2 / 5
第1章:温室の騎士との出会い
しおりを挟む
レオン・ド・ヴァイン。彼を一目見た時、私は戸惑いを隠せなかった。騎士団の制服に身を包んでいたが姿は騎士のそれとはかけ離れていたのだ。華奢な体躯、穏やかな笑みを常に浮かべた顔、そしてまるで春の日差しを宿したかのような優しい緑の瞳。まるで剣よりも花が似合う。騎士というよりは、温室で花を育てる園芸師の方が似合うとさえ思った。それに私よりも四つも年下だった。まだ十八歳だと聞いたが私にはさらに幼く見えた。
「侯爵令嬢様の世話役など、私のような若輩者が務まるでしょうか……」
彼は困ったように眉を下げた。どこか頼りなさげなその姿に私は苛立ちを覚える。私が求めていたのは、私の完璧さを理解し私を支えてくれる有能な側近だ。こんなか弱そうな少年ではない。私はこれまで常に優秀な者たちに囲まれて生きてきた。無能な者は、私の人生に必要なかった。彼もまた、私の閉ざされた世界に介入しようとする余計な存在にしか思えなかった。
「私に世話など不要です。ご自身の仕事だけをしていればいい」
私の声は、いつにも増して冷たかっただろう。彼を遠ざけようと突き放すような言い方をした。レオンは一瞬怯んだように見えたがすぐに穏やかな表情に戻る。その反応に私は僅かに拍子抜けした。普通なら私の冷徹な態度に恐れをなし顔を強張らせるはずなのに。
「かしこまりました。では、私は庭の手入れでもしてお待ちしております」
彼はそう言って深々と頭を下げた後、別荘の裏手にある荒れた庭へと向かっていった。彼の背中を見送りながら私は大きくため息をつく。こんな少年が私の役に立つとは思えなかった。彼は私の人生における、また一つの「不必要な存在」に過ぎないだろうと、その時は確信していた。私の心は、彼に対する期待を一切抱かなかった。
それからの数日、私は別荘の書斎に籠りひたすら本を読んで過ごした。侯爵家の歴史、外交関係、経済学。婚約破棄という私にとって最大の失敗を犯した後で新たな失敗など許されなかった。書物の中にだけ、完璧な秩序と私を傷つけない静かな世界があったのだ。庭でレオンが何をしているのか気にも留めなかった。彼の存在は、私の意識の片隅にさえ留まらない取るに足らないものだった。
しかし、ある日、窓の外から微かに土の匂いが漂ってきた。それだけでなく清々しい草花の香り、何かが芽吹くような生命の息吹を感じさせる香りも混じっている。その匂いは、埃っぽく長らく閉じ込められていた書斎の空気を、少しずつ変えていくようだった。
好奇心に抗えず、私はそっと窓を開けた。
庭は以前とは見違えるほど綺麗になっていた。雑草は全て抜かれ手入れの行き届いた土が顔を出し陽光を受けて輝いている。そして、荒れた隅っこにあった私がひそかに世話をしていた枯れかけた花壇。そこには、数えきれないほどの小さな芽が力強く顔を出しているのが見えた。私は人知れず種を撒いていたのだ。婚約破棄の絶望の中、唯一の慰めとして。しかし世話をする気力も失い諦めていたはずの私の花たちだ。
レオンはその花壇のそばにしゃがみ込み小さな芽に優しく水をやっていた。その手つきは、まるで壊れ物を扱うかのように丁寧で慈愛に満ちていた。彼の存在に気づかず私はしばらくその様子を眺めていた。彼の表情は穏やかで植物に語りかけるかのように優しかった。その姿は、まるで一枚の絵画のようだった。静かで美しくどこか温かい。私は、彼が土をいじる姿からこれまでの人生で一度も感じたことのない種類の「穏やかさ」を感じ取った。
彼は私の存在に気づくと、ハッとして立ち上がった。
「セレフィア様、申し訳ありません。勝手に庭を……」
「いいえ」
私は彼の言葉を遮った。
「その花は、あなたがお手入れしてくださったのですか?」
私の声には、自分でも気づかないうちに微かな熱がこもっていたかもしれない。それは、今まで私自身すら知らなかった心の奥底に眠る感情の萌芽だった。
「はい。少しばかり草が生い茂っていましたので。この花は……ええと、マーガレットですね。開花までにはもう少し時間がかかりますが、丁寧に世話をすればきっと美しい花を咲かせます」
