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第一話 夏の休日
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「楽しみだねー、藤宮くん!」
「うん!こんなチャンス、滅多にないと思う」
「だよねっ!」
大学が夏休みに入ったある日の早朝。
俺と白石さんは、二人揃ってメタセコイア横の階段を上っている。
いつもより息が早いのは、段差のせいだけではない。なぜなら――。
「ねぇ、二人とも。せっかくの夏休みだから、こんな催しはどうかしら?」
ローズメリーの店休日の今日。
翠さんの厚意で『料理教室&テーブルマナー講座』が開催されるのだ。
俺は翠さんから料理を、白石さんは亜嵐さんからテーブルセッティングやマナーを学ぶことになっている。
「これまで適当に食べてきちゃったからね。『良い機会だからビシッと鍛えてもらえ!』ってお母さんに言われたの。……酷くない?」
「ははっ。俺は翠さん直伝ってのがうれしいな。お店のサンドウィッチ、どれも最高だし」
「だよねっ!玉子サラダにクレソンが入ってるやつ、美味しすぎてビックリしたもん!」
楽しく話しているおかげで、あっという間に到着する。
重たい木の扉を開くと、チリン、と軽やかなベルが鳴った。
「ようこそ。藤宮くん、美緒ちゃん」
「えっ?翠さん……?あのっ、おはようございます!」
「わぁ!私服の翠さんもステキ~!あ、今日はよろしくお願いします!」
翠さんはいつもの黒いワンピースではなく、動きやすいカットソーとパンツというスタイルだった。
そんな彼女に向かい二人揃って頭を下げると、翠さんはころころと笑った。
「ふふっ、二人とも仲良しさんね――あっ、今のは亜嵐さんに内緒よ?」
「もちろんです!私も自分がかわいいので!」
唇に人差し指を当てた翠さんと、大きく頷く白石さん。
(……何のことだろう?)
首を傾げていると、厨房の奥から亜嵐さんが姿を現した。
「湊、美緒、おはよう」
今日は亜嵐さんもカジュアルな装いだ。
くるぶし丈のオリーブグリーンパンツに、生成りのシャツを組み合わせている。
足元も裸足にスリッポン。
「おはようございます、師匠。……へぇ。今日の着こなし、ちょっと意外です――あ、もちろん、ステキって意味で!」
白石さんに先を越されて何も言えずにいると、亜嵐さんは俺の前に立って顔を覗き込んできた。
「私にだって、休日スタイルくらいある。湊、どうだろう?」
近い。
息が触れそうな距離に、心臓が言うことを聞いてくれない。
「い、いつも通り……格好いいです」
「……ふむ。いつも通りではないつもりだったが」
そう返されて、内心あたふたしてしまう。
そんな俺の心など知らない亜嵐さんは、颯爽と店の奥のテーブルへ移動した。
「さて。今日は我らがローズメリー、オーナー主催のランチパーティーだ。早速だが、各々準備に取りかかろうではないか」
「そうね、楽しみの前にはしっかり働かないとね」
「よーしっ!がんばりますか~!」
腕まくりのジェスチャーをする三人を横目に、俺はちょっとだけ肩を落とした。
(俺も、上手に言葉を返せたらな……)
そんな自分じゃないことはわかっている。
けれどこういうときは、いつも悔しくなってしまう。
そんな気持ちを誤魔化すように、俺はエプロンの紐をぎゅっと締めた。
***
「これ、今日の献立よ」
翠さんに渡されたメモに目を通した俺は、思わず声を上げた。
「わっ、コロネーション・チキンだ!うれしいな、ずっとレシピを知りたかったんです!」
