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第四章:オッサンはじまる
47.孟母三遷(もうぼさんせん)
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どうやら熱は下がったエンタクだったが、当然まだ酒は許してもらえず味もそっけもない野菜のスープを目の前に悔しそうな顔をしている。それもそのはず、同じテーブルではハイヤーンとクプルが果実酒を呑んでいるし、ミチュリでさえ搾り汁を飲んでいるのだ。
「なあ呑ませろとまでは言わねえが、せめてオレの前では呑まねえようにするとか配慮があってもいいんじゃねえか? これこそ何の嫌がらせだっての」愚痴をこぼすことはあまり褒められたものではないが、この状況では仕方ないと言うものである。
「なに言ってんのさ、部屋に残していこうとしたら寂しそうな顔して今にも泣くかと思ったから気を利かせたんだろうに。まったく寝てる間もうるさいんだから参っちゃうよ。おかげで職人さんにまで迷惑かけたんだから反省くらいしろっての」
エンタクが寝言で大騒ぎしたせいで、庭で仕事中だった井戸掘り職人がハイヤーンを探して村中走り回ったのだ。急いで帰ってきたハイヤーンからそのことを聞かされてバツの悪いオッサンは、まだ寝てろと言われたのにしょぼくれた顔をして引き留めたものだからもう散々な扱いである。
「大体ねえ、夢の中のアタイたちがなにしたのか知らないけど、それはアタイたちのせいじゃないだろうに。普段アンタがどう考えてるのかが夢になるんだからね? つまり酷いことされたって言うなら、それは自分がアタイらをそう言う目で見てるってことさね。ってことは嫌がらせを受けてる被害者はこっちだってんだよ、まったく」
「こりゃ面目ねえ…… でもそんな目で見てるなんてことはねえんだぜ? 別に悪夢だったってわけでもねえんだからよお。ただちょっと行き過ぎたって言うか、夢の中のオレが早とちりしたと言うか……」
「ちょっとさ、そう言う煮え切らない態度を見せるくらいなら話せって言ってんじゃないか。それにあんまりおかしな真似ばかりされるとミチュリの教育に良くない影響があるかもしれないから心配だよ。それとも馬小屋へ行くかい?」
「オレの家なのにひでえ扱いだな…… まあでも確かに良くねえことはしたくねえから今後は注意するさ。それで夢の話だけどな? まさしく今この場ではとても言えねえんだがそれでも聞きてえってか?」
「アンタは一体何を考えて寝てるのさ。どうせいやらしい夢でも見てたんだろ? これだから独りもんのオッサンってのは煙たがられちゃうんだよ? せめて寝言は止めときなって」
「寝てる間に勝手に喋っちまうのが寝言だぜ? 自分でやめられるなら起きてるってことだから寝言じゃねえじゃねえか。まったくおかしなことを言いやがるぜ。まあこの話はこれでやめとこう、聞きたけりゃそのうちミチュリが寝てるときにでもだな」
「でも何かに追われてるか追い詰められてるかなんだろ? 随分とうなされてたらしいじゃないか。アタイが帰って来た時も助けを求めてたしさ。ヤバくないところだけでも聞かせなよ。気になるじゃないか」ハイヤーンは食い下がってくるが、これは酔いのせいもあるのだろう。エンタクは羨みながら自分の茶をすすった。
「そうだなあ、かいつまんで話すなら、最後は火事になっちまったから大慌てで助けを求めたってわけだ。なんで火事になったかというとオメエとミチュリが料理をしてて魔法の火がそこらじゅうに燃え移ったんだよ。しかも驚くなよ? 火の魔法を使ったのはミチュリなんだぜ?」
「アンタさ、熱で頭おかしくなったんじゃないかい? 夢の中なんだからなんでもアリに決まってるさね。そりゃ意外ではあるかもしれないけど、たとえアンタが空飛んだからと言って驚きゃしないだろうに」
「ふむ、確かにそうかもしれねえ。だがそれだけじゃねえんだよ。なんと言ってもミチュリが喋って料理を手伝ってオレのことをお父さまなんて呼んだんだぜ? しかもオメエが産んだことになってたんだよ。んでもって二人目が腹ん中ってな具合さ。どうでい? これにはさすがに驚いただろ?」エンタクは勝ち誇ったようにふんぞり返りながら茶を一気に飲み干した。
