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第83話.黄雲ノ痕
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前線へ向けて馬を歩ませていた。
どこからともなく、車輪を転がす音が聞こえる。
ガラ……ガラ……ガラ……
荷車が数台、連なっていた。あるものは前を行き荷車をひいて、他のものは後ろから押して、それは進んでいた。彼らは皆、泥で汚れた明而陸軍の制服を着ている。
申し訳程度に除雪された道を通るものだから、轍と靴跡が茶色く残って続いていた。
「おい、君達は何処へ向かっているのだ?」
「……あぁ」
聴こえていないのか、それとも単純に態度が悪いのか。荷車を引く先頭の男は、私の声に足も止めずに曖昧な返事を返した。
パッと前に出て、荷車を停止させ声をかける。
「馬上からすまない、私は穂高進一少尉だ。浅間中将の特命で前線の被害を調べているのだ、話を聞かせて貰いたい」
そう言いながら馬を降りた。男の顔を見るが、目がうつろで妙な感じだ。足は止まったものの、返事が無いのだ。
「何を運んでいる?」
「……」
返事はない。
「何があった?」
「あぁ。突然、黄色い雲が地面を走った。キノコみたいに盛り上がって、そこから逃げてきたんだ。死んだよ、みんな死んだ。小隊長は真っ先に死んだ」
男は突然、話し始めた。
「おれは離れた場所にいたから、逃れられたんだ。でも多分ダメさ、もう片方の目が見えないんだ」
後ろの荷台を覗くと、何人分もの遺体があった。
手と顔の皮膚が、ずるりと剥けたようなものもいた。軍服を着たままだからわからないが、どうやらその中身も同じような状況だろう。
「うぅ……」
遺体の中に、かすかに動き声をあげる者がいた。急いで近づいて声をかける。
「息があるのか。おい、私の声が聞こえるか!?」
「……うぅぅ」
目の前で何度か呼びかけるが、うめき声をあげるばかりでまともな返事は返ってこない。
「生きている者がいるぞ!」
荷車を引く男の方を向いて言った。
「そうさ、だから一番上に乗せてるんだ。今、病院に向かってる野戦病院だ」
そう言いながら、男が隣に歩いて来る。い呻き声をあげる戦友に優しく言い聞かせている。
「ああ、待ってろ。今病院に向かっているんだ。もうすぐだ、もう少し頑張れ」
不意にこちらを見て、荷車を引いていた男が言った。
「だから少尉殿。すまんです、急ぎます」
「……ああ。道中気をつけてな」
彼らは再び目的地に向けて歩き始めた。
どうやら、前線から野戦病院へと向かう者がいくらもいるらしい。被害状況を調べるために、私もそちらへ足を向けた。
……
半ば予想はしていたが、野戦病院には傷病者が溢れかえっていた。多くの者が建物から文字通り溢れて、野外に寝かされ、または座らされている。
そんな中、軍医らしき男が積極的に動き周り、外にいる者を見て声をかけて回っていた。手当という意味ではなく、文字通り様子を見て、回っているようである。
「おい、どこが痛む?」
「目が、目が開けられねえ。お医者様、なんとかしてくれ」
「そうか。他には痛みはないか?どうだ?まず目を見せろ」
そう言って、目玉を無理やり開かせて見ている。
「ふん……よし。おい樽前衛生兵、目を水で洗ってやれ」
「な、中に入れてくれ。凍えそうだ」
「ダメだ、中は満員だ。そこで座っていろ」
冷たく言い放つと、振り返りもせず男はもうすぐに次の患者に話しかけている。
「次!お前はなんだ?」
「ゴホ、喉が……熱いんだ。咳が止まらねえ」
「見せろ、うん。中に入れ、誰か手を貸せ!こいつを中に入れろ!」
この軍医は、そうして何人もの人間に代わる代わる話しかけては、指示を飛ばして歩いているようであった。
「次だ!お前はなんだ?」
「……」
次の患者は、ぐったりとしており意識も曖昧なようであった。胸は小刻みに上下し、呼びかけに反応がない。いくらか様子を見た後、にわかに声を上げた。
