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第132話.作戦ト作戦

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穂高中尉率いる二十五名の狙撃隊は三日三晩、昼夜を問わず走り続けた。

この明而の時代、陸路の移動手段としては鉄道が最も速く、次点で馬である。
鉄道の速さと正確さは、それを機能させるのに十全な準備が必要であると言うことを差し引いても、最も優れた移動手段だと言える。
しかし彼ら狙撃隊は、鉄道の恩恵に預かる事は出来ないため、前線から札幌防衛の最終線までの道のりを自らの足で走破する事を選んだ。

なぜ次点である馬を使わなかったのか、準備が困難なために使えなかった、それもあるだろう。
しかしそれだけではない、馬の四本の足を借りるより、自前の二本の足を使う方が速い場合があるのだ。
なぜだろう、馬より速く走る人間がいるのか?いや、違う。ヨーイドンで平坦な草原を駆けるならば馬に敵う人間はいない。
だが、三日三晩に渡って長距離を移動するとなれば話は変わってくる。

理由は二つある。
夜の闇と、山や森の存在だ。
人が駆けるならば、山中だろうが宵闇の中だろうが足が動けば駆ける事はできる。二十四時間走り続けると言うのは不可能であるとしても、少々の無理なら押し通せるのが人力の良いところである。即ち飯を食っている時と寝ている時以外は、前に向かって足を動かすことができるのだ。
馬ではそうもいかない、人を乗せて駆けさせるならば、十分な休息がなければ馬を潰してしまう。それでも走るとなれば、どこかで馬を交換する必要が出てくるのだ。

そして夜。
それもましてや山中の暗闇であれば、人はなんとか歩けても、馬で走る事は出来ない。
まず馬の名誉のために言っておくと、馬は夜目が利く方である。我々よりずっと少ない光で暗闇を見通している。
だが人を乗せて、暗闇の中を走らせる事はできない。背に乗った人間が、暗闇に向かって馬を飛び込ませる事などできないのだ。

そんなわけで彼らは徒歩で移動する事を選んだ。足場の悪い山あいの斜面を、大きな樹木の根が横切る隘路(あいろ)を抜けて。
穂高進一中尉率いる狙撃隊は、誰一人として落伍者を出すことなく、最速最短で前線より札幌の最終防衛線にたどり着いた。
その時には、皆それぞれが疲労困憊であった。巨大な銃が肩に食い込み、背嚢が足を重くした。それでも一つの命令を全うするために、走り、歩き続けたのだ。


……


「穂高中尉、君はどう思う」
「作戦通りです、順調だと判断します。敵の将軍が何か、そうですね。焦っているようにも見受けられますが」

私の顔をジロリと睨んでから彼は言った。

「ふん、そうか」

この男こそ、今この北部雑居地で一番偉い男だ。阿蘇大将、白い髭に白髪。眉毛の上に横切る古傷を持った軍人然とした男である。
到着早々、札幌最終防衛線作戦司令部に呼び出された私は、彼に面談を受ける事となった。
もう足が棒のようであるし、満足な睡眠が得られていないので頭がイマイチ回らない。
来いと言うから飛んで来た。三日三晩走って来たのだ、労いの言葉の一つもあって良さそうだがな。

いや、いかんな。頭の中にある黒いモヤを振り払う。睡眠不足のおりに気が立ってしまうのは万人共通の悩みではないだろうか。
真剣に図面に目を向ける。

北部から南下するルシヤを、山地で囲まれた隘路で防御する。土地を盾として、鉄道や村落は全て利用できぬようにして、代わりに堡塁と塹壕線をもって防御線を敷いた。侵攻を遅らせて補給を叩きながら、敵兵力を減殺していくのが明而陸軍の作戦だ。
いくつかの堡塁は陥落したが、敵の消耗も大きい。現時点では作戦通りであると言える。

そして複数の防衛線の最後、それがこの最終防衛線となる。ここではもう後ろに引くことはできない。これより後は石狩平野。
平野にまでルシヤが浸透して来ると、札幌の都市を防衛する事は事実上できなくなる。

敵の作戦はどうだ。
ルシヤの陸軍だけでは、消耗した挙句に立ち往生の結末が見えてきた。まともな頭なら当然、海軍を使ってくる。
では、どこに。どのように来る?
万一、敵海軍の戦力が石狩湾から入ってくれば即座にお手上げだが、それは明而海軍も十分に承知している。
明而海軍の網を抜けて、留萌あたりに取り付いて来る可能性はある。というより、それを本命に据えて考えているかもしれん。

津軽海峡を抜けて道東から来る可能性はあるか……。いや、まずない。
そうなれば今交戦中のルシヤ陸軍と合流することが不可能であるし、補給の見込みのない状態で孤立無援の単独行動を取ることになる。

「敵の海軍だが」
「はい」
「海戦があった。黄海で、艦隊戦は我が日本海軍の勝利だそうだ」
「それは!それは、良かった」

一つ乗り越えた。
明而海軍が海戦を制したという事は、大挙してルシヤの軍艦が押し寄せて黒船来航とはならないだろう。

「ふん。だが、敵の艦船を全て撃沈拿捕とはいかないようで、いくらか逃したという事だ」
「はい」
「敵はどう出るかな」

彼は人差し指をこちらに向ける。
当然、敵は雑居地に向かって来るだろうが。

「石狩湾から侵入したいのは当然でしょうが、それはこちらも睨みを利かせている。実直すぎる。留萌あたりから取り付いて南下、陸軍と合流という可能性が考えられます」
「ふん。そうか」

阿蘇大将は短く言いながらも、図面を指でなぞった。
どれくらいの規模の艦船が来るのかはわからないが、それら全てを防ぐのは難しい。北部雑居地は広いのだ。

「今回の海軍の勝利で、ルシヤには厭戦(えんせん)の気運があるようだ。講和に持ち込めるかもしれん。お前はどう思う」

睨みつけるような目で、こちらを見て言った。
講和か、海軍が負ければ講和。それはそうだろうな、ルシヤは何も極東のこの国を陥落させるのに全てを賭けているわけではない。リスクリターンが合わないとなれば、すぐに手を引くだろう。願ってもない、それこそが我が国の生きる道となるのだが。
しかし。

「そうですね。しかし、それは軍人(われわれ)の考える事ではありません」
「ふん。そうだな」
「よし、もう良い。とりあえず少し休め。中尉は顔が青いぞ」
「ありがとうございます」
「……ふん、ご苦労だったな」

阿蘇大将の目は鋭いままであったが、その中に宿る光に少し柔らかなものを感じた。

「はい」

立場のある人だが、見かけほど厳しい人でないのかも知れん。私ははっきりとした声で返事を返して、司令室を後にした。
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