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第1章:炎上プロジェクトと問題児(エリート)たち
第8話:炎上のキックオフミーティング
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「なんですって!?」「なんだい、やるのかい?」
エルフの甲高い怒声と、人間の嘲るような笑い声が、黒焦げのシャンデリアの下で、危険な不協和音を奏でていた。テーブルを破壊したドワーフは、壁際で沈黙を保ったまま、まるで置物だ。ここは、王城の一室。そして、世界の命運をかけたプロジェクトの、記念すべき最初の顔合わせの場。(…ひどい。ひどすぎる…)
佐藤健司は、こめかみにズキズキと走り始めた、前世からお馴染みの頭痛を堪えながら、眼前の惨状を見つめていた。これは、チームではない。専門スキルは高いのかもしれないが、社会人としての基礎が一切なっていない、ただの問題児の集まりだ。このままでは、プロジェクトは始動と同時に、空中分解する。(だが…)彼の脳裏に、あの国王の、藁にもすがるような眼差しが浮かぶ。そして、自らが要求した報酬――「安定した老後」。(ここで匙を投げ出すわけにはいかない…!)
彼は、プロジェクトマネージャーだ。そして、この崩壊寸前のチームをまとめ上げ、プロジェクトを成功に導くことこそが、彼に与えられた、唯一にして最大のタスクなのだ。ケンジは、静かに、しかし、固く、決意した。
パンッ!
乾いた柏手の音が、一度だけ、部屋に響き渡った。
その音は、決して大きくはなかった。だが、口論に夢中になっていたルリエルとシーナの動きが、ぴたりと止まる。二人は、驚いたように、音の発生源――ケンジへと視線を向けた。ケンジは、いつもの人の良い、しかしどこか頼りなげな笑顔を消し、静かな、しかし、有無を言わせぬ強い光を、その瞳に宿していた。それは、幾多のデスマーチを乗り越え、炎上するプロジェクトを鎮火させてきた、歴戦の管理者の目だった。
「――皆さん、静粛に」
彼の声は、低く、穏やかだった。しかし、その声には、不思議な圧があった。「これより、本プロジェクトの、公式なキックオフミーティングを開始します。ゴードンさん、ルリエルさん、シーナさん。所定の位置に、着席してください」
有無を言わせぬ、業務命令。ルリエルとシーナは、一瞬、反論しようと口を開きかけたが、ケンジの真剣な眼差しに気圧され、不承不承といった体で、近くの椅子へと腰を下ろす。ゴードンもまた、壁際からゆっくりと動き出し、巨大な身体を、軋む椅子へと沈めた。ひとまず、形だけは、会議の体裁が整った。
ケンジは、満足げに頷くと、自らが用意していた、真新しい羊皮紙を、テーブルの中央に広げた。その際、ゴードンが破壊したテーブルの角や、シャンデリアの煤が積もった部分は、巧みに避けている。彼は、懐から取り出したインク壺と羽ペンを、まるで神聖な儀式でも行うかのように、羊皮紙の横に、丁寧な手つきで配置した。そして、三人の顔を、ゆっくりと見回す。「改めまして、私が、本プロジェクトのマネジメントを担当する、佐藤健司です」
彼は、そこで一度、言葉を切った。「本日のミーティングのアジェンダは、三つです。第一に、プロジェクトの目標共有。第二に、各メンバーの役割と責任範囲の明確化。そして第三に、初期タスクの特定と、その担当者のアサインです」流れるような、完璧な進行。「それでは、早速ですが、議題の一番目から始めましょう」ケンジは、羽ペンを手に取り、その場の全員をファシリテート(議事進行)する、完璧なプロジェクトマネージャーとして、振る舞おうとしていた。彼の前途に、さらなる混沌と炎上が待ち受けていることなど、まだ、知る由もなく。
