上 下
63 / 119
第六章 浮遊霊たちは気づいてしまう

63.密室

しおりを挟む
「胡桃お嬢、帰り道の車の中でまで勉強とは恐れ入りますねぇ」

「そうなのよ、まとめておかないといけないことがあってね。朝日さんの運転が良いから全然揺れなくてありがたいわ」

「そう言われると運転手冥利に尽きるってもんですよ。お嬢は世辞が上手いですな」

「いえいえ、お世辞じゃなく本当の事よ。いつもありがとう」

 事実、初めて乗ったこの車はほとんど揺れることが無い。時折路面の段差を拾って小さく揺れることはあるが、英介の知っている車の乗り心地とは別次元だった。ただし、胡桃は勉強しているわけではなく、筆談で千代の相手をしているのだけれど。

 車は荒波海岸へ向かっているようだ。四つ葉女子からは決して近くはない道のりであるが、胡桃はそれを毎日通っているということか。

 そういえば僕が初めて胡桃を見かけた日、なぜ物流倉庫駅前の通りを走っていたのだろう。通学のルートではないので、あの日あの時見かけることが無かったなら、この先知り合うことが無かったかもしれない。

「あの、百目木どうめぎさん、あの時、僕が車にひかれてる時に物流倉庫駅からの道を走っていたのはなぜですか?いつも通っているわけではなさそうだし」

 僕は率直な疑問を胡桃に投げかけてみた。すると胡桃はメモ帳へペンを走らせる。

『芸術祭の件で香南女子に行った帰り道、通ったのはその時一度きり、幸運ね』

 胡桃が僕の疑問を先まで察したように答えを返してきた。そうか、やはり偶然に偶然が重なった出来事だったのだ。こういうのが運命的ってやつなのか?マンガによくある場面と異なるのは、曲がり角で知らない男女がぶつかるのではなく、車にひかれている僕を胡桃が見かけたというあたりか。

 そうこうしているうちに車は荒波海岸駅を通り過ぎていく。ここはこの間歩いた道で。間もなく荒波海洋高校を通り過ぎた。

 胡桃がメモ帳へもうそろそろつくと書いて見せ、膝の上に置いたかばんへ筆記用具をしまう。海岸沿いの道から左へ曲がってすぐのところに五、六階建てだろうか、マンションが見えてきた。

 そのマンションの車寄せに朝日浩二が車を停める。

「胡桃お嬢、今日は真子から頼まれた荷物がありますんでご一緒します」

「あら、何かしら、といっても、きっと康子さんへ渡す食材よね」

「さすがお嬢、鋭い、ハマグリと太刀魚って言ってましたぜ」

「まあ、それは楽しみね」

「お嬢に喜んでもらえたらアイツも喜びますよ」

 朝日はそういうと運転席から降り、後ろへ回って後部席のドアを開けた。胡桃はお礼を言いながら降りて、僕達が降りるのを確認した後ドアから離れた。

「管理人さんへ車の事伝えてくるわね。お茶くらい飲んでいくかしら?」

「いやいや、お呼ばれしてないで帰って店手伝わないとイカンのです。申し訳ないですが、真子のやつにあらかじめ釘刺されてまして……」

「それは残念、でも言うこと聞かないで晩酌減らされたら大変ですものね」

「やや、決してそのような、まぁそんなとこですわ」

 二人は向かい合って笑い、朝日は車を指定の場所へ移動しに、胡桃は管理人室へ声をかけに行った。まもなく保冷バッグのような荷物を持った朝日が戻ってきた。

 特別豪華なマンションではないが、防犯はしっかりしているようで僕は初めてオートロックと言うものを見た。インターホン越しに胡桃が自分の部屋を呼び出すと、康子さんと言う人だろう、お帰りなさいという声が聞こえた。

「朝日さん、先にあがってて。私は郵便物を確認してから行くわ」

「わかりました、じゃあ遠慮なく」

 そう言って先にエレベーターの扉が閉まり、その場には胡桃に僕と千代が残る。

「エレベーターがそんなに広くないのよ。ポスト見てくるから少し待っててね」

 胡桃は手ぶらで戻ってきた。どうやらポストは空だったようだ。

「お待たせ、では行きましょ」

 三人はエレベーターで六階へ上がり、胡桃は六○六号室のインターホンを押した。すぐに扉が開いて中からこの間胡桃が倒れたときに付き添っていた女性が現れた。

「胡桃さん、お帰りなさい」

「ただいま、康子さん、すっかり遅くなってしまったわ」

「毎日お疲れ様、先にお風呂入るかしら?」

「そうね、部屋へ行って用意してくるわね。お料理覚めちゃうかしら?」

「大丈夫よ、今日からは遅くなるって聞いていたから、胡桃さんが帰ってきてから最後の仕上げするつもりでいたのよ」

「はぁ、さすが康子さんね、感服です」

「まあ大げさね。今朝日さんにおつまみを見繕っているの」

「早めに解放してあげないと真子さんに怒られちゃうわよ」

「そうだったわね、今日は予約で忙しいらしいし、早く用意しないといけないわね」

 そう言いながら二人は廊下の奥のリビングへ向かった。胡桃が後ろ手でおいでおいでをしている。

「朝日さん、結局引き止めてしまってごめんなさい。真子さんに怒られたら私が謝りに行くわね」

「いやいや、お嬢が気にすることじゃねぇですよ。大体予約なんて大げさなこと言ったって漁協の連中ですし、あんなの身内みたいなもんですから」

「それならいいけれど、やっぱり真子さん一人では大変よ」

「アイツは死んだかかぁよりうるせぇですからねぇ。まったくあれじゃ嫁の貰い手もありゃしないってもんですわ」

「あーら朝日さん、ここにも貰い手のいない同年代がいるのですけどね」

 康子が笑いながら口をはさんだ。

「こりゃいけねぇ、口が滑っちまった」

 リビングに笑い声が響く。英介はこの明るくて楽しそうな空間を素敵だと感じ、ふと両親の事を思い出していた。

 康子はキッチンへ行きお土産の用意を再開したようで、それを待っている朝日はリビングのソファでくつろいでいる。そのリビングの奥には扉があり、そこが胡桃の部屋のようだ。僕と千代は胡桃の後について部屋の中へ向かう。

 ドアの先にはシンプルで飾り気のないごく普通の部屋があった。僕は今まで女の子の部屋に入ったことなんてなく、さらに緊張してきたのが自分でも良く分かる。

 僕の部屋のようにマンガが積み上げてあったり、ゲーム機が置いてあったりということはない。壁にどこかの風景写真が飾ってあって、部屋の角には観葉植物が置いてあるのがなんとなくおしゃれな気がした。

 僕が落ち着かずどうしていいかわからず立ちすくんでいると、胡桃がクローゼットを開けて中を指さした。

「英介君、ちょっと狭いけどここに入っていてもらえるかしら」

 僕は言葉の意味が分からず茫然と立ち尽くす。部屋に通されてすぐにクローゼットへ閉じ込められるとは思っていなかったのだが、これはいったいどうしたことだろうか。

「ねえ聞いているかしら? 私これから着替えたいのだけれど?」

 そこまで聞いてようやく事態を把握した僕はあたふたしながらクローゼットへ入った。

「すぐだからごめんなさいね」

 胡桃はそう言ってクローゼットの扉を閉めた。

 扉の外側では胡桃が着替えている。その出来事に僕の緊張は最高潮に達し、今にもはじけ飛んで成仏しそうな感覚に陥っていた。

しおりを挟む

処理中です...