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第1話:【序章】聖女の死と、薬師の誕生
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生命を削るというのはこういう感覚なのだろうか。
指先は氷のように冷え視界の端は常に黒く霞んでいる。口の中に広がる微かな鉄の味。私は豪華な天蓋付きベッドの上でただシーツを握りしめることしかできなかった。
つい先ほど私は王都を襲った熱病の蔓延をその身に宿す「奇跡」の力で鎮めた。広場に集まった何千という民衆は私の名を讃え涙を流して感謝した。だがその喝采が私の命と引き換えであることを彼らは知らない。
「ご苦労だった聖女エリアーナ」
部屋に入ってきた大神官は私の顔色を気遣うでもなくただ満足げに頷いた。
「これでまた王家と神殿の権威は揺るぎないものとなった。お前の自己犠牲は実に有益な投資であったな」
投資。
彼の口から出たその言葉に私の心はもはや何の感情も動かなかった。
私は聖女ではない。ただ国という巨大な機械を動かすための使い捨ての部品だ。私の価値は私が我が身を犠牲にすることでのみ証明される。そう教え込まれてきた。そう信じてきた。
「ゆっくり休むがよい。……一週間後には隣国との国境紛争の地へ向かってもらう。負傷した兵士たちのために再びお前の力が必要となるだろう」
私の体調など彼の勘定には入っていない。私はただ頷くことしかできなかった。
その夜、私は侍女に頼んで持ってきてもらった衰弱した体に鞭打つための苦い薬湯を飲んでいた。扉の外から大神官と将軍の潜めた声が聞こえてくる。
「……聖女様の容態は?」
「限界に近い。だが、あと一度大規模な奇跡は可能だろう。国境での戦況は芳しくない。兵士たちの士気を上げるためにも聖女の『殉教』という物語は最高の切り札となる」
「なんと……。では、聖女様は……」
「使い潰すのだよ。国のためにな。彼女も聖女として本望であろう」
その言葉を聞いた瞬間、私の内で何かがぷつりと切れた。
本望?違う。私は死にたくない。
私はただ生きたいのだ。誰かのためでなく私自身のために。ささやかで穏やかな名もなき人生を。
一週間後、私は軍と共に険しい山脈が連なる国境地帯にいた。
折しも季節外れの豪雨が数日にわたって降り続いていた。地盤が緩みいつ崖崩れが起きてもおかしくない状況。
これだ。これしかない。
私は深夜誰にも気づかれぬよう自らの寝所を抜け出した。そして雨に打たれながら最も危険な崖のそばへと向かう。懐から聖女の証である純白のヴェールを取り出すと私はそれを崖から突き出た鋭い岩にわざと引っ掛けた。
遠くで地鳴りのような音が聞こえる。
私は崖崩れが起こる直前、闇に紛れてその場から駆け出した。
翌朝「聖女エリアーナ、崖崩れに巻き込まれ絶命」という報が王都を駆け巡った。
国はその気高い自己犠牲を称え盛大な国葬を行ったという。
だがその時、私はすでに遠く離れた場所で新しい人生の一歩を踏み出していた。
エリアーナが死んでから一月後。
帝国の辺境ミモザという名の小さな町。
私はなけなしの金で町外れにある打ち捨てられた小さな空き家を借りた。そして来る日も来る日も森で薬草を摘みそれを乾燥させすり潰し調合する日々を送った。
聖女の「奇跡」とは違う。これは地道な知識と経験の積み重ね。だが自分の手で誰かを癒すための薬を作り上げるという行為は私の空っぽだった心を少しずつしかし確実に満たしていった。
そして春の訪れと共に私の小さな店はようやく完成した。
古びた木の扉を開け外に出る。私は自分で彫った拙い文字の木の看板を店の入り口に掲げた。
『エリアの薬草店』
聖女エリアーナはもういない。
私はエリア。ただの町の薬師だ。
私は辺境の町の澄み切った空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
それは生まれて初めて感じる自由の味がした。
指先は氷のように冷え視界の端は常に黒く霞んでいる。口の中に広がる微かな鉄の味。私は豪華な天蓋付きベッドの上でただシーツを握りしめることしかできなかった。
つい先ほど私は王都を襲った熱病の蔓延をその身に宿す「奇跡」の力で鎮めた。広場に集まった何千という民衆は私の名を讃え涙を流して感謝した。だがその喝采が私の命と引き換えであることを彼らは知らない。
「ご苦労だった聖女エリアーナ」
部屋に入ってきた大神官は私の顔色を気遣うでもなくただ満足げに頷いた。
「これでまた王家と神殿の権威は揺るぎないものとなった。お前の自己犠牲は実に有益な投資であったな」
投資。
彼の口から出たその言葉に私の心はもはや何の感情も動かなかった。
私は聖女ではない。ただ国という巨大な機械を動かすための使い捨ての部品だ。私の価値は私が我が身を犠牲にすることでのみ証明される。そう教え込まれてきた。そう信じてきた。
「ゆっくり休むがよい。……一週間後には隣国との国境紛争の地へ向かってもらう。負傷した兵士たちのために再びお前の力が必要となるだろう」
私の体調など彼の勘定には入っていない。私はただ頷くことしかできなかった。
その夜、私は侍女に頼んで持ってきてもらった衰弱した体に鞭打つための苦い薬湯を飲んでいた。扉の外から大神官と将軍の潜めた声が聞こえてくる。
「……聖女様の容態は?」
「限界に近い。だが、あと一度大規模な奇跡は可能だろう。国境での戦況は芳しくない。兵士たちの士気を上げるためにも聖女の『殉教』という物語は最高の切り札となる」
「なんと……。では、聖女様は……」
「使い潰すのだよ。国のためにな。彼女も聖女として本望であろう」
その言葉を聞いた瞬間、私の内で何かがぷつりと切れた。
本望?違う。私は死にたくない。
私はただ生きたいのだ。誰かのためでなく私自身のために。ささやかで穏やかな名もなき人生を。
一週間後、私は軍と共に険しい山脈が連なる国境地帯にいた。
折しも季節外れの豪雨が数日にわたって降り続いていた。地盤が緩みいつ崖崩れが起きてもおかしくない状況。
これだ。これしかない。
私は深夜誰にも気づかれぬよう自らの寝所を抜け出した。そして雨に打たれながら最も危険な崖のそばへと向かう。懐から聖女の証である純白のヴェールを取り出すと私はそれを崖から突き出た鋭い岩にわざと引っ掛けた。
遠くで地鳴りのような音が聞こえる。
私は崖崩れが起こる直前、闇に紛れてその場から駆け出した。
翌朝「聖女エリアーナ、崖崩れに巻き込まれ絶命」という報が王都を駆け巡った。
国はその気高い自己犠牲を称え盛大な国葬を行ったという。
だがその時、私はすでに遠く離れた場所で新しい人生の一歩を踏み出していた。
エリアーナが死んでから一月後。
帝国の辺境ミモザという名の小さな町。
私はなけなしの金で町外れにある打ち捨てられた小さな空き家を借りた。そして来る日も来る日も森で薬草を摘みそれを乾燥させすり潰し調合する日々を送った。
聖女の「奇跡」とは違う。これは地道な知識と経験の積み重ね。だが自分の手で誰かを癒すための薬を作り上げるという行為は私の空っぽだった心を少しずつしかし確実に満たしていった。
そして春の訪れと共に私の小さな店はようやく完成した。
古びた木の扉を開け外に出る。私は自分で彫った拙い文字の木の看板を店の入り口に掲げた。
『エリアの薬草店』
聖女エリアーナはもういない。
私はエリア。ただの町の薬師だ。
私は辺境の町の澄み切った空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
それは生まれて初めて感じる自由の味がした。
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