彼はそう言って、穏やかに微笑んだ。その笑顔は、どこか埃っぽかった別荘の中に温かい光を灯してくれたようだった。彼の言葉は、まるで私自身に語りかけられているようだった。私の心は、この枯れた花壇と同じように再び芽吹くことができるのだろうか。
私が感情を出すことは、弱さだと思っていた。誰かに優しくすることは、利用される隙を与えることだと、ずっと教えられてきた。しかし、レオンの優しさは、何の対価も求めない純粋なものだった。それが、私の心の氷に微かな亀裂を入れたのかもしれない。彼は、私が今まで出会った誰とも違っていた。その日差しのような温かさは、私を包み込み少しずつ長年凍り付いていた私の心を溶かし始めたのだ。
「侯爵令嬢様の世話役など、私のような若輩者が務まるでしょうか……」
彼は困ったように眉を下げた。どこか頼りなさげなその姿に私は苛立ちを覚える。私が求めていたのは、私の完璧さを理解し私を支えてくれる有能な側近だ。こんなか弱そうな少年ではない。私はこれまで常に優秀な者たちに囲まれて生きてきた。無能な者は、私の人生に必要なかった。彼もまた、私の閉ざされた世界に介入しようとする余計な存在にしか思えなかった。
「私に世話など不要です。ご自身の仕事だけをしていればいい」
私の声は、いつにも増して冷たかっただろう。彼を遠ざけようと突き放すような言い方をした。レオンは一瞬怯んだように見えたがすぐに穏やかな表情に戻る。その反応に私は僅かに拍子抜けした。普通なら私の冷徹な態度に恐れをなし顔を強張らせるはずなのに。
「かしこまりました。では、私は庭の手入れでもしてお待ちしております」
彼はそう言って深々と頭を下げた後、別荘の裏手にある荒れた庭へと向かっていった。彼の背中を見送りながら私は大きくため息をつく。こんな少年が私の役に立つとは思えなかった。彼は私の人生における、また一つの「不必要な存在」に過ぎないだろうと、その時は確信していた。私の心は、彼に対する期待を一切抱かなかった。
それからの数日、私は別荘の書斎に籠りひたすら本を読んで過ごした。侯爵家の歴史、外交関係、経済学。婚約破棄という私にとって最大の失敗を犯した後で新たな失敗など許されなかった。書物の中にだけ、完璧な秩序と私を傷つけない静かな世界があったのだ。庭でレオンが何をしているのか気にも留めなかった。彼の存在は、私の意識の片隅にさえ留まらない取るに足らないものだった。
しかし、ある日、窓の外から微かに土の匂いが漂ってきた。それだけでなく清々しい草花の香り、何かが芽吹くような生命の息吹を感じさせる香りも混じっている。その匂いは、埃っぽく長らく閉じ込められていた書斎の空気を、少しずつ変えていくようだった。
好奇心に抗えず、私はそっと窓を開けた。
庭は以前とは見違えるほど綺麗になっていた。雑草は全て抜かれ手入れの行き届いた土が顔を出し陽光を受けて輝いている。そして、荒れた隅っこにあった私がひそかに世話をしていた枯れかけた花壇。そこには、数えきれないほどの小さな芽が力強く顔を出しているのが見えた。私は人知れず種を撒いていたのだ。婚約破棄の絶望の中、唯一の慰めとして。しかし世話をする気力も失い諦めていたはずの私の花たちだ。
レオンはその花壇のそばにしゃがみ込み小さな芽に優しく水をやっていた。その手つきは、まるで壊れ物を扱うかのように丁寧で慈愛に満ちていた。彼の存在に気づかず私はしばらくその様子を眺めていた。彼の表情は穏やかで植物に語りかけるかのように優しかった。その姿は、まるで一枚の絵画のようだった。静かで美しくどこか温かい。私は、彼が土をいじる姿からこれまでの人生で一度も感じたことのない種類の「穏やかさ」を感じ取った。
彼は私の存在に気づくと、ハッとして立ち上がった。
「セレフィア様、申し訳ありません。勝手に庭を……」
「いいえ」
私は彼の言葉を遮った。
「その花は、あなたがお手入れしてくださったのですか?」
私の声には、自分でも気づかないうちに微かな熱がこもっていたかもしれない。それは、今まで私自身すら知らなかった心の奥底に眠る感情の萌芽だった。
