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1「師匠、しっかりして下さい!」

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火・水・土・風…個々にはそれぞれ精霊が宿り、加護をもたらしている。そんな世界で男は赤子を拾った。これが我が宿命か…自分の事ばかり考えて生きてきた男は、赤子を哀れみ薄ら微笑んだ。「メグリ」と名付けられたその赤子は不幸にも「無属性」であった。



その日、私は仕事を終え…いつも通り帰宅しているハズだった。コンビニに寄って目当ての弁当を買い、こんなんばっかじゃ太るよな…と腹の贅肉を気にしながら青になった信号を渡る。スマホに通知が表示され、歩きながらは危ないと分かっていながらもチラ見すると、予想通り母からだった。

「げ…」

再三の見合いの催促に嫌気がさして、私はスマホの通知を電源ごと切る。なんてったって明日は久々の休みだ。こんなことで暗くなっていてはもったいない。買いだめした漫画を一気読みしようと決意して、いささか明るくなった気分で横断歩道を渡りきると、その場にクラクションの音が響いた。その激しさに驚いて振り向こうとすると、何かに後ろ髪を引っ張られたように体が傾ぐ。

あ、やばい。

点滅を終えた信号が視界に入り、飛び出した先で自分が車に轢かれる映像が頭によぎった。反射的に目を閉じ、これから自分の身に襲いかかる衝撃に耐えようと身を強張らせる。まずは、地面に投げ出され、次に車に轢かれ、死ーーを予感するが、いつまで経ってもそれらが襲いかかってくることはない。不思議に思いながらも目を開けられずにいると、聞こえてきたのは聞いたことのない男性の声だった。

「メグリー、起きて、起きて」

あー、もう死んだのか。意外にも死というものはあっという間なんだなぁ。痛みさえ感じる暇がないとは。そう考えながらも、どこかに違和感を覚える。あれ? そもそも、私は何をしてたんだっけ? どこへ向かってた? 確か、家へ帰る最中で…家? 家なんて私にはないじゃないか…。記憶が混濁としてきて、寝返りを打つ。藁の匂いのする枕に顔を埋めて、はて、と覚醒した。パッと目を開けて体を起こす。

「死んで…え、ここ、馬小屋…あれ? 私…!?」

混乱しながら周りを見渡す。獣臭い馬小屋に申し訳程度の藁の布団。私の声に馬がうるさそうにぶふぶふと文句を言っている。手足は記憶するものよりはるかに小さく、ささやかだった胸はまな板。一体何が…と思ったところで、今までの記憶が蘇ってきた。そうか、私は…。

「メグリ? どうし…え、泣いてるの!?」
「あ、師匠。おはようございます」

つい涙がポロリと溢れると、それを見て、やけに影の薄い男性があたふたする。そんな師匠に挨拶をして、私はうーんと伸びをした。そして、改めて冷静に考える。アレは前世の記憶だったのだと。平凡に平和な時代を生き、25にしてこちらに転生してきてしまった幾十世巡莉(いくとせめぐり)の記憶だ。なんだか、他人の人生の物語でも見てきた気分だなぁ、と落ち着きを取り戻した頭で考える。そんないつも通りの私を見て、夢見が悪かっただけだというと、師匠は安心した様子で大きなため息をついた。

「なんだぁ、ビックリした」
「師匠、支度できたんで、私厠に行きたいです」

さっさと出かける支度を済ませ、未だのんびりしている師匠に物申すと、師匠は目を点にした。

「厠って…いつもならその辺で…」
「か・わ・や! 行・き・た・い・で・す!!」
「は、はぁ…」

あまりの勢いに師匠が呆気にとられているのも気にせず、強引に引っ張って立たせる。いつもその辺で用を足していた私が、突然トイレに行きたいというので師匠は不思議に思ったらしい。私としては、前世の記憶が蘇った今、そこら辺で用を足すなんて恥ずかしいことできやしない。疑問符を抱える師匠が待つ中、民宿でトイレを借りて少し高い手洗い場で手を洗おうとし、改めてこの格好の不便さを嘆いた。メグリ・アマタ。それが今の私の名前である。精神年齢は約25歳…先ほどグンと成長した。肉体年齢は5歳…そう、幼女である。幼い頃の記憶は曖昧だが、生まれてすぐに親を村ごと失い、たまたま通りかかった師匠に拾われ、養われている…らしい。らしいというのは、拾われた云々の記憶がないから断言できないだけであって、養われているという点においては間違いじゃない。

