて八銭やで」

知らんな。ミルクホールと言うのは初めて聞く。

「早く行こうぜ」

ぬぅっと吾妻まで部屋の中に入ってきた。丸刈りで図体のでかい風貌に似合わず、吾妻は大の甘党だ。

「まぁ、物は試しと言うからな」

少し興味もある、連れ立って部屋を出た。

目に入ったのは駅近くの当世風(モダン)な建物。レンガ造りの店舗だ。
中に入ると活発そうな女給が二、三人。いずれも和服にエプロン姿でせこせこと働いている。
内装はBARと喫茶店の間の子のような風情で、洋服に帽子姿の紳士が数人カウンターに腰掛けて雑談に興じているようだ。備え付けの新聞や雑誌を読んでいる者もいる。

「なるほどな。食事の場というよりは、社交場という訳だ」
「そんな事は良いから注文しよう」

漂う甘い匂いに我慢できなくなったのか、吾妻に落ち着きがない。急かされるように、どかどかと遠慮無く並んで座って注文をした。
愛想の良い女給が出してきたのは、フレンチトースト。そして一杯の牛乳だ。
洒落た真っ白な陶器の器に、白い牛乳。久しぶりというか、今世初の牛乳である。

パンを頬張りながら、新聞を広げる。
そこには「ルシヤ軍艦が日本領へ領海侵犯、日英両国が手を取り合ってルシヤ帝国に抗議」と大きく載っていた。
国際関係は人間関係に似ている。と言うのを聞いた事がある。日本政府も上手く世渡りをしてくれれば良いのだが。
もしルシヤ帝国と武力衝突が起こるなら、北部雑居地(ここ)が戦場になるのは目に見えている。そして今の我が国の実情では、来るなら来いなどとは口が裂けても言えない。

「どう思う?」と、ふと隣に目をやれば、満面の笑みでフレンチトーストを咥える吾妻と目があった。どうやら新聞(それ)どころでは無いらしい。

それではと吉野の方を見ると、こいつは口を開けたまま女給が歩いているのを視線で追っていた。

「吉野?」
「なぁ、あの赤毛の女の子。もう何度も目が合うんやけど」
「何の話だよ」
「あの赤毛の子やん。あかん一目惚れしてもうた」
「そうか」

そう言いながら新聞に目を戻す。
吉野がそわそわしながら「先に帰ってくれ」と言った。学校の規則、制服を着て外出するなというのは、良い判断だな。そう思ったのだった。
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