パルドールズ

石尾和未

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序章「翳る太陽」

4話

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 自宅に帰る道を急いでいると、どこからか声が聞こえる。距離が近くなると複数の言い争っている声と大きな音が響いた。いつもなら関わらないようにそのまま通り過ぎていたであろう。が、その声を何故か無視することは出来なかった。
 商店街の細い路地裏を進む。薄暗く足元には空き缶やビニール袋が散らばっている。道幅は狭いが利江は難なく通る事が出来た。少し広いゴミ捨て場へと出る。利江の背丈より大きなフェンスの前にゴミ袋が乱雑に置かれて山になって街灯に照らされていた。カラスたちが袋を突き、生ゴミを出して散らばしているためか鼻に付く刺激臭がする。
 利江は臭いに顔をしかめブレザーの裾で口を覆った。言い争う声はその側でしている。こっそりとゴミ山の影から様子を窺った。二人分の後ろ姿と、狼と人間の中間のような姿をしている二体のパルドール。そして、攻撃を受けている布切れを被った小さな何かがいた。
「いい加減諦めろよ! 大人しくそれを渡せばいい! 大丈夫さ、お前もすぐに壊してやるよ!」
 あまりよくない話なのは利江にも分かった。男の一人は布切れに包まった何かに熱心に捲し立てている。もう一人は黙って傍観している。捲し立てている男は灰色のタートルネックに黒のジャケットを羽織り黒のスキニーパンツ、赤のラインが入ったスニーカーを履いている。耳には沢山のピアスを付け、中折れ帽を被る。その黒髪には赤のメッシュが入っていた。もう一人は黒のスーツ姿にその灰色の髪をしっかりとセットしている清潔感のある壮年の男性。別々で昼の街にいたら溶け込むのだろうが、ここは夜の路地裏だ。そんなベクトルの違う二人が共にいるのは違和感でしかない。
「もうお前は駄目だな! 逃げられねえさ! な! な!? 諦めろ! 諦めろよ!! お前は何も変わらない! 全てを不幸にする! 災厄の前触れなのさ!!」
 若い男性が愉快そうに笑い声をあげる。獣人のパルドールの攻撃によって飛ばされたその何かがゴミ袋にぶつかり音を立てて落ちる。布は風に舞い飛んでいった。利江は息を飲む。そこにいたのは痛みに顔を歪める少年の姿をしたパルドールだった。
 ゆらりと立ち上がった少年のパルドールは濡れた黒髪をしていた。所々破れた服からは肌が見え、その右腕に小さな光る物を持っている。遠目からでは分からないが、関わってはいけない。そう感じるが足はピクリとも動かない。利江は少年のパルドールから目が離せなかった。
「……それを渡せ、今すぐ」
 壮年の男性が言葉を発する。背筋が寒くなるような冷たい声が響いた。このままではあの少年のパルドールは間違いなく破壊される。滝のように利江の中へ様々な感情が駆け巡る。合図を出した男たちの首にあるチョーカーの血のような赤い石が輝いた。あれはシンクロだ、と気づく。男たちのパルドールは鋭い鉤爪を出して少年のパルドールに襲いかかる。黙っていた彼が口を開く。
「……おれは! 諦めない!!」
 真っ直ぐに前を向く。彼の桜色の瞳と目が合った。時間にして一瞬だ。が、気がついた時には飛び出していた。飛び出した際にぶつかった足元の袋が音を立てる。音に気づいた男性たちが驚いて振り返ろうとした。
 走り抜けて少年のパルドールの前に立った利江は男性たちの前に立つ。そして腹部辺りから頭部目掛けてスクールバックを勢いよく投げた。狙い通りに男性二人にぶつかったスクールバッグは壁に当たると下へと落ちる。その脇には細い路地があり、遠くには街灯の明かりが見えた。タイミングよく顔面にぶつかった若い男性は地面に倒れ、痛みと怒りで声にならない叫び声を上げる。腹部に直撃した壮年の男性は倒れずとも咳き込みうずくまった。
「っおい! 何してんだ! 早く逃げるぞ!!」
 追い詰められていた少年のパルドールは利江の肩に飛び乗り、逃げるように急かした。戸惑いながらも利江は頷く。
「……ぜったい助けるから!」
 そう言うと落ちていたスクールバッグを拾いあげ、その脇の細い路地を走り抜ける。背後から追ってきたのは先ほどの男たちが操作するパルドールたちだった。少しずつ距離を詰められていく。薄暗い道を走る。残り10メートルもない所まできた。その時、利江たちの前に出た一体のパルドールが隣の壁を破壊する。
「っきゃ……!」
 驚いた利江が小さな悲鳴を上げた。崩れた壁の瓦礫に行く手を塞がれ、二体のパルドールに挟まれて追い詰められる。壁に背をつけ、これ以上後に引けない所まできた。それでも守らなきゃと利江は肩にいる少年のパルドールを手の中に移動させて隠そうとする。驚いた表情をしたパルドールは、険しい顔で彼女に耳打ちをする。
「……それを付けろ」
 少年のパルドールが利江に差し出したのは桜色の石が嵌っている美しい銀の指輪だ。細かい彫刻が施されて輝く。不安だったが、状況が状況なだけにこのパルドールを信じるしか打開策はない。
 意を決して彼女は左手の中指へ指輪をつける。サイズは不思議なことに丁度良かった。軽い浮遊感に襲われる。それは先程アルファのブレスレットをつけた時の感覚によく似ていた。これはコントローラだ。そう彼女が理解した時には奥の方から壮年の男性が息を切らし、近くまで追って来ていた。
「……っ!? ……俺たちの希望を!! 貴様あああっ!!!」
 利江の指にはめられた指輪を見た男性が怒りを露わにする。怖い、そう思う前に少年のパルドールが呟く。
「俺を上手く使ってみせろ」
 次の瞬間、眩い光が辺りを照らす。利江の意識が遠のき、光が収まると共にはっきりとしてくる。気がつくと男性は地面に倒れ、追手のパルドールたちも起動を停止しているようだった。何が起きたのか理解出来ない。目の前に立つ少年のパルドールに利江は問う。
「あなたがやったの? あなたは何者なの……?」
「ここから逃げるぞ、早く」
 少年のパルドールは質問に答えずに利江の肩に再び飛び乗った。気絶している男性の脇を通り、別の道を彼女は懸命に探す。静かな月の光に照らされた裏路地を通ってようやく大通りに出た。街灯の明かりはあれど商店街は既に静まり返っている。
「あの人たちの仲間がいたら危ないから。カバンの中に入ってて?」
「……狭いな」
 文句を言いつつも了承し、彼はスクールバッグに入っていった。鞄を持ち直し、その場を後にする。
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