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緑の本性
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「……さっき演技だと言っていたけど……なぜ、わざわざ?」
緑の正体を理解し、毒が効かなかったとしたらさきほどの茶番は一体何だったんだ。緑が行動に移さなかったら全員ずっと知らない風を装っていた。
しかし、緑は行動に移し実際に命を奪おうとした。行動に移してしまった緑は毒を料理に仕込んだ時点で用済みと判断され、始末されてもおかしくなかった。
「強いて言えば、確認かな」
零時が指を顎に当てながら答える。
「確認?」
「つまり、今日雫が死んだからよ」
吹雪は真剣味を帯びた表情で緑を見据える。
「僕たちは雫が誰かに暗殺されたと踏んでいるの。見えないかもしれないけどこれでも少なからず混乱してるのよ。あの現場には奇妙なほどの痕跡らしい痕跡は残ってなかったから。雫が誰かと争った跡も抵抗した跡も。ナイフで首を裂かれたのは間違いないのに。近距離からの攻撃があったら、雫ほどの腕なら何かしらのアクションがあったはずよ。それなのに、あの現場ではまるで透明人間が雫に抵抗も何もさせず、痛みという痛みを感じさせないで首に刃物を突き立てた感じだった。ほんと、違和感しかなかった」
吹雪は眉をしかめた。おそらく、雫の遺体を発見した直後のことを思い出したんだろう。
「……あの子に限って“あれ”はないだろうし」
最後の一言だけぼそりと呟きながら、右肘部分を撫でた。
「ありえない状況だからありえない可能性も考えなきゃと思って。私たち全員、その容疑者として最初に挙がったのはあなただったの」
吹雪は怯えたままの緑に向かって指をさした。
「あなたが直接手を下してないとしても、あの子の死に何かしら関与しているかもしれないって考えた。どちらにしても、今日あなたは実行に移すだろうって踏んでたわ。こう考えてたんでしょ?“雫が死んで全員が動揺し、気を緩ませている。殺るチャンスは今日しかない”って」
目を細めながら話す吹雪の言葉に緑はギクリとする。完全に見透かされてた。
「わかりやすいくらいの浅知恵だ」
出雲は頬杖をしたまま蔑むような口調と視線を緑に向ける。
「腕力も殺しの技術らしい技術もないあなたが仕掛けるとしたら得意な料理でだと考えたわ。きっと穂積さんから聞かされた毒を使うだろうって。予想通り、あなたは料理に毒を仕込んだ。それを私たちはチャンスだと考えたの。だいたいあなたみたいなタイプは自分が完全に優位に立ったと思い込んだら、途端に饒舌になるものよ。まだ雫の死について何もわからない私たちはあなたが雫の死に関与しているのかしていないのかこれで知ることができると思ったわ。案の定、あなたは面白いくらいにいろいろしゃべってくれたわよね、癪に障るほど」
吹雪は腕組みしながらふふっと笑う。しかし、目の奥はまったく笑っていない。
「結果、あなたは雫の死についてはまったく関与してないってわかった。まぁ、やっぱりって思ったけど。そこで、どうせ本性見せて色々ぶっちゃけるだろうから、ちょっと驚かせてやろうって思って。その驚かせ方っていうのは」
吹雪は視線を斜め後ろに向ける。あいかわらず、穂積は動けず震えている姉を冷たく見下ろしていた。
「それにしてもずっと思ってたんだけど二人ってあんまり似てないよね、姉弟って言われないとわかんないや」
霞が二人を何回も見比べる。その時、穂積がわずかだがピクリと反応したのがわかる。
姉弟という単語が気に食わなかったようだ。
「どう……して、どうしてなの?なんで……裏切ったの?」
今は、吹雪たちの怒りや憎悪よりも最愛の弟に裏切られたショックが占めているらしく、涙に濡れた瞳を穂積に向けている。
「ずっと、二人で生きてきたのに……ずっと助け合ってきたのに。第一、その……男は、あなたの喉を」
緑の視界と声が震える。穂積が緑を裏切り、五月雨家の人間の味方をするということは次男である出雲の味方をするということでもある。自らの喉を切り裂いた男の傍にいることを選ぶなんて緑からしたら正気の沙汰ではなかった。
「本当にわかってないのか」
