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第三章 浮遊霊たちは探索する

40.善悪

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 英介が幽霊になって数日後に気が付いたマンガ雑誌の山は、誰かが捨てていったものだろうと考えていた。それにしては真新しく読んだ形跡がなさそうなのが気になっていた。

 それが今日になったら何冊か積んであったうち、下にあった古いものが無くなっており一番上には最新号と思わしきものが積んである。どうせページ一枚めくることができないのだから気にしなければいいのだが、生前は毎号読んでいたマンガも置いてあるので気になって仕方ない。

 しかも今号の表紙には英介の大好きなバトル漫画が大々的に描いてある。どうやら何度目かの休載から復帰したようだ。それにしてもほとんどのマンガはフィクションなわけで、読者の興味を惹くために世界観にふさわしく面白おかしい展開や特殊能力を持っていることが多い。

 しかし現実はそうドラマティックなものではないし特別な力を持っている人なんてほぼいない。それは幽霊世界と言う現実離れした世界においても大差なく僕達には大した能力なんてなかった。車にはねられてもなんともないこと、走り続けても疲れないこと、お腹が空かないこと、眠くならないこと、これくらいだろうか。

 空を飛んだり、壁をすり抜けたり、人を脅かしてみたりすることなんてできなくていいから、今はこの目の前のマンガの表紙をめくる能力が欲しい。

「えいにいちゃんどうしたの? またかんがえごと?」

「ううん、なんでもないよ」

 千代に気を使われるなんてよっぽど顔に出てるのかもしれないな。でも幽霊に慣れれば慣れるほど不便さも感じてくるから仕方ないかもしれない。千代は何十年も幽霊生活してきてなにか思うことはあっただろうか。気にはなるけれどうかつに過去の事を聞くと、戦争中の事や戦地へ行った兄の話になりそうで聞き辛い。

 国力に大きな差があって、どう考えても負け戦なのに戦地へ出ていった人達や軍の人達は正しくなかった、愚かだったと学校では習ったけれど、では虐げられいじめられているのにそれを我慢し、何の抵抗もしなかった僕と大矢は正しい側だったのだろうか。

 正しいかどうか、善悪なんてものはその時々の情勢で判断が変わるものだと思う。今の世の中は最終的に結果を出した者が正しいとされることが多いように感じる。今になってどうしたら良かったのか考えても意味はないが、この先あと何年この姿なのかわからないだけに頭を働かせることに無駄は無いはずだ。

 僕は千代が楽しそうに走り回り踊っている姿を見て少し羨ましくなった。きっと辛いことも寂しいこともあっただろうに、それを微塵も感じさせないあの明るさを見習いたい。でも今は無事に大矢が見つかり、色付きの女の子の手がかりも手に入れたことだし、ふさぎ込んでも仕方ない。もっと前を見据えた思考と行動を心がけないといけないだろう。

 そろそろ夜明けが近づいていた。今日もまた神社へお参りしに行こう。僕は千代へ声をかけ橋の上に出て歩き始めた。もう何度も歩いた道だけど今日はなんだか違う風景に見える。気分晴れやかと言うわけではないが進展が見えてきたせいだろう。日曜日が楽しみだ。

 そういえば四つ葉という学校についても調べないといけないんだった。荒波海岸駅のイベントに来ていたということは絹川市の隣の山名市か、その北側で県庁のある蔵灘市、南側の阿波尾郡のどれかくらいか。

 車で送迎するようないいとこの子供が通う学校らしいから蔵灘市にあるのかもしれない。阿波尾郡で知ってる学校は県立阿波尾農業位だし、他も自分に関係のある偏差値の低目な県立高校くらいしか知らない。そもそもうちの中学は英介を含め田舎者ばかりだから、ほとんどの生徒は江原へ行くか、頭が良ければ高専へ行っている。一部が山名や蔵灘の県立へ行くくらいか。

 まあでもそんなに遠いことは無いだろうから、それほど苦労しないで見つかるだろう。どちらにせよ、ゆるキャラグランプリか芸術祭のどちらかにはかかわっている可能性が高い。日曜日のゆるキャラお披露目会か、クリスマスの芸術祭のどちらかで見つかるはずだ。

 あれこれと考えを巡らせているうちに神社へついた僕と千代は、いつものようにおばあさんを待ってお参りをした。両親には申し訳ないが、今日僕は初めてあの色付きの女の子を見つけることができるように、と稲荷神社のきつねへ祈った。

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