12 / 12
十二話
ふと、空を見上げた。
頭上には、ただ一つ存在感を増している大きな月が一つ。今日は丁度満月の日のようで、どうしてかいつもより大きく近くにあるような錯覚を覚える。
春は、そういえば数日前にもうすぐ満月だとエドが言っていたな、と頭の端で考えながら、カーテンが開いた窓に近寄った。
目にゴミでも入ったのか、頬が濡れていく。
この世界にきてから数日、泣くのははじめてだった。
止まらないどころかどんどん量を増していくそれを、拭うことも忘れて、滲む視界に負けないようにただ目を開いて外の景色を見た。
…呼ばれてる?
何に、とか考える余裕もなく、頭の中は変な衝動に支配されていく。
幸いこの部屋は一階だ。窓にも鍵がかけられていないし、特別な構造でもないので、男の体格でも苦もなく外に出ることができる。逸る衝動にドアを使う思考すら奪われて、ただ一点を見つめたまま手を伸ばした。
カチャ、キー、と窓を開き、片足を乗り上げてそのままの勢いで外に出る。先ほど入浴したばかりなので室内履きすらも履いていないのだが、そんなものは気にならなかった。
くるぶし程まで伸びた、よく手入れされている草庭に足をおろし、そのまま歩を進めていく。
呼ばれている。
誰に?
わからない。けど、無視できない、重要なもの。
熱に浮かされたように、あるいは夢遊病のように、ただ足だけが意思を持って、フラフラと一点を目指して突き動かす。
知らない通路を通り、知らない庭を横切り、知らない建物の間をすり抜けていくのをどれだけ繰り返しただろうか、春は、気づけば木々が立ち並ぶ一角を歩いていた。
下を見ればもう腰ほどまで伸び切った草花に絡まれ、足元すら見えない暗い夜道で何度も足を取られながら歩いたからか、石や砂利を踏んで傷だらけになっている足や衣服が目に入った。
痛い。
痛みに気づいた途端、理性が頭に戻ってやっと現状を把握する。
この先に凄く気になる何かがあるのだが、さすがに一度戻って靴は履いて出直すべきだと思い直す。一人で行動しないというのも約束だ。誰にも言わずに出てきてしまったし、もうそろそろ就寝の準備をしに、見習い神官のヘジさんとチェキさんが来てくれる時間帯だ。部屋にいなければ心配をかけてしまう。
それに、たしかここは立ち入り禁止の区域と説明された場所だった気がする。
止まらない涙でグシャグシャになっている顔を袖で拭って、戻ろう、と体を翻すと、再び背後から強い気配を感じた。
『に~ぃちゃんっ!』
は?
目を見開いて、すぐに後ろを振り返った。
『兄ちゃん、はやく!』
見覚えのある人影に、呼吸が止まり、瞬きを繰り返す。
「…お、うすけ?」
そこには、桜介が、つい先日に死んだはずの弟が立っていた。
「なんで、…こんなところに、?」
震える声で問うても、桜介は答えずにこりと笑って背を向け、森の奥へと走り出す。
『兄ちゃん、はやく!』
もう、ダメだった。戻りかけた理性などとっくに霧散して、衝動のままに追いかける。
「待って!」
幸いにも、不自然なくらいに満月の光が森の中を照らしてくれている。
そしてまた、どれだけの距離を走ったのか。
足の裏からはとっくに血が流れていて、それ以外も擦り傷だらけだ。
気づけば桜介は沼の中を進んでいた。
そしてそれを追いかける春も既に膝程までの深さに入っている。
「桜介、ダメだ、それ以上は。こっちに来い!」
沼の広さは大して広くない。深さも何メートルもあるようには見えないが、春くらいの身長なら沈むことはありえそうだし、桜介の身長ならさらにだ。あれ以上進むとまずいかもしれない。
必死になって手を伸ばすが、桜介はなおも春を呼びながら笑顔を浮かべて奥へと進んでいく。
そう時間をかけず、沼は春の腰までの深さになってきた。
桜介はすでに肩まで沈んでいる。
「桜介!」
『兄ちゃん、はやくー!』
桜介に手が届きそうで届かない。
必死になって追いかけるも、もう首の下までの深さになっていた。
桜介が何故か、今もなお首から上以上沈まずに歩き続けられているのか、疑問に思う余裕すらなく、必死で追いかけた。
あいつはなんとしてでも救わなければならない。
"死なせてしまった"のは全て俺の責任なんだから。今度こそ、ちゃんと救わなければならない。
瞬きをすると、桜介の姿が消えていた。
「桜介!」
左右を見てもいない。どうやら沈んでしまったようだと思い至って焦りに呑まれる。
先ほどまで桜介がいた場所まで急いで数歩進むと、急に沼が深くなっている場所のようで、躊躇う判断力もなく、春は息を頬に溜め込んで沼に潜る。