コロネーション・チキン――カレー風味のクリームと、ほぐしたチキンを和えた料理。
ローズメリーではサンドウィッチの具材として人気の一品だ。
初めて食べたときの衝撃が忘れられず、何度かネットで作り方を調べて試してみたのだが。
(どうしても、翠さんのみたいに美味しくならないんだよな……)
悔しい思いをしてきた俺にとって、今日はまさに『ご褒美』のような日だ。
「あとはキャベツとキュウリがあるからサラダにして、ジャガイモのスープは温かいものにしましょうね。パン生地は発酵器に入っているし、デザートは焼くだけにしてあるわ」
翠さんはさらりと言うが、俺にしてみれば十二分に豪華な献立だ。
さすがはローズメリーを一人で切り盛りしているだけはある。
冷蔵庫から鶏むね肉を取り出す彼女の背中を、俺は改めて尊敬の眼差しで見つめた。
ローズメリーのキッチンは、びっくりするほど快適だった。
大学の調理実習室でも業務用に近い機材を使っているが、それよりずっと機能的で導線が良い。
「調理台の大きさなんかは、初めの設計が全てだけれど。それ以外はね、店を始めて十五年、少しずつ使いやすいように改良してきたのよ」
そう言いながら、翠さんはキッチンの中をくるくる舞うように動き回る。
その手つきには、この場所で年月を積み重ねた人の余裕があった。
「藤宮くん、タマネギはあまり細かくし過ぎないようにね」
「あ、はい!」
皮をむいた玉ねぎをまな板に置き、指示どおり荒めに刻む。
シャク、シャクという包丁の音がキッチンに響くと、翠さんはレーズンの水気を切る手を止めて、穏やかに笑った。
「うふふ、さすが上手ね」
他意のない、純粋な言葉。
けれど。玉ねぎを刻む程度で褒められるのは、くすぐったくて少し居心地が悪い。
(今日はどうかしてるな、俺……)
目がつんとするのは、タマネギのせいなのか、自分が情けないせいなのか――。
胸の奥に小さなモヤが残る。
(楽しみにしすぎて、空回りしてるのかも)
翠さんに気付かれないよう、俺はそっと息を吐いた。
***
ボイルした鶏むね肉を割きながら、ふと、テーブルをセッティングしている二人が気になった。
(亜嵐さんと白石さん、どうしているかな……)
ちらりと視線を店内の方に向ける。
姿は見えないけれど、時折笑い声が聞こえてくるから、きっと上手くいっているのだろう。
(白石さん、亜嵐さんとあっという間に打ち解けて……すごいな)
朗らかで人懐っこくて、相手の懐にスッと入り込める――それは彼女の強みだ。
看護師に向いていると思うし、仕事でもきっと役に立つだろう。
けれど。
(亜嵐さんは、俺を蔑ろになんかしないのに……どうして不安になるんだろう……)
「藤宮くん、今日の鶏はあまり細かくしないでね?」
「えっ……あっ!」
そうだった。
今日のコロネーション・チキンは、サンドウィッチ用じゃない。
食卓のメインを飾れるよう、大きめに切り分けるだけ――そう言われていたのに。
「ごめんなさい……」
「問題ないわ、これくらいなら」
翠さんは鶏肉が入ったバットを確認して頷くと、調理台の脇に置いた。
それから――とても優しい眼差しで俺を見た。
「藤宮くん、さっきから上の空みたいだけど、何か心配ごとかしら?」
「……いえ、すみません……」
「謝らなくていいのよ。でも、そうね――亜嵐さんなら大丈夫よ。だから、あなたはあなたらしく、ね?」
諭すような声に、ほんの少し呼吸が楽になる。
「そうですよね。亜嵐さんはいつだって完璧ですもんね!」
笑って返した俺に、翠さんは少しだけ困ったような顔をした。
その微妙な表情の意味を考える間もなく――。
パリンッ!
店内に、食器が割れる鋭い音が響いた。
***
「あらあら、どうしたの?」
「あ……翠さん……どうしよう、私!」
音がした方に慌てて駆け付けると、割れた皿の前に白石さんが屈み込んで、泣きそうな表情を浮かべていた。
「……っ、ごめんなさい!師匠から貴重なアンティークって聞いてたのに……どうやって弁償したらいいの!?」
皿に伸ばそうとした白石さんの手を、亜嵐さんがすっと制する。
「美緒、触らなくていい。箒を持ってくる」
立ち去る姿を見上げる白石さんの瞳には、涙が滲んでいる。
俺は白石さんの隣にしゃがんで、震える肩にそっと手を置いた。
「白石さん、大丈夫?怪我はない?」
「~~っ!藤宮くん。私、やっちゃったよぉ……」
俺の肩に顔を埋める彼女を介抱していると、箒を手に亜嵐さんが戻ってきた。
「……二人とも、退きたまえ」
ひどく不機嫌な声に、空気が一気にひりつく。
白石さんはびくっと体を揺らして立ち上がり、俺の胸もぎゅっと締め付けられた。
二人とも黙ったまま、一歩分ずつ後ろに下がった。
「……亜嵐さん?」
翠さんの窘めるような声に、亜嵐さんはふいと顔を背けて、手早く皿の残骸を片付けた。
そして翠さんは場の空気が温まるような声を、白石さんにかけた。
「美緒ちゃん、気にしなくていいのよ」
「でも……」
「本当にいいの。どんなものでも、形あるものはいつか壊れてしまうんだから」
翠さんが言い切った瞬間――亜嵐さんの表情にひびが入ったように見えた。
眉を寄せて、瞳に苦しげな色が浮かぶ。
(亜嵐さん……?)
しかしそれもほんのわずかな時間で、すぐにいつもの落ち着いた表情に戻る。
そして亜嵐さんは、白石さんに視線を向けた。
「美緒、起きてしまったことだ。気持ちを切り替えて、作業を続けよう」
「……はい。次のないように気を付けます」
白石さんは深々と頭を下げた。
その背中をそっと撫でてから、翠さんは俺の顔を見た。
「じゃあ、私たちも戻りましょう。ね?藤宮くん」
「はい……」
その様子を気にかけつつ、俺は二人に背を向けた。
(……亜嵐さん、どうしてあんな表情を……?)
怒りのような、悲しみのような――影を、俺は亜嵐さんの顔に見た。
けれどその理由を、このときの俺は何も知らなかった。
「うん!こんなチャンス、滅多にないと思う」
「だよねっ!」
大学が夏休みに入ったある日の早朝。
俺と白石さんは、二人揃ってメタセコイア横の階段を上っている。
いつもより息が早いのは、段差のせいだけではない。なぜなら――。
「ねぇ、二人とも。せっかくの夏休みだから、こんな催しはどうかしら?」
ローズメリーの店休日の今日。
翠さんの厚意で『料理教室&テーブルマナー講座』が開催されるのだ。
俺は翠さんから料理を、白石さんは亜嵐さんからテーブルセッティングやマナーを学ぶことになっている。
「これまで適当に食べてきちゃったからね。『良い機会だからビシッと鍛えてもらえ!』ってお母さんに言われたの。……酷くない?」
「ははっ。俺は翠さん直伝ってのがうれしいな。お店のサンドウィッチ、どれも最高だし」
「だよねっ!玉子サラダにクレソンが入ってるやつ、美味しすぎてビックリしたもん!」
楽しく話しているおかげで、あっという間に到着する。
重たい木の扉を開くと、チリン、と軽やかなベルが鳴った。
「ようこそ。藤宮くん、美緒ちゃん」
「えっ?翠さん……?あのっ、おはようございます!」
「わぁ!私服の翠さんもステキ~!あ、今日はよろしくお願いします!」
翠さんはいつもの黒いワンピースではなく、動きやすいカットソーとパンツというスタイルだった。
そんな彼女に向かい二人揃って頭を下げると、翠さんはころころと笑った。
「ふふっ、二人とも仲良しさんね――あっ、今のは亜嵐さんに内緒よ?」
「もちろんです!私も自分がかわいいので!」
唇に人差し指を当てた翠さんと、大きく頷く白石さん。
(……何のことだろう?)
首を傾げていると、厨房の奥から亜嵐さんが姿を現した。
「湊、美緒、おはよう」
今日は亜嵐さんもカジュアルな装いだ。
くるぶし丈のオリーブグリーンパンツに、生成りのシャツを組み合わせている。
足元も裸足にスリッポン。
「おはようございます、師匠。……へぇ。今日の着こなし、ちょっと意外です――あ、もちろん、ステキって意味で!」
白石さんに先を越されて何も言えずにいると、亜嵐さんは俺の前に立って顔を覗き込んできた。
「私にだって、休日スタイルくらいある。湊、どうだろう?」
近い。
息が触れそうな距離に、心臓が言うことを聞いてくれない。
「い、いつも通り……格好いいです」
「……ふむ。いつも通りではないつもりだったが」
そう返されて、内心あたふたしてしまう。
そんな俺の心など知らない亜嵐さんは、颯爽と店の奥のテーブルへ移動した。
「さて。今日は我らがローズメリー、オーナー主催のランチパーティーだ。早速だが、各々準備に取りかかろうではないか」
「そうね、楽しみの前にはしっかり働かないとね」
「よーしっ!がんばりますか~!」
腕まくりのジェスチャーをする三人を横目に、俺はちょっとだけ肩を落とした。
(俺も、上手に言葉を返せたらな……)
そんな自分じゃないことはわかっている。
けれどこういうときは、いつも悔しくなってしまう。
そんな気持ちを誤魔化すように、俺はエプロンの紐をぎゅっと締めた。
***
「これ、今日の献立よ」
翠さんに渡されたメモに目を通した俺は、思わず声を上げた。
「わっ、コロネーション・チキンだ!うれしいな、ずっとレシピを知りたかったんです!」
コロネーション・チキン――カレー風味のクリームと、ほぐしたチキンを和えた料理。
ローズメリーではサンドウィッチの具材として人気の一品だ。
初めて食べたときの衝撃が忘れられず、何度かネットで作り方を調べて試してみたのだが。
(どうしても、翠さんのみたいに美味しくならないんだよな……)
悔しい思いをしてきた俺にとって、今日はまさに『ご褒美』のような日だ。
「あとはキャベツとキュウリがあるからサラダにして、ジャガイモのスープは温かいものにしましょうね。パン生地は発酵器に入っているし、デザートは焼くだけにしてあるわ」
翠さんはさらりと言うが、俺にしてみれば十二分に豪華な献立だ。
さすがはローズメリーを一人で切り盛りしているだけはある。
冷蔵庫から鶏むね肉を取り出す彼女の背中を、俺は改めて尊敬の眼差しで見つめた。
ローズメリーのキッチンは、びっくりするほど快適だった。
大学の調理実習室でも業務用に近い機材を使っているが、それよりずっと機能的で導線が良い。
「調理台の大きさなんかは、初めの設計が全てだけれど。それ以外はね、店を始めて十五年、少しずつ使いやすいように改良してきたのよ」
そう言いながら、翠さんはキッチンの中をくるくる舞うように動き回る。
その手つきには、この場所で年月を積み重ねた人の余裕があった。
「藤宮くん、タマネギはあまり細かくし過ぎないようにね」
「あ、はい!」
皮をむいた玉ねぎをまな板に置き、指示どおり荒めに刻む。
シャク、シャクという包丁の音がキッチンに響くと、翠さんはレーズンの水気を切る手を止めて、穏やかに笑った。
「うふふ、さすが上手ね」
他意のない、純粋な言葉。
けれど。玉ねぎを刻む程度で褒められるのは、くすぐったくて少し居心地が悪い。
(今日はどうかしてるな、俺……)
目がつんとするのは、タマネギのせいなのか、自分が情けないせいなのか――。
胸の奥に小さなモヤが残る。
(楽しみにしすぎて、空回りしてるのかも)
翠さんに気付かれないよう、俺はそっと息を吐いた。
***
ボイルした鶏むね肉を割きながら、ふと、テーブルをセッティングしている二人が気になった。
(亜嵐さんと白石さん、どうしているかな……)
