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第八章 浮遊霊の抱える不安
100.遠足
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のんびりと走る電車は、ゆっくり時間をかけて終点の桑無山駅に到着した。結局僕達のほかに乗客はいないままだった。紅葉のシーズンが終わると特に見るべきものがなくなるので当たり前と言えば当たり前なのだが、それでもこんなに乗客がいないと路線存続どうこうどころか沿線に住む人すらいなくなりそうだ。。
「本当に何もなくて静かなところね、電車も貸し切りみたいだったし、私の地元に近い雰囲気かもしれないわ。とはいってもうちの方に電車は通っていないのだけれどね」
ホームへ降り立った僕達は本当に何もなく誰もいない、まるで死後の世界かと感じるほどというと言い過ぎだろうか。しかもそう言ってる本人が幽霊なのだから救いもない。
「観光シーズンが過ぎてしまいましたからこんなものでしょうね。それよりも寒くありませんか? 僕達にはわからないので何かあればすぐに教えてください」
「ええ、着こんできたから今のところは平気よ。さあ千代ちゃん、行きましょうか」
「うん! 千代こんなにとおくまできたのはじめてだよ。えいにいちゃんはいろいろなところしっててすごいね」
「そうね、知らないところを案内してもらうのは楽しみだわ」
「そうはいっても大したものはないんですけどね。それでも山頂まで行けば景色はいいので満足してもらえると思います」
僕の言葉を受けて胡桃が笑みを浮かべながら頷いた。それを見ると僕は胸の辺りがきゅっと締め付けられるような思いがするのだ。それは決して叶わぬ恋心だと自覚していて少し辛い。
だがそんな気持ちを、心臓の鼓動が止まっている幽霊であっても感じることができると言うのが意外だった。きっと体で感じるのではなく心で感じているという証だと思ってなんだか嬉しさもある。
三人で無人のホームを歩き無人の改札を出た。駅員室には誰かがいるような気配もあるが改札には出てきていない。置いてある箱へ切符を入れるだけの簡素な改札口だ。
「気温が低いから空気が冷たいのは確かだけれど、それよりも透明度が高く感じるわ。冬の澄んだ空気って私好きなのよね」
「その感覚わかります、いや今はわからないですけど……」
「千代もわからないけど、くるみおねえちゃんのてがいつもよりつめたいよ。ほんとうはさむい?」
良く見ると胡桃は素手で千代と手を繋いでいた。反対の手には手袋をしているが、手を繋いでいる側は素手のままだったのだ。
「冷えてしまいますから手袋してください、ここから三十分以上は歩きますから。千代ちゃんも心配だよね?」
「うん…… でも…… 千代はおててつないでいたい……」
「英介君ありがとう、でもそれほど寒くないから大丈夫よ。地元の方がもっと寒いし、これくらいなんともないわ」
「それならいいんですけど、絶対に無理はしないでくださいね」
胡桃がまたあの笑顔で頷く。優しくて自然な笑顔は胡桃の性格の良さが滲み出たものに違いない。最初に出会ったころはもっときつい性格かと思っていたが、多くの時間を一緒に過ごすうちに印象が変わった気がする。
気を取り直して歩き始めた僕達は、山頂へと案内表示のある看板に沿って進む。それなりに整備してある遊歩道は冬で雑草も少なく、ここの所続いている晴れのおかげか地面が固くなっていて歩きやすそうだ。
「この辺りは熊とか出ないの? 熊鈴なんてもってきていないけど大丈夫かしらね」
「数年に一度くらいは熊出没の話を聞きますが、普段は聞かないですね。四葉の周りの方が山間は深いですし、大丈夫だと思いますよ」
「そうなのね、もしばったり遭遇してしまったら森のくまさんでも歌おうかしら」
山奥生まれだから心配しているのか、それとも意外に臆病な一面もあるのかわからないが、熊が出るなんて心配はしたことがない僕にとっては胡桃の発言は意外だった。
「ねえくるみおねえちゃん? もりのくまさんってどんなおうたなの?」
「あら? 千代ちゃんは森のくまさん知らないのかしら?童謡としては有名だと思っていたのだけれどね」
「僕達にとってはなじみのある歌ですけど、もしかしたら戦後の歌なのかもしれません」
「なるほどね、じゃあ千代ちゃん、私が歌ってみるから覚えたらいいわ。ちょっと長いけどメロディは簡単だからすぐに覚えられるわよ」
そう言うと胡桃はおよそ高校生が歌うとは思えないその童謡を歌いだした。遊歩道を歩きながら発せられている胡桃の歌声に観客はいないのがもったいないと感じるくらい、それはそれは透明で美しい歌声だ。
胡桃の歌声は学園での演劇練習で聞いたことがあるが、あの時は他の演者数名と一緒だったので胡桃本人の歌声はわからなかった。今こうして一人で歌っているところを初めて聴いたが本当に上手だと感心する。僕は歌の上手さの良し悪しがわかるほど音楽に詳しくはないが、良く通る澄んだ歌声だということくらいはわかるつもりだ。