「おい利尻衛生兵!こいつをそこらに寝かせといてやれ!」
名前を呼ばれた利尻衛生兵というのが、小走りでやって来て、男は野外に枕もなく寝かされた。
「次だ!お前は?」
「お医者様、俺なんかより小隊長を先に見てやってくれ。小隊長は俺らを逃すために……」
「だめだ。お前が先、そいつは後だ。お星様の数なんぞ関係ねえ、ここでは俺の指示に従ってもらう!」
「……次だ!」
そうこうしているうちに、馬を降りて様子を見ていた私に気がついたようだ。
ツカツカとばかりに靴音高く軍医が歩み寄ってきた。転がる傷病者の合間を、彼らを踏まぬように器用に。
「お前はなんだ!」
マスクに帽子、ゴム手袋。薄汚れた白衣を着ているが、眼光は鋭い。軍医は40代位であろうか。薄っすらと一束白髪が光っている。
「私は穂高進一少尉です、浅間中将の特命で視察に来ております。被害状況と、攻撃再開の目処の調査です」
「穂高……?はぁん、浅間中将のお墨付きか。で、視察だ?」
「はい。今回のルシヤの攻撃は毒ガスの恐れがあります」
「っち。そんなことは分かってんだよ、邪魔だ!視察なら端にいろ!」
私の胸に人差し指を差し向けて、そう言い放つと、踵を返して彼は次の患者の元へ歩いていった。
「ゴホ……ゴホ……」
「おい!次はお前だ!」
嵐のようにまくし立てて、軍医は仕事に戻った。とにかく病院のキャパシティを遥かに超えて、患者が殺到しているのはわかる。どこもこうなのか。
素人目に見ても兵らの被害(ダメージ)は大きい。ここで治療されて復帰できる者は少ない、殆どは後送して設備の整った場所での治療が必要になるだろう。
深刻だな。
ふと、少し離れた木の根元に座っている男が手招きしているのが目に止まった。
「なんだ?」
そう声をかけながら、近づいて見ることにする。男はひょこりと立ち上がって嬉しそうに言った。
「少尉殿、少尉殿。いやね煙草、持っていませんかね」
「いや、私は呑まんから携帯していない」
「そうですか……」
肩を落として、再び木の幹を背に座り込んだ。毒ガスに燻されただろうに、この上煙草の煙にも燻されるつもりか。
「喉はやられておらんのか」
「いや、おらあこれだけです」
そう言って、包帯が巻かれた右手を突き出した。それはいかにも清潔とは言いがたく、赤黒いものが染み出して固まっていた。
しばらく前の傷のようだから、今回の毒ガスの被害者では無いようだ。
「そうか。口寂しいなら飴玉があるが」
「いや、ありがてえ!」
男は私が差し出した手のひらからばっと飴玉をひったくると、即座に口内にそれを放り込んだ。
「ありがとうございます!少尉殿」
カラコロと音を立てながら飴を頬張り、不揃いな歯を見せて笑った。
「お前は何処の部隊だ?」
「おらあ通信隊です。夜中に線が切れたって言うんで繋げに行ったら、近場で敵榴弾が炸裂してこの様です」
「そうか、大変だったな」
「大変?」
小さな目を丸くして、言った。
「カカッ!おらあ戦争にね、感謝しとるんですわ。戦争が悲惨だとか大変だとかいうのは、娑婆で良い目しているやつの言うことですよ」
「そんな目にあってもか。死ぬところだったのだろう?」
「死ぬかも知らねえって、そりゃ人間だものいつかは死ぬかも知らねえですよ。でもね、八方塞がりで一人で野良死にするんじゃなくってね。一緒に死ぬ連れがいるなんて上等じゃあねえですか」
強がっているようにも見えない、彼はそう心底から思っているのだろう。
「娑婆でも戦争でも、死ぬのは一緒。ここなら飯も食えるし、金も出る。何もかんも楽園ですよ。ほら怪我したら一丁前に包帯まで巻いてくれら」
彼はカラコロと飴を口の中で遊ばせた後、再びにかりと笑った。前歯が無い。
話を聞かせてくれてありがとう、と軽く礼を言って立ち去ろうとした時、男の胸元から一枚の紙切れが出てきた。ふわりと宙を舞ったそれは、私の半長靴にコツりと当たって落ちた。私は上半身だけを折り曲げて、それを拾ってやった。