「はい。少しばかり草が生い茂っていましたので。この花は……ええと、マーガレットですね。開花までにはもう少し時間がかかりますが、丁寧に世話をすればきっと美しい花を咲かせます」
彼はそう言って、穏やかに微笑んだ。その笑顔は、どこか埃っぽかった別荘の中に温かい光を灯してくれたようだった。彼の言葉は、まるで私自身に語りかけられているようだった。私の心は、この枯れた花壇と同じように再び芽吹くことができるのだろうか。
私が感情を出すことは、弱さだと思っていた。誰かに優しくすることは、利用される隙を与えることだと、ずっと教えられてきた。しかし、レオンの優しさは、何の対価も求めない純粋なものだった。それが、私の心の氷に微かな亀裂を入れたのかもしれない。彼は、私が今まで出会った誰とも違っていた。その日差しのような温かさは、私を包み込み少しずつ長年凍り付いていた私の心を溶かし始めたのだ。
1
あなたにおすすめの小説
契約結婚のはずが、無骨な公爵様に甘やかされすぎています
さら
恋愛
――契約結婚のはずが、無骨な公爵様に甘やかされすぎています。
侯爵家から追放され、居場所をなくした令嬢エリナに突きつけられたのは「契約結婚」という逃げ場だった。
お相手は国境を守る無骨な英雄、公爵レオンハルト。
形式だけの結婚のはずが、彼は不器用なほど誠実で、どこまでもエリナを大切にしてくれる。
やがて二人は戦場へ赴き、国を揺るがす陰謀と政争に巻き込まれていく。
剣と血の中で、そして言葉の刃が飛び交う王宮で――
互いに背を預け合い、守り、支え、愛を育んでいく二人。
「俺はお前を愛している」
「私もです、閣下。死が二人を分かつその時まで」
契約から始まった関係は、やがて国を救う真実の愛へ。
――公爵に甘やかされすぎて、幸せすぎる新婚生活の物語。
【完結】無口な旦那様は妻が可愛くて仕方ない
ベル
恋愛
旦那様とは政略結婚。
公爵家の次期当主であった旦那様と、領地の経営が悪化し、没落寸前の伯爵令嬢だった私。
旦那様と結婚したおかげで私の家は安定し、今では昔よりも裕福な暮らしができるようになりました。
そんな私は旦那様に感謝しています。
無口で何を考えているか分かりにくい方ですが、とてもお優しい方なのです。
そんな二人の日常を書いてみました。
お読みいただき本当にありがとうございますm(_ _)m
無事完結しました!
不運な針子と傷跡の侯爵様
YY
恋愛
幸運を縫うたび、自らには不運が訪れる――。
類まれなる魔法の刺繍の才能を持つがゆえに、「不運の針子」として世間から疎まれる少女エリーゼ。仕事も居場所も失い、孤独の底にいた彼女の元に、ある日、謎めいた仕事の依頼が舞い込む。
依頼主は、顔に負った火傷の痕を仮面で隠し、城に引きこもる「傷跡の公爵」アレクシス。
世間から同じように疎外された彼は、エリーゼの「呪い」を恐れるどころか、その才能の本質を初めて認めてくれる唯一の理解者だった。
彼の傷を癒す服を仕立て、彼に守られるうち、二人の間には静かな愛が芽生えていく。しかし、その幸せを妬む過去の悪意が、二人を再び引き裂こうとする。
これは、二人の不完全な人間が互いの「傷」と「呪い」を受け入れ、やがて本当の「祝福」を見つけ出す、美しく温かい愛の物語。
GEMINIを使用しています。
白い結婚のはずが、旦那様の溺愛が止まりません!――冷徹領主と政略令嬢の甘すぎる夫婦生活
しおしお
恋愛
政略結婚の末、侯爵家から「価値がない」と切り捨てられた令嬢リオラ。
新しい夫となったのは、噂で“冷徹”と囁かれる辺境領主ラディス。
二人は互いの自由のため――**干渉しない“白い結婚”**を結ぶことに。
ところが。
◆市場に行けばついてくる
◆荷物は全部持ちたがる
◆雨の日は仕事を早退して帰ってくる
◆ちょっと笑うだけで顔が真っ赤になる
……どう見ても、干渉しまくり。
「旦那様、これは白い結婚のはずでは……?」
「……君のことを、放っておけない」
距離はゆっくり縮まり、
優しすぎる態度にリオラの心も揺れ始める。
そんな時、彼女を利用しようと実家が再び手を伸ばす。
“冷徹”と呼ばれた旦那様の怒りが静かに燃え――
「二度と妻を侮辱するな」