しばらくすると千代が何となく歌えそうになっているのか、ところどころ追いかけながら歌い始め、それはまるで保育園か何かで歌を教えている先生のように思えてきた。僕は保護者参観の気分で、二人が歌っているのを歩きながら聴いていた。
何度かくまさんに出会ったあたりで山頂の展望台が見えてきた。千代は大分覚えたようで最初よりも大きな声が出るようになってきている。
「桑無山はそれほど高い山じゃないですが、地元では貴重な観光資源なんです。なので遊歩道や展望台の整備には力を入れているそうですよ」
「さすが地元、詳しいのね」
「小学生のころは毎年遠足で行ってましたからね。電車が貸し切りになってみんなはしゃいでるんですけど、途中から案内のボランティアさんが合流して地域の解説をしてくれるんです」
「ああ、私も小学校では六年間同じ所へ遠足に行ったわ。うちの場合は美晴海岸の水族館だったけどね」
「美晴海岸と言うと県の最北端ですか。あそこの水族館は行ったことないですけど、クラゲドーム水槽が有名なところですよね?」
「ええそうよ、あれだけは何度見てもきれいね。山の中から見に行くから余計に新鮮なのか、何度行っても飽きなかったわ」
「それはいいですね、僕は小学四年生のころには別のところへ行きたいと考えてましたから。でもしつこいくらいに解説を聞いてここへ来ていたので、地元愛みたいなものが育まれたのは確かですね」
「それはとてもすてきだと思うわ、私も地元は好きよ。本当に何もないところだけどやっぱり落ち着くからかしらね」
「千代もね、おきつねさまのじんじゃすきよ」
「うん、あそこも落ち着くよね、また明日から毎日行こう」
「えいにいちゃんありがとう。千代ね、すこしだけしんぱいなことがあったの」
「えっ、どんなこと? なにか心配なことがあるのなら遠慮しないで言っていいんだよ」
「うん、でも…… えとね、えいちいちゃんはもう千代のことすきじゃなくなってるのかもっておもってたの」
「まさか、そんなわけないじゃない。なんでそんなこと考えちゃったんだろう、心配かけてしまったなら謝るよ、ごめんね」
「だってえいちいちゃんったらいつもくるみおねえちゃんのことばかりみているから……だから千代よりもくるみおねえちゃんのことがすきなのかなっておもったの」
僕はこんなに小さい千代がまさかそんなことを考えていたのかと驚くとともに、胡桃の目の前で僕の本心を暴かれた恥ずかしさを感じていた。千代がそう言った直後胡桃をふと見ると、向こうも少し照れくさそうにうつむき加減で頬を赤らめている。
もしかして胡桃も僕の事を異性として、いや人間としてでも幽霊でもなんでもいいからわずかでも好いていてくれているかもしれない。もしそうなら嬉しいと、幽霊の身ながら純粋にそう思ったのだった。
「本当に何もなくて静かなところね、電車も貸し切りみたいだったし、私の地元に近い雰囲気かもしれないわ。とはいってもうちの方に電車は通っていないのだけれどね」
ホームへ降り立った僕達は本当に何もなく誰もいない、まるで死後の世界かと感じるほどというと言い過ぎだろうか。しかもそう言ってる本人が幽霊なのだから救いもない。
「観光シーズンが過ぎてしまいましたからこんなものでしょうね。それよりも寒くありませんか? 僕達にはわからないので何かあればすぐに教えてください」
「ええ、着こんできたから今のところは平気よ。さあ千代ちゃん、行きましょうか」
「うん! 千代こんなにとおくまできたのはじめてだよ。えいにいちゃんはいろいろなところしっててすごいね」
「そうね、知らないところを案内してもらうのは楽しみだわ」
「そうはいっても大したものはないんですけどね。それでも山頂まで行けば景色はいいので満足してもらえると思います」
僕の言葉を受けて胡桃が笑みを浮かべながら頷いた。それを見ると僕は胸の辺りがきゅっと締め付けられるような思いがするのだ。それは決して叶わぬ恋心だと自覚していて少し辛い。
だがそんな気持ちを、心臓の鼓動が止まっている幽霊であっても感じることができると言うのが意外だった。きっと体で感じるのではなく心で感じているという証だと思ってなんだか嬉しさもある。
三人で無人のホームを歩き無人の改札を出た。駅員室には誰かがいるような気配もあるが改札には出てきていない。置いてある箱へ切符を入れるだけの簡素な改札口だ。
「気温が低いから空気が冷たいのは確かだけれど、それよりも透明度が高く感じるわ。冬の澄んだ空気って私好きなのよね」
「その感覚わかります、いや今はわからないですけど……」
「千代もわからないけど、くるみおねえちゃんのてがいつもよりつめたいよ。ほんとうはさむい?」
良く見ると胡桃は素手で千代と手を繋いでいた。反対の手には手袋をしているが、手を繋いでいる側は素手のままだったのだ。
「冷えてしまいますから手袋してください、ここから三十分以上は歩きますから。千代ちゃんも心配だよね?」
「うん…… でも…… 千代はおててつないでいたい……」