ケンジは、羽ペンをインク壺に浸すと、その切っ先を羊皮紙の上に置いた。彼の表情は、真剣そのものだ。まるで、数億規模のプロジェクトの成否を左右する、役員会議のファシリテーターのように。「では、議題の二番目、各メンバーの役割と責任範囲の明確化に移ります。プロジェクトを成功に導くためには、まず、我々チームがどのようなリソースを保有しているのか、正確に把握する必要があります」彼は、一度、三人の顔を見回した。「つきましては、まず、皆さんの“スキルセット”と、可能であれば“弱点”や“制約事項”について、自己申告をお願いしたい。それらの情報を元に、タスクを細分化した作業分解構成図、すなわち“WBS”を作成し、各タスクへの適切な人員のアサインを行いたいと考えています」
流れるような、完璧な説明だった。前世のオフィスであれば、部下たちは「承知いたしました」と頷き、すぐにブレインストーミングが始まったことだろう。しかし、この部屋に満ちたのは、肯定でも、否定でもない、ただ、純粋で、絶対的な「無」だった。しん、と静まり返った会議室。三人の「エリート」たちは、まるでケンジが未知の古代言語でも話したかのように、きょとんとした顔で、彼を見つめている。
最初に、その沈黙を破ったのは、エルフの魔術師ルリエルだった。彼女は、美しい銀の眉をひそめ、不思議そうに首を傾げると、真剣な表情で問いかけた。「…すみません、マネージャーさん。今、おっしゃった“WBS”というのは…何かの、古代竜(エンシェントドラゴン)の真名か何か、ですの?」「…………はい?」今度は、ケンジが、きょとんとする番だった。WBS。ワーク・ブレイクダウン・ストラクチャー。プロジェクト管理の、イロハのイ。それが、なぜ、竜の話になる?「いえ、違います。WBSというのは、Work Breakdown Structureの略でして、プロジェクトの成果物を、より小さな構成要素に分解していく手法のことです。つまり、最終的なデリバラブルを…」「でりばらぶる?」「あ、失礼。最終的な“納品物”、この場合は“魔王の討伐”ですが、それを達成するために必要な作業を、階層的にリストアップしていく、と言いますか…」
ケンジが、必死に別の言葉で説明しようとすればするほど、ルリエルの瞳からは、知性の光が失われていく。彼女は、最終的に、「ふぅん、よく分からないけど、なんだか凄そうなのね」と、完全に理解を放棄した顔で、そっぽを向いてしまった。
ケンジは、次に、壁際で沈黙を保つゴードンへと視線を移した。「…ゴードンさんは、いかがでしょうか。あなたのスキルセット、例えば、その巨大な戦斧の技や、防御スキルについて、お聞かせ願えれば…」ゴードンは、ケンジの問いかけに、ゆっくりと顔を上げた。その古井戸のような瞳が、じっと、ケンジを見つめる。何か、考えているのだろうか。あるいは、言葉を選んでいるのか。ケンジは、彼の返答を、辛抱強く待った。十秒。三十秒。一分。ゴードンは、ただ、黙ってケンジを見つめ返してくるだけだった。その表情からは、肯定も、否定も、興味すらも、一切読み取れない。彼は、まるで、そこに存在するだけの、岩の塊だった。ケンジの額に、じわりと、冷や汗が滲む。(だめだ…この人、話が通じない、とかいうレベルじゃない。そもそも、コミュニケーションというOSが、インストールされていない…!)
そして、その、絶望的に生産性のないやり取りを、腕を組んで、冷ややかな目で見ていたのが、盗賊のシーナだった。彼女は、最初こそ、ケンジの奇妙な振る舞いを面白がっていた。だが、意味不明な横文字の羅列と、それに伴う、まったく進展しない会議に、その忍耐力は、とうに限界を迎えていた。彼女の指が、テーブルの表面を、トントンと、苛立たしげに叩き始める。(…こいつは、一体、いつまで、この無駄な時間を続ける気なんだい?)彼女にとって、時間は金だ。こんな不毛な会議に付き合わされている間にも、稼げるはずの金貨が、どこかへ消えていっている。ケンジが、なおも諦めきれずに、「では、まず、マイルストーンを設定し、各フェーズごとのリスクを洗い出すところから…」と、さらに意味不明な言葉を重ねた、その時だった。シーナの中で、何かが、ぷつりと、切れた。
エルフの甲高い怒声と、人間の嘲るような笑い声が、黒焦げのシャンデリアの下で、危険な不協和音を奏でていた。テーブルを破壊したドワーフは、壁際で沈黙を保ったまま、まるで置物だ。ここは、王城の一室。そして、世界の命運をかけたプロジェクトの、記念すべき最初の顔合わせの場。(…ひどい。ひどすぎる…)
佐藤健司は、こめかみにズキズキと走り始めた、前世からお馴染みの頭痛を堪えながら、眼前の惨状を見つめていた。これは、チームではない。専門スキルは高いのかもしれないが、社会人としての基礎が一切なっていない、ただの問題児の集まりだ。このままでは、プロジェクトは始動と同時に、空中分解する。(だが…)彼の脳裏に、あの国王の、藁にもすがるような眼差しが浮かぶ。そして、自らが要求した報酬――「安定した老後」。(ここで匙を投げ出すわけにはいかない…!)
彼は、プロジェクトマネージャーだ。そして、この崩壊寸前のチームをまとめ上げ、プロジェクトを成功に導くことこそが、彼に与えられた、唯一にして最大のタスクなのだ。ケンジは、静かに、しかし、固く、決意した。
パンッ!
乾いた柏手の音が、一度だけ、部屋に響き渡った。
その音は、決して大きくはなかった。だが、口論に夢中になっていたルリエルとシーナの動きが、ぴたりと止まる。二人は、驚いたように、音の発生源――ケンジへと視線を向けた。ケンジは、いつもの人の良い、しかしどこか頼りなげな笑顔を消し、静かな、しかし、有無を言わせぬ強い光を、その瞳に宿していた。それは、幾多のデスマーチを乗り越え、炎上するプロジェクトを鎮火させてきた、歴戦の管理者の目だった。
「――皆さん、静粛に」
彼の声は、低く、穏やかだった。しかし、その声には、不思議な圧があった。「これより、本プロジェクトの、公式なキックオフミーティングを開始します。ゴードンさん、ルリエルさん、シーナさん。所定の位置に、着席してください」
有無を言わせぬ、業務命令。ルリエルとシーナは、一瞬、反論しようと口を開きかけたが、ケンジの真剣な眼差しに気圧され、不承不承といった体で、近くの椅子へと腰を下ろす。ゴードンもまた、壁際からゆっくりと動き出し、巨大な身体を、軋む椅子へと沈めた。ひとまず、形だけは、会議の体裁が整った。
ケンジは、満足げに頷くと、自らが用意していた、真新しい羊皮紙を、テーブルの中央に広げた。その際、ゴードンが破壊したテーブルの角や、シャンデリアの煤が積もった部分は、巧みに避けている。彼は、懐から取り出したインク壺と羽ペンを、まるで神聖な儀式でも行うかのように、羊皮紙の横に、丁寧な手つきで配置した。そして、三人の顔を、ゆっくりと見回す。「改めまして、私が、本プロジェクトのマネジメントを担当する、佐藤健司です」
彼は、そこで一度、言葉を切った。「本日のミーティングのアジェンダは、三つです。第一に、プロジェクトの目標共有。第二に、各メンバーの役割と責任範囲の明確化。そして第三に、初期タスクの特定と、その担当者のアサインです」流れるような、完璧な進行。「それでは、早速ですが、議題の一番目から始めましょう」ケンジは、羽ペンを手に取り、その場の全員をファシリテート(議事進行)する、完璧なプロジェクトマネージャーとして、振る舞おうとしていた。彼の前途に、さらなる混沌と炎上が待ち受けていることなど、まだ、知る由もなく。