守られ、支え合い、やがて惹かれ合う二人の想いは、
いつしか“形だけの夫婦”を超えていく。
【完結】顔が良ければそれでいいと思っていたけれど、気づけば彼に本気で恋していました。
朝日みらい
恋愛
魔物を討伐し国を救った若き魔術師アリア・フェルディナンド。
国王から「望むものを何でも与える」と言われた彼女が選んだ褒美は――
「国一番の美男子を、夫にください」
という前代未聞のひと言だった。
急遽開かれた婿候補サロンで、アリアが一目で心を奪われたのは、
“夜の街の帝王”と呼ばれる美貌の青年ルシアン・クロード。
女たらし、金遣いが荒い、家の恥――
そんな悪評だらけの彼を、アリアは迷わず指名する。
「顔が好きだからです」
直球すぎる理由に戸惑うルシアン。
だが彼には、誰にも言えない孤独と過去があった。
これは、
顔だけで選んだはずの英雄と、
誰にも本気で愛されたことのない美貌の青年が、
“契約婚”から始める恋の物語。
追放聖女の薬草店~光らない無能と言われた私の治癒力は、最強騎士団長の呪いにだけ効くようです。辺境で始める溺愛スローライフ~
黒崎隼人
恋愛
「君の力だけが、俺を救ってくれる」
派手な光を放つ魔法が使えず、「光らない無能」として国を追放された聖女エリナ。
彼女は辺境の村で廃屋を買い取り、念願だった薬草店をオープンする。
相棒の精霊獣ポポと共にスローライフを始めたある嵐の夜、店の前に倒れていたのは、国の最強騎士団長ゼフィルだった。
「黒竜の呪い」に侵され、あらゆる魔法を受け付けない彼の体。
しかし、エリナの持つ「細胞そのものを活性化させる」地味な治癒力だけが、彼の呪いを解く唯一の鍵で……!?
無能扱いされた聖女と、余命わずかの最強騎士。
二人が辺境で紡ぐ、温かくて幸せな再生と溺愛の物語。
辺境に追放されたガリガリ令嬢ですが、助けた男が第三王子だったので人生逆転しました。~実家は危機ですが、助ける義理もありません~
香木陽灯
恋愛
「そんなに気に食わないなら、お前がこの家を出ていけ!」
実の父と義妹に虐げられ、着の身着のままで辺境のボロ家に追放された伯爵令嬢カタリーナ。食べるものもなく、泥水のようなスープですすり、ガリガリに痩せ細った彼女が庭で拾ったのは、金色の瞳を持つ美しい男・ギルだった。
「……見知らぬ人間を招き入れるなんて、馬鹿なのか?」
「一人で食べるのは味気ないわ。手当てのお礼に一緒に食べてくれると嬉しいんだけど」
二人の奇妙な共同生活が始まる。ギルが獲ってくる肉を食べ、共に笑い、カタリーナは本来の瑞々しい美しさを取り戻していく。しかしカタリーナは知らなかった。彼が王位継承争いから身を隠していた最強の第三王子であることを――。
※ふんわり設定です。
※他サイトにも掲載中です。
夫に捨てられた私は冷酷公爵と再婚しました
香木陽灯
恋愛
伯爵夫人のマリアーヌは「夜を共に過ごす気にならない」と突然夫に告げられ、わずか五ヶ月で離縁することとなる。
これまで女癖の悪い夫に何度も不倫されても、役立たずと貶されても、文句ひとつ言わず彼を支えてきた。だがその苦労は報われることはなかった。
実家に帰っても父から不当な扱いを受けるマリアーヌ。気分転換に繰り出した街で倒れていた貴族の男性と出会い、彼を助ける。
「離縁したばかり? それは相手の見る目がなかっただけだ。良かったじゃないか。君はもう自由だ」
「自由……」
もう自由なのだとマリアーヌが気づいた矢先、両親と元夫の策略によって再婚を強いられる。相手は婚約者が逃げ出すことで有名な冷酷公爵だった。
ところが冷酷公爵と会ってみると、以前助けた男性だったのだ。
再婚を受け入れたマリアーヌは、公爵と少しずつ仲良くなっていく。
ところが公爵は王命を受け内密に仕事をしているようで……。
一方の元夫は、財政難に陥っていた。
「頼む、助けてくれ! お前は俺に恩があるだろう?」
元夫の悲痛な叫びに、マリアーヌはにっこりと微笑んだ。
「なぜかしら? 貴方を助ける気になりませんの」
※ふんわり設定です
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる