秘密はいつもティーカップの向こう側 ―SNACK SNAP―

天月りん

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その免許証は有効ですか?

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「えっ? 師匠って、免許持ってるんですか?」

 唇に寄せたカップをピタリと止めて、白石美緒は視線を上げた。

「でも、車持ってませんよね?」
「必要がないからな」

 確かに。
 淡々としたその答えに、美緒は思わず頷いた。

 目の前の男――西園寺亜嵐の仕事は、食文化の研究、兼フードライター。
 取材先が毎回のように、広い駐車場を持つ店舗とは限らない。
 公共交通機関が発達した地にいるのだから、それを利用するほうが効率は良いだろう。

 アールグレイの爽やかな香りを楽しみながら、美緒は小首を傾げた。

「もしかして。身分証代わりってやつですか?」

 素朴な好奇心ゆえの言葉に、チェリーケーキへ伸ばした亜嵐の手が止まる。
 どうやら彼にとって、美緒の言葉はある種の侮辱だったらしい。
 不機嫌を隠すことなく片眉をクイッと上げるかんばせの、なんと麗しいことか――。

「身分証ならパスポートがある。運転免許を運転以外の目的で持つなど、ナンセンス極まりない」
「それならどうして」

 そのとき。磨き抜かれた木の床を、カツカツと元気に踏む音が近づいてきた。

「亜嵐さん、白石さん、お待たせ! ……って、どうしたの? 二人とも難しい顔して」

 現れたのは、二人にとって“癒しの神”こと、藤宮湊だ。
 マウスを使った生化学実験中の湊はこの日、検体の世話当番の日であり、遅れて落ち合う約束になっていた。

「お疲れさま~、藤宮くん。チュー太郎、元気にしてた?」
「うん、元気だったよ。――といっても、あと二週間で解剖実験だし。栄養素が不足した餌だから、だんだん元気じゃなくなっていくんだけどね……」

 そう言って湊がしゅんと項垂れたものだから、亜嵐と美緒は途端に言い争いを始めた。

「美緒、君と言うやつは! 言葉はもっとデリケートに選びたまえ! 要らぬ情を持てば、湊が傷付くではないか!」
「オブラートに包んでも、その時はやってくるんですよ! それならせめて最後の瞬間まで愛情を注ぐのが、人情ってもんでしょう!」
「だからといって、名前までつける必要があるのか!? しかも――何だ、そのネーミングセンスは!」
「私のときは名前を付けたんですー! 女の子だったからネズ美にしましたー!」

(……マウスにネズ美……)

 どこをどう突っ込んでいいのやら、湊はとっさに判断がつかなかった。
 とはいえ、目の前で繰り広げられる子どものような口喧嘩を、治めなければならないことはわかる。

「二人とも、止め……!」

 その瞬間。

 ヴォオォォオン!

 テールパイプから爆音を響かせて、車高の低い自動車が店の前の道を走り抜けた。
 耳をつんざく音に、店の窓ガラスがビリビリと震える。

 共振するカップを押さえ、三人は外に視線を向けた。

 フォン、フォンフォーン……。

 遠ざかる排気音に被せるように、美緒が口を開いた。

「やっだ、もう。住宅街であんな音出して。恥ずかしいったらありゃしない」
「まったくだ。非合理極まりないな」

 口角泡を飛ばしていた二人の意見が一致して、湊はほっと息を吐いた。

「それで。二人で何を話してたんですか?」

 亜嵐の隣の椅子を引いて腰掛けながら湊が問うと、美緒は「そうそう!」と言って身を乗り出した。

「師匠ね、車の免許持ってるんだって!」
「へぇ、そうなんですか」
「ゴールド免許だ」

 ふふんと胸を張る亜嵐に、美緒はにやりとした笑みを浮かべた

「じゃあ今度、みんなでドライブに行きましょうよ! レンタカー借りればいいですよね。運転はもちろん、師匠ですよ!」
「白石さん、そんな……亜嵐さんに迷惑だよ」
「ふん、 遠慮は無用だ。湊、君を私のナビシートに――」
「あらあら、何のお話?」