ちらりと視線を店内の方に向ける。
姿は見えないけれど、時折笑い声が聞こえてくるから、きっと上手くいっているのだろう。
(白石さん、亜嵐さんとあっという間に打ち解けて……すごいな)
朗らかで人懐っこくて、相手の懐にスッと入り込める――それは彼女の強みだ。
看護師に向いていると思うし、仕事でもきっと役に立つだろう。
けれど。
(亜嵐さんは、俺を蔑ろになんかしないのに……どうして不安になるんだろう……)
「藤宮くん、今日の鶏はあまり細かくしないでね?」
「えっ……あっ!」
そうだった。
今日のコロネーション・チキンは、サンドウィッチ用じゃない。
食卓のメインを飾れるよう、大きめに切り分けるだけ――そう言われていたのに。
「ごめんなさい……」
「問題ないわ、これくらいなら」
翠さんは鶏肉が入ったバットを確認して頷くと、調理台の脇に置いた。
それから――とても優しい眼差しで俺を見た。
「藤宮くん、さっきから上の空みたいだけど、何か心配ごとかしら?」
「……いえ、すみません……」
「謝らなくていいのよ。でも、そうね――亜嵐さんなら大丈夫よ。だから、あなたはあなたらしく、ね?」
諭すような声に、ほんの少し呼吸が楽になる。
「そうですよね。亜嵐さんはいつだって完璧ですもんね!」
笑って返した俺に、翠さんは少しだけ困ったような顔をした。
その微妙な表情の意味を考える間もなく――。
パリンッ!
店内に、食器が割れる鋭い音が響いた。
***
「あらあら、どうしたの?」
「あ……翠さん……どうしよう、私!」
音がした方に慌てて駆け付けると、割れた皿の前に白石さんが屈み込んで、泣きそうな表情を浮かべていた。
「……っ、ごめんなさい!師匠から貴重なアンティークって聞いてたのに……どうやって弁償したらいいの!?」
皿に伸ばそうとした白石さんの手を、亜嵐さんがすっと制する。
「美緒、触らなくていい。箒を持ってくる」
立ち去る姿を見上げる白石さんの瞳には、涙が滲んでいる。
俺は白石さんの隣にしゃがんで、震える肩にそっと手を置いた。
「白石さん、大丈夫?怪我はない?」
「~~っ!藤宮くん。私、やっちゃったよぉ……」
俺の肩に顔を埋める彼女を介抱していると、箒を手に亜嵐さんが戻ってきた。
「……二人とも、退きたまえ」
ひどく不機嫌な声に、空気が一気にひりつく。
白石さんはびくっと体を揺らして立ち上がり、俺の胸もぎゅっと締め付けられた。
二人とも黙ったまま、一歩分ずつ後ろに下がった。
「……亜嵐さん?」
翠さんの窘めるような声に、亜嵐さんはふいと顔を背けて、手早く皿の残骸を片付けた。
そして翠さんは場の空気が温まるような声を、白石さんにかけた。
「美緒ちゃん、気にしなくていいのよ」
「でも……」
「本当にいいの。どんなものでも、形あるものはいつか壊れてしまうんだから」
翠さんが言い切った瞬間――亜嵐さんの表情にひびが入ったように見えた。
眉を寄せて、瞳に苦しげな色が浮かぶ。
(亜嵐さん……?)
しかしそれもほんのわずかな時間で、すぐにいつもの落ち着いた表情に戻る。
そして亜嵐さんは、白石さんに視線を向けた。
「美緒、起きてしまったことだ。気持ちを切り替えて、作業を続けよう」
「……はい。次のないように気を付けます」
白石さんは深々と頭を下げた。
その背中をそっと撫でてから、翠さんは俺の顔を見た。
「じゃあ、私たちも戻りましょう。ね?藤宮くん」
「はい……」
その様子を気にかけつつ、俺は二人に背を向けた。
(……亜嵐さん、どうしてあんな表情を……?)
怒りのような、悲しみのような――影を、俺は亜嵐さんの顔に見た。
けれどその理由を、このときの俺は何も知らなかった。
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