無我夢中だった。
息が苦しいのも忘れ、ずっと探し続ける。
意識が遠のきそうになったその瞬間、急に左腕を掴んで持ち上げられて、顔が沼の外に出た。
「ッ、カヒュッ、げほっ」
「春!聞こえるか!?」
霞む目を開くと、ぼやけた白い人が自分を抱き込んで覗いてくるのが見える。
「ごほっ、お、おうすけが!おうすけがまだ!」
自分を支える腕を振り解いてまだ探そうと抵抗するけど、力強い腕が解けなくて、沼の外まで引っ張られる。
「それは幻覚だ!…その人は、ここにはいない。だからこれ以上探す必要はないんだ」
げんかく?…幻覚があんなにもリアルなのか?あれは間違いなく、自分がよく知る弟だった。
しかし、もう探さなくて良いという言葉に安堵する自分もいる。
何がなんだかわからないし、頭がぼーっとして思考が働かないけど、この人に身を任せる安心感が、変な焦燥感を崩していった。
すぐに陸地に引っ張り上げられ、すぐさまランタンを持った大勢の神官たちが囲んでくる。
「毛布を」
脱力する春を支えながら、春が冷えないようにと毛布でぐるぐる巻きにするエンテをサポートするように、神官たちが火を当てたり、泥を拭き取ったりしてくれる。
「ヘジとチェキは急ぎ湯船の準備をお願いします。あと、温かい飲み物と甘いものを。ヨハンは皆に春さんが見つかったとの通達を。ここ100年被害報告が上がっていなかったので油断していました。すぐにでもこの池は埋め立てましょう」
「「「かしこまりました」」」
やっと視界が安定してきて、周りの状況が見えてくる。
みんな、慌てて春を探しに出たようで、薄い室内着だ。さらにエドは自分を助けるために沼に入ったため、自分と同じくらい泥だらけになっている。普段の完璧な様子からは想像もつかないほど、息を荒げて自分を抱きしめてくれるのが酷く罪悪感に駆られるのだが、それを超越するほどの安堵感と安心を与えてくれる。
「…めんなさい」
消え入りそうな声でポツリと呟く。
「…ごめ、んなさい」
またとめどなく涙が溢れて止まらなくて困ってしまう。
しかし、一番困っているのは彼らだ。こんな時間に迷惑をかけて、申し訳なくて仕方がない。
「ごめんなさい、皆さんに…ご迷惑を」
エドの顔が見れなくて、下を向いて謝っていると、綺麗な布で泥を拭われながら、顔を上に向けられてしまった。
「春、君は今とても危ないところだったんだ。もう少し見つけるのが遅ければ、手遅れだったかもしれない。皆、とても君のことを心配した。今もしている」
「…ごめんなさい」
もう一度俯いてしまった頭を、エドが優しく撫でてくれる。
「だけどね、誰一人春のことを責めていないよ。無事でよかったと安堵し、明日春が風邪を引かないようにと案じている。むしろ説明不足だった私たちの責任なんだ。怖い思いをさせてごめんね。もう少しはやく助けることができればよかった」
「それは違う、俺が、軽率だった」
涙を拭いてくれる優しい手が離れないことを祈りながら、エドの心臓の音を聞いて安心してきた。
「ほら、お願いだから顔を見せてくれないかな。せっかく出来た友人をこんなにもはやく失うのかと、気が気ではなかったんだよ」
上を見上げると、こちらに優しく微笑みかけるエドが眩しすぎて、また涙が出てくる。
抱きしめて支えながら神聖力もかけ続けてくれているようで、いつの間にか足の裏や全身の傷も治り、体温も温まってきていていた。
「いっぱい歩いて疲れたよね、はやく帰って休もう」
「うん」
エドが、自分を抱き上げたまま立ち上がる。いつもなら姫抱っこは羞恥ゆえに断るだろうが、今はそんなことを考える体力も言う体力もなかった。
「…来てくれて、助けてくれてありがとう。…心配かけて、ごめんなさい。エド」
「ううん。いいんだ」
感謝を伝えると、エドが瞳を揺らして笑って、抱きしめる力を強めてくれる。
「いいんだよ」
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
処刑される悪役令息に転生したらなぜか推しの騎士団長がグイグイ近づいてくる
猫に小判
BL
交通事故で死んだはずの会社員・田中悠人は、気がつくとBL小説『恋と陰謀~はじまりは夜に~』の世界に転生していた。
しかも転生先は、原作で処刑される悪役令息エリオット。
当然そんな未来は回避したい。
原作知識を頼りに慎重に立ち回るつもりだったのに、気づけば王宮を揺るがす事件に巻き込まれていき――。
さらに困ったことに、原作で一番の推しだった騎士団長ガイウスがやたらと距離を詰めてきて……?