どこからともなく、車輪を転がす音が聞こえる。
ガラ……ガラ……ガラ……
荷車が数台、連なっていた。あるものは前を行き荷車をひいて、他のものは後ろから押して、それは進んでいた。彼らは皆、泥で汚れた明而陸軍の制服を着ている。
申し訳程度に除雪された道を通るものだから、轍と靴跡が茶色く残って続いていた。
「おい、君達は何処へ向かっているのだ?」
「……あぁ」
聴こえていないのか、それとも単純に態度が悪いのか。荷車を引く先頭の男は、私の声に足も止めずに曖昧な返事を返した。
パッと前に出て、荷車を停止させ声をかける。
「馬上からすまない、私は穂高進一少尉だ。浅間中将の特命で前線の被害を調べているのだ、話を聞かせて貰いたい」
そう言いながら馬を降りた。男の顔を見るが、目がうつろで妙な感じだ。足は止まったものの、返事が無いのだ。
「何を運んでいる?」
「……」
返事はない。
「何があった?」
「あぁ。突然、黄色い雲が地面を走った。キノコみたいに盛り上がって、そこから逃げてきたんだ。死んだよ、みんな死んだ。小隊長は真っ先に死んだ」
男は突然、話し始めた。
「おれは離れた場所にいたから、逃れられたんだ。でも多分ダメさ、もう片方の目が見えないんだ」
後ろの荷台を覗くと、何人分もの遺体があった。
手と顔の皮膚が、ずるりと剥けたようなものもいた。軍服を着たままだからわからないが、どうやらその中身も同じような状況だろう。
「うぅ……」
遺体の中に、かすかに動き声をあげる者がいた。急いで近づいて声をかける。
「息があるのか。おい、私の声が聞こえるか!?」
「……うぅぅ」
目の前で何度か呼びかけるが、うめき声をあげるばかりでまともな返事は返ってこない。
「生きている者がいるぞ!」
荷車を引く男の方を向いて言った。
「そうさ、だから一番上に乗せてるんだ。今、病院に向かってる野戦病院だ」
そう言いながら、男が隣に歩いて来る。い呻き声をあげる戦友に優しく言い聞かせている。
「ああ、待ってろ。今病院に向かっているんだ。もうすぐだ、もう少し頑張れ」
不意にこちらを見て、荷車を引いていた男が言った。
「だから少尉殿。すまんです、急ぎます」
「……ああ。道中気をつけてな」
彼らは再び目的地に向けて歩き始めた。
どうやら、前線から野戦病院へと向かう者がいくらもいるらしい。被害状況を調べるために、私もそちらへ足を向けた。
……
半ば予想はしていたが、野戦病院には傷病者が溢れかえっていた。多くの者が建物から文字通り溢れて、野外に寝かされ、または座らされている。
そんな中、軍医らしき男が積極的に動き周り、外にいる者を見て声をかけて回っていた。手当という意味ではなく、文字通り様子を見て、回っているようである。
「おい、どこが痛む?」
「目が、目が開けられねえ。お医者様、なんとかしてくれ」
「そうか。他には痛みはないか?どうだ?まず目を見せろ」
そう言って、目玉を無理やり開かせて見ている。
「ふん……よし。おい樽前衛生兵、目を水で洗ってやれ」
「な、中に入れてくれ。凍えそうだ」
「ダメだ、中は満員だ。そこで座っていろ」
冷たく言い放つと、振り返りもせず男はもうすぐに次の患者に話しかけている。
「次!お前はなんだ?」
「ゴホ、喉が……熱いんだ。咳が止まらねえ」
「見せろ、うん。中に入れ、誰か手を貸せ!こいつを中に入れろ!」
この軍医は、そうして何人もの人間に代わる代わる話しかけては、指示を飛ばして歩いているようであった。
「次だ!お前はなんだ?」
「……」
次の患者は、ぐったりとしており意識も曖昧なようであった。胸は小刻みに上下し、呼びかけに反応がない。いくらか様子を見た後、にわかに声を上げた。
「おい利尻衛生兵!こいつをそこらに寝かせといてやれ!」
名前を呼ばれた利尻衛生兵というのが、小走りでやって来て、男は野外に枕もなく寝かされた。
