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五話
翌日、エンテは自身の執務室で朝早くから仕事に追われていた。
昨日のマグナの一件で、一日分の仕事が滞った皺寄せがきて今日は更に忙しい。しかし幸いか、渡り人二人はさして手のかかることもなく、通常の業務に戻ることができたのが思っていたより早くて助かった。
昨日の対談で美希を後任に引き継いだ後、春を自分の邸宅に招待して、軽く案内や周りの人間の紹介を済ませた後は、突然の環境の変化で疲れているだろうとのことで、食事の後、すぐに客室へ通して休んでもらった。
そのため今日は、ある程度陽が登った昼前に、春に充てた部屋へ顔を出しに行く予定がある。
昨日は最低限、食事の嗜好や食べられないものを尋ねただけなので、その他の注意事項や説明を今日は打ち合わせなければならない。
聖君という立場のエンテが持つには装飾の少ない、自分好みのシンプルな懐中時計で時間を確認したエンテは、そろそろ小幡春が起きて身支度も済ませて、暇を持て余している頃だろうと席を立ち上がり、一階に用意されている客室へと向かった。
コンコン、と短くノックをして名を名乗り、中から聞こえる返事を確認して入室すると、気を利かせたように、彼の身の回りの世話を行なっていた側付きの神官たちが礼をとって退室して行く。
春の方も迎え入れるように扉近くまで歩いてきて、朝から微笑みの眩しいエンテにぺこりとお辞儀をして礼儀正しく挨拶をした。
「おはようございます、エンテさん」
「コハタさん、おはようございます。昨夜はよく眠れましたか?……おや」
丁寧な子だと微笑んで春の顔を覗き込むと、昨日より明らかに暗さを増している顔が目に映った。
昨日のうちはまだ薄っすらと浮かんでいるだけだった目の下の隈も病気を疑うほど濃くなっており、肌も数段青くなって見える。正直これは誰でも心配になるし、言及せざるを得ない。
「もしや、寝具が合いませんでしたか?」
急に異世界に飛ばされたのだから興奮で眠れないのだったとしても不思議ではないのだが、春に用意しているベッドはふっかふかの最上級快眠ベッドだ。効果は元々不眠症気味だったエンテが保証する。
しかし、彼の様子を見る限り、気持ちの昂りや寝具ではなく、別の心的要因があるように見受けられた。
「いえ、とても心地よかったです。すみません、心配をおかけして」
「謝っていただく必要は全くありません。ただ、改善できることがあれば些細なことでも仰って欲しいのです」
前世の記憶があったり、聖君という特別な地位に就いていたりはするが、エンテは現役の神官である。告解を聞いたり、相手の心のうちを聞き出したりということもまた業務の一環としてやっているので、慣れたように会話の流れを話してもらう方向に持って行く。
「その…、こっちに来る数日前に、精神的にだいぶ堪える出来事があって、その日からあまり眠れてないんです。…だから、ここの寝具のせいとかではなくて、俺の問題なので大丈夫ですよ」
「なるほど、お辛いことが…。しかし、とても顔色が悪いですよ。大丈夫ということはないのでは…」
心配だと伝えるように眉を下げて覗き込みながら顔色を指摘すると、春は自嘲するような表情を浮かべて視線を逸らした。
「なんか、不幸アピールみたいになってますよね、すみません。俺より辛い思いをしてる人とか山ほどいるし、自分が一番そういうの嫌なのでちゃんとしようと思ってるんですけど、なかなか普通に出来なくて」
表情を隠すように下を向いて随分と参り切ったような声でそうこぼす春に、エンテが眉を下げて視線を落とし、室内のソファーに目をやって取り敢えず座って話そうと笑みを浮かべて促した。
「丁度、この部屋には私たち以外誰もいないし、今はこの国の神官としてではなく、一人の、少し年上のお兄さんとして話すことにしようか」
こちらのことは隠しているとは言え、まだまだ幼い同郷の少年だ。どうにかしてあげられないかという心配が頭をもたげ、常時装備だった敬語も数年ぶりに外した。
疑問符を浮かべるように、まん丸の瞳をキョトンとさせてこちらを見返している春を流れるようにエスコートして、備え付けの三人ほど掛けられるソファーへと移動する。尚、ソファーは一つしかないため、隣り合うように座る状態になった。
「少し、触れてもいいかな?苦手だったら言って」
今から自分がしようとしていることは接触を伴うのだが、自分自身、気を許していない者に急に触られるのは嫌なタイプなので、事前に許可を取る。
「え?…あ、はい大丈夫です…けど?」
理解の追いついていない春が疑問で首を傾げながらも頷いたのを見て、では遠慮なく、と彼に向かって手を伸ばし、流れるようにその肩を掴んでこちらに倒れさせた。
「え、…え?」
当然だが、身構えていなかった春は抵抗もなくエンテの上に倒れ込む。
状態としては、春がソファーの上で仰向けに寝転がり、エンテの膝の上に頭部を乗っけている構図だ。まあ、つまるところ、「膝枕」というやつである。
先に彼に説明をしてから実行したほうが良いのであろうが、彼の場合は遠慮しそうであるし、実際にやってみたほうが早いのだ、許してほしい。
「ごめんね、この体勢の方が安全だから」
一言軽く謝罪を入れて、彼が状況を理解して抵抗を始める前にと、さっそく自身の手のひらを春の目元に覆い被せて神聖力を集中させる。
「ん、これ、何ですか?…なんか…あったかい」
エンテが突然始めた、神聖力式の人力ホットアイマスクに抵抗することも忘れて、春はほうっと息を吐きながら思わず体の力を抜いた。
「この世界には神聖力というものがあってね、ちょっとした疲労回復や心身の安定にも使うことができるんだ」
へ~、と感嘆の声を漏らしながら堪能している春に微笑まし気な視線を落とし、ふと、先ほどの彼の台詞を思い出す。
とても辛そうな顔をして、それを隠そうとしている姿は、見ていて心が痛くなるものだった。
「君にどんな事があったのか、私が完全に理解することは出来ないけれど、辛いと思った感情や記憶を他と比べて隠そうとする必要はないんだよ。…この世界に君の敵はいないのだから、周囲の目を気にして偽る必要もない。でも、もし今後、君に対してとやかく言う輩が現れたなら、その時はこの神殿の全戦力をもって、我々が浄化に赴くよ」
事情も知らない、会って一日かそこらの人間にこんなことを言われてもあまり届くことはないだろうが、話していることは全て本心なのだと伝わるように心を込めて神聖力を流していく。
最後の方、神官として暴力的な表現は避けつつ「浄化」と濁した言葉を使って、冗談めかして付け加えると、手のひらの下で少しだけ緩く喉を震わせて笑う気配が伝わってきたので、こっそりと小さく安堵のため息をこぼした。
「だから今は、これから君が少しでも快適に暮らせるように手助けさせてほしい。…こうやって、眠れない時はいつでも力を貸すし、食べたいものがあったら遠慮なく言ってくれると皆喜ぶ」
どうしても性質上、渡り人を一人で国外へ送り出したりはできないため、彼の望みが”自由”であれば叶えることは難しいのだが、最大限融通を効かせる努力はできるし、規定内の事柄であればよっぽどでない限り望みを叶える事ができる。
せっかく異世界に来たのだ。元の世界のことを忘れる必要はないが、慰安旅行とでも思って楽しめるところを楽しんでほしい。
昨日のマグナの一件で、一日分の仕事が滞った皺寄せがきて今日は更に忙しい。しかし幸いか、渡り人二人はさして手のかかることもなく、通常の業務に戻ることができたのが思っていたより早くて助かった。
昨日の対談で美希を後任に引き継いだ後、春を自分の邸宅に招待して、軽く案内や周りの人間の紹介を済ませた後は、突然の環境の変化で疲れているだろうとのことで、食事の後、すぐに客室へ通して休んでもらった。
そのため今日は、ある程度陽が登った昼前に、春に充てた部屋へ顔を出しに行く予定がある。
昨日は最低限、食事の嗜好や食べられないものを尋ねただけなので、その他の注意事項や説明を今日は打ち合わせなければならない。
聖君という立場のエンテが持つには装飾の少ない、自分好みのシンプルな懐中時計で時間を確認したエンテは、そろそろ小幡春が起きて身支度も済ませて、暇を持て余している頃だろうと席を立ち上がり、一階に用意されている客室へと向かった。
コンコン、と短くノックをして名を名乗り、中から聞こえる返事を確認して入室すると、気を利かせたように、彼の身の回りの世話を行なっていた側付きの神官たちが礼をとって退室して行く。
春の方も迎え入れるように扉近くまで歩いてきて、朝から微笑みの眩しいエンテにぺこりとお辞儀をして礼儀正しく挨拶をした。
「おはようございます、エンテさん」
「コハタさん、おはようございます。昨夜はよく眠れましたか?……おや」
丁寧な子だと微笑んで春の顔を覗き込むと、昨日より明らかに暗さを増している顔が目に映った。
昨日のうちはまだ薄っすらと浮かんでいるだけだった目の下の隈も病気を疑うほど濃くなっており、肌も数段青くなって見える。正直これは誰でも心配になるし、言及せざるを得ない。
「もしや、寝具が合いませんでしたか?」
急に異世界に飛ばされたのだから興奮で眠れないのだったとしても不思議ではないのだが、春に用意しているベッドはふっかふかの最上級快眠ベッドだ。効果は元々不眠症気味だったエンテが保証する。
しかし、彼の様子を見る限り、気持ちの昂りや寝具ではなく、別の心的要因があるように見受けられた。
「いえ、とても心地よかったです。すみません、心配をおかけして」
「謝っていただく必要は全くありません。ただ、改善できることがあれば些細なことでも仰って欲しいのです」
前世の記憶があったり、聖君という特別な地位に就いていたりはするが、エンテは現役の神官である。告解を聞いたり、相手の心のうちを聞き出したりということもまた業務の一環としてやっているので、慣れたように会話の流れを話してもらう方向に持って行く。
「その…、こっちに来る数日前に、精神的にだいぶ堪える出来事があって、その日からあまり眠れてないんです。…だから、ここの寝具のせいとかではなくて、俺の問題なので大丈夫ですよ」
「なるほど、お辛いことが…。しかし、とても顔色が悪いですよ。大丈夫ということはないのでは…」
心配だと伝えるように眉を下げて覗き込みながら顔色を指摘すると、春は自嘲するような表情を浮かべて視線を逸らした。
「なんか、不幸アピールみたいになってますよね、すみません。俺より辛い思いをしてる人とか山ほどいるし、自分が一番そういうの嫌なのでちゃんとしようと思ってるんですけど、なかなか普通に出来なくて」
表情を隠すように下を向いて随分と参り切ったような声でそうこぼす春に、エンテが眉を下げて視線を落とし、室内のソファーに目をやって取り敢えず座って話そうと笑みを浮かべて促した。
「丁度、この部屋には私たち以外誰もいないし、今はこの国の神官としてではなく、一人の、少し年上のお兄さんとして話すことにしようか」
こちらのことは隠しているとは言え、まだまだ幼い同郷の少年だ。どうにかしてあげられないかという心配が頭をもたげ、常時装備だった敬語も数年ぶりに外した。
疑問符を浮かべるように、まん丸の瞳をキョトンとさせてこちらを見返している春を流れるようにエスコートして、備え付けの三人ほど掛けられるソファーへと移動する。尚、ソファーは一つしかないため、隣り合うように座る状態になった。
「少し、触れてもいいかな?苦手だったら言って」
今から自分がしようとしていることは接触を伴うのだが、自分自身、気を許していない者に急に触られるのは嫌なタイプなので、事前に許可を取る。
「え?…あ、はい大丈夫です…けど?」
理解の追いついていない春が疑問で首を傾げながらも頷いたのを見て、では遠慮なく、と彼に向かって手を伸ばし、流れるようにその肩を掴んでこちらに倒れさせた。
「え、…え?」
当然だが、身構えていなかった春は抵抗もなくエンテの上に倒れ込む。
状態としては、春がソファーの上で仰向けに寝転がり、エンテの膝の上に頭部を乗っけている構図だ。まあ、つまるところ、「膝枕」というやつである。
先に彼に説明をしてから実行したほうが良いのであろうが、彼の場合は遠慮しそうであるし、実際にやってみたほうが早いのだ、許してほしい。
「ごめんね、この体勢の方が安全だから」
一言軽く謝罪を入れて、彼が状況を理解して抵抗を始める前にと、さっそく自身の手のひらを春の目元に覆い被せて神聖力を集中させる。
「ん、これ、何ですか?…なんか…あったかい」
エンテが突然始めた、神聖力式の人力ホットアイマスクに抵抗することも忘れて、春はほうっと息を吐きながら思わず体の力を抜いた。
「この世界には神聖力というものがあってね、ちょっとした疲労回復や心身の安定にも使うことができるんだ」
へ~、と感嘆の声を漏らしながら堪能している春に微笑まし気な視線を落とし、ふと、先ほどの彼の台詞を思い出す。
とても辛そうな顔をして、それを隠そうとしている姿は、見ていて心が痛くなるものだった。
「君にどんな事があったのか、私が完全に理解することは出来ないけれど、辛いと思った感情や記憶を他と比べて隠そうとする必要はないんだよ。…この世界に君の敵はいないのだから、周囲の目を気にして偽る必要もない。でも、もし今後、君に対してとやかく言う輩が現れたなら、その時はこの神殿の全戦力をもって、我々が浄化に赴くよ」
事情も知らない、会って一日かそこらの人間にこんなことを言われてもあまり届くことはないだろうが、話していることは全て本心なのだと伝わるように心を込めて神聖力を流していく。
最後の方、神官として暴力的な表現は避けつつ「浄化」と濁した言葉を使って、冗談めかして付け加えると、手のひらの下で少しだけ緩く喉を震わせて笑う気配が伝わってきたので、こっそりと小さく安堵のため息をこぼした。
「だから今は、これから君が少しでも快適に暮らせるように手助けさせてほしい。…こうやって、眠れない時はいつでも力を貸すし、食べたいものがあったら遠慮なく言ってくれると皆喜ぶ」
どうしても性質上、渡り人を一人で国外へ送り出したりはできないため、彼の望みが”自由”であれば叶えることは難しいのだが、最大限融通を効かせる努力はできるし、規定内の事柄であればよっぽどでない限り望みを叶える事ができる。
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