出雲は足を組み替え、嘲笑した。顔立ちの美しい男の歪んだ笑みは、どこか妖艶さを覗かせる。
「それとも、この期に及んで無知なふりをしているのか?」
「……なんのこと?」
「緑さんって、僕より頭が悪いんだね」
「緑さん、私まだ信じられないわ。そんな人なんてどうしても思えない」
霞はおおげさに馬鹿にしたかのような視線を浴びせているのに対し、砂霧は悲愴な面持ちで緑から顔を背けている。
「いちいち説明しなくちゃわからないの?あなたがどうしようもなくてとんでもない人間だって。まぁ、私たちにだけは言われたくないだろうけど。しかたないわね、こういう長ったらしい説明はたぶん僕の役割だから」
吹雪は呆然としている緑に淡々とした口調で続ける。
「さっきのあなたの語り、ずいぶん嘘が混じっていたわよね。まず、貧民街で育ったっていうけど、穂積さんが言うには普通の住宅街だったみたいじゃない。ゴミを拾って売ったり買ったりする人間もいないし、病原菌や伝染病もなく衛生面も悪くなかった。あなたたちの暮らしだって決して裕福だったわけじゃないらしいけど、周辺の貧しいスラム街なんかよりもずっとマシで食事にも困らなかったって聞いたわ。でも、あなたにとってはその生活は十分貧困だって思っちゃったらしいわね」
「………」
「あなた、子どもの時からずいぶん手のかかる子だったらしいわね。特別甘やかされて育てられたわけじゃないのにかなりわがままで自分の思い通りにならないとすぐに癇癪起こす。そしてその八つ当たりの相手が弟である穂積さん。よく理不尽な理由で殴っていたらしいじゃない」
吹雪が淡々と語りだすと緑の表情から徐々に怯えの表情が薄れていき、目を苛立たしげに細めていく。
「それにすごく惚れっぽい。厄介なことにその相手は自分と同じように常に性格に難がある男。当然のように女に金をたかる男とかそして―」
吹雪は霞のほうに一瞬だけ目をやった。
「幼児趣味のある変態男とか。よく穂積さんを男にあてがってたらしいわね、それも数人に。よくもまぁ、それを黙って見ていたわね。そして、自分よりも相手にされている穂積さんに嫉妬してまた、八つ当たり。彼が常に無表情、無感動なのも無理もないわ」
当の本人である穂積は表情をまったく変えなかった。ただ、じっと緑を見下ろしているだけだった。
「そして二つ目のあなたの嘘。両親を亡くしたって言ってたけど違うでしょ?穂積さんを変態に差し出していることが両親にバレてものすごい言い合いをしたらしいわね。あなたを強制施設に入れるという話にまで発展したとき、あなたは頭に血がのぼって近くにあった鈍器で思いっきり殴ったんでしょ、二人が動かなくなるまで。そして悪びれもせず証拠を隠滅するために家に火を放った。自分にとって都合が悪いことはなかったことにしているのかしら?」
吹雪は少し屈みながら冷笑を浮かべた後、腕組みをする。
「その後、身寄りもなくまだ子供だったあなたたちが人攫いに遭ったのは自業自得ね。そして日本に渡ったという話は穂積さんと一緒ね。でも、この後3つ目の嘘が出てくるわ。地獄の中で生きてきたとか霞の歳まで知らない人間に身体を開いていたと言っていたけど、それは穂積さんだけね。だって、あなたは売春宿の店主と恋仲になったんだから。ほんと、あなたって懲りない性格なのね」
「………」
「あなたがずっと弟を傍に置いていたのは決して優しさや責任感からじゃない。そこいらの女よりも男受けする顔と体だったから手放さなかった。ただお金になるから。それだけの理由。違わないでしょ?」
緑はずっと俯いている。ずっと見下ろしている吹雪たちの角度からではどんな表情をしているのかわからない。でも、きっと碌なものではないことだけはわかる。
「そして、次の嘘。どんどん出てくるわね。あなたは下部組織のボスが自分たちを救ってくれた恩人だと言っていたけど違うでしょ。売春宿の店主との仲も冷え切り、その日暮らしの生活に飽きていたあなたが目を付けたのがたまたま宿で客を取っていたそのボス。運がいいのか悪いのかボスはあなたに一目ぼれしたらしいわね。目ざといあなたはその視線を見逃さなかった。そして、ボスに取り入るためあなたは内縁の妻がいる客を脅して、自分をボスの目の前で殴るように命令した。あなたに惚れていたボスは颯爽とあなたを助けだし、かわいそうなことに男は半殺しにされた。それがきっかけで通訳になったというのは本当ね。それからは豪遊暮らし。ボスの通訳兼愛人のあなたはお金を使いに使いまくった。穂積さんの扱われ方は売春宿のときよりはマシだったらしいけど……。はぁ、もうかわいそすぎて言うのも嫌になっちゃうわ。ボスはあくまであなたが目当てだったから穂積さんをただのおまけか金魚の糞みたいに扱ったらしいわね。だから、部下が自分の目を盗んでどんなことをしているのか知っていても見て見ぬふりをしていた、あなたと同じ」
