皆が優良物件をすすめてくる

砂山一座

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本編

市場

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「サリ、かわいそうなサリ、絶対に私がそんなことさせませんわ。」
 話を聞いていたエミリアがぎゅっと抱きついてきた。
 なんでこの人こんなに懐いてくるの?
「ご心配なく。あの、エミリアさん、色々とお世話になりました。」
 この国の人は心配性が多いのだろうか?それとも過保護が美徳なのだろうか?
 なんにしても、愛情深いのは良い事だな、うん。
「本当は私もついて行けたらいいのだけれど、これからハウザーと詰めておきたい話もあるし。ヒース、私の妹をよろしくね。」
 美しく微笑むエミリア。
 私が出来れば早々に人生を終わりにしたいと思っていると知ったら、この人は心を痛めるだろうか。
 無駄に善良そうな知り合いを増やすべきでないな。
「市場に行くだけだよ。」
「あら、あなた道に迷ったことがあったじゃない。たいへんだったのよ、あの時は。」
 ヒース、道にも迷うのか⋯⋯。
「子供の頃の話を持ち出さないでくれ。」
 嫌そうに言うヒースに、ヒラヒラと手を振るエミリアは「気をつけてね。」と私たちを送り出した。
 今の所、バロッキーの皆は私にとって眩しいくらいに温かい。
 それでも私は叔母たちに復讐を遂げる。
 借金が消えたらそれだけはやり遂げよう。
 私には出来るはずだ。
 そうやって生きてきたのだから、そうやって死ねるはずだ。


****************


 カヤロナの王都の市場は私の故郷のそれよりも断然栄えていた。
 地元の人だけではなく、観光客のような人も見られるし、屋台や土産物を売る店もある。
 これだけの様々な目の色の人に紛れれば、バロッキーの色なんてなんてことないだろうに。
 ヒースは手袋に色眼鏡までしている。
 市を巡るのは想像以上に楽しいものだった。
 地元の者ではないと値踏みされ、親切な口調の代わりにいくらか高い値段で物を買わせようとさせられるくらいで、穏やかに市を見て回れた。
 服について褒められる度にエミリアの店の宣伝もしてきたので、着せられたぶんの役目は果たしただろうか。
 途中、ヒースに果物や菓子を買ってもらって食べたり⋯⋯ああ、普通に楽しんでしまった。
 罪悪感に苛まれながらも大道芸人の興行を見てしまったりしていて……私、大丈夫だろうか。
 ここ数年、こんな緊張感のない時間があっただろうか。
 大事な復讐が霞みそうになる。
「色々案内してくれてありがとう。」
「ああ。」
「ちゃんとそのうち返すから。そうね、自分の身の回りのことくらい賄えるくらいの仕事を作るわ。」
「いや、返済の必要はない。仕事がしたいのならサリのやりたいようにすればいいだろうけど。」
「そう。」
「か、家族の身の回りの物は家の維持費から賄ってる。嗜好品なんかは個人でやりくりしてるけどな。」
「でも、まだ家族じゃないでしょ。誰からも望まれずに追い返される可能性だってあるし。負債は少ない方がいいわ。」
「そんな、追い返すなんてことは絶対ない。万が一そんなことになったら、俺が⋯⋯」
 はっとした顔で固まったヒースの表情は眼鏡でわからない。
 その時、大道芸人が芸として頭に積み上げていた小箱が崩れて周りからわっと声が上がる。
 ガラガラと崩れた箱を受け止めようと道化が手足をばたつかせると、蹴り挙げられた一つが固まっているヒースめがけて飛んできた。
 慌てて避けるが、その拍子に眼鏡が落ちて転がった。
 明るい日差しを眩しがるように目を細めて、ヒースの榛色に赤の入った美しい目が現れる。

 複雑な色の宝石のよう。


 それを見た周りの観衆達から悲鳴のような声があがった。

「目が……竜か⋯⋯?」
 人が引いて、私達の周りに空間ができる。
 竜だ、竜だと皆がざわめく声が広がっていくのを感じる。
 後ずさるどころか、その場から走り去る者までいる。
 一様に恐怖や嫌悪の表情を浮かべた民衆は、先程までの私のバロッキーについての甘い想定を打ち消していった。 
「済まない。興行を駄目にしたようだ。これは迷惑料だ、納めてくれ。」
 ヒースが差し出した紙幣を大道芸人は受け取ろうとしない。
「悪いが、お代はそこに置いていってくれ。」 
「なんですって?」
 大道芸人はヒースから直に紙幣を渡される事すら避けようとしたのだ。
「サリ、これでサリが払ってくれないか。」
 腹が立って来た私は訴えるようにヒースを見たが、当のヒースは気分を害した様子も無く、片眉をあげただけだった。
 手にした紙幣を私に寄越し、大道芸人に渡せと言う。
 この屈辱を受け入れろというのか。
 私は何に怒っているのか少しわからなくなりながら、震える手で紙幣を渡す。あ、キレそう。
「騒がせたな。」
 眼鏡を拾うと当たり前の様子で踵を返しその場から立ち去ろうとする。
 するとそこに、やんちゃそうな少年が私達の周りに出来た空間に飛び出してきた。
 私たちが背にした店の玩具を見たかったのだろう。
 母親は慌てふためき引き戻し、駄目よ、近寄っては駄目、触ったら毒よ、とキリキリと叫ぶ。
 尻餅をついた子供はびっくりして大声で泣き出した。
 私とヒースはすっかり渦中の人となった。
 どうするのよ、これ?