平穏に生きたい元悪役令息と、過保護な騎士団長がじれじれ距離を縮める話。
ガイウス(騎士団長)×エリオット(元悪役令息)
魔王様の執着から逃れたいっ!
クズねこ
BL
「孤独をわかってくれるのは君だけなんだ、死ぬまで一緒にいようね」
魔王様に執着されて俺の普通の生活は終わりを迎えた。いつからこの魔王城にいるかわからない。ずっと外に出させてもらってないんだよね
俺がいれば魔王様は安心して楽しく生活が送れる。俺さえ我慢すれば大丈夫なんだ‥‥‥でも、自由になりたい
魔王様に縛られず、また自由な生活がしたい。
他の人と話すだけでその人は罰を与えられ、生活も制限される。そんな生活は苦しい。心が壊れそう
だから、心が壊れてしまう前に逃げ出さなくてはいけないの
でも、最近思うんだよね。魔王様のことあんまり考えてなかったって。
あの頃は、魔王様から逃げ出すことしか考えてなかった。
ずっと、執着されて辛かったのは本当だけど、もう少し魔王様のこと考えられたんじゃないかな?
はじめは、魔王様の愛を受け入れられず苦しんでいたユキ。自由を求めてある人の家にお世話になります。
魔王様と離れて自由を手に入れたユキは魔王様のことを思い返し、もう少し魔王様の気持ちをわかってあげればよかったかな? と言う気持ちが湧いてきます。
次に魔王様に会った時、ユキは魔王様の愛を受け入れるのでしょうか?
それとも受け入れずに他の人のところへ行ってしまうのでしょうか?
三角関係が繰り広げる執着BLストーリーをぜひ、お楽しみください。
誰と一緒になって欲しい など思ってくださりましたら、感想で待ってますっ
『面白い』『好きっ』と、思われましたら、♡やお気に入り登録をしていただけると嬉しいですっ
第一章 魔王様の執着から逃れたいっ 連載中❗️
第二章 自由を求めてお世話になりますっ
第三章 魔王様に見つかりますっ
第四章 ハッピーエンドを目指しますっ
週一更新! 日曜日に更新しますっ!
転生したが陰から推し同士の絡みを「バレず」に見たい
むいあ
BL
俺、神崎瑠衣はごく普通の社会人だ。
ただ一つ違うことがあるとすれば、腐男子だということだ。
しかし、周りに腐男子と言うことがバレないように日々隠しながら暮らしている。
今日も一日会社に行こうとした時に横からきたトラックにはねられてしまった!
目が覚めるとそこは俺が好きなゲームの中で!?
俺は推し同士の絡みを眺めていたいのに、なぜか美形に迫られていて!?
「俺は壁になりたいのにーーーー!!!!」
聞いてた話と何か違う!
きのこのこのこ
BL
春、新しい出会いに胸が高鳴る中、千紘はすべてを思い出した。俺様生徒会長、腹黒副会長、チャラ男会計にワンコな書記、庶務は双子の愉快な生徒会メンバーと送るドキドキな日常――前世で大人気だったBLゲームを。そしてそのゲームの舞台こそ、千紘が今日入学した名門鷹耀学院であった。
生徒会メンバーは変態ばかり!?ゲームには登場しない人気グループ!?
聞いてた話と何か違うんですけど!
