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第六章 浮遊霊たちは気づいてしまう

70.苦悩

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 僕と千代は大矢の事を踏まえて相談していた。その結果、二人が出会ってから初めての別行動を取ることになったが、千代の表情に不安は感じられず、僕は少々がっかりした気持ちとほんの少しの嫉妬心を感じた。

 朝食から戻ってきた胡桃が僕と千代へ今日の予定を尋ねる。千代は胡桃と一緒に学校へ行きたいと言っているため同行すると伝えた。僕は大矢がいつ帰ってくるかわからないので、いったん病院へ確認しに行ってから胡桃と千代の元へ向かうと説明した。

「じゃあまた後で会いましょう、英介君」

「えいにいいちゃん、ぜったいきてね」

「うん、大矢が帰ってきているかどうか確認するだけだからね。夕方よりは早く行けるはずなので千代ちゃんをお願いします」

 僕はまるで保護者のように、胡桃へ千代の面倒を見てもらうようお願いした。本当は千代の方が何倍も年上なのだけれど、子供のまま成長していない千代にとっては僕が年上のようなものだ。

 胡桃と一緒にエレベーターで一階へ降り、すでに待っていた朝日の車へ二人が乗り込むのを見送った僕は荒波海岸駅へ向かった。今まで数回しか利用したことの無い駅だが、ここ最近何度も来ているので迷うこともない。

 改札を切符もなしに通るのは悪い気もするが、買うことができないので仕方ないと自分に言い聞かせ中へ入った。通勤ラッシュ、と言うほど混んでいるわけではないがそれなりに混雑している終点到着電車と反対方向のホームで待つ。人はまばらだ。

 めぼしい駅は絹原駅位で、後は終点に近い観光地の駅や江原高校や産業革新高校と大学のある物流倉庫駅で人が降りる程度だろう。

 僕が通っていた江原高校へわざわざ都会側から通うものはあまりいなかったため、電車通学している者は少なかったと思うが、それでも少しはいるらしく、駅のホームには僕と同じ制服を着ている生徒が数人立っている。

 その中に見知った顔は無かったので僕は気にせず電車を待っていた。時計と発着表示を見ると間もなく急行がやってくるようだ。

 時刻より大分早くやってきた電車はこちらのホームと反対側の扉を開けた。荒波海岸終点の電車なので大勢の人が降りていく。そして乗客全員が降りた後いったん扉が閉まる。

 車内点検のアナウンスが流れた後、今度はこちら側の扉が開いたので待っていた客と共に僕も電車へ乗り込んだ。急行電車は走り出すとすいすいと駅を飛ばしていく。

 最初に止まったのは絹原の一つ手前にある東絹原だ。ここは絹川市で唯一の新興住宅街でニュータウンや大型マンションばかりの場所である。僕が産まれる前には工場群があったらしいが、廃業や移転を経て住宅街になったと聞いている。駅はそのころに拡張されたらしく古めかしいとはいえ駅ビルスタイルだし、絹原駅と同じように利用人数が多いため急行が止まるのだろう。

 次に目的地の絹原へ停車した電車からは僕だけではなく生徒数人が降りた。江原高校や産革高校の生徒は各駅停車を待って乗り換えるはずだ。絹原駅で改札を出たのは僕の他はあまりおらず、きっちりとした身なりの社会人が数人だった。

 駅前のバス乗り場には一般のバスに交じって女子学園のスクールバス乗り場があり、何名かの生徒がバスを待っている。今まではお嬢様学校のように見えていたが、四つ葉女子と比較すると大分格が落ちるように感じるのはひいき目なのだろうか。かといって荒北家政のようにやたら笑い転げてはしゃいでいるわけではないので、まあそれなりなのだろう。

 そんな朝の駅前を横目に僕は総合病院へ向かった。病院は駅から近いほんの数分の道のりだ。同じ方向へ歩いている人が数人いるが、そのうち何人かは病院勤務の人かもしれない。病院勤務と言えば、重子さんと桐谷先生はどうなっただろう。

 無事にと言っていいかわからないが、この世から去ることができただろうか。そしてその先はどんなところだろうか。いずれにせよ何十年も続いていた微妙な関係に、美しい終止符を打つことができたのなら祝福すべきだと考えていた。

 僕自身は今のところこの世に留まりたいという気持ちしかないが、どういう仕組みで留まっていられるのか、何をしたら消滅してしまうのかはわからない。かといって恐怖心のようなものはあまりなく、どちらかと言えば、自分をこの世に留まらせるだけの理由を、復讐心のような悪意を含むもの以外に求めたいという気持ちの方が強い。

 二年生の井出が、僕や大矢にちょっかいを出しいじめてきたりさえしなければ僕達は死ぬことは無かったはず。それが彼らにとって暇つぶし程度の事であっても許せることではないし、忘れられるものでもない。

 しかしその復讐心が僕をこの世に留まらせているとしたら、それはそれで悲しいことだと思う。もちろん何かしらの未練があるからこそ、この世に留まったということが事実ならば、その未練を何かしらの方法で成就するチャンスが与えられたことは喜ばしいのかもしれない。

 でも出来ることならもっと何か別の、未来を見据えられるような理由を見つけたいと今は考えているのだ。頭には千代のこと、そして胡桃の事がよぎる。千代と一緒に仲良くさまよい続けるのもいいだろう。

 胡桃とはもっと仲良くなりたいが、付き合いが長くなればなるほど悲しみを背負うことになるかもしれないと、僕はそれを恐れている。いくら胡桃を好きになったからと言っても相手は生身の生きた人間だ。幽霊の僕には高嶺の花であることは間違いない。

 それじゃ相手が死ぬまで待てるのか。この先何十年後かもわからないし、その間に胡桃だって恋愛や結婚をすることもあるだろう。大体まだ知り合って数回会っただけなのに考えすぎなのだ。

 胡桃のような才女が僕のような平凡以下でしかも死んでしまっている幽霊の事を好きになってくれるはずがない。何を思い上がって考えすぎているのか。向こうは興味本位で相手をしてくれているだけに違いない。

 だからこの特別な気持ちは忘れなければならない。自分が胡桃に対して抱いている気持ちは胸に仕舞っておき、ごく普通の友達のような関係が持てれば、それ以上を望むことなんて烏滸がましいことだ。

 改めて考えてみると自身には何のとりえもなかった。幽霊になったから何か特別な存在になった気がしていたが、生きていたら並以下の存在なのはハナからわかっていたことだった。恋は盲目なんて言葉もあるけれど、確かに判断を鈍らせるのは間違いなさそうだ。

 そんなことが頭の中を駆け巡っているうちに、僕は病院の中庭についていた。

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