「ヒース、もしかしてバロッキーって何か毒なの?」
 念のため小声で尋ねると、苦い顔で首を横に振り否定された。
 事実でないのならいい。
 ならば堂々とここから立ち去ればいいだけの話だ。
 伊達に二重生活をしていた訳じゃない。
 父親に隠れて商人として交渉の場に赴いて小銭を稼いできた身、ハッタリは得意だ。
 私は一呼吸すると、令嬢の微笑みを貼り付け親子に向かって啖呵をきった。
 エミリアに着付けてもらった立派な服が武器になる。こんな場面で役に立つとは思わなかったけど。

「坊や、バロッキーに毒なんてないのよ。」
 ほらこの通り、とヒースの手袋を剥ぎ取って握り込む。
「この傷だって私が手当てしたけれど、なんでもないのだから。」
 周りの大人を見渡し、笑いを貼り付けながら声を張る。
「誰に教えてもらったのか知らないけれど、聞いたことだけを信じると、将来色々なものに騙されて痛い目にあうわよ。
気をつけなさい。」
 ほほほ、と高笑いをしながら馬車の方に足を向ける。
「帰るわよ。」
 あんな事があったというのに、ヒースは笑いを噛み殺す様な顔で私を見ている。
「⋯⋯サリ、凄いな。」
 何がおかしいのよ。
「そっちの手袋も寄越しなさいよ。」
 私はこの状況に腹が立っているというのに。
 深く浸透した人々の偏見も、それを普通の事のようにやり過ごすヒースにも。
 ⋯⋯傷ついてるくせに。
「いいから、全部取りなさいよ。ヒースは格好いいんだからそんなの要らないのよ!」
 小声でヒースにも八つ当たりして残りの手袋も取り上げる。
「わぁ。」
 バロッキーの屋敷でのヒースとそれを取り巻く家族のおかしな様子がやっと繋がってきた。
 ヒースは人に触れられる事に慣れていないのだ。
 もしかしたら母親にさえ満足に愛撫されなかったのかもしれない。
 こんな図体で私みたいな小娘がちょっとつついたくらいで不安そうにこっちを見る。
 捨てられた犬みたいな顔をしないでほしい。変に愛着がつくじゃない。
「手!」
 ああ、きっとこんな事も初めてで、私が差し出した手の意味も分かっていないのかもしれない。
「手をひいて。ヒースがエスコートしないなら、私があなたをエスコートするわよ。」
 いいの?大男が小娘にエスコートされるなんて恥ずかしいわよ。

 嫌々なのか渋々なのか、よくわからない間を開けてヒースの長い指が私の手を捉える。
 こういうのはハッタリが大事だ。
 少し大げさに自信満々にやらなくちゃ。
 馬鹿みたいに幼稚で小さな事だが、抗えることには出来るだけ自分の力で抗いたい。
「ヒース、帰るわよ。」
 ヒースは丁寧に私の手を引いて歩いてくれる。
 この状況に少しは怒ればいいのに。
 この国はバロッキーに何を負わせているのだろう。こんなに浸透した妄言、初めて見た。

「……男前だな。」
 ヒースののんびりした声に苛ついて命令口調で激を飛ばす。
「ヒース、背を伸ばして堂々と歩いてっ!こっちは被害者でも加害者でもないんだから。」
「はいはい。」

 馬車まであと少し。
 奥歯を噛み締める。

 馬車に乗り込んだ途端に感情が爆発した。
「いったい、バロッキーが何をしたっていうの?」
 ヒースに詰め寄っても意味が無いのは分かっていたが、言わずにはいられなかった。
「特には何も。イヴの話を聞いてたんじゃなかったのか?」
「聞いていたわよ!でも、あんなの、あんなの無い!」
「あんなの⋯⋯。」
 抗いようがない⋯⋯。
 私が抗ってきたこととは次元が違う。
 私一人がコソコソと偽ったり働いたりそんなことで抗ってきたこととは違う、とても大きな力を感じた。
 ついに涙腺が決壊した私に、ヒースは真新しいハンカチを差し出す。
 美しい刺繍が入った薄布はすこし光沢があるように見える。
「ごめん、こんな高いハンカチ使えない。」
 化粧してるのに泣いちゃって、ハンカチに化粧が付くじゃない。
「いいんだよ、サリのなんだから。」
「良くないわよ、妹達の服を新調出来るくらいの値段よ!」
 ボタボタと涙が落ちる。
 ああ、もう!ヒース、涙を手で受けないで!
「じゃあ、俺のを貸すから。」
 懐から取り出したヒースのハンカチで渋々涙を拭うが、その縁取りに金糸が使われているのが目に入って悲鳴をあげる。
「やだ。こっちの方が高いやつじゃない!」
「いいから。」
 そう言ったヒースは口元を隠して震えている。
「何を笑っているのよ、あんなことされて。」
 笑いをかみ殺すと、眩しそうに目を細める。
「サリ、バロッキーの一員になる事は⋯⋯。」
 つまらない事を言い出しそうだったのでキッと睨み付けると、苦笑いをして語尾を引っ込めた。

「くどいわね。わたし、毒を喰らわば皿まで食べる主義なの。」
 
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