「英介君ありがとう、でもそれほど寒くないから大丈夫よ。地元の方がもっと寒いし、これくらいなんともないわ」
「それならいいんですけど、絶対に無理はしないでくださいね」
胡桃がまたあの笑顔で頷く。優しくて自然な笑顔は胡桃の性格の良さが滲み出たものに違いない。最初に出会ったころはもっときつい性格かと思っていたが、多くの時間を一緒に過ごすうちに印象が変わった気がする。
気を取り直して歩き始めた僕達は、山頂へと案内表示のある看板に沿って進む。それなりに整備してある遊歩道は冬で雑草も少なく、ここの所続いている晴れのおかげか地面が固くなっていて歩きやすそうだ。
「この辺りは熊とか出ないの? 熊鈴なんてもってきていないけど大丈夫かしらね」
「数年に一度くらいは熊出没の話を聞きますが、普段は聞かないですね。四葉の周りの方が山間は深いですし、大丈夫だと思いますよ」
「そうなのね、もしばったり遭遇してしまったら森のくまさんでも歌おうかしら」
山奥生まれだから心配しているのか、それとも意外に臆病な一面もあるのかわからないが、熊が出るなんて心配はしたことがない僕にとっては胡桃の発言は意外だった。
「ねえくるみおねえちゃん? もりのくまさんってどんなおうたなの?」
「あら? 千代ちゃんは森のくまさん知らないのかしら?童謡としては有名だと思っていたのだけれどね」
「僕達にとってはなじみのある歌ですけど、もしかしたら戦後の歌なのかもしれません」
「なるほどね、じゃあ千代ちゃん、私が歌ってみるから覚えたらいいわ。ちょっと長いけどメロディは簡単だからすぐに覚えられるわよ」
そう言うと胡桃はおよそ高校生が歌うとは思えないその童謡を歌いだした。遊歩道を歩きながら発せられている胡桃の歌声に観客はいないのがもったいないと感じるくらい、それはそれは透明で美しい歌声だ。
胡桃の歌声は学園での演劇練習で聞いたことがあるが、あの時は他の演者数名と一緒だったので胡桃本人の歌声はわからなかった。今こうして一人で歌っているところを初めて聴いたが本当に上手だと感心する。僕は歌の上手さの良し悪しがわかるほど音楽に詳しくはないが、良く通る澄んだ歌声だということくらいはわかるつもりだ。
しばらくすると千代が何となく歌えそうになっているのか、ところどころ追いかけながら歌い始め、それはまるで保育園か何かで歌を教えている先生のように思えてきた。僕は保護者参観の気分で、二人が歌っているのを歩きながら聴いていた。
何度かくまさんに出会ったあたりで山頂の展望台が見えてきた。千代は大分覚えたようで最初よりも大きな声が出るようになってきている。
「桑無山はそれほど高い山じゃないですが、地元では貴重な観光資源なんです。なので遊歩道や展望台の整備には力を入れているそうですよ」
「さすが地元、詳しいのね」
「小学生のころは毎年遠足で行ってましたからね。電車が貸し切りになってみんなはしゃいでるんですけど、途中から案内のボランティアさんが合流して地域の解説をしてくれるんです」
「ああ、私も小学校では六年間同じ所へ遠足に行ったわ。うちの場合は美晴海岸の水族館だったけどね」
「美晴海岸と言うと県の最北端ですか。あそこの水族館は行ったことないですけど、クラゲドーム水槽が有名なところですよね?」
「ええそうよ、あれだけは何度見てもきれいね。山の中から見に行くから余計に新鮮なのか、何度行っても飽きなかったわ」
「それはいいですね、僕は小学四年生のころには別のところへ行きたいと考えてましたから。でもしつこいくらいに解説を聞いてここへ来ていたので、地元愛みたいなものが育まれたのは確かですね」
「それはとてもすてきだと思うわ、私も地元は好きよ。本当に何もないところだけどやっぱり落ち着くからかしらね」
「千代もね、おきつねさまのじんじゃすきよ」
「うん、あそこも落ち着くよね、また明日から毎日行こう」
「えいにいちゃんありがとう。千代ね、すこしだけしんぱいなことがあったの」
「えっ、どんなこと? なにか心配なことがあるのなら遠慮しないで言っていいんだよ」
「うん、でも…… えとね、えいちいちゃんはもう千代のことすきじゃなくなってるのかもっておもってたの」
「まさか、そんなわけないじゃない。なんでそんなこと考えちゃったんだろう、心配かけてしまったなら謝るよ、ごめんね」
「だってえいちいちゃんったらいつもくるみおねえちゃんのことばかりみているから……だから千代よりもくるみおねえちゃんのことがすきなのかなっておもったの」
僕はこんなに小さい千代がまさかそんなことを考えていたのかと驚くとともに、胡桃の目の前で僕の本心を暴かれた恥ずかしさを感じていた。千代がそう言った直後胡桃をふと見ると、向こうも少し照れくさそうにうつむき加減で頬を赤らめている。
もしかして胡桃も僕の事を異性として、いや人間としてでも幽霊でもなんでもいいからわずかでも好いていてくれているかもしれない。もしそうなら嬉しいと、幽霊の身ながら純粋にそう思ったのだった。
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