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一話
暖かい日差しに包まれた、穏やかな気温によって迎えられた朝のこと。
「ーーーー聖君、マグナ観測班の者より至急の報告があるとのことです」
この世界で最も信仰されている宗教、アウル=アウレリアルムスを祀る宗教国家、アウレリウス神聖国の中央に位置する神殿都市のうちの一室。
そこには、特別に神の恩寵を受けた「聖君」と呼ばれる位の、世界に三人しかいないうちの一人であるエンテという男が姿勢良く椅子に腰掛けて執務をこなしていた。
「ああ、今年のマグナは今日だと報告がありましたね。入りなさい」
マグナとは、一年に一度、春の始まりに異界の地より流されてくる漂流物のことだ。
主神アウルの番い神である、世界間の番人をしているマグヌスという神が面白がって、年に一度異世界の物をこちらに流してくると伝えられているので、漂流物のことは総じてマグナと呼ばれているが、その内容は書物だったり植物だったりと、神の意図を計るには少々意味不明なものが流れてくることが多い。
「失礼します聖君」
手元の書類に視線を落としたままにしつつも、入室してきた神官が頭を下げて長ったらしい形式挨拶を始めようとしている雰囲気を察して顔を上げる。
「緊急なのでしょう、挨拶は結構。マグナの件で何か問題が?」
その神官は見た目が若いことも相まって新人なのかと予測してしまうほど、位の高いエンテの前で話すことに緊張した面持ちで直立しており、しかし事の重要性を思い出したように話し出した。
「はい!…それが、観測される神聖力数値が例年を遥かに上回る状態でして、今年のマグナが…人である可能性が濃厚でございますッ」
マグナで異世界から生きた人間が流れてくることはとても珍しいが、まったく前例がなかった訳ではない。この国が建国されてから記録にある限りでも十二人の人間が異世界からやってきている。
「渡り人ですか…。前回は60年程前でしか?」
「はい、62年前に老人の男性が現れたと記録されております」
マグヌスが連れてくる渡り人には何やら法則があるようで、今までの十二人のうち全ての者が元の世界に未練のない者であったらしい。なので年老いた人物が流されてくる確率が高かった。
「今回人である確率は?」
「…9割以上は確定であるかと」
この神官は数値を見て確信しているのだろう。それならば、こちらも渡り人が来る前提で準備を進めなければならない。
「クレヒト、この者を連れて教皇聖下にお伝えしに行きなさい」
「はっ」
この執務室で共に作業していた側近のクレヒトに指示を出すと素早く返事が返され、マグナ観測班の神官の元に歩いていく。
エンテはもう一度観測班の神官に、如何にも優しげに見える柔和な目を向けた。
「報告ご苦労様。他にないようなら、次は彼と一緒に教皇聖下に先程の情報をお伝えしてもらいます」
「…か、かしこまりました!」
エンテは「聖下は慈悲深い方なので、そう緊張せずとも大丈夫ですよ」と言ってニコリと微笑み、緊張した面持ちで退室していく神官を見送って、次いで指示を出すべく室内に残る側近たちに目を向ける。
マグナが現れるのは最も陽の光が高く上がる時間。なので少なく見積もってもあと2時間程度だ。渡り人がこの世界に来た場合、特別この国での地位が与えられる訳ではないが、肩書としては主神の番い神の客人となる。丁重にもてなす必要があるのに時間がないので急いで準備を進めなくてはならない。
「レズリー。特等居住区のうち、立派な噴水と花園が設置されている最奥の聖居があったでしょう。今空きの中で最も豪奢な造りなのはあそこの筈なので、渡り人の住まいとして手配をしてください」
「かしこまりました。人員配置決定前の渡り人の仮側付きですが、マルタとイーゼ、ジェルマンを充てて問題ないでしょうか」
マルタ、イーゼ、ジェルマンはいずれも生まれから神殿内なため出自も問題なく、派閥関係でも安心できる人員だ。
「ああ、大丈夫です。渡り人が来た後も1時間は別室での説明になるだろうから、聖居の清掃はそのつもりで。…それと、渡り人は神殿内で難しい立ち位置になる。優秀で、かつ信頼できる者を渡り人の側に配置しなければならないのですが、貴方が適任だと思ってます」
微笑みかけてそう言うと、真面目な表情を作っていた優秀な側近神官レズリーの顔がピクリと反応した。
アウル神に仕える者、特にこの神殿に勤めている者が、神に最も近い人間とされる「聖君」の一人である自分の下に仕えることを誉としていることは知っている。
そして想像の及ばぬほどに競争率の高い選定を掻い潜って今自分の側近として働いている彼を別の仕事にあてるのは少しばかり良心が痛むが、優秀で信頼できるという条件に当て嵌まる人物はそう多くないのだ。
「聖君のご期待に添えるよう、尽力いたします」
レズリーは狼狽えるような表情など一切浮かべず、責任感に満ちた面持ちで胸に手を添え恭しく礼をした。
「ありがとう、頼みます」
エンテは慈愛を思わせる柔和な笑みでレズリーを見送り、続けて最後に室内に残ったルトガーに視線を流した。
「立ち会う者は皆、正装を着用しなければなりませんね。…祭事用だと華美すぎるので、それよりは幾分か落ち着いた洗礼式用の物で服装を統一しましょうか」
神殿で働くものには様々な用途によって違う正装があるのだが、シャラシャラカラカラと華美な装飾がそこら中についた服を着るのはあまり好きではないため、たっぷりとレースが使われている上品めな方の正装を指定する。
指示のために退室していったルトガーを見送ってから、一人になった室内で暫く急ぎの仕事にだけ素早く目を通し、しかし思考に次々と浮かんでくる渡り人問題に、エンテは椅子に深く腰掛けてため息を吐き出した。
普段は温厚で如何にも善性百%という風な人格を装っているので、決して姿勢を崩したりなどはしないのだが、この事態に対して、表情に見えない内心では様々な感情が渦巻いていた。
(…あの地球から、人が来るのか?)
エンテは所謂、転生者というものだ。
そしてこの世界で前世の記憶を思い出してからの数年、この世界に馴染む努力をする傍ら、マグナが流れてくるという先に広がっている異世界が地球であるとも結論づけていた。
この世界では転生という概念がそもそもないため、エンテと異世界の繋がりを知る者はいないが、地球の人間が来るという事態が急に訪れて、複雑な心境が渦巻いてわりと混乱している。
同郷の者と喜ぶべきか、この世界に住む者として一線を引くべきか。
エンテは、今は白色となった自身の絹のような髪をくしゃりとかき混ぜ、一度キツく結んだ眉間を指で解して、マグナを迎える準備をすべく席を立った。
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