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朝から真夜中
しおりを挟む森には魔物がいる。
魔物は綺麗な石を食べて、獣を引き裂き、山を駆ける。
名をパガナーリという。
✳︎✳︎
「助けて!」
私は、森の中を逃げていた。
道に迷ったのではない。
命を守る為に森に逃げ込んだのだ。
助けてと言っても助けてくれる人も神もいない。
そんなのは分かっているけれど、叫ばずにはいられなかった。
それでも、ついさっきまではきつく口を閉じて逃げていた。
もう、声を上げるくらいしか正気を保つ術がない。
盗賊の襲撃だった。
さっきまで私の成人の宴の真っ最中で、皆ほろ酔いで幸せの満ちる時間を過ごしていたのに。
誰かの悲鳴とともに敵の矢が父を貫いたのを見た。次々に飛んでくる矢は母をも射た。
あんなに沢山の矢からは、父も母も逃げられなかっただろう。
祖母の近くにいた私は、手を引かれてパガナーリの森の入り口まで来た。
普段なら決して近づいてはいけないと厳しく言うのに、祖母はぐいと森のほうへ私の背を押す。
「獣に囲まれたらパガナーリをお呼び。気が向いたら助けてくれるかもしれない。生き延びるんだよ」
祖母は嫌がる私をどんと森の暗闇に押し込み、自分は声をあげながら森から遠ざかる。
祖母の声を追って盗賊が集まってくるのが聞こえるた。
家の方角からは炎が上がって空を炙っている。
私は歯を食いしばり森に逃げ込んだ。
森には魔物だけでなく獣もいる。
人を食う獣ばかりだ。
森に入ってすぐ、暗がりから沢山の生き物の気配がして、その数はあっという間に増えた。
森の奥に奥に逃げても、ずっと気配がついてくる。
怖い。
弓で射殺されるのも怖いが、獣に腑を食われるのも嫌だ。
「……助けて……誰か……」
滲む涙は木々を抜けて吹く風で乾いてしまう。
もう浅くしか肺に入らない空気が胸を切り裂くようで、痛い。
足も手もきっと顔も、低木や棘のある蔓がぱちぱちと当たり、無数の擦り傷がついている。
疲れ切っていても止まって休むことは出来ない。
うっすらと饐えた獣臭がして獣との距離がだんだん近づいてきていることが知れる。
もうすぐ私の命も尽きるのだろう。
それでもどうにか足を動かしていると、獣たちがざわめき、どんと頭から何かに激突した。
「助けてやろうか?」
尻もちをついたところに、覆いかぶさるように黒い男が私の目をのぞき込んでいた。
どこから出てきたのかもわからない。
夕方の陽の中でもよくわかる、目も髪も服も黒い、月のない真夜中のような男だ。
男は私に向かって影のような手を長く伸ばす。
「その石をくれるなら」
そうだ、これは、森の魔物だ。祖母が寝物語として話していたのを聞いたことがある。
たしか、宝石を食べるのだって。
「こ、これはダメ」
私の胸元に隠されている石を隠すように服の上から手を当てる。
外からは見えないはずなのに、男は石の正確な位置を捉えているようだ。
「そうか、ならば、縁がなかったな」
魔物は言い残すと、私の背より高い木の枝まで跳び上がり、背を向ける。
「うそ……ま、まって……」
「助ける理由がない。せいぜい逃げるがいい。だが、血が臭うのは好まん。近くでは食わせるなよ。出来るだけ遠くまで走れ」
ふわりと跳びあがる様は風に舞う羽根のようで、足音さえ聞こえない。
「待って、待ってください!」
呆けていた私は、自分の置かれた状況を思い出して、どうにか立ち上がった。
「これをあげてもいいけれど、この石と私は物理的に離れられないの」
それこそ、殺しても奪うことは叶わない。
しかし、これが一時でも自分の命を守るなら、何にでも賭けようと思った。
「ほう」
くたくたでしわがれた声を絞り出して命の交渉をする。