 ふわり、とベルガモットの香りが漂う。
 全員が振り返ると、大きなティーポットを持った店主、桂木翠が立っていた。

「お茶のおかわりをお持ちしましたよ。藤宮くんには、はい、カップね」

 にこやかに微笑んでお茶を注ぐ翠に、美緒がはしゃいだ声をかける。

「ね! 翠さんも一緒に行きましょうよ、ドライブ!」
「……ドライブ?」

 その言葉に、翠の動きがぴくりと止まる。
 そのわずかな違和感に気づくことなく、美緒はさらに続けた。

「江の島とかどうかな?――ううん、いっそもっと足を伸ばして、箱根とか! 足湯に浸かって、じねんじょ蕎麦もありだよ。ねぇ、藤宮くんはどこに行きたい?」
「そうだな……定番だけど、海ほたるはどう?」
「いいね! フードコートもレストランもあるし」
「お前は食い意地しかないのか」

 盛り上がる三人を見遣り、翠は静かに一歩後退した。

「翠さんはどこが良いですか?」

 無邪気に問う湊に、しかし翠は無表情で首を振った。

「止めておきなさい、二人とも。私は――命が惜しいわ」
「――は?」
「――え?」

 場の空気が、一気に凍り付く。

「亜嵐さん、いつものご自慢話をして差し上げたら?」
「はい?――ああ、あの話ですね。……ふむ。二人とも、亡くなったエリザベス二世が、ご自身で自動車を運転されたのは知っているか?」

 突然飛び出した高貴な名前に、湊と美緒は顔を見合わせた。

「王室には専属のドライバーがいる。けれど女王は車を愛し、自らが運転する自動車に、王子や王女を乗せて走ったんだよ。――ああ、免許なら心配ない。何しろ英国において、運転免許証は女王の名のもとに発行される。つまり、女王そのものが免許証なのだよ!」
「あの、師匠……それとドライブに、何の関係が?」

 背筋が凍りつくのを、美緒は感じた。
 そのこめかみを流れ落ちるのは、汗か、それとも冷や汗か――。

「ははは! 車の運転といえばの定番ジョークだよ。だが私は女王ではないから、もちろん教習所に通ったとも。だから運転技術は女王より確かだ。二人とも、大船に乗った気持ちで乗車するがいい」

 自信満々に両手を広げる亜嵐――見開いた目に狂気が宿るのを見て、美緒の肩はカタカタと揺れた。

「……えっと、私。予定があるのを思い出したので……」
「何だと?――ふむ。それなら湊、二人きりでドライブと洒落込もうではないか!」

 湊は亜嵐のことが大好きだ。けれど――。
 その笑顔を、これほどまでに恐ろしいと感じたことがあっただろうか。

「あのっ、俺……チュー太郎の世話があるからっ! 失礼しますっ!」

 やにわに立ち上がり、湊は脱兎のごとくローズメリーを飛び出した。

「あっ、ずるい! 藤宮くん!」

 慌ててその後を追う美緒と、呆然と二人の背を見送る亜嵐――。
 一陣の風が吹き去った店内で、翠は「……ふぅ」と息を吐いた。

「亜嵐さん。お茶とケーキのおかわりはいかが?」
「は、はぁ?……いただき、ます……?」

 嗚呼、アーメン。
 こうして今日も、ローズメリーの仲間たちの平和は守られたのだった。



 秘密はいつもティーカップの向こう側 SNACK SNAP
 その免許証は有効ですか? / 完

 ◆・◆・◆

 秘密はいつもティーカップの向こう側
 本編もアルファポリスで連載中です☕
 ティーカップ越しの湊と亜嵐の物語はこちら。

 秘密はいつもティーカップの向こう側の姉妹編
 ・本編番外編シリーズ「TEACUP TALES」
  シリーズ本編番外編
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  シリーズSS番外編
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