地味な浄化聖女ですが、呪われた魔剣を癒せるのは私だけでした

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第1話:【序章】役立たずの聖女と、呪われた将軍

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大神殿の空気は、祈りと共に焚かれる白檀の聖油の香りと、幾星霜を経てきた大理石の冷たい匂いで満たされている。私が「聖女」の末席としてこの神殿に上がってから、もう五年。その歳月は、私の心を静かに、しかし確実に摩耗させていった。

私の日課は、壮麗な中央祭壇の影にある、忘れられたような小さな礼拝所で始まる。ひんやりとした石の床に膝をつき、祈りの言葉を紡ぎ始める。私の持つ「浄化」の魔法は、目には見えない。光も放たなければ、音も奏でない。ただ、私の全神経が、聖域に澱む魔力の濁りを、まるで濃い霧のような抵抗として感じ取るだけだ。

それは、魂をすり減らすような、孤独な作業。一時間、二時間と祈りを続けるうち、全身を包んでいた重苦しい圧力が、薄紙を一枚一枚剥がすようにゆっくりと晴れていく。そして、礼拝所を満たしていた空気が、雨上がりの森のように澄み渡った瞬間、私だけが、この帝都全体を覆う聖なる結界が、今日もその輝きを保ったことを知るのだ。
この地味な儀式がなければ、帝都は一週間と経たずに外部からの瘴気に蝕まれ始める。けれど、その事実を知る者は、この神殿には誰一人としていなかった。

「あら、リーナ。まだそんな場所で、壁の染みと一体化してらっしゃるの?まるで苔のようですわね」

祈りを終え、疲労で霞む視界の中、背後からかけられた声は、鈴を転がすように可憐でありながら、硝子の破片を混ぜ込んだように意地悪かった。同僚の聖女エララ様が、取り巻きの神官見習いたちを引き連れて、私を見下ろしている。

「見なさい、エララ様が先日、光の奇跡で財務大臣のご子息の流行り病を癒されたことで、莫大な寄進があったそうですわ。それに比べて、この方の『お祈り』は、神殿に一銭の利益ももたらしませんものね」
若い神官の一人が、あからさまに私を指さして言う。エララ様は、慈愛に満ちた聖女の仮面を貼り付けたまま、優雅に微笑んだ。

「おやめなさい。リーナも、彼女なりに神に仕えているのです。……たとえ、その奉仕が、神殿の床を掃き清めることと何ら変わらない、地味な『作業』であったとしても」

その言葉は、優しさを装った、最も残酷な刃だった。私のしていることは、誰にでもできる雑事なのだと、彼女は断言したのだ。
脳裏に、故郷の村の記憶が蘇る。私のささやかな浄化の力は、村では喜ばれた。作物の実りを助け、井戸の水を清らかに保つ、生活に根差した、温かい魔法。村人たちは、私を「恵みの乙女」と呼び、その手を取って感謝してくれた。
けれど、この帝都では、この大神殿では、そんな力は無価値だった。求められるのは、貴族の病を癒し、魔物を討伐する、華々しく、金になる「奇跡」。私の故郷での誇りは、ここでは嘲笑の対象でしかなかった。

その日の午後、私は大神官様の執務室に呼び出された。謁見の間へ続く長い廊下を歩くだけで、すれ違う神官たちが、さっと道を譲っては、背後でひそひそと噂を交わすのが分かる。私はもう、この神殿における「汚点」であり、「腫物」なのだ。

黒曜石の巨大な机に肘をつき、豪奢な椅子にふんぞり返った大神官様は、値踏みするような視線を私に投げかけた。
「聖女リーナ。そなたも知っての通り、今の帝国が求めるのは『力』だ。武威であり、目に見える奇跡だ。そなたの如き、平時の慰め程度の力は、もはや無用の長物なのだよ」

大神官様は、芝居がかった仕草で一枚の羊皮紙を弄ぶ。
「よって、そなたに、そなたの身の丈に合った、栄誉ある任務を与える。帝国の北の守り、ゼノス・ヴォルフェン将軍の元へ赴き、その身を蝕む呪いを和らげるのだ」

ゼノス将軍――「帝国の黒犬」。
五百年前の大戦で、魔王の血を吸い過ぎて呪われたという聖剣『ソラリス』。その魔剣の主となったゼノス将軍は、絶大な力と引き換えに、その魂を常に剣に喰われ、肉を削がれるような激痛に苛まれているという。
近づく者すべてを呪いに巻き込み、心を狂わせる怪物。彼の元へ送られた神官や聖女は、例外なく、正気を失うか、原因不明の衰弱で命を落としたと聞く。

「そ、そのような場所に……私が行って、何ができるというのですか……?」
「それこそ、そなたの存在価値だ」

大神官様は、初めて心からの愉悦をその目に浮かべた。
「魔剣は、その呪いを癒すために、常に聖なる力を求めている。エララの強力な光は、かえって呪いを刺激し、将軍を狂わせるやもしれん。だが、そなたの取るに足らぬ、水滴ほどの浄化の力ならば、あるいは……魔剣が喰らうための、ちょうど良い『餌』になるやもしれん。そなたがその身を犠牲にすることで、将軍の苦痛が少しでも和らぎ、帝国が彼の力をあと数年長く使えるのであれば、それこそ聖女の本懐であろう?」

それは、あまりにも非道な、死刑宣告だった。私を生きたまま、怪物の餌として差し出すというのだ。

私に拒否権などあるはずもなく、話は即決された。与えられたのは、粗末な旅支度と、家畜の運搬にでも使うような、古びて軋む荷馬車だけ。私室に戻り、村の母が持たせてくれたお守りを手に取ることすら許されなかった。
まるで罪人のように神殿の裏口へと連れていかれ、荷馬車に乗り込むと、御者が乱暴に言った。
「乗ったな、『聖女』様。せいぜい、将軍様の良い餌になってくれよ」

ガチャン、という無慈悲な音と共に、重い扉が閉ざされる。大神殿の荘厳な鐘の音が、遠く、他人事のように聞こえた。

私はもう、聖女ではない。リーナという名前すら、もう自分のものとは思えない。
ただ、怪物の元へと運ばれる、名もなき供物。
これから向かうのは、死そのもの。生きては帰れぬと誰もが噂する、絶望の地。
馬車の揺れに身を任せながら、私は静かに、自分という存在が、世界から消えていくのを感じていた。
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