「私を殺してもこの石は手に入らないの。私を助けてくれたら、この石の外し方を教えるわ」
「……確かだな?」
「命には代えられないもの……」
獣も怖いが、この男も怖い。私はがたがたと震えていた。
その後はまるで御伽噺のような事ばかりが起き続けた。
黒い男は影から引き抜くように、どこからともなく闇色の大振りの刃を引き抜いて、あっという間に遠巻きにしていた獣を切り捨てた。ぼとぼとという音とともに、獣の首や胴体の破片が地面に落ちる。
少し離れたところにいた獣がギャンとかキャンとか鳴きながら逃げ去っていくのを何の感情もなく見ていた。
ほんの瞬きの間の出来事だ。
気がつくと、残された私たちの周りに環状に血溜まりができ、異臭が立ちはじめていた。
「さぁ、約束だ」
男はまた、石を渡せと手のひらを上に向けて私に伸ばす。逃げたところで、とてもこの男から逃げきれない。
私は覚悟を決めた。
「……あの、ここでは無理ですから……」
「どこならいいのだ?」
男は小首を傾げて、宙を見る。
これは交渉の余地がありそうだ。
「あなたの住処に匿ってくだされば……」
とにもかくにも今日一日を生き延びよう。私はそのために逃がされたのだ。
私は意外にも文化的なレンガ造りの家に連れてこられた。
このあたりの集落の技術ではない。
もっと王都に近い、財力のある街でしか見られない建物だ。
灯が燈されて、家人の帰りを照らしている。
色のついた珍しい硝子がランプを取り囲んで、飾り彫りから光がもれる。
ガラスなど父が持っていた懐中時計でしか見たことがなかった。
「ご主人、お帰りですか?」
ドアを開けると、中から甲高い声がする。
男はその声には答えず、私を引きずるように部屋の中に連れ込んでいく。
誰かいるのかと声の主を探すが、姿が見えない。
「さぁ、その石をくれ」
黒い男は先ほどと同じように私に向かって手を伸ばす。
死ぬまで少しでも時間を稼ぎたい。
「あの、あなたはどこのどなたなのですか?」
私は震える声で尋ねる。
「さあ」
黒い瞳が艶々と光る。
「助けていただいたお礼も申せません」
「名はない」
「あなたは、パガナーリなのですか?」
「パガナーリ?」
黒い男は小首をかしげる。
長い髪が横になびいて、白い肌がランプの灯りに浮かび上がり、男が整った顔であったことを知る。
しかし仕草はまるで子供のようだ。
「森の外の者は森の魔物をパガナーリと呼びます」
「さぁ、よく知らんな」
嘘をついているようには見えない。
もっとも嘘でも本当でも私には関係のない事だ。
「あなたは髪も目も真っ黒。ナイのよう……」
暗い、暗い夜のよう。
ここでは長雨が降ることも稀だから、星も見えない暗い夜は珍しい。
雨が降る時だって、夜は人が言うほどには暗くない。
稀に訪れる常闇、新月よりも暗い夜の色は畏怖の対象だ。
「石を食べるの?」
「食べはしない」
だとしたら、何がどう伝わって石を食べるなんて言い伝えになったのだろう。
私は目の前の男が祖母の話していたパガナーリに違いないと確信していた。
「猛獣は引き裂いたし、山を駆ける……というよりふわふわと飛び回るようだったわ」
「そうか、外から来る者は皆そんなことを言うな。では、俺のことはナイと呼べばいい。森の外では名が必要だと聞く。お前も名が必要か?」
「私は……もうあるの」
もう私の名前を呼ぶ者はこの世にはいないだろうが。
その現実に少しでも向き合うと、体の端の方から闇の冷たさと同化してしまいそうになる。
「それは、森の外での名前だろう? 新しくつけよう。お前はもう俺のものなのだから」
私の命はこの魔物の掌の上で風前の灯だ。もうすぐ胸をえぐられて死ぬのかもしれない。
いや、きっと死ぬのだろう。
それまでさっき起きたことは忘れていよう。どうせ家族にはあの世ですぐ会えるのだから。