「―― なあエンタク、念のため聞いておくんだけどね? まさかその腹の子ってのはアタイとアンタの子供ってことかい?」さすがのハイヤーンも驚いたか恥ずかしがってるのかと思ってエンタクは彼女の顔をうかがうと、そこには明らかに憤怒の表情を蓄えたスピルマンがいた。しかも手のひらにはわずかながら魔法の光が煌めいており、回答次第ではいつでも発射できると言わんばかりである。
「ちょっとまて、いいか? これは夢の話だからなんでもアリなんだぞ? たった今オメエが言ったことじゃねえか。ま、まあ推察通りで間違いねえとは思うが、しょせんは夢の話なんだからまあおちけつ――」
だがエンタクの言い訳は最後まで言わせてもらえず、鋭い光と共に鼻の頭へ小さな雷が落とされた。幸い丸焦げになるような強力なものではなく、毛糸の服を脱ぐときにバチバチなるやつが強くなった程度だ。
「いってええ! コンチクショウ、最後まで聞いてくれてもいいじゃねえか。オレが一体何したってんだよ!」
「このアホタレ! バカヤロウ! 小さい子がいるってのにそんなこと言えるわけないだろうに! たった今言ったばかりって言うけどアタイだって言ったよね? 子供の成長や教育に良くないことは止めろって! それを避けて要点だけ話してみろって言ったのになんでいきなり子供作ってんだよ、この助平め! アタイでどんなことまで想像したんだ!? いや言わなくていいからな、アンタがアタイをそう言う目で見てるってことがわかれば十分さ。部屋には鍵を付けるからそれまでは馬小屋で寝泊まりしておくれ!」
「まて、ちょっと、待ってくれ、聞いてくれよ。決してそんなことを考えたことはねえんだってば。起きたらすでにいたんだからどうにもできねえだろうが。ちょっと落ち着けよ。そんなに取り乱すなんてらしくねえな」だがなだめたくらいでハイヤーンの勢いが弱まることは無かった。
「アンタ、まさかミチュリまでそう言う目で見てるんじゃないだろうね? それだけはどんなことがあっても許さないよ。もしもの時には消し炭にしてやるから覚悟しな!」
「だから何もしてねえし、オメエにもミチュリにもなにかする気なんてまったくねえっての。一体どうしちまったんだ? オレにはさっぱりわからねえよ。そりゃ確かに褒められた夢じゃねえことは承知してるがな? だからと言って今のオメエは驚くほど冷静さを失っちまってんじゃねえかよ」
その時、無言で酒を舐めていたクプルが何やら魔法を唱えたらしく、エンタクとハイヤーンの間で泡がはじけるような音が鳴った。するとハイヤーンはハッと我に返ったように表情を変え、エンタクを睨みつける視線はいつも通りへと戻っていく。
「あ、ああ、クプルすまなかったねえ。アタイとしたことが飛んだ失態だよ。オッサンには謝らないよ。こうなったのもアンタが切っ掛けだからね」わけがわからないままに責められ続けているエンタクは、理解できないままでうなずいた。
「何が起きて何をして戻ったのかさっぱりわからねえが、正気なら良かったぜ。オレが下らねえこと言ったのがいけねえんだろ? 考えなしに喋っちまってすまなかったよ」よほどハイヤーンの豹変が恐ろしかったのか、珍しく異常なほど低姿勢なオッサンである。
「まあアタイにも絶対に許せないことがあってさ。子供が絡むとどうも正気を失っちまうのさ。普段はそうならないように自己暗示の魔法をかけているんだけど、たまにこうなることがあるんだ。アタイの魔法もまだまだ未熟ってことさね」
「そんなことが…… 嫌なことを言わせちまってすまねえ。だが本当に信じてもらいてえんだが、オレはオメエらにおかしな真似をする気なんてかけらもねえんだ。馬小屋へ行くのは構わねえがそれだけは信じてくれ」
「馬小屋? ああ、そんなこと言ったのか、ま、気にしないでいいさね。アタイはこう見えてもエンタクのことは大分信頼しているんだよ。良くできた人間だと思っているからね。それだけに少々ショックが大きかったのかもしれない。その――」ハイヤーンはこの場で言いづらいことなのだと、あからさまに態度に出している。
だが、そんな騒ぎをものともせず真顔で果実の搾り汁を飲んでいたミチュリがいいタイミングで眠さの限界に達したようだ。ハイヤーンの背中にぴったりと身を寄せていたのだが、うとうとと体を揺らしはじめているのだ。
