【本編完結】年下料理男子と社畜ラノベ作家の恋ごはん

藍沢真啓/庚あき

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あなたと小倉トースト④

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「ただいま、涼さん」
「健一さんっ!」
「……ぐふっ!」

 お店がすでにクローズになっていたので、自宅側の玄関を開けた途端、弾丸のように飛び出した涼さんに抱きつかれた。胃の中身出る! ぎ、ギブッ!

「りょ、りょうさんっ、パ、パンが潰れる!」
「怪我とかしてませんか? 変な奴にお尻とか触られてませんか? 緑川さんに浮気しようとか唆されたり……パン?」
「そう、だからちょっと力抜いてくれると……。あと、緑川の所はおすそ分けして、お茶飲んできただけだから」

 首を傾げる涼さんの目の前に、俺は持っていたビニール袋を掲げてみせる。

「晩ご飯前だけど、これ、おやつにしよう?」


 涼さんにはコーヒーをお願いして、俺は買ってきた袋の中身を広げる。三枚切りの袋と五枚切りの袋がそれぞれひとつずつと、小豆色の厚紙で簡易包装された小さな容器、それから冷蔵庫から出したバター。

「涼さん、三枚切りの方、一枚余るから冷凍して揚げ物用のパン粉に使ってもらってもいい?」
「それなら先にラップに包んでプラスチックバックに入れておきますね」
「ありがとう」

 俺が感謝を告げると、涼さんはにっこりと微笑んで返してくれる。俺だけでなく食材も大切にしてくれる彼は本当に優しい人だ。ヤンデル成分が多いけど。

「それにしても、こんなに沢山の食パンをどうしたんです? まだうちの食パンも残ってますよね」
「んー、今日会社から出る時に、同僚たちと一緒にランチ取る事になってさ」

 パンをまな板の上に置き、横にふたつ、半分を切っていると、ふと、隣の空気が不穏なものに変わるのに気づいた。

「……りょうさん?」
「それで、健一さんを追い出した会社の連中と一緒したんですかお昼」
「う、うん。てか、こわい。顔無表情こわいっ」

 このイケメン、怒ると無表情になるんだよ。整った顔に表情がなくなると、マネキンのような恐怖があって怖い。

「別に奴らが俺を追い出したわけじゃないから。あんまり邪険にしないでやってくれ」
「……すみません」
「涼さんが俺のことを思ってくれて怒ったのは分かってるから。で、これは俺の地元でチェーン展開してる喫茶店が、会社の近くにオープンしたって教えてくれたから、そこで帰りに買ったやつ。って言っても三分の一は緑川の所に寄った時に渡してきたけど」

 緑川の名前が出た途端、むぅと不機嫌な顔になる涼さんを横目に、トースターに切れ込みを入れたパンを入れてスイッチオン。

「そういえば、涼さんってあんこ平気?」
「あんこ? 和菓子の? ええ、平気ですけど」

 下手に藪つついてキッチンであれやこれやをされる前に、俺は調理台で放置されてる小豆色の包装をされた容器を持ち上げる。

「これ、お店で売ってるあんこなんだけど、パンに塗っても問題ない?」
「パンにあんこ?」

 綺麗な眉が不審げに歪む。地元では当たり前に属されてる小倉トーストだけど、こっちで好きで食べてるって人の話は聞かない。だいたいがネットでモノ好きがネタ作りに食べてるのを見るくらいだ。

「もし、苦手だったら、」
「いえ、健一さんの舌に馴染んだものなら、食べてみたいです」

 ジャムでも塗ろうか? と言う言葉を遮って、涼さんは微妙に緊張した面持ちで話す。いや、そこまで強ばった顔するなら、無理しなくてもいいのに……
 人には好みってものがあるんだし。