「……そうね。でも、長く生きないものに名前なんかつけても仕方ないわ」
私はきっとナイに殺められる。屠殺する家畜に名を与えるなんて酔狂だ。
ナイは目に被るほどの長い前髪をかきあげて、空を仰ぐ。
部屋の中から何を見ているのか、瞬きを何度かする。
「スーイだ。今日はスーイがよく見える」
外はもう星が出る時間のようだ
「なんでもいいわ」
不思議なことがたくさん起きている。
しかし、ここはパガナーリの森だ。
「ご主人、お帰りなら声をかけてくださらないと。食事を温めなおすのに手間がかかるのですからね」
先ほどの甲高い声が聞こえる。
ナイは誰もいないところから聞こえてくる声に「ああ」と気のない返事をする。
「ひゃっ、なんですか? ご主人、それをどこから?」
やはり誰かいる。部屋を見わたすと一匹の大きな蛙が床を這っている。
「森で拾った」
ナイはどうやら蛙に向かって話しかけているようだった。
「またですか? 汚い娘ですね。血だらけでボロボロじゃないですか」
「そうか? 俺のスーイは汚くないと思うが」
「名前まで付けてしまったんですか? 困るなぁ、人の子なんて」
蛙の形をしていて、どうやって人の声を出しているのだろう? 不思議がっても仕方がない。命の終わりには不思議なことが次々と起こるものだと、村の言い伝えにもあった。
「石をくれると言っている」
「石ですか? 石って石ですよね? うーん、それじゃ、とりあえず手当をしてやらないと」
蛙は表情こそ蛙なので分からないが、吸盤のついた手で鼻のあたりを拭うしぐさをしている。
「仕事を増やさないでくださいよ。使いが荒いなぁ」
ぶつぶつ言いながら蛙は薄くなったり長くなったりしながら形を変え始める。
手だと思っていたところに目玉が移動してきて、腹だと思っていたところから腕が生える。ぐにゃぐにゃと形をかえてあっという間に、蛙色の髪をした少年の姿に変わった蛙は、慌ただしく私の周りを走り回って桶やら塗り薬やらを用意し始めた。
「私はね、ここでご主人の世話をしている蛙です。名はいりませんよ。変な縁ができたらたいへんだ」
蛙は、蛙らしく少し湿った手で私の手当てを始めた。
「森の外で火の手があがっていましたね」
何かを察しているのだろう、蛙はそれ以上何も言わなかった。
服を脱がされてお湯で拭われてペタペタと何かの薬を塗られる。
ちらりと私の胸に埋まっている石を一瞥して、シーツを縫い合わせたような簡単な服をかぶせられる。私は蛙にされるがままに最期の時を待った。
「何をしているんです? 温かいものを温かいうちに食べないのは罪悪ですよ」
蛙は置いてあったスプーンを取り上げると、私の頭にコンとぶつけて正気をはかる。
私の前に暖かいスープが置かれてしばらくたったころに、やっと自分が生かされるための事をされているのだと気が付いた。
どうやら、私が今日殺されてしまうことはなさそうだ。
急かされるままにスープに手をつけたのを見て、蛙は満足そうに頷く。
スープがかさかさの喉を通っていく。
両親の、祖母の最後の食事はなんだっただろう、そう思ったら、鼻の奥がつんとしてきた。
家族を全部失った。
帰るところもない。
それなのに生き延びてしまった。
きっとみんな私のために死んだ。
今の今まで麻痺していた生き残った罪悪感と、生きる希望もないのに生かされている絶望がじわりと染み出してくる。
「おい、スーイがおかしいぞ。何か悪い薬でも塗ったのか?」
ナイが慌てた様子で蛙から私を引き剥がす。
「とんでもない。見てごらんなさい。どう見ても悪い事情で森に放たれたのでしょう。こんなに怪我もして、獣にも襲われていたんでしょ? 痛かったし、怖かったし、苦しかったはずです。ご主人に名前まで付けられて、もう家族には一生会えないだろうし。こんなの、泣いて当然です」
