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醸して甘く
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ピロロン♪
デスク脇に放置したスマートフォンが、メッセージの着信を告げる。
資料に没頭していた意識を切り替え、亜嵐は自分を呼び戻した電子機器を手に取った。
(この音は……湊だな)
今日は一月一日、元旦。
世間に倣いローズメリーも店休日で、ツタが這うレンガ造りの店内は亜嵐一人きりだ。
画面をタップしてメッセージアプリを開く。
それだけでふわり、知らず頬が緩んだ。
『あけましておめでとうございます』
大学の学生食堂での出会いから、もう七ヶ月になる。
その間に経験した数々の出来事は、どれもが濃密で、かけがえのないものだった。
乗り越えられたのは、黒髪で少し童顔の大学生――藤宮湊が一緒にいてくれたから。
亜嵐が感じてきた渇きや痛みを、湊は隣で静かに癒してくれた。
穏やかな心地で新年のあいさつを返そうとすると、ポンと次の通知が浮かんだ。
『今からそちらに行ってもいいですか?』
(おや、これはまた)
時計を見ると、時刻は午後二時を過ぎている。
この時間なら夕食もこちらで一緒に、という流れになるだろう。
正月早々ではあるが、台所仕事がからっきしの亜嵐のために、夕方には翠が来てくれる予定だ。
亜嵐は湊に承諾の返信を送り、そのまま翠にも湊の来訪を知らせるメッセージを打った。
***
「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」
ローズメリーの扉をくぐって早々、新年のあいさつを述べると、湊はペコリと頭を下げた。
清々しいその所作に、亜嵐は笑みを深くした。
「あけましておめでとう。こちらこそ、よろしくお願いしたい」
「えへへっ」
大寒波とまではいかないものの、冷たい北風に晒された頬は渇いて、ほんのりと赤い。
二階の部屋は暖房だけでなく、加湿器も稼働している。
(早く温めてやらねば……)
亜嵐は湊を連れて、そそくさと二階へと上がった。
「それで、今日はどうしたんだ?」
脱いだコートと愛用のキャンバスバッグを湊がテーブルに置いたタイミングで、亜嵐が問う。
すると湊はバッグから弁当用のスープジャーを取り出し、亜嵐に差し出した。
「開けてみてください」
「……?」
クルクルと蓋を回して中を覗き見ると――。
「……粥、か?」
「初めて作ったんですけど、かなり上手くいったんです」
湊の意図が掴めず小首を傾げた次の瞬間、亜嵐はハッと口を開いた。
「まさか。体調が悪いのか!?」
「はい?」
「だから粥を……いや、体調が悪いなら、そもそもここには来ないか」
どうも亜嵐と話が噛み合っていないと感じた湊は、少し考えて「あぁ」と頷いた。
「それ、お粥じゃなくて甘酒です」
「……甘酒?」
亜嵐は頭にインプットされた情報を探った。
確か甘酒とは――。
「炊いた米を米麹で発酵させるか、酒粕を溶いて作るんだったな」
「そう、それです。今回は餅米と麹で作ったんですよ」
くんと香りを嗅ぐと、米の甘やかさの中に、わずかばかりの酸っぱさが感じられた。
一般的な粥に比べて、どろりと濃度もある。
途端、亜嵐の目つきが研究者のそれに変わった。
「現代では冬の飲み物とされている甘酒だが、江戸時代には夏の栄養補給食として広まっていた。俳句で甘酒が夏の季語として扱われるのはその名残だ。だがそれより時代を遡ると、やはり甘酒が盛んに飲まれたのは、冬の寒い時期だったのだ」
突然始まった講義に、湊の目が輝く。
「私の知見による仮説だが、食される時期が変わったのは、米の収量や流通が関係しているのではないだろうか。
江戸幕府開闢により、長かった戦乱の世は終わりを告げた。それまで戦争に駆り出されていた農民たちは、やっと米作りに専念できるようになった。結果、米の収穫量そのものが増え、秋の実りを待たずとも、発酵に適した夏に甘酒を作れるようになった。