吹雪はため息を吐く。
「それからアジトを襲撃されて復讐するために来たって言っていたけど、これも嘘ね。だって、復讐なら絶対出てくるはずの話題が出てこなかったんだから。僕らに殺しの依頼を頼んだクライアントの話。普通、そっちを探るものじゃない?でも話題に出なかった。それはわかってたからでしょ?クライアントが誰でなんで襲撃されたのか」
「そ、そんなのわかるわけ」
「だから、穂積さんに全部聞いたってば。それに事実確認のためちょっと調べたんだから。あなたってすごい悪女ね。十分な贅沢を味わっていたくせにまだ満足しなかったのね。お金をもっと得る方法を考え抜いた結果、あることを思いついた。それがマフィアの中枢の情報を外部に高値で売り渡し、報酬を得るという方法。よくまぁ、こんな軽はずみなこと思いついたわね。一回ならともかく何回もだもの。バレないって本気で思ってたの?結局、マフィアの上層部に下部組織の誰かが機密情報を流していることを知られてしまった。自分がやったとギリギリバレそうになったから、一番近くにいる適任者に罪を被せたのよね。あなたが恩人恩人しつこく言っていたボスを犯人に。つまり、私たちの依頼主が上層部の幹部だった。あなただってそれを知っていたから話題に出さなかったのでしょ?」
吹雪は皮肉めいた笑みを浮かべる。
「でも、バレたとしてもボスは始末されていたと思うわ。内部の情報を流出させる人間を傍に置いている時点でボスとしてはアウトだから。ていうか、上層部は本当の犯人は誰か薄々感づいてたんじゃないかしら。元々ボスは金遣いがかなり荒くて厄介者扱いされていたから。だから、あなたのしでかしたことを余計な膿を掃除できるいいきっかけだと考えたと思うわ。まぁ、あまり深く調べなかったからそっちの事情はよくわからないけど。その時、駆り出されたのがたしか僕と雫?……ごめんなさいね。正直あんまり覚えてないの。僕たちにとってよくある仕事だから」
ギリリとした歯ぎしりが聞こえる。吹雪の飄々と語る口調が癇に障っているらしい。
「その経緯を聞くと僕らに対しての復讐は完全な嘘よね。いろいろと雑すぎるし。そもそも父さんを外している時点で復讐話は無理があるし。家に来たのは豪遊な生活がもうできなくなり、再びその日暮らしに逆戻りになったことに対しての八つ当たりとお金よね。たまたま僕らのことを知って、庭を覗いたとき偶然そこにいたのがのほほんとベランダでドーナツを食べている娘と馬鹿みたいに大口開けながらテレビを見ている少年だったのよね」
吹雪はちらりと横目で霞を見る。
「え?僕」
「他に誰がいるのよ。あとの一人は……言うまでもないわね。裏社会でそれなりに有名な五月雨一家の殺し屋がどこにでもいそうな子供だったんだから、嘗めてかかっちゃうのはしかたないわ。自分らの鬱憤晴らしにちょうどいいと思った。ついでにお金もごっそり頂こうと思った。まぁ、お金の管理は父さんと兄さんに任せているから実際にどのくらいため込んでいるのかわからないけど」
零時のほうに顔を向けると変わらずに微笑んでいる。
「まず、あなたは情報収集のため弟を忍び込ませた。出雲兄さんが同性愛者だと知ったから余計に使えると思ったみたいね。でもその思惑、逆効果だったわよ」
当の話題である出雲は長話に飽き飽きしてきたようで、眠そうにあくびをしている。
「あなたにとっての一番の予想外はおそらく穂積さん。不思議だったのよね、なんでそんな奴隷のような扱いをされてきたのに逃げ出さなかったのか。でも、理解したわ。さっきみたいに事を為した後、ずっと言い続けてきたんでしょ?錯覚するような優しい言葉を」
“今まで我慢させてごめんなさいね、本当に大変だったわよね”
“長いことごめんね。嫌だったでしょ?”