ナイが心配そうに私を撫でる。
「そうか、それで泣いているのか」
ナイが私の頬を両手で挟み、上を向かせてのぞき込む。
目じりに盛り上がった涙の粒が膨れ上がって一筋頬を伝う。
ナイは、その涙を追いかけて頬に舌を這わせて舐めとる。
「それは、なんとも哀れだ」
ぎゅっと私を抱きしめ、すりすりと頭に頬をこすりつける。
「そうでしょうとも。名前まで付けたのだし、大事になさいませ」
蛙は心底どうでもいい顔をして給仕を続ける。
ナイはそれから私を愛玩動物のように愛でた。
朝起きて摘みたての木の実を用意したり、柔らかな布の暖かい服を着せたり、髪をくしけずっては編み、編んではほどく遊びもお気に入りのようだ。
本を読み聞かせては字を教えようとすらした。
スーイ、スーイと甘く呼ばれてるたびに、私は焼き払われた村の事を少しずつ記憶の奥の方に押しやることができた。
ナイはどこへでも私を連れて行った。
高い木にも登ったし、青い花ばかりが咲く洞窟にも入った。
大きな滝の裏側を歩いたり、私に美しい物を見せたがった。
「昔、娘に会った。石をくれるといったが森の外に帰ってしまった。あれも名前を付ければよかったのか」
ナイは木陰で私を膝の上に置いて、髪を撫でつけながら昔話をする。
ナイの言う昔がどのくらい昔かも分からない。
「ナイ、あのね、石をあげるというのは、命もあげるという意味なのよ」
私はほんの少しだけ石の秘密を洩らした。
「なるほど、そうか。あの娘とて、命は惜しかったのだろうな」
ナイと私の「命をあげる」の意味には齟齬があるように思えたが、今はそれ以上説明するのが憚られるような気持ちだった。
ナイに石をあげるといった乙女がいたのかと思うと、どうにも落ち着かない気持ちになる。
私の部族には秘密があった。
部族の女は石を一つ身に宿して生まれてくる。それは体の一部として共に育つものだ。
私たちが盗賊に狙われるのは、体から離れたその石が都でたいそう高値で売れる為だ。
破瓜を迎えると身から離れる石が、まだ私の身にはある。
私の石を狙って家族は襲われたのだ。
賊は私だけを生かしておけばよかったのだろう。
一家の中で身から離れていない石を持っているのは私だけだった。
家探しをされて、母の石や祖母の石はきっと奴らに奪われてしまった。
*
あれから月は痩せ、また満ちる。
森にはいつもはない怒号が飛び交っていた。
ナイが賊が家の近くまで来ているのに気がつかないわけがない。
家を取り囲まれたところで、いつものように私を抱いて外に出た。
蛙は、面倒そうな顔をして元の蛙の姿に戻り、ぽちゃんと水音をさせて水桶の中に飛び込んだ。
我関せず、ということなのだろう。
案の定、私たちを襲った盗賊だった。
もう一月も経つのに執拗に探し回っていたのだろうか。
「石の娘を渡せ。それは俺達の獲物だ。俺が取り出してやる。じっくりとな」
賊の頭領らしい男が弓矢でこちらを狙っている。
「それは叶わない願いだな。この娘は俺に石をくれると言っている」
ナイは心臓を狙われているのに、いつもと変わらない力の抜けた調子で賊に向かう。
「へぇ、その調子じゃぁ、まだ石は取り出してないと見える。どうやって外すのか知らないんだろう? 心配ない、俺たちに任せておけ」
ナイはあれ以来どういうつもりなのか、私の石をくれと言わない。
命を、と言ったので、石を取り出せば死んでしまうと思っているのかもしれない。
「粘って探した甲斐があったな。三個も一度に手に入れば、俺たちは一生遊んで暮らせる。それにしても、こんな森深くに隠れていたなんてなぁ。石を取り出すために寝台が要るな、家を焼いちまって失敗だったか。食料だけは外に運び出したんだがなぁ」
下卑た笑いがおこり、じくじくと喪失感が戻ってくる。