このままでは椅子から転げ落ちてしまいそうだと、娘を抱き抱えたハイヤーンは、待っているようにと目配せをしてから寝室へと去っていった。
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もうぼ-さんせん【孟母三遷】
子供は周囲の影響を受けやすいので、子供の教育には環境を選ぶことが大切であるという教え。
「なあ呑ませろとまでは言わねえが、せめてオレの前では呑まねえようにするとか配慮があってもいいんじゃねえか? これこそ何の嫌がらせだっての」愚痴をこぼすことはあまり褒められたものではないが、この状況では仕方ないと言うものである。
「なに言ってんのさ、部屋に残していこうとしたら寂しそうな顔して今にも泣くかと思ったから気を利かせたんだろうに。まったく寝てる間もうるさいんだから参っちゃうよ。おかげで職人さんにまで迷惑かけたんだから反省くらいしろっての」
エンタクが寝言で大騒ぎしたせいで、庭で仕事中だった井戸掘り職人がハイヤーンを探して村中走り回ったのだ。急いで帰ってきたハイヤーンからそのことを聞かされてバツの悪いオッサンは、まだ寝てろと言われたのにしょぼくれた顔をして引き留めたものだからもう散々な扱いである。
「大体ねえ、夢の中のアタイたちがなにしたのか知らないけど、それはアタイたちのせいじゃないだろうに。普段アンタがどう考えてるのかが夢になるんだからね? つまり酷いことされたって言うなら、それは自分がアタイらをそう言う目で見てるってことさね。ってことは嫌がらせを受けてる被害者はこっちだってんだよ、まったく」
「こりゃ面目ねえ…… でもそんな目で見てるなんてことはねえんだぜ? 別に悪夢だったってわけでもねえんだからよお。ただちょっと行き過ぎたって言うか、夢の中のオレが早とちりしたと言うか……」
「ちょっとさ、そう言う煮え切らない態度を見せるくらいなら話せって言ってんじゃないか。それにあんまりおかしな真似ばかりされるとミチュリの教育に良くない影響があるかもしれないから心配だよ。それとも馬小屋へ行くかい?」
「オレの家なのにひでえ扱いだな…… まあでも確かに良くねえことはしたくねえから今後は注意するさ。それで夢の話だけどな? まさしく今この場ではとても言えねえんだがそれでも聞きてえってか?」
「アンタは一体何を考えて寝てるのさ。どうせいやらしい夢でも見てたんだろ? これだから独りもんのオッサンってのは煙たがられちゃうんだよ? せめて寝言は止めときなって」
「寝てる間に勝手に喋っちまうのが寝言だぜ? 自分でやめられるなら起きてるってことだから寝言じゃねえじゃねえか。まったくおかしなことを言いやがるぜ。まあこの話はこれでやめとこう、聞きたけりゃそのうちミチュリが寝てるときにでもだな」
「でも何かに追われてるか追い詰められてるかなんだろ? 随分とうなされてたらしいじゃないか。アタイが帰って来た時も助けを求めてたしさ。ヤバくないところだけでも聞かせなよ。気になるじゃないか」ハイヤーンは食い下がってくるが、これは酔いのせいもあるのだろう。エンタクは羨みながら自分の茶をすすった。
「そうだなあ、かいつまんで話すなら、最後は火事になっちまったから大慌てで助けを求めたってわけだ。なんで火事になったかというとオメエとミチュリが料理をしてて魔法の火がそこらじゅうに燃え移ったんだよ。しかも驚くなよ? 火の魔法を使ったのはミチュリなんだぜ?」
「アンタさ、熱で頭おかしくなったんじゃないかい? 夢の中なんだからなんでもアリに決まってるさね。そりゃ意外ではあるかもしれないけど、たとえアンタが空飛んだからと言って驚きゃしないだろうに」
「ふむ、確かにそうかもしれねえ。だがそれだけじゃねえんだよ。なんと言ってもミチュリが喋って料理を手伝ってオレのことをお父さまなんて呼んだんだぜ? しかもオメエが産んだことになってたんだよ。んでもって二人目が腹ん中ってな具合さ。どうでい? これにはさすがに驚いただろ?」エンタクは勝ち誇ったようにふんぞり返りながら茶を一気に飲み干した。
「―― なあエンタク、念のため聞いておくんだけどね? まさかその腹の子ってのはアタイとアンタの子供ってことかい?」さすがのハイヤーンも驚いたか恥ずかしがってるのかと思ってエンタクは彼女の顔をうかがうと、そこには明らかに憤怒の表情を蓄えたスピルマンがいた。しかも手のひらにはわずかながら魔法の光が煌めいており、回答次第ではいつでも発射できると言わんばかりである。