「ししょーぉー」
「はいはい…あ、終わった?」
「手、手洗いたい!」

蛇口から上手く水が出せずに師匠を呼ぶと、これまた珍しいものを見る目で師匠が私を見た。いつもなら、手は汚れた時か食事前にしか洗わないのにってか? 騙されないぞ。こちとら、平! 成! な時代を生きてきた記憶が蘇ったからな…! いつも師匠が誤魔化して私に教え込んだことも、いまではおかしいことが多々あるのが丸バレだ。トイレ使ったら手は洗うだろ! ちゃんと教育しろよな、この面倒臭がりめ!

「はぁ…どうしたの、メグリ。今日はやけにしっかりしてるじゃん」
「まあ、訳はおいおい話します」

「おいおいって…」そんな言葉どこで覚えたの…と師匠が呟いている中、手を洗い終えた私は小さなリュックを背負い直す。こんな他にも人がいる場所じゃ話しにくい。目的地を目指して歩かなきゃいけないんだから、どうせならその道中に話せばいいじゃないか。いきなりシャキシャキと動く弟子に「子供の成長は早いんだなぁ…」なんて寂しさを覚えた師匠が驚くまで後、数分。

「はぁ…前世ねぇ…」
「信じてないんですか?」

人が変わったような私の言動に、最初は驚いていいリアクションを見せたものの、順応力の高い師匠はもう慣れてきたらしく、私の話を聞いてもそう言って考え込むだけだった。

「いや、世の中何があるか分からないからねぇ…」
「まあ、そんなわけで。見た目は5歳でも中身は大人なんで。今までみたいに誤魔化しは通用しませんよ」
「う…ぐ…」

例えば先ほどみたいに非常識を教えたり、おやつの良いとこ取りをしたりetc.…思い当たることがあるのか、師匠は何かを言い淀むと、降参とばかりに手を挙げた。

「あーあ、今までの可愛いメグリが…」
「ちなみに、一年前。記憶がまだ蘇ってない私を置いていこうとしたのも覚えています」
「っあーあー、えぇ、そうだっけぇー…?」

話題をはぐらかして、こちらと目を合わせないように歩く師匠。その服の裾を私はぎゅっと握る。裾を引っ張られ立ち止まった師匠がこちらを向いた気配を感じ、私は肉体年齢に合わせるようにして緩んだ涙腺キュッと力を込めた。

「…可愛くなくなったからって、また置いていくのは…やめてください」
「っ゛…んん!!」

師匠が変な唸り声を上げてるな…なんて頭では冷静に思いながらも、一度溢れ出した涙は簡単に止まらない。師匠の迷惑にならないように、早く泣き止まないといけないのに…! 漏れそうになる嗚呼を抑える私の体がフッと宙に浮いた。師匠に抱き上げられたのだと気付いた頃には、間近に師匠の顔があり、頭をポンポンと優しく叩かれていた。

「可愛くなくなったとは言ってないさ。今でも十分可愛いよ。私の養い子」
「ぐず…ずっ…じじょーぉ゛ー…!!」
「はいはい、泣き虫は変わらないなぁ」

そのまま歩き出した師匠の鼻歌を聴きながら、私はいつの間にかうとうとと眠りについてしまった。きっと、前世の夢を見たせいでよく眠れなかったのだろう。微睡みの中、また前世の記憶を見た気がする。その中で私は青白い光に包まれていた。まるで師匠が使う魔法のような…。

「はは、参ったなぁ…」

気が付いた時には、目的地の街『ヴァルゴ』に着いていた。
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