「次だ!お前は?」
「お医者様、俺なんかより小隊長を先に見てやってくれ。小隊長は俺らを逃すために……」
「だめだ。お前が先、そいつは後だ。お星様の数なんぞ関係ねえ、ここでは俺の指示に従ってもらう!」
「……次だ!」
そうこうしているうちに、馬を降りて様子を見ていた私に気がついたようだ。
ツカツカとばかりに靴音高く軍医が歩み寄ってきた。転がる傷病者の合間を、彼らを踏まぬように器用に。
「お前はなんだ!」
マスクに帽子、ゴム手袋。薄汚れた白衣を着ているが、眼光は鋭い。軍医は40代位であろうか。薄っすらと一束白髪が光っている。
「私は穂高進一少尉です、浅間中将の特命で視察に来ております。被害状況と、攻撃再開の目処の調査です」
「穂高……?はぁん、浅間中将のお墨付きか。で、視察だ?」
「はい。今回のルシヤの攻撃は毒ガスの恐れがあります」
「っち。そんなことは分かってんだよ、邪魔だ!視察なら端にいろ!」
私の胸に人差し指を差し向けて、そう言い放つと、踵を返して彼は次の患者の元へ歩いていった。
「ゴホ……ゴホ……」
「おい!次はお前だ!」
嵐のようにまくし立てて、軍医は仕事に戻った。とにかく病院のキャパシティを遥かに超えて、患者が殺到しているのはわかる。どこもこうなのか。
素人目に見ても兵らの被害(ダメージ)は大きい。ここで治療されて復帰できる者は少ない、殆どは後送して設備の整った場所での治療が必要になるだろう。
深刻だな。
ふと、少し離れた木の根元に座っている男が手招きしているのが目に止まった。
「なんだ?」
そう声をかけながら、近づいて見ることにする。男はひょこりと立ち上がって嬉しそうに言った。
「少尉殿、少尉殿。いやね煙草、持っていませんかね」
「いや、私は呑まんから携帯していない」
「そうですか……」
肩を落として、再び木の幹を背に座り込んだ。毒ガスに燻されただろうに、この上煙草の煙にも燻されるつもりか。
「喉はやられておらんのか」
「いや、おらあこれだけです」
そう言って、包帯が巻かれた右手を突き出した。それはいかにも清潔とは言いがたく、赤黒いものが染み出して固まっていた。
しばらく前の傷のようだから、今回の毒ガスの被害者では無いようだ。
「そうか。口寂しいなら飴玉があるが」
「いや、ありがてえ!」
男は私が差し出した手のひらからばっと飴玉をひったくると、即座に口内にそれを放り込んだ。
「ありがとうございます!少尉殿」
カラコロと音を立てながら飴を頬張り、不揃いな歯を見せて笑った。
「お前は何処の部隊だ?」
「おらあ通信隊です。夜中に線が切れたって言うんで繋げに行ったら、近場で敵榴弾が炸裂してこの様です」
「そうか、大変だったな」
「大変?」
小さな目を丸くして、言った。
「カカッ!おらあ戦争にね、感謝しとるんですわ。戦争が悲惨だとか大変だとかいうのは、娑婆で良い目しているやつの言うことですよ」
「そんな目にあってもか。死ぬところだったのだろう?」
「死ぬかも知らねえって、そりゃ人間だものいつかは死ぬかも知らねえですよ。でもね、八方塞がりで一人で野良死にするんじゃなくってね。一緒に死ぬ連れがいるなんて上等じゃあねえですか」
強がっているようにも見えない、彼はそう心底から思っているのだろう。
「娑婆でも戦争でも、死ぬのは一緒。ここなら飯も食えるし、金も出る。何もかんも楽園ですよ。ほら怪我したら一丁前に包帯まで巻いてくれら」
彼はカラコロと飴を口の中で遊ばせた後、再びにかりと笑った。前歯が無い。
話を聞かせてくれてありがとう、と軽く礼を言って立ち去ろうとした時、男の胸元から一枚の紙切れが出てきた。ふわりと宙を舞ったそれは、私の半長靴にコツりと当たって落ちた。私は上半身だけを折り曲げて、それを拾ってやった。
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