“もう、大丈夫よ”
「幼少期から穂積さんを殴った後、嬲られた後、犯された後、ずっとさっきみたいに不気味に思うくらいに慰めてたんでしょうね。無理やり心をコントロールして穂積さんの思考を奪ってきた。だから、さっきのあからさまな被害者の主張のような語りは僕たちにって言うよりも穂積さんに主に向けていたんじゃない?いつものような洗脳スタイルで穂積さん自身に思い込ませるように……でも穂積さん、この家に来たきっかけで思考が軌道修正したみたよ。だからこそ、今あなたは穂積さんに毒針で刺されて動けないでいる……一応、あなたの嘘の修正と説明は終わったわ。何かご感想は?」
「………」
その場がしんと静まり返る。皆、緑の反応を待っている。
緑は何も答えない。毒がすでにまわっているのか俯いたまま動かなかった。
緑の正体を理解し、毒が効かなかったとしたらさきほどの茶番は一体何だったんだ。緑が行動に移さなかったら全員ずっと知らない風を装っていた。
しかし、緑は行動に移し実際に命を奪おうとした。行動に移してしまった緑は毒を料理に仕込んだ時点で用済みと判断され、始末されてもおかしくなかった。
「強いて言えば、確認かな」
零時が指を顎に当てながら答える。
「確認?」
「つまり、今日雫が死んだからよ」
吹雪は真剣味を帯びた表情で緑を見据える。
「僕たちは雫が誰かに暗殺されたと踏んでいるの。見えないかもしれないけどこれでも少なからず混乱してるのよ。あの現場には奇妙なほどの痕跡らしい痕跡は残ってなかったから。雫が誰かと争った跡も抵抗した跡も。ナイフで首を裂かれたのは間違いないのに。近距離からの攻撃があったら、雫ほどの腕なら何かしらのアクションがあったはずよ。それなのに、あの現場ではまるで透明人間が雫に抵抗も何もさせず、痛みという痛みを感じさせないで首に刃物を突き立てた感じだった。ほんと、違和感しかなかった」
吹雪は眉をしかめた。おそらく、雫の遺体を発見した直後のことを思い出したんだろう。
「……あの子に限って“あれ”はないだろうし」
最後の一言だけぼそりと呟きながら、右肘部分を撫でた。
「ありえない状況だからありえない可能性も考えなきゃと思って。私たち全員、その容疑者として最初に挙がったのはあなただったの」
吹雪は怯えたままの緑に向かって指をさした。
「あなたが直接手を下してないとしても、あの子の死に何かしら関与しているかもしれないって考えた。どちらにしても、今日あなたは実行に移すだろうって踏んでたわ。こう考えてたんでしょ?“雫が死んで全員が動揺し、気を緩ませている。殺るチャンスは今日しかない”って」
目を細めながら話す吹雪の言葉に緑はギクリとする。完全に見透かされてた。
「わかりやすいくらいの浅知恵だ」
出雲は頬杖をしたまま蔑むような口調と視線を緑に向ける。
「腕力も殺しの技術らしい技術もないあなたが仕掛けるとしたら得意な料理でだと考えたわ。きっと穂積さんから聞かされた毒を使うだろうって。予想通り、あなたは料理に毒を仕込んだ。それを私たちはチャンスだと考えたの。だいたいあなたみたいなタイプは自分が完全に優位に立ったと思い込んだら、途端に饒舌になるものよ。まだ雫の死について何もわからない私たちはあなたが雫の死に関与しているのかしていないのかこれで知ることができると思ったわ。案の定、あなたは面白いくらいにいろいろしゃべってくれたわよね、癪に障るほど」
吹雪は腕組みしながらふふっと笑う。しかし、目の奥はまったく笑っていない。
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吹雪は視線を斜め後ろに向ける。あいかわらず、穂積は動けず震えている姉を冷たく見下ろしていた。
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霞が二人を何回も見比べる。その時、穂積がわずかだがピクリと反応したのがわかる。
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「どう……して、どうしてなの?なんで……裏切ったの?」
今は、吹雪たちの怒りや憎悪よりも最愛の弟に裏切られたショックが占めているらしく、涙に濡れた瞳を穂積に向けている。
「ずっと、二人で生きてきたのに……ずっと助け合ってきたのに。第一、その……男は、あなたの喉を」
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「………」
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吹雪は少し屈みながら冷笑を浮かべた後、腕組みをする。
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緑はずっと俯いている。ずっと見下ろしている吹雪たちの角度からではどんな表情をしているのかわからない。でも、きっと碌なものではないことだけはわかる。
「そして、次の嘘。どんどん出てくるわね。あなたは下部組織のボスが自分たちを救ってくれた恩人だと言っていたけど違うでしょ。売春宿の店主との仲も冷え切り、その日暮らしの生活に飽きていたあなたが目を付けたのがたまたま宿で客