「ちょっとまて、いいか? これは夢の話だからなんでもアリなんだぞ? たった今オメエが言ったことじゃねえか。ま、まあ推察通りで間違いねえとは思うが、しょせんは夢の話なんだからまあおちけつ――」
だがエンタクの言い訳は最後まで言わせてもらえず、鋭い光と共に鼻の頭へ小さな雷が落とされた。幸い丸焦げになるような強力なものではなく、毛糸の服を脱ぐときにバチバチなるやつが強くなった程度だ。
「いってええ! コンチクショウ、最後まで聞いてくれてもいいじゃねえか。オレが一体何したってんだよ!」
「このアホタレ! バカヤロウ! 小さい子がいるってのにそんなこと言えるわけないだろうに! たった今言ったばかりって言うけどアタイだって言ったよね? 子供の成長や教育に良くないことは止めろって! それを避けて要点だけ話してみろって言ったのになんでいきなり子供作ってんだよ、この助平め! アタイでどんなことまで想像したんだ!? いや言わなくていいからな、アンタがアタイをそう言う目で見てるってことがわかれば十分さ。部屋には鍵を付けるからそれまでは馬小屋で寝泊まりしておくれ!」
「まて、ちょっと、待ってくれ、聞いてくれよ。決してそんなことを考えたことはねえんだってば。起きたらすでにいたんだからどうにもできねえだろうが。ちょっと落ち着けよ。そんなに取り乱すなんてらしくねえな」だがなだめたくらいでハイヤーンの勢いが弱まることは無かった。
「アンタ、まさかミチュリまでそう言う目で見てるんじゃないだろうね? それだけはどんなことがあっても許さないよ。もしもの時には消し炭にしてやるから覚悟しな!」
「だから何もしてねえし、オメエにもミチュリにもなにかする気なんてまったくねえっての。一体どうしちまったんだ? オレにはさっぱりわからねえよ。そりゃ確かに褒められた夢じゃねえことは承知してるがな? だからと言って今のオメエは驚くほど冷静さを失っちまってんじゃねえかよ」
その時、無言で酒を舐めていたクプルが何やら魔法を唱えたらしく、エンタクとハイヤーンの間で泡がはじけるような音が鳴った。するとハイヤーンはハッと我に返ったように表情を変え、エンタクを睨みつける視線はいつも通りへと戻っていく。
「あ、ああ、クプルすまなかったねえ。アタイとしたことが飛んだ失態だよ。オッサンには謝らないよ。こうなったのもアンタが切っ掛けだからね」わけがわからないままに責められ続けているエンタクは、理解できないままでうなずいた。
「何が起きて何をして戻ったのかさっぱりわからねえが、正気なら良かったぜ。オレが下らねえこと言ったのがいけねえんだろ? 考えなしに喋っちまってすまなかったよ」よほどハイヤーンの豹変が恐ろしかったのか、珍しく異常なほど低姿勢なオッサンである。
「まあアタイにも絶対に許せないことがあってさ。子供が絡むとどうも正気を失っちまうのさ。普段はそうならないように自己暗示の魔法をかけているんだけど、たまにこうなることがあるんだ。アタイの魔法もまだまだ未熟ってことさね」
「そんなことが…… 嫌なことを言わせちまってすまねえ。だが本当に信じてもらいてえんだが、オレはオメエらにおかしな真似をする気なんてかけらもねえんだ。馬小屋へ行くのは構わねえがそれだけは信じてくれ」
「馬小屋? ああ、そんなこと言ったのか、ま、気にしないでいいさね。アタイはこう見えてもエンタクのことは大分信頼しているんだよ。良くできた人間だと思っているからね。それだけに少々ショックが大きかったのかもしれない。その――」ハイヤーンはこの場で言いづらいことなのだと、あからさまに態度に出している。
だが、そんな騒ぎをものともせず真顔で果実の搾り汁を飲んでいたミチュリがいいタイミングで眠さの限界に達したようだ。ハイヤーンの背中にぴったりと身を寄せていたのだが、うとうとと体を揺らしはじめているのだ。
このままでは椅子から転げ落ちてしまいそうだと、娘を抱き抱えたハイヤーンは、待っているようにと目配せをしてから寝室へと去っていった。
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