シークレット・ミッション

一二三

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「健吾さん、着きましたよ」
 指が白くなるほどきつく握っていた手をそっと揺すられ、健吾は唐突に現実に引き戻された。

 の事を脳内でそっくり反芻してしまったために、我に返ってみると体にはじっとりと冷や汗をかき、強くこぶしを握りしめていたために、てのひらにはくっきりと爪痕がついていた。
 震える健吾の指を、小寺が心配そうに見つめている。
「ごめん、ちょっと考え事してた」
 唇にややひきつった笑みをのせながらそう言うと、なんとかそれで騙されてくれたらしい小寺が、ホッとした様子を見せる。
 健吾たちは柴田に誘われるまま、北条の運転する車に乗って港近くの倉庫街に来ていた。

 完璧なステアリング操作でぴたりと白線内に停車されたSUVからは、まわりの景色が良く見て取れた。
 あたりは見渡す限り、巨大な倉庫やコンテナや厳めしい重機で埋め尽くされている。
 まるで廃墟のような独特の雰囲気があるこの場所に興味を覚えて、健吾は子供のようにきょろきょろとあたりを見渡した。
 刑事もののドラマにでも使われていそうな風景に、心が躍る。

「どうぞ」
 運転席から降りて回り込んだ北条が、健吾の乗っている側のドアを開けた。
 北条は車から降りた健吾の肩に軽く触れながら、自分の体の影に入るようさりげなく誘導して、静かにドアを閉める。
 無駄のない流れるような動きに感心しつつも、その様子からしてすでにお試し警護は始まっているらしいと、やや鼻白んだ気分になった。
 あからさまに周りを警戒する様子でもないのに、健吾の横を歩く長身の男から、ピンと張った気配が伝わってくるのはさすがだと思うが、今の所はそれだけだ。
 北条にリードされながら、健吾たちは一際大きな建物の前で足を止めた。

 倉庫らしき建物の入り口では、揃って体格の良い黒ずくめの男の集団が、健吾たちを待ち構えていた。
 現れた柴田に気付いて一斉に頭を下げたところから、おそらく彼らは柴田の経営する警備会社の社員たちなのだろうと推測する。
 よく見れば、男たちのスーツには会社のロゴマークをかたどったバッジがつけられていた。
 健吾は、それが昨今では知らないものなどいないだろう大手警備会社のロゴであることに気付いて驚く。
 無骨な見かけによらず、柴田はかなりやり手の経営者のようだ。

 黒ずくめの男の一人が柴田に近づき、図面のようなものを広げて見せている。
 コンテナ配置を記してある案内図のようなそれに、赤ペンで道筋が書き込まれているのが見えた。
 柴田はそれを北条にも見せ、難しい顔で何かの指示を出している。

「健吾さん健吾さん、僕、聞いちゃったんですけどね」
 待っている時間が退屈なのか、小寺が健吾に密着するようにして、こそこそと話しかけてきた。
「北条さんてね、アメリカでシークレットサービスにいたらしいですよ!しかも、若手のホープだったって!天は二物を与えるものなんですねぇ!あんなにイケメンなのに、強くてさらに高給取りだなんて!」
 健吾のテンションを上げようとしてくれている気遣いはわかるが、女子中学生のようにきゃぴきゃぴはしゃぐ小寺にうんざりして、「高給取りかどうかなんてわかんないだろ」と冷たく返す。
 すると、「高給取りに決まってるじゃないですか!シークレットサービスですよ!大統領警護官ですよ!」と鼻息荒く力説された。

 情報通な小寺の存在は日頃ならありがたいのだが、今の健吾はそれがわずらわしく感じてしまう。
 シークレットサービスと聞いて驚きを隠せないが、何故そんな経歴を持つ人物が、たかが芸能人一人を警護する必要があるのか、と疑問に思う。
「なんかやらかして、クビにでもなったのかな……」
 騒ぐ小寺から一歩離れて北条をぼんやりと見つめていると、視線を感じたらしい北条が図面を見ていた顔を上げ、印象的な碧い目でこちらを見た。
 見ていた事を気づかれ、気まずくなって視線をそらすが、北条はそれを意に介さず、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。
 猫科の動物であるかのように音もたてずに隣に立ち、体をこわばらせた健吾の腰にさりげなく手を添えると、「こちらへ」と柴田のいる方へと促した。
 体が触れる程の距離に立たれてあらためて思ったが、北条はかなり長身だ。
 健吾の身長は日本人男性の平均よりやや低めの168センチほどだが、北条はそれより20センチ以上は高いように思える。
 並ぶと健吾の頭が北条の肩の位置に届くか届かないか、という所だろう。

「北条さん、身長どれくらい?」
 目を見て問いかけると見上げる形になり、自然と顎が上がってしまう。
 こみ上げる屈辱感を隠しながら、何事もなかったような顔で首を傾げると、それを知ってか知らずか、北条の形の良い唇の端がわずかにくっと持ち上がった。
「センチで言うなら、190ちょっとくらいだと思いますが」
 それが何か?と言わんばかりに、軽く首を傾げ返される。
「うわ、デカいね。日本にいると、あちこちに頭ぶつけるんじゃない?」
 なんだか妙に腹が立ち、発言に意地悪なスパイスが加わってしまった。
 いかんいかん、とプルプル小さく首を振り、ニコッと笑顔を付け加えてみた。
「……ぶつけることはあまりないですが、鴨居なんかがあると結構ひやっとはしますね」
 瞳の色のせいで冷たそうな印象の北条の顔が、健吾が笑顔を見せたせいか、ほんの少しだけ温かみのある雰囲気を纏わせた。
 
