魔法務省の過労令嬢と残業嫌いな冷徹監査官の契約からはじまる溺愛改革

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第二部:反逆の狼煙

第35話 三人目の協力者と父の影

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私たちのささやかな反撃は、男爵の完璧な仮面に、初めて目に見える亀裂を入れた。
しかし、それは彼の怒りの炎に、さらに油を注ぐ結果となった。

彼は、あからさまに私たちに超過勤務を命じることはできなくなった。私たちが、服務規程という、彼自身も無視できない「帝国の法」という盾を手にしてしまったからだ。
その代わり、彼のやり方は、さらに陰湿さを増していった。それは、目に見える傷ではなく、じわじわと組織そのものを内側から腐らせていく毒のようだった。

私たちが改善した業務フローに、彼は巧妙に「新しい手順」を追加し始めた。一見すると、より安全性を高めるための合理的な改変に見える。しかし、その実態は、無意味な二重チェックや、煩雑な書類作成を増やすだけの、意図的な非効率化だった。
「安全管理のためだ。効率だけを追い求めて、万が一の事故が起きては元も子もないだろう?」
その正論の前では、誰も反論できない。保管庫の業務効率は目に見えて低下し、職員たちの間には、以前とは質の違う、じっとりとした疲労と閉塞感が漂い始めていた。

そして、その毒は、巧妙に私とリリの間に、楔を打ち込もうとしていた。
「リリ君、君の現場での判断力は素晴らしい。それに比べて、アリア君は少し理想に走りすぎているようだ。机上の空論だけでは、現場は回らないとは思わないかね?」
彼は、個別にリリを呼び出し、そう囁いた。
「アリア君、君の分析能力は卓越している。だが、リリ君は少し感情的すぎるきらいがある。リーダーは、時に非情な判断も下さねばならないのだよ」
そして、私にはそう告げる。
私たちを引き裂こうとする、あまりにも古典的で、しかし効果的な揺さぶり。幸いにも、私たちの絆は、そんな甘言で揺らぐほど脆くはなかったが、その執拗な精神攻撃は、確実に私たちの心をすり減らしていった。

そんなある夜。
私が一人で監査記録の整理をしていると、事務所の扉が、そっと、ためらうように開かれた。
そこに立っていたのは、トマスと名乗る、若い職員だった。いつもは大人しく、事務所の隅で目立たないようにしている、気弱そうな印象の青年。彼こそが、先日、私に最初の匿名メモをくれた人物だった。

「あの……レンフィールドさん」
彼は、誰かに聞かれるのを恐れるかのように、小声で私に話しかけてきた。その手は、何かを固く握りしめている。
「これを……」
彼が私に差し出したのは、数枚の、折り畳まれた羊皮紙だった。受け取って広げてみると、そこに記されていたのは、保管庫で使われている各種資材の、詳細な納品記録の写しだった。

「男爵が赴任してから、どうも帳簿の数字が合わないんです。特に、魔力回復薬の消費量が、異常に増えている。でも、僕たちには以前のような無茶なノルマは課せられていないはずなのに……」
彼の声は、罪を告白するかのように震えていた。
「恐ろしくて、これまで誰にも言えなかったんですが……あなたなら、もしかしたらと」

その言葉と、彼が命がけで持ち出してくれたであろう記録。
私の脳裏で、バラバラだった点が、一つの恐ろしい線で結ばれていく。
職員へのノルマは緩和されたのに、魔力回復薬の消費量は異常に多い。つまり、帳簿の外で、誰かが、あるいは「何か」が、極度の魔力消耗をしている。人ではないとしたら?この保管庫そのものが、一つの巨大な生命体のように魔力を喰らっているとしたら…?
そのエネルギー源は、まさか――。

「……地脈だ」
私の口から、思わず声が漏れた。
「彼は、私たち職員ではなく、この保管庫そのものを利用して、この土地の地脈から、直接魔力を吸い上げているんだ……!」

その、あまりにもおぞましい推測に、トマスは息を呑み、顔を青ざめさせた。大地そのものを蝕むという、神をも恐れぬ所業。
そして、その時、私は思い出していた。
トマスの、その名字を。
『コールリッジ』。それは、かつて私の父、レンフィールド子爵家の領地で、小さな農場を営んでいた一家の名前だった。

「……あなたの、お父様は……」
「はい。父は、レンフィールド子爵様に、長年お仕えしておりました」
彼の声に、強い決意の色が宿る。
「父は、今もあなたの父君のことを、深く尊敬しております。あの方ほど、領民と、この大地を愛した方はいない、と。だから、僕は、見て見ぬふりができなかった。男爵がやっていることは、あなたのお父様が、命を懸けて守ろうとしたものを、根底から踏みにじる行為ですから」

父が、守ろうとしたもの。
私の脳裏に、厳格で、仕事一筋で、一度も私を褒めてくれたことのなかった、父の背中が蘇る。幼い頃、一度だけ見たことがある。父が、自らの領地の土をひとすくい、その無骨な手のひらで、まるで宝物のように見つめていた、あの背中を。
私は、父に愛されていないと思っていた。ただ、家のための道具としてしか、見られていないのだと。
けれど、違ったのかもしれない。父は、父なりに、この国を、この大地を、そして、そこに生きる人々を、愛していたのかもしれない。その不器用な愛情が、私を追い詰めたのだとしても。

トマスがもたらしてくれた、父の知られざる一面と、男爵の罪を暴く決定的な証拠。
私の戦いは、今、新しい意味を持った。
これはもう、私一人の戦いではない。父が愛したこの大地を、そして父が守ろうとした人々を、今度は私が、この手で守り抜く。そのための、戦いなのだ。
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