※主人公総受けで過激な描写もありますが、固定カプで着地します。
他のサイトにも投稿しています。
【完結】巷で噂の国宝級イケメンの辺境伯は冷徹なので、まっっったくモテませんが、この度婚約者ができました。
明太子
BL
オーディスは国宝級イケメンであるにも関わらず、冷徹な性格のせいで婚約破棄されてばかり。
新たな婚約者を探していたところ、パーティーで給仕をしていた貧乏貴族の次男セシルと出会い、一目惚れしてしまう。
しかし、恋愛偏差値がほぼ0のオーディスのアプローチは空回りするわ、前婚約者のフランチェスカの邪魔が入るわとセシルとの距離は縮まったり遠ざかったり…?
冷徹だったはずなのに溺愛まっしぐらのオーディスと元気だけどおっちょこちょいなセシルのドタバタラブコメです。
小悪魔系世界征服計画 ~ちょっと美少年に生まれただけだと思っていたら、異世界の救世主でした~
朱童章絵
BL
「僕はリスでもウサギでもないし、ましてやプリンセスなんかじゃ絶対にない!」
普通よりちょっと可愛くて、人に好かれやすいという以外、まったく普通の男子高校生・瑠佳(ルカ)には、秘密がある。小さな頃からずっと、別な世界で日々を送り、成長していく夢を見続けているのだ。
史上最強の呼び声も高い、大魔法使いである祖母・ベリンダ。
その弟子であり、物腰柔らか、ルカのトラウマを刺激しまくる、超絶美形・ユージーン。
外見も内面も、強くて男らしくて頼りになる、寡黙で優しい、薬屋の跡取り・ジェイク。
いつも笑顔で温厚だけど、ルカ以外にまったく価値を見出さない、ヤンデレ系神父・ネイト。
領主の息子なのに気さくで誠実、親友のイケメン貴公子・フィンレー。
彼らの過剰なスキンシップに狼狽えながらも、ルカは日々を楽しく過ごしていたが、ある時を境に、現実世界での急激な体力の衰えを感じ始める。夢から覚めるたびに強まる倦怠感に加えて、祖母や仲間達の言動にも不可解な点が。更には魔王の復活も重なって、瑠佳は次第に世界全体に疑問を感じるようになっていく。
やがて現実の自分の不調の原因が夢にあるのではないかと考えた瑠佳は、「夢の世界」そのものを否定するようになるが――。
無自覚小悪魔ちゃん、総受系愛され主人公による、保護者同伴RPG(?)。
(この作品は、小説家になろう、カクヨムにも掲載しています)
強制悪役劣等生、レベル99の超人達の激重愛に逃げられない
砂糖犬
BL
悪名高い乙女ゲームの悪役令息に生まれ変わった主人公。
自分の未来は自分で変えると強制力に抗う事に。
ただ平穏に暮らしたい、それだけだった。
とあるきっかけフラグのせいで、友情ルートは崩れ去っていく。
恋愛ルートを認めない弱々キャラにわからせ愛を仕掛ける攻略キャラクター達。
ヒロインは?悪役令嬢は?それどころではない。
落第が掛かっている大事な時に、主人公は及第点を取れるのか!?
最強の力を内に憑依する時、その力は目覚める。
12人の攻略キャラクター×強制力に苦しむ悪役劣等生
【本編完結】転生オタクの落第騎士、異世界でフリースクール院長になる
とうこ
BL
※ボーイズラブは想いが通じる程度の描写止まり。恋愛は大人同士であくまで添え物。主人公は基本的にはストレートです。
※生徒とは恋愛になりません。やがて猫可愛がりになるのでベタベタはします。
※本筋は少年たちと主人公の成長譚です。
あまりの素行の悪さから希望していた正騎士になれず、無職の危機に陥る騎士団副団長の息子スタンレイ。
傭兵にでもなり再び騎士を目指そうと考えていたが、父親により知らぬうちに就職させられていた。それはなんと、さびれた教会に併設された小さな学校、リリサイド修学院の院長職だった。
「俺に何をしろと言うんだ!!!」
強制連行の先で怒りから我を忘れ、祭壇に八つ当たりしようとして派手にすっ転び意識を失った彼は、オタクライフを満喫していた前世を思い出す。
様々な事情でリリサイド修学院に在籍する
7人の少年たち。
オタクな前世持ち落第騎士が、転生の意味を見い出し彼らと共に再び前を向き歩み始める再生の物語。
小説家になろう様にも掲載しています。