「無理を通すなら、今、ここで命を絶って見せるわ。私が死ねば、この石はただのゴミに変わる。敵の手に渡るくらいなら、この石と一緒に滅びたってかまわないって誰もが言うわ」
ナイの手を振り払い、一歩前に出て盗賊をにらむ。
(殺される前に一人ぐらい、道連れにしてやる)
ぎりりと奥歯を噛んで、勇んで足を前に出す私を、ナイは盗賊から遠ざけるように引き戻す。
「いや、それは俺が困る。俺はその石が欲しい。なあ、スーイ、どうすればいい? どうすれば石が手に入る?」
私はナイに助けられた時、石の取り出し方なんか伝えずに、ナイに胸を引き裂かれて家族の後を追うつもりだった。ナイは私を殺さなかった。今の私は、石をナイにやってもかまわないとすら思っている。
「ナイ、本当にこの石が欲しい?」
ナイを見上げると、真夜中のような目が私を見返す。
「欲しい。とても」
おかしが欲しいとねだる子供みたいな言い方をするナイに笑みがこぼれる。
「では、私に愛をこめて口付けを」
「それしきのことでいいのか?」
「そう。それであなたが私に刻み込まれ始まるわ」
ナイは私をその黒い影の中に取り込むと、頬を寄せて鼻の先をぺろりと舐める。
違うわと言いかけて口を開くと、犬がするように口の中を舐められる。
目前には弓を向ける敵がいて、それなのにナイは舐めとるように私を陥落させていく。
「っあ、ちょっと……ん……」
束の間、唇が離れて、あまりの勢いに抗議の声をあげようとすると、今度は角度を変えて口づけが深められていく。
敵も驚いたのか、息を呑み焼け付くような視線でナイの蛮行を見守っている。
口付けってこんなに激しいものだっただろうか。
「愛をこめて、だろう?」
やっと解放されたころには酸欠で、くらくらしながらナイの胸の中に倒れ込む。
「……こんなのって……ないわ」
「まだ足りないか?」
「……もう十分よ」
「俺は少し足りない」
ナイは暗い炎をともしたような目で私の顎をつかんで、続きをしようと口を開け食らいつこうとする。
すると、ナイに向かって矢が飛んでくる。
ナイは鏃を見ながらゆっくりと避けた。
「愉快な見世物はそこまでだ。そこから先は俺たちが代わってやる。お前はその娘を置いてさっさと逃げるんだな。それとも、俺たちがこの娘を犯すところを見たいのか?」
ナイの気配が膨れ上がるのを感じる。
きっと盗賊たちがナイの邪魔をしたからだ。
「家の周りで血なまぐさいのは困る。お前たち、今から走って逃げるがいい。どれだけ遠くに逃げられるか競うがいいよ」
ナイは私を外套の袂に入れたまま、瞬く間に闇色の刃物を取り出して、敵の間を飛び、弓弦を切ってまわる。
抱かれた私の足は浮いたまま、くるくると踊っているような心地だ。
誰も何もできない。
ナイだけがこの場で自由にふるまっている。
「逃げないのか?」
賊の頭領が弓矢を投げ捨てて、腰から大ぶりのナイフを引き抜きぬかんとする。
それを嘲笑うかのようにナイはゆっくりと近づき、ナイフを持っている手を手首ごと切り落とす。
余りの切れ味に、骨を断った音もしない。
豚の油を熱した刃物で切り分けるほどのゆるやかさで、盗賊の刃物は握った手首ごと枯れ葉の上に落ちる。
「ひゃっ……ああっ、ちくしょう!」
「もう少し軽くしてやった方が速く走れるか?」
刃物を抜こうとしていた隣の男の指も落ちた。
ナイが何をしているのか分からないまま、別の場所からも悲鳴があがる。
一瞬にして一団は恐怖のどん底に落とされた。
一団は端の者から森の出口を探して逃げ出し始める。逃げ出した者からも体のどこかを落とされた悲鳴が聞こえる。
「まだやるのなら、次はどこを置いていく? 足がなくては逃げられまい? それとも、獣に生きたまま食われるのが好みか?」