それ以前の時代には稲作の技術も未熟で、夏場に甘酒を作る余裕などなかった。それゆえ収穫期である秋から冬にかけてが、甘酒のオンシーズンだったと考えている」
滔々と語られる内容は至極もっともで、湊はうんうんと頷いた。
そもそも市井の人々が米で腹を満たせるようになったのは、近代に入ってからであるのは間違いない。
「亜嵐さんの仮説、すごく信ぴょう性があると思います!」
「ありがとう。このテーマはいずれ、深く掘り下げてみたいものだな」
そのとき。
「あらあら。お正月早々、またやってるの?」
扉が開いて、翠が部屋に入ってきた。
服装はいつもの黒いワンピースではなく、暖かそうなセーターを着込んでいる。
「扉の外まで声が聞こえましたよ。藤宮くん、あけましておめでとう」
「おめでとうございます、翠さん。今年もよろしくお願いします」
湊が頭を下げると、翠はにこりと微笑んで亜嵐を見た。
正確にはその手にあるスープジャーを。
「それは何かしら?」
「もち米と麹の甘酒です。湊が作ったそうですよ」
亜嵐が差し出したジャーの中身を確認した翠は、「まぁ!」と声を上げた。
「藤宮くんの手作り! すごいわ、美味しそう」
「そのままだと濃いんで、薄めると丁度良い感じになります」
「それでは、早速皆でいただきませんか?」
亜嵐の提案に、湊も翠も「賛成!」と笑みを浮かべた。
「米と麹だけか? 砂糖は?」
「いえ、入れてません。十分に甘いんですよ」
「ジンジャーをちょっとだけ入れても美味しいのよね」
賑やかな声が、階段を下りていく。
人気のなくなった書斎には、加湿器がたてる微かな音だけが響いていた。
***
後日。
「えぇ~っ、ず~る~い~! 私も藤宮くんの甘酒、飲みたかったぁ~!」
甘酒の美味さをこれでもか! と亜嵐が自慢したものだから、美緒はキーキーと地団駄を踏んだ。
「ま、また作るから。ね? 白石さん」
「本当!? 約束ね!」
その言葉に、もう一度あの味を楽しめると思った亜嵐と翠も、内心でワクワクとしたのだった。
寒い冬にピッタリの、温かな飲み物のお話。
秘密はいつもティーカップの向こう側 SNACK SNAP
醸して甘く / 完
◆・◆・◆
秘密はいつもティーカップの向こう側
本編もアルファポリスで連載中です☕
ティーカップ越しの湊と亜嵐の物語はこちら。
秘密はいつもティーカップの向こう側の姉妹編
・本編番外編シリーズ「TEACUP TALES」
シリーズ本編番外編
・番外編シリーズ「BONUS TRACK」
シリーズSS番外編
・番外SSシリーズ「SNACK SNAP」
シリーズのおやつ小話
よろしければ覗いてみてください♪
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大学の学生食堂での出会いから、もう七ヶ月になる。
その間に経験した数々の出来事は、どれもが濃密で、かけがえのないものだった。
乗り越えられたのは、黒髪で少し童顔の大学生――藤宮湊が一緒にいてくれたから。
亜嵐が感じてきた渇きや痛みを、湊は隣で静かに癒してくれた。
穏やかな心地で新年のあいさつを返そうとすると、ポンと次の通知が浮かんだ。
『今からそちらに行ってもいいですか?』
(おや、これはまた)
時計を見ると、時刻は午後二時を過ぎている。
この時間なら夕食もこちらで一緒に、という流れになるだろう。
正月早々ではあるが、台所仕事がからっきしの亜嵐のために、夕方には翠が来てくれる予定だ。
亜嵐は湊に承諾の返信を送り、そのまま翠にも湊の来訪を知らせるメッセージを打った。
***
「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」
ローズメリーの扉をくぐって早々、新年のあいさつを述べると、湊はペコリと頭を下げた。
清々しいその所作に、亜嵐は笑みを深くした。
「あけましておめでとう。こちらこそ、よろしくお願いしたい」
「えへへっ」
大寒波とまではいかないものの、冷たい北風に晒された頬は渇いて、ほんのりと赤い。
二階の部屋は暖房だけでなく、加湿器も稼働している。
(早く温めてやらねば……)
亜嵐は湊を連れて、そそくさと二階へと上がった。