ケンジは、羽ペンをインク壺に浸すと、その切っ先を羊皮紙の上に置いた。彼の表情は、真剣そのものだ。まるで、数億規模のプロジェクトの成否を左右する、役員会議のファシリテーターのように。「では、議題の二番目、各メンバーの役割と責任範囲の明確化に移ります。プロジェクトを成功に導くためには、まず、我々チームがどのようなリソースを保有しているのか、正確に把握する必要があります」彼は、一度、三人の顔を見回した。「つきましては、まず、皆さんの“スキルセット”と、可能であれば“弱点”や“制約事項”について、自己申告をお願いしたい。それらの情報を元に、タスクを細分化した作業分解構成図、すなわち“WBS”を作成し、各タスクへの適切な人員のアサインを行いたいと考えています」
流れるような、完璧な説明だった。前世のオフィスであれば、部下たちは「承知いたしました」と頷き、すぐにブレインストーミングが始まったことだろう。しかし、この部屋に満ちたのは、肯定でも、否定でもない、ただ、純粋で、絶対的な「無」だった。しん、と静まり返った会議室。三人の「エリート」たちは、まるでケンジが未知の古代言語でも話したかのように、きょとんとした顔で、彼を見つめている。
最初に、その沈黙を破ったのは、エルフの魔術師ルリエルだった。彼女は、美しい銀の眉をひそめ、不思議そうに首を傾げると、真剣な表情で問いかけた。「…すみません、マネージャーさん。今、おっしゃった“WBS”というのは…何かの、古代竜(エンシェントドラゴン)の真名か何か、ですの?」「…………はい?」今度は、ケンジが、きょとんとする番だった。WBS。ワーク・ブレイクダウン・ストラクチャー。プロジェクト管理の、イロハのイ。それが、なぜ、竜の話になる?「いえ、違います。WBSというのは、Work Breakdown Structureの略でして、プロジェクトの成果物を、より小さな構成要素に分解していく手法のことです。つまり、最終的なデリバラブルを…」「でりばらぶる?」「あ、失礼。最終的な“納品物”、この場合は“魔王の討伐”ですが、それを達成するために必要な作業を、階層的にリストアップしていく、と言いますか…」
ケンジが、必死に別の言葉で説明しようとすればするほど、ルリエルの瞳からは、知性の光が失われていく。彼女は、最終的に、「ふぅん、よく分からないけど、なんだか凄そうなのね」と、完全に理解を放棄した顔で、そっぽを向いてしまった。
ケンジは、次に、壁際で沈黙を保つゴードンへと視線を移した。「…ゴードンさんは、いかがでしょうか。あなたのスキルセット、例えば、その巨大な戦斧の技や、防御スキルについて、お聞かせ願えれば…」ゴードンは、ケンジの問いかけに、ゆっくりと顔を上げた。その古井戸のような瞳が、じっと、ケンジを見つめる。何か、考えているのだろうか。あるいは、言葉を選んでいるのか。ケンジは、彼の返答を、辛抱強く待った。十秒。三十秒。一分。ゴードンは、ただ、黙ってケンジを見つめ返してくるだけだった。その表情からは、肯定も、否定も、興味すらも、一切読み取れない。彼は、まるで、そこに存在するだけの、岩の塊だった。ケンジの額に、じわりと、冷や汗が滲む。(だめだ…この人、話が通じない、とかいうレベルじゃない。そもそも、コミュニケーションというOSが、インストールされていない…!)
そして、その、絶望的に生産性のないやり取りを、腕を組んで、冷ややかな目で見ていたのが、盗賊のシーナだった。彼女は、最初こそ、ケンジの奇妙な振る舞いを面白がっていた。だが、意味不明な横文字の羅列と、それに伴う、まったく進展しない会議に、その忍耐力は、とうに限界を迎えていた。彼女の指が、テーブルの表面を、トントンと、苛立たしげに叩き始める。(…こいつは、一体、いつまで、この無駄な時間を続ける気なんだい?)彼女にとって、時間は金だ。こんな不毛な会議に付き合わされている間にも、稼げるはずの金貨が、どこかへ消えていっている。ケンジが、なおも諦めきれずに、「では、まず、マイルストーンを設定し、各フェーズごとのリスクを洗い出すところから…」と、さらに意味不明な言葉を重ねた、その時だった。シーナの中で、何かが、ぷつりと、切れた。
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