盗賊はやっと自分が手を出してはならない魔物に相対していることに気がついた。
「うわっ、ば、化け物だ……」
恐怖にかられた盗賊が次々と姿を消す。
頭領らしき男も皆の後を追い、這々の体で逃げ出した。
「化け物か。魔物とどう違うのだ?」
ナイは、口寂しいのか、私の頭に口を付け、髪を食んでいる。
奴らが逃げ出して、武器と指や手首が草の上にパラパラと残された。
血の匂いをおって獣たちがすぐ後を追うだろう。
武器もなく、あれだけの血をばらまいて、無事に森の出口までたどり着けるとは思えない。
「すべて消してしまった方がよかったか? お前の仇だろう?」
「……そうだけど。ナイのやり方が爽快だったから、もう気が晴れたわ」
きっと私の目の前で全て消し去ることだってナイには出来た。
ナイはきっと私に醜いものは見せたくないのだろう。
……大事にしているから。
「スーイ、口づけがまだ途中なのだが」
ナイは私の皮膚の柔らかいところ全てに唇を押し当てて続きを強請る。
「口づけだけじゃないのよ。石が欲しければ私を全て手に入れて」
緑なす黒髪の頭を掻き抱けば、ナイは捕食者の目で私を見る。
「石だけではなく全てをくれるのか?」
「命でも、何でも、あなたが愛をくれるなら」
「愛はよくわからんが。スーイは欲しい」
「それならきっとうまくいくわ」
嵐のような風が吹いた。
私だって寝台ですることは知っていたが、ナイはもっとよく知っているようだ。
楽し気に私を裸に剥いて、端から齧っていく。
私の胸の真ん中には、白い骨の色をした親指の爪程の大きさの石が埋まっている。
不透明だった白い石は、今は少し透明がかっている。
「この石はまだ何の色もついていないのだな」
べろりとナイが乳房の間の石を舐める。
「ひゃっ……」
ぞくぞくとした感触に身震いがする。
私の声に気をよくしたのか、石のまわりをほじくり出すように舐めまわす。
「ナイが私を愛せば、石に色がつくわ……」
「愛か……」
ナイはまた石を舐めながら、私の胸のふくらみに指を沈める。
中身を確かめるように揉みしだき、その頂を押しつぶす。
体の奥に向かう刺激にきゅっと体をこわばらせると、その刺激をなじませるように何度も何度も繰り返し快感を教え込まれる。
「ナイ……あっ、あっ……」
「スーイ、これは愛か?」
愛撫で立ち上がった先端を私の顔を見ながら紅い口が吸い上げる。
快感を受け取りながらも、淫らな動きをするナイから目が離せない。
ナイの肌の白さと黒と赤が、私の視覚を犯す。
「それが愛かなんて、分からないわ……私はあなたではないもの……」
先端を噛まれてひくひくと魚のように体をのけぞらせると、ナイの唇はそのままわき腹を伝って足の方にまで下がってくる。
足の間にひんやりとした指を差し込んで、つうと指の平で割れ目をなぞる。
「悦いのか? 濡れているな」
恥ずかしげもなくそう告げられ、心なしか不安感が増す。
そのまま指を動かし、いかに濡れているかを私に教える。
蜜を垂らして綻んできた合わせ目を開いて、入り口を撫でながら黒い目がそこを観察している。
「……あの、それ……は、はずかしい……」
下半身をじっくりと見られている間、うっかり今の状況を俯瞰で見てしまって羞恥で頬が熱くなる。
「そうか、恥ずかしいのか。だが、やめてやれそうにないんだが……」
ナイはきっと私が嫌だといえばそれ以上はしない。
嫌ではない。
嫌ではないのだ
「……嫌ではないの。ナイにされるなら嫌じゃない」
ナイはうかがうように唇を求める。
深くなった口付けとともに、再び未熟な蜜口にぐじぐじと指をなじませる動きが始まる。
敏感な所を擦られて、ナイにしがみつく。
指が一本ゆるゆると中に入れられるのがわかり、喘ぎ声をあげる。
「嫌じゃないのは愛か?」
愛だろうか?