「それで、今日はどうしたんだ?」
脱いだコートと愛用のキャンバスバッグを湊がテーブルに置いたタイミングで、亜嵐が問う。
すると湊はバッグから弁当用のスープジャーを取り出し、亜嵐に差し出した。
「開けてみてください」
「……?」
クルクルと蓋を回して中を覗き見ると――。
「……粥、か?」
「初めて作ったんですけど、かなり上手くいったんです」
湊の意図が掴めず小首を傾げた次の瞬間、亜嵐はハッと口を開いた。
「まさか。体調が悪いのか!?」
「はい?」
「だから粥を……いや、体調が悪いなら、そもそもここには来ないか」
どうも亜嵐と話が噛み合っていないと感じた湊は、少し考えて「あぁ」と頷いた。
「それ、お粥じゃなくて甘酒です」
「……甘酒?」
亜嵐は頭にインプットされた情報を探った。
確か甘酒とは――。
「炊いた米を米麹で発酵させるか、酒粕を溶いて作るんだったな」
「そう、それです。今回は餅米と麹で作ったんですよ」
くんと香りを嗅ぐと、米の甘やかさの中に、わずかばかりの酸っぱさが感じられた。
一般的な粥に比べて、どろりと濃度もある。
途端、亜嵐の目つきが研究者のそれに変わった。
「現代では冬の飲み物とされている甘酒だが、江戸時代には夏の栄養補給食として広まっていた。俳句で甘酒が夏の季語として扱われるのはその名残だ。だがそれより時代を遡ると、やはり甘酒が盛んに飲まれたのは、冬の寒い時期だったのだ」
突然始まった講義に、湊の目が輝く。
「私の知見による仮説だが、食される時期が変わったのは、米の収量や流通が関係しているのではないだろうか。
江戸幕府開闢により、長かった戦乱の世は終わりを告げた。それまで戦争に駆り出されていた農民たちは、やっと米作りに専念できるようになった。結果、米の収穫量そのものが増え、秋の実りを待たずとも、発酵に適した夏に甘酒を作れるようになった。
それ以前の時代には稲作の技術も未熟で、夏場に甘酒を作る余裕などなかった。それゆえ収穫期である秋から冬にかけてが、甘酒のオンシーズンだったと考えている」
滔々と語られる内容は至極もっともで、湊はうんうんと頷いた。
そもそも市井の人々が米で腹を満たせるようになったのは、近代に入ってからであるのは間違いない。
「亜嵐さんの仮説、すごく信ぴょう性があると思います!」
「ありがとう。このテーマはいずれ、深く掘り下げてみたいものだな」
そのとき。
「あらあら。お正月早々、またやってるの?」
扉が開いて、翠が部屋に入ってきた。
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「扉の外まで声が聞こえましたよ。藤宮くん、あけましておめでとう」
「おめでとうございます、翠さん。今年もよろしくお願いします」
湊が頭を下げると、翠はにこりと微笑んで亜嵐を見た。
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亜嵐が差し出したジャーの中身を確認した翠は、「まぁ!」と声を上げた。
「藤宮くんの手作り! すごいわ、美味しそう」
「そのままだと濃いんで、薄めると丁度良い感じになります」
「それでは、早速皆でいただきませんか?」
亜嵐の提案に、湊も翠も「賛成!」と笑みを浮かべた。
「米と麹だけか? 砂糖は?」
「いえ、入れてません。十分に甘いんですよ」
「ジンジャーをちょっとだけ入れても美味しいのよね」
賑やかな声が、階段を下りていく。
人気のなくなった書斎には、加湿器がたてる微かな音だけが響いていた。
***
後日。
「えぇ~っ、ず~る~い~! 私も藤宮くんの甘酒、飲みたかったぁ~!」
甘酒の美味さをこれでもか! と亜嵐が自慢したものだから、美緒はキーキーと地団駄を踏んだ。
「ま、また作るから。ね? 白石さん」
「本当!? 約束ね!」
その言葉に、もう一度あの味を楽しめると思った亜嵐と翠も、内心でワクワクとしたのだった。
寒い冬にピッタリの、温かな飲み物のお話。
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