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第1章:温室の騎士との出会い
レオン・ド・ヴァイン。彼を一目見た時、私は戸惑いを隠せなかった。騎士団の制服に身を包んでいたが姿は騎士のそれとはかけ離れていたのだ。華奢な体躯、穏やかな笑みを常に浮かべた顔、そしてまるで春の日差しを宿したかのような優しい緑の瞳。まるで剣よりも花が似合う。騎士というよりは、温室で花を育てる園芸師の方が似合うとさえ思った。それに私よりも四つも年下だった。まだ十八歳だと聞いたが私にはさらに幼く見えた。
「侯爵令嬢様の世話役など、私のような若輩者が務まるでしょうか……」
彼は困ったように眉を下げた。どこか頼りなさげなその姿に私は苛立ちを覚える。私が求めていたのは、私の完璧さを理解し私を支えてくれる有能な側近だ。こんなか弱そうな少年ではない。私はこれまで常に優秀な者たちに囲まれて生きてきた。無能な者は、私の人生に必要なかった。彼もまた、私の閉ざされた世界に介入しようとする余計な存在にしか思えなかった。
「私に世話など不要です。ご自身の仕事だけをしていればいい」
私の声は、いつにも増して冷たかっただろう。彼を遠ざけようと突き放すような言い方をした。レオンは一瞬怯んだように見えたがすぐに穏やかな表情に戻る。その反応に私は僅かに拍子抜けした。普通なら私の冷徹な態度に恐れをなし顔を強張らせるはずなのに。
「かしこまりました。では、私は庭の手入れでもしてお待ちしております」
彼はそう言って深々と頭を下げた後、別荘の裏手にある荒れた庭へと向かっていった。彼の背中を見送りながら私は大きくため息をつく。こんな少年が私の役に立つとは思えなかった。彼は私の人生における、また一つの「不必要な存在」に過ぎないだろうと、その時は確信していた。私の心は、彼に対する期待を一切抱かなかった。
それからの数日、私は別荘の書斎に籠りひたすら本を読んで過ごした。侯爵家の歴史、外交関係、経済学。婚約破棄という私にとって最大の失敗を犯した後で新たな失敗など許されなかった。書物の中にだけ、完璧な秩序と私を傷つけない静かな世界があったのだ。庭でレオンが何をしているのか気にも留めなかった。彼の存在は、私の意識の片隅にさえ留まらない取るに足らないものだった。
しかし、ある日、窓の外から微かに土の匂いが漂ってきた。それだけでなく清々しい草花の香り、何かが芽吹くような生命の息吹を感じさせる香りも混じっている。その匂いは、埃っぽく長らく閉じ込められていた書斎の空気を、少しずつ変えていくようだった。
好奇心に抗えず、私はそっと窓を開けた。
庭は以前とは見違えるほど綺麗になっていた。雑草は全て抜かれ手入れの行き届いた土が顔を出し陽光を受けて輝いている。そして、荒れた隅っこにあった私がひそかに世話をしていた枯れかけた花壇。そこには、数えきれないほどの小さな芽が力強く顔を出しているのが見えた。私は人知れず種を撒いていたのだ。婚約破棄の絶望の中、唯一の慰めとして。しかし世話をする気力も失い諦めていたはずの私の花たちだ。
レオンはその花壇のそばにしゃがみ込み小さな芽に優しく水をやっていた。その手つきは、まるで壊れ物を扱うかのように丁寧で慈愛に満ちていた。彼の存在に気づかず私はしばらくその様子を眺めていた。彼の表情は穏やかで植物に語りかけるかのように優しかった。その姿は、まるで一枚の絵画のようだった。静かで美しくどこか温かい。私は、彼が土をいじる姿からこれまでの人生で一度も感じたことのない種類の「穏やかさ」を感じ取った。
彼は私の存在に気づくと、ハッとして立ち上がった。
「セレフィア様、申し訳ありません。勝手に庭を……」
「いいえ」
私は彼の言葉を遮った。
「その花は、あなたがお手入れしてくださったのですか?」
私の声には、自分でも気づかないうちに微かな熱がこもっていたかもしれない。それは、今まで私自身すら知らなかった心の奥底に眠る感情の萌芽だった。
「はい。少しばかり草が生い茂っていましたので。この花は……ええと、マーガレットですね。開花までにはもう少し時間がかかりますが、丁寧に世話をすればきっと美しい花を咲かせます」
彼はそう言って、穏やかに微笑んだ。その笑顔は、どこか埃っぽかった別荘の中に温かい光を灯してくれたようだった。彼の言葉は、まるで私自身に語りかけられているようだった。私の心は、この枯れた花壇と同じように再び芽吹くことができるのだろうか。
私が感情を出すことは、弱さだと思っていた。誰かに優しくすることは、利用される隙を与えることだと、ずっと教えられてきた。しかし、レオンの優しさは、何の対価も求めない純粋なものだった。それが、私の心の氷に微かな亀裂を入れたのかもしれない。彼は、私が今まで出会った誰とも違っていた。その日差しのような温かさは、私を包み込み少しずつ長年凍り付いていた私の心を溶かし始めたのだ。
「侯爵令嬢様の世話役など、私のような若輩者が務まるでしょうか……」
彼は困ったように眉を下げた。どこか頼りなさげなその姿に私は苛立ちを覚える。私が求めていたのは、私の完璧さを理解し私を支えてくれる有能な側近だ。こんなか弱そうな少年ではない。私はこれまで常に優秀な者たちに囲まれて生きてきた。無能な者は、私の人生に必要なかった。彼もまた、私の閉ざされた世界に介入しようとする余計な存在にしか思えなかった。
「私に世話など不要です。ご自身の仕事だけをしていればいい」
私の声は、いつにも増して冷たかっただろう。彼を遠ざけようと突き放すような言い方をした。レオンは一瞬怯んだように見えたがすぐに穏やかな表情に戻る。その反応に私は僅かに拍子抜けした。普通なら私の冷徹な態度に恐れをなし顔を強張らせるはずなのに。
「かしこまりました。では、私は庭の手入れでもしてお待ちしております」
彼はそう言って深々と頭を下げた後、別荘の裏手にある荒れた庭へと向かっていった。彼の背中を見送りながら私は大きくため息をつく。こんな少年が私の役に立つとは思えなかった。彼は私の人生における、また一つの「不必要な存在」に過ぎないだろうと、その時は確信していた。私の心は、彼に対する期待を一切抱かなかった。
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しかし、ある日、窓の外から微かに土の匂いが漂ってきた。それだけでなく清々しい草花の香り、何かが芽吹くような生命の息吹を感じさせる香りも混じっている。その匂いは、埃っぽく長らく閉じ込められていた書斎の空気を、少しずつ変えていくようだった。
好奇心に抗えず、私はそっと窓を開けた。
庭は以前とは見違えるほど綺麗になっていた。雑草は全て抜かれ手入れの行き届いた土が顔を出し陽光を受けて輝いている。そして、荒れた隅っこにあった私がひそかに世話をしていた枯れかけた花壇。そこには、数えきれないほどの小さな芽が力強く顔を出しているのが見えた。私は人知れず種を撒いていたのだ。婚約破棄の絶望の中、唯一の慰めとして。しかし世話をする気力も失い諦めていたはずの私の花たちだ。
レオンはその花壇のそばにしゃがみ込み小さな芽に優しく水をやっていた。その手つきは、まるで壊れ物を扱うかのように丁寧で慈愛に満ちていた。彼の存在に気づかず私はしばらくその様子を眺めていた。彼の表情は穏やかで植物に語りかけるかのように優しかった。その姿は、まるで一枚の絵画のようだった。静かで美しくどこか温かい。私は、彼が土をいじる姿からこれまでの人生で一度も感じたことのない種類の「穏やかさ」を感じ取った。
彼は私の存在に気づくと、ハッとして立ち上がった。
「セレフィア様、申し訳ありません。勝手に庭を……」
「いいえ」
私は彼の言葉を遮った。
「その花は、あなたがお手入れしてくださったのですか?」
私の声には、自分でも気づかないうちに微かな熱がこもっていたかもしれない。それは、今まで私自身すら知らなかった心の奥底に眠る感情の萌芽だった。
「はい。少しばかり草が生い茂っていましたので。この花は……ええと、マーガレットですね。開花までにはもう少し時間がかかりますが、丁寧に世話をすればきっと美しい花を咲かせます」
彼はそう言って、穏やかに微笑んだ。その笑顔は、どこか埃っぽかった別荘の中に温かい光を灯してくれたようだった。彼の言葉は、まるで私自身に語りかけられているようだった。私の心は、この枯れた花壇と同じように再び芽吹くことができるのだろうか。
私が感情を出すことは、弱さだと思っていた。誰かに優しくすることは、利用される隙を与えることだと、ずっと教えられてきた。しかし、レオンの優しさは、何の対価も求めない純粋なものだった。それが、私の心の氷に微かな亀裂を入れたのかもしれない。彼は、私が今まで出会った誰とも違っていた。その日差しのような温かさは、私を包み込み少しずつ長年凍り付いていた私の心を溶かし始めたのだ。
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