あの日、成人した私は皆から祈りとともに愛する人に出会えることを願われていた。
ナイは私の運命なのだろうか?
「これが愛じゃないとは言い切れないわ……だって、こんなに恥ずかしいけれど、ナイに石をあげたくないとは思わないもの」
ナイは凶悪な表情をして私を貪り始める。
指を咥えさせた私の狭い穴を広げて舌も捩じ込み、ナイの為の穴に作りかえていく。
その間、なされるがままに快感に咽び泣く。
「ナイ……奪って……ナイに全てあげるから……」
ナイは愛おしそうに私を撫でて、私の思考をぐちゃぐちゃにかき混ぜて私の中に入ってきた。
「私の名前はカレンタ。花の時期に生まれたからつけられたのよ」
ナイは私の中の行き止まりまで進んで、ぎゅっと抱きしめて動かない。
苦しいところを過ぎて、睦み合うたびに少しずつナイが身に馴染んでくる。
「その名で呼んだ方がいいか?」
「いいえ、ナイがつけてくれた名前がいいわ。
ただ、その名を覚えていて欲しいだけ」
ナイは誓いを立てるように、私の瞼に口づける。
「スーイ、俺のこれは愛だった。見てみろ、色が変わる」
私の石は少しずつ色を燈していく。
淡い淡いアヤメの色の中にキラキラと金の星が散る。
「ナイ、すべてというのは心もすべてということよ」
ナイは急に身を起こすと、晴れやかな顔で私を揺さぶり始める。
「スーイ、俺は全部ほしい。スーイが全部ほしい」
私の石はこれ以上ないほどに濃い色に染まり、たくさんの金の星が散った。
*
「スーイ、これを」
ナイは私の手を開かせると、そっと二粒の宝石を乗せる。
いつの間に手に入れたのだろう。
青い石と、黄色い石の中にはたくさんの金の結晶のようなものが浮かんでいる。
それは幸せな結婚をした印。
愛の無い交わりをした者の石は現れない特徴だ。
「……母さんと、お祖母ちゃんの石ね?……私一度も見たことがなかった」
石は伴侶に与えられて、伴侶の身を護ると言われている。
「ナイ、あなたにも石をあげるわ」
私は、代わりに紫の石をナイの手に置く。
私の石にも同じように金の煌めきがたくさん見える。
「スーイのすべてを俺にくれるのだろう?」
「そう言ったわ」
「この石は俺が貰う。この二つはスーイに返そう」
そう言って青と黄色の石を摘まみ上げる。
「人はこの石の使い方を知らない。この石は命を与えるものだ。あの娘は結局俺に約束通り石をくれたな……」
黄色い石を目をすがめて光に透かす。
祖母の優しい目と同じ色の石は朝の光を受けて柔らかい焦点を結ぶ。
「え……それって、おばあちゃん?」
「この黄色はあの娘の目と同じ色だ。あれから長い時間がたったのだな」
ナイはしばらく石をそうやって見つめて、二つとも私の口の中に押し込む。
「一つはスーイに俺と同じ時間を与える。もう一つはこれから生まれる子に」
ナイが何か唱えると、石が口の中で発熱する。
「スーイ、石を受け入れて」
言われるままに石を受け入れる気持ちを作れば、石は形を失う。
口の中から石は消え去ったようだが、自分の身が何か変わったようには思えない。
「これでおしまい?」
「ああ、これでスーイはずっと俺のものだ」
**********
森には魔物が住むという。
そんな伝説はうんと昔の話だ。
それでも森近くに住む娘たちは、クヌギの枝に黒いリボンをかけておくおまじないをする。
「パガナーリに光る石をあげるわ」
そう唱えると、幸せな結婚ができるのだとか。
「朝から真夜中」 end
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※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
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