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観覧車5

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 2月、最初の日曜日。
秀人に取って来てもらったオシャレめな上着を着て、響が働いてる美容室を訪れた。

 その仕事熱心な姿を見たいと思ってたし。
髪を少し切り揃えたり、カラーもしてみたいと思ったから。

 ただ、予約してまで行いたいとは思えず。
今月は暇らしいし、日曜とはいえ比較的少ないと聞いていた時間を狙ったものの。
人気の響は30分待ち。

 待合スペースから、さっそく響の仕事ぶりでも見てようとしたら……
その人が施術の合間に駆け寄って来た。

「憧子さん、びっくりしたよっ。
ていうか……」
家でしてあげるのに、と続きが耳打ちされる。

「いいの。
響が頑張ってるとこ、見てみたかったから」

「……っ、ありがとうっ」
すごく嬉しそうな笑顔が零れる。

「ごめん、もう少し待ってて」と言い残して、戻って行ったその人を眺めてると……
なぜだか不快感を覚える。

 響が担当してるお客さんは、若くて可愛らしい子で。
その子の髪を愛しそうに触ってる姿とか、その子からわざとらしく触れられてる姿とか。
仕事だとわかっていても、いい気はしなかった。

 そうしてる間に待ち時間は過ぎ。
その子が会計を終えて、響に見送られる。

 新しい髪型をものすごく喜んで、幸せそうな笑顔で去って行く姿と……
それを見て、同じく幸せそうな笑顔を向けてる響。

 1人1人のお客様を、1つ1つの施術を、本当に大事にしてるんだなって……
不快に感じた自分を申し訳なく思った。


「憧子さん、見すぎだからっ」
こっちに来た響に突っ込まれる。

「え……あぁ、ごめん。
あのお客さん、嫌な思いしたかな」

「えっ?
いや、あの子はたぶん気付いてないと思うけど……
ごめん、俺が自意識過剰なだけっ?」
そう照れくさそうに笑う響が、なんだか可愛い。

「カットから先にするけど、どんな感じがいい?」

 カウンセリングで、ほとんど響に任せる事にすると……
シャンプー&ドライのあと、施術が始まった。

 途端、その人の目は熱を灯して。
いつもとは違うその眼差しに、心臓が騒ぐのを感じた。


 そうして仕上がった髪型は……
重く伸び放題だったビフォアと、長さはほとんど変わらないのに。
エアリーでナチュラルな動きが作られていて、自分までドキドキしてしまうほど見違えるものに変わってた。

「どう?」

「すごく、いい。
カットひとつでこんなに変わるんだ……」

「よかったっ」
鏡越しに、ほんとに嬉しそうな笑顔が映る。

「色はどうする?」

「あんまりトーンは上げずに……
響と同じ色、入れてもいい?」

 あのロゼワインの世界と出会った日から、私はすっかり夕陽の虜だ。

「えっ、全然いいよっ!?
むしろ嬉しんだけどっ」
興奮ぎみに答える響。

 そんなに嬉しいものなの?


 それからトーンを決めて、カラー剤の準備を待ってると……
隣の席に、新しいお客さんが通されて。

「え……
憧子ちゃん?」

 その声かけに振り向いた私は、心臓が止まりそうになる。

「うそ、ほんとにっ?
こんな所で会うなんて!
こんなに元気になってるなんてっ……
よかった。
本当に、よかった……」
そう言って口を覆うその人を前に。

 どうしよう、帰りたい……
ここに居たくない!
何も返せず、逃げ出したくなる。

「ねぇ、また働きたくなったらいつでも戻ってらっしゃい?
私から社長に頼んであげるから。
あなたは本当に勉強熱心で、とても有望な照明デザイナーだったんだもの」

 刹那、心臓が暴れ始める。

 どうしよう、どうしよう、どうしようっ……
あ、息苦しい。
どう、しよう……


「憧子さん」

 ビクッと我に返って、その呼び声の主を映すと。

「お部屋の用意が出来たので、こちらにどうぞ」
そう促されて。

 意味がわからなかったものの。
この場から早く立ち去りたかった私は、誘導されるまま付いて行った。



「もう無理しなくて、いいよっ?」
案内された個室に入るなり、そう抱き包まれて。

「っっ、響っ……」
涙と感情が堰を切って、その人にぎゅっとしがみついた。

「ごめっ、仕事中なのにっ……」

「全然いいよ?
話したくなったら、いくらでも聞くし。
時間が来るまで、ここにいよう?」


 それから「ちょっと待ってて」と、一旦その個室を出た響が……
ハーブティーを持って来てくれた。

「あ、この香り」

「ん、オレンジフラワーティー。
要は、ネロリのお茶だよ」

 それは相変わらずいい香りで、不思議と心が癒される。


 少し落ち着いて、座ってたソファから個室内を見渡すと。
どうやらVIPルームのようで。
私の様子を察した響が、急遽用意してくれたんだろう。
だとしたら……

「ねぇ響、まだカラー間に合う?」

 時間いっぱい響の優しさに甘えて、このまま何もしなかったら……
部屋代や時間に相当する料金を支払ったとしても、響の立場を悪くする。
ここは悩み相談室じゃないんだし、私は響に迷惑をかけに来たんじゃない。

「えっ、間に合うけど……
無理しなくていいよ?家でやってあげるし」

「ううん、間に合うなら今したい」

「……わかった。すぐ用意してくる」


 そうして、施術が始まると。
響の優しさに、もう少しだけ甘えたくなって……
さっきの事を、ちゃんと説明しようと思った。
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