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第一章 浮遊霊始めました

7.先生

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 英介は特にやることもなくただぼんやりと宙を眺め、時折大矢と重子さんが話していることへ相槌を打つ。しかし、大矢があんなに話し好きだなんてなぁ。しかも女性と楽しそうに話すところなんて今まで見たことも聞いたことも、想像することすらなかった。

 そのうち空が白んできた。ここにいても仕方ないし家へ帰ろうかな、と立ち上がろうとしたところで誰かが歩いてくるのに気が付いた。

「先生が戻っていらしたわ」

 病院裏手のドアを開けて中庭にやってきたのは初老と言うにはまだ若そうな、おそらく五十代位だろう、白衣の男性だった。しかし髪は真っ白の白髪頭だし、白衣の下も白のワイシャツだしなにより顔まで真っ白だ。もしかしてこれはもしかするのか?

 英介の考えは正解だった。

「英ちゃん、この人が先生だよぉ。重子さんの恋人なんだよねぇ」

「まっ、恋人だなんて。一方的にお慕いしているだけですよ」

 なんて会話だ。まるで安っぽい昼ドラや茶番劇を見ているようだ。

「おや、新顔だね。僕は桐谷琢磨、よろしく」

 真っ白けな先生は先に自己紹介をしてくれた。

「は、初めまして、本田英介です!」

 何故かやけに緊張して声を張り上げてしまった。どうも死んでから調子が悪い。

「まだ若いのに大変な目にあったんだね。紀夫君と同い年くらいかな」

 その先生の問いには大矢が答え、これまでの顛末を簡単に説明してくれた。脚色は無かったけど、どう聞いても悲劇なはずが大矢の手にかかると面白おかしく聞こえてくるから不思議だ。しかもそれほど嫌な感じもしないというのはある種才能なのかもしれない。

 だけどその先生は大矢が説明するよりも前に大変な目にあった、と言った。事前に事情を知っていたなら今改まって説明することは無いだろう。それなのに何故大変な目にあったと、はなから判っているような口調だったんだろう。

 英介はそのことについて先生へ確認したい衝動にかられたが、ほんの少し悩んでいる間に先を越されてしまった。

「先生? 奥様のご容体はいかがでしたか?」

「うーん、あれももうすぐ百になるからねぇ。ここ数日がヤマになるだろうな。ま、蓑田の息子が担当してくれているから最後まできちんとやってくれるだろう」

「そうですね。先代の蓑田先生と違って真面目そうな方ですものね」

 重子さんの顔が少し曇ったように見えた。二人とこの病院との間にはなにか事情があるのだろうか。

 しかしそれは英介に何の関係もない。気になることが無いわけではないけど、今は一刻も早く両親に会いたい。そろそろここからは失礼して自宅へ帰ることにしよう。

「では僕は帰ります」

「あら、あまりお話しできなかったわね。またお暇なときにでもいらしてね」

「はい、ありがとうございます」

 英介は一瞥して病院を後にした。そして声もかけていないのにやっぱり大矢もついて来た。人付き合いがいいのか一人ではつまらないのか、それとも病院にいては気まずいのかわからないが、今の英介にはありがたい存在だ。

 しかしもう驚かせないでくれよ、と、大矢が車にはねられた時のことを考えながら歩いた。

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