「じゃあ、俺の分を小倉トーストにするから、それを試してみたら? もしダメだったら、もう一枚はジャム塗ってもいいんだし」

 小豆色の紙包装を破りながら提案する俺に、まるで重大な議案を決めるような硬い表情で涼さんが頷いた。だから、そこまで大変な内容じゃないから。

 念の為にと冷蔵庫からいちごジャムとマーマレードが入った瓶を取り出し、それぞれを小さなココットに入れてると、チンッ、と軽快な音がパンが焼けたと報せる。
 普段キッチンは涼さんが使ってるものばかりだから、果たして思い通りに焼けてるかな、と小窓を覗くと予想以上に綺麗にこんがりと焼けたパンの姿が。
 トースターの扉を開くと、ふんわりと香ばしい匂いが溢れて鼻腔をくすぐる。
 あんまりぼんやりしてると、上手くバターがパンに染み込んでくれないので、慌ててバターナイフを手に取る。
 この家のバターナイフは塗る面に穴が開いていて、バターの側面に沿ってスライドさせると、モンブランの上のような糸状に削れるのだ。おかげでバターが溶けなくて苦慮することもない。
 ふわふわに乗ったバターを、ナイフでさっさと塗っていく。表面が黄金色に輝いて、それだけでも美味しそうだ。
 とはいえ、これが最終形態ではない。あんこの詰まった容器を開けて、別のバターナイフ(こっちは穴が開いてないタイプ)でツヤツヤなあんこを掬い、パンにたっぷり乗せる。
 本当はこっちもココットに入れたほうがいいのだが、残ったら勿体無いしと考え、直接塗ることにした。
 もう一枚はバターを塗るだけにとどめ、それぞれを涼さんが用意してくれた皿に置く。ぷわんとバターと小麦のいい匂いがして、鼻がクンクンと揺らめくのを止められなかった。

「健一さん、餌を前にしたワンコのようですよ?」
「焼きたてパンは正義! 熱い内に食べないと無駄になるっ」
「ふふっ、そうですね」

 涼さんはジャムの入ったココットとふたり分のコーヒーカップをトレイに乗せて、俺はパンの皿を持ってリビングへと向かった。片付け? そんなものは後、あとっ。

 外は今にも落ちそうな太陽に染められ、辺りは茜色に色づいている。隣の家のちらほら咲きだした桜の木も、清廉な雰囲気から妖艶な装いをしていて綺麗だ。

「……そろそろ本格的に桜も開花しそうですね」
「うん。今年は花見行けるかなぁ」

 ソファに並んで座り、俺の前に小倉トーストの皿とアツアツのコーヒーが置かれる。外からの淡い光に小豆が艶を帯びて、早く食べろと急かしてくるようだ。

「ま、花見の話は後にして、早速食べよう?」
「え、ええ」

 見慣れない物に怖気づいてる声を耳にしながら、半身の三分の一を手で割って口に放り込む。

「はっふいっ」

 焼きたてのせいか、パンの中に熱がこもっていたようだ。はふはふ言いながら熱を逃しつつパンに歯を立てる。外はカリカリで中はふんわりもっちり。溶けたバターが染み出し、あんこに程よい塩気を与えて甘味が増す。
 あの喫茶店、工場で一括で焼いてるから、懐かしい味に心までも温かい気持ちになる。

「はぁ、うま……。昼間も食べたけど、やっぱり焼きたてはせいぎ……」
「……そんなに美味しいですか?」
「うん」

 即答する俺を見て、パンを見て、涼さんは意を決したように皿に手を伸ばす。正直、世の中にはあんぱんってのがあるんだから、そこまで想像できない味じゃないんだがな。
 俺は涼さんを流し見ながら、冷める前にとパンにかぶりつく。そんな俺の横ではおそるおそる一口分に分けたパンを口に持っていく涼さん。
 薄い唇を開いて、パンを押し込む。しばらく無言で咀嚼して、じっと目を閉じたまま飲み込んで、しばし沈黙。
 んー、表情を見るに、そこまで嫌がってるようには感じないんだが……
 人には好みってものがあるし、もしダメそうなら俺がひとりで食べればいいか、と思ってたんだけど。

「おおぉ……これはある意味新鮮ですね」

 昔、障害を持った女性が厳しい家庭教師の導きで、初めて水を感じた時にあげたとされるような声をあげる涼さん。

「うちの店でもパンを扱ってますけど、ここのお店のパンはカリとフワモチの対比が面白いです。中がフワモチだからバターが染み込みやすいですし、バターの塩気と小豆の甘さがバランス取れて」
「取れて?」
「すっごくはまりそうです!」

 キラキラと眩しい笑顔で「半分もらってもいいですか?」と俺が返事をする前に手を伸ばしてる涼さんに「どうぞ」と勧めた俺は、内心で気に入ってくれて良かった、と安堵のため息をつきつつ、遅めのおやつを堪能したのだった。


 後日、涼さんのお店『KIDO』に新メニューが登場した。
 分厚いトーストにたっぷりバターを乗せて、それから試行錯誤した小豆を盛った小倉トーストは、若いお客さんだけでなく年配のご婦人まで注文するという人気商品となった。
 そしてあの店と同じではないけど、涼さんの愛情たっぷりな小倉トーストは我が家の朝食の新しい仲間に入り、ふたりで笑顔で食べる習慣となったのだった。
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