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file3:呪いの手紙

3.呪いとは

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「――そもそも、呪いは実際にあるのか?」

 気を取り直した智輝は、葵を見据えて首を傾げる。
 今の仕事に関わってから、できるだけオカルト方面の知識を勉強している。だが、どう考えても眉唾物な話ばかりが巷には溢れていて、身になる知識を得られていると思えない。
 葵のオカルト知識は相応に深く、理論的な部分も多いので、懐疑的な智輝にも理解しやすくて解説を頼りがちだった。

「呪いね。……そうだね。僕はあると思っている」

 珍しく苦々しげな肯定だった。目を見張る智輝に気づいて苦笑した葵が、悩ましげに手を頬に当てる。

「――まず、呪いとはなにか、だけど」
「ああ」

 しっかりメモをとる構えをとると、葵が面白そうに僅かに笑んだ。真面目な智輝を見るのが楽しいらしい。

「呪いには二種類あると思っている」
「二種類……」
「そう。相手の精神を害するものと、使役した霊を憑かせて害するものだ」
「……ああ」

 とりあえず頷きながら、説明に耳を傾ける。なんとなく、今回の件は前者の方かなと予想をつけた。

「まず、相手の精神を害するものは、既に智輝も予想しているだろうけど、相手に呪いという形を見せつける方法だ。『あなたは呪われていますよ』と突きつけることで、相手自身に呪いを顕現させる。つまり思い込みを誘発して精神的な負荷を掛けるということだね。これは素人でもできる方法だけど、精通した人は、強制的に相手を洗脳することもできるらしい」
「……それは、怖いな」

 呟きながら、葵の語尾が気になった。『らしい』という言葉は伝聞を示す。つまり、葵にそのような知識を与えた者または文献があるということだ。
 そこまで考えて、ふと疑問が湧いた。
 葵はいつも智輝の質問に詳しく答えてくれる。それは、ネットや文献を浚っても、智輝が見つけられなかった情報ばかりだ。
 それならば、葵はどこでその知識を得たのか。

「――次に、使役した霊を憑かせるものだけど」
「あ、ああ……」

 思考に沈みそうになった智輝を、葵の言葉が遮った。
 上げた視線が葵のものとぶつかり、目が僅かに細められるのが見て取れた。
 悟られた。
 瞬時にそう感じた。葵に思考を読み取られているように感じるのは、これが初めてではない。

「――これは祈願に似ている。多くはヒトガタや藁人形を呪う相手に見立てて、相手に害を及ぼすよう、霊に頼むんだ。霊の中には、誰かへの憎しみや怒りの思念で存在しているものがいる。そのような霊は、呪者の思念に共感し、従うことが多いんだよ。霊は呪う相手の元に行き、そのエネルギーで害を為す。ただそのためには霊だけのエネルギーでは足りず、呪者のエネルギーを吸収する、つまり呪者は魂を削ることになるから、呪う相手だけでなく、呪者も害を被る場合が多い。人を呪わば穴二つ、と言われるのはこちらの方が呪いとして一般的だからだ」
「人を呪ったら、呪われた方と呪った方の、二つの墓穴が必要になる。どちらも死んでしまうということだな」

 ネットで得ていた知識と合致し、頷きながらメモにまとめる。

「――今回は呪いの手紙だから、おそらく最初に言った方だと思うけど……」
「なにか気になるのか?」

 結局思い込みかと結論をつけようとしていた智輝は、首を傾げる葵に問いかけた。どうにも葵はその結論に納得がいっていないように思える。

「もし、背後の気配や手足を引っ張られたという被害が、思い込みによるものではないなら、二つ目の呪いの可能性もある。二つ目の呪いは、呪われている本人に悟らせずに行えるものだから」
「……なるほど。呪いがひとつとは限らないということか」

 呪いとはなにかについては、大体把握できた。次に問題になるのは、その呪いというものが本当に起こりうるのかだ。

「――そもそも、あまり呪いの知識がないような者がやったとしても、呪いは効力を発揮するのか?」
「そこが難しいところだね」

 改めて聞き直すと、葵が腕を組んで考え込む。組んだ足先がふらふらと揺れていた。

「――まず最初に言った方については、素人がやった場合、呪う相手がどういう性格かによって、効果は変わってくると思う。呪いとは言っているけど、所詮悪口に毛が生えたようなものだからね」
「そうだな。受け取り方次第か……」

 その言葉を反芻して、ふと相談者の速水のことを思い出した。

 速水は髪を明るく染め、ピアスをつけたチャラい印象の青年だ。周囲の者に速水について聞き取りをしたが、オカルトについてなんてこれまで話したことのない人物らしい。
 そういった現象を怖がるタイプという話も聞こえてこず、むしろ仲間の怖がる姿を見るために、ホラー映画の鑑賞会をしたり、心霊スポットへの突撃を企画したりすることもあったようだ。
 そんな速水が警察という公的機関に呪いを相談してきたのを、智輝は正直不思議に思っていた。

「――性格的に、速水は呪いの手紙に恐れを抱くタイプに見えなかったんだがな……?」
「そうなんだ? それなら、そもそも手紙による呪いは成り立っていなかったかもね」

 考え込む智輝と同じように、葵が眉を顰めて首を傾げた。

「――昔から呪いの手紙や呪いのチェーンメールというのは数多い。そこで大きな被害が出たという話もあまり聞いたことがないんだよ。だから、その速水という人にトラブルがあったとして、呪いの手紙が直接的な原因ではない可能性の方が高いと思う」
「ああ。俺もそう思えてきた」

 頷きながら、メモに『他の原因の可能性』と書き込む。
 そんな智輝を見ながら、葵が話を続けた。

「呪いの二つ目のだけど」
「ああ。藁人形を釘で打ち付けて呪うって話は聞いたことがあるんだが、それも素人ができるものなのか?」
「やること自体は問題ないね。効果がある可能性は限りなく低いけど」
「え、何故……?」

 思いがけない断定に、思わず葵の顔を凝視した。

「呪う相手に見立てるヒトガタや藁人形作りって、思う以上に難しいんだよ。思念を籠めながら作り上げ、呪う相手を明確に描く。そうしないと霊にしっかりと命ずることができないんだけど……修行していない人は、大体そこに雑念が混じりがちだし、思念も呪いに満たないことが多い。つまり、呪いは完成しない」
「あー……呪いにも、修行がいるのか……」

 言われてみれば納得だ。というか、そう簡単に呪いなんてできてほしくないので、葵の言葉に少しホッとした。

「それじゃあ、こいつの相談はなんなんだ……? どちらの呪いの可能性も低い気がする。本人が呪いと思っているのが不自然なくらいだ」
「そうだね。……まあ、とりあえず、僕が会ってみようか? 霊ならば見えるし、思い込みであっても、本人がどういう思いで呪いを相談したのかはなんとなく読み取れるかもしれないし」

 にこりと笑う葵に頷いた。
 智輝はこの案件をどう片付けるか悩んだ末に葵を訪ねたのだ。葵の提案は是非もなくお願いしたいことだった。

「よろしく頼む」
「頼まれました。――僕、駅前のクレープ食べたいな」
「……報酬は、ちゃんと課から出てると思うが」

 いい笑顔でねだってきた葵を半眼で見つめた。
 葵宅を訪ねる際の手土産は智輝が自腹で購入していて、それは相談のための場所代という意味合いが大きい。
 怪異現象対策課の協力者にはきちんと報酬が支払われているのを智輝は把握している。この上さらに、仕事を頼むからといって、なにかを奢る必要性は感じなかった。

「奢ってなんて言ってないでしょ。ただ食べに行くのに、ひとりだと寂しいから付き合ってほしいだけだよ」
「……男二人もキツくないか? 高校生ならまだしも……」
「いけるいける。気持ちは若くいこうよ!」

 はしゃいでいる葵を見ながら、成人男性二人がクレープ屋に並んでいる絵を想像して、智輝は思わず眉を顰めた。
 片方が葵というだけで、さほど違和感がない気がしてしまったのだ。確かに男なのに、葵の容姿は卑怯だと思う。
 そして、あることに気づいて、まじまじと葵を見つめた。

「――もしかしてなんだが……葵さん、友達いないのか?」
「ぅん?」

 その一言の返事に例えようもないくらいの圧力と寒気を感じて、智輝は慌てて質問を撤回した。
 それでも、意外だという思いで葵を見つめてしまったので、冷たく睨まれることになるのだが、智輝の反応は仕方ないと思う。
 雰囲気が柔らかく、コミュニケーション能力に問題もない葵が、まさか友達がいないとは、誰も思わないだろう。

「……編集くんはいるから」
「それは友達じゃない。仕事相手だろ」

 絞り出したのが日頃迷惑を掛けている相手とは、葵の交友関係の狭さに涙が出そうだった。
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