 昔流行った洋画のせいなのだろうが、ボディガードといえば、サングラスに無表情、というイメージが強い。
 もっとも、ボディーガードが始終ニヤニヤしていてはお話にならないので、彼らはあえて表情を崩さないように心がけているのかもしれなかった。
 北条もそうなのかもしれないが、笑ったらもっとかっこよさそうなのにな、とふと思い、崩れた表情も見てみたいという好奇心がわいてくる。
「俺の身長は、聞かないの?」
 自分が男として小柄なのはわかっている。
 身長が低い事は男にとってコンプレックスである事が多いし、健吾も例外ではない。
 あえてそれを武器に、一体どんな顔をするのかと返答に困るような問いかけをしてみると、健吾の意図を察していたらしい北条が唇の端をニヤリと上げて、「すみません、聞かない方がいいかと思って」と答えた。
 この男、頭もいい上に、ふてぶてしい。
 ふっかけたのは健吾だったが、腹が立ったので清文相手にするようにふざけ半分のパンチを繰り出してみると、たいして鋭くもないそのパンチは北条の大きな手のひらに受け止められて、攻撃はあっけなく阻止された。

「北条さんが大きすぎるんだろ!俺はちょっと小柄だけど、これくらい普通だよ!ふ、つ、う!」
 ムキになって健吾がわめくと、北条がクッと笑いをかみ殺しながら横を向いた。
「はい、普通ですね。俺がデカいんです」
 北条の笑いを含んだ表情に「やれやれ」が見え隠れするのに、「今、ちょっとバカにしただろ!」と健吾は再び拳を振り上げてとびかかる。
 しかし、北条はあっさりと健吾の両腕を捉えて、そのままくるりと健吾の体の向きをひっくりかえした。

 ひっくり返された目の前には、いつの間に近づいてきたのか、柴田が立っていた。
 驚いて硬直する健吾の姿は、両腕を頭の上で北条に掴まれている間抜けなバンザイ状態だ。
 さあっと青ざめる健吾に、柴田は北条と同じようなやれやれという顔をした。
 
「仲良くなったみたいで何よりなんですが」
 丸めて筒状にした図面を手のひらでポンポンさせながら佇む柴田は、学校の先生のようだ。
 健吾はしばし、騒いでいた所を咎められて、気まずい空気にさらされた中学生の気分を味わう。
 困ってもじもじと体を動かすと、健吾の様子に頭上で笑いをこらえていた北条が、そっと腕を離してくれた。

「さて。これから、実際の警護がどんなものもなのか、訓練で森本さんに体験頂こうと思います」
 準備はよろしいですか?と聞かれ、健吾の口元が緊張のためにきゅっと引き絞られる。
「訓練はこちらの建物を使って行います。実際に警護士たちが使用するもので、中はコンテナが配置されて迷路のようになっています。日々コンテナを移動させておりますので、毎日脱出ルートは変わります」
 そして、と、柴田は丸めていた図面を広げる。
「こちらに記したのが本日のコンテナ配置で、赤い線で書かれているのが脱出ルートです。北条はこのルートを使い、森本さんを警護しながら出口を目指します。途中、暴漢に扮するわが社の警護士たちが二人を襲いますが、北条はそれらから森本さんを守りながら脱出しなければいけません」
 暴漢役の警護士が何人いるのかは北条には知らせていません、と、柴田が付け加える。
「暴漢役はやわらかいスポンジの棒を持って襲い掛かりますので、万が一にも森本さんがお怪我をされることはありませんが、スポンジが体に当たると粉がつく仕組みになっています。つまり……」
 健吾の体に粉がついたとしたら、それは北条が守り切れなかったということになる。
 柴田の説明は、さらに続いた。
 北条が脱出ルートを確認済みなので、健吾がそれを覚える必要はないこと。
 途中暴漢から逃げるために、北条の指示に従い走ったり隠れたりする必要があること。
 いくら訓練とはいえ暴漢に襲われるという設定に不安を覚え、なにくわぬ顔で説明を聞いていた隣の男の顔をちらりと盗み見た。
 しかし北条は意外にも健吾の方を見ていたようで、盗み見たつもりが、しっかりと目が合ってしまった。
「大丈夫、必ず守ります」
 何も心配いらない、と、北条が健吾を安心させるように笑顔を見せる。
 不意打ちで見せられた特上の笑顔に、健吾の胸がドキリと跳ねた。

 ……ばか!何キュンとしちゃってんだ俺!

 うっかりときめいた自分に蹴りを入れたい気分だったが、それも仕方ないような気がした。
 今健吾がおかれているのは映画さながらのシチュエーションで、顔が良くて背が高くて、エスコートができて目が青い完璧な男に「守ります」なんて笑顔で言われる場面の背景には、ロマンチックな曲が流れているに違いない。
 これが映画なら、恋の予感を感じさせるシーンというところだろうか。
 北条の俳優さながらの顔とスタイルの良さを再認識しながら、健吾は促されるまま、ゆっくりと建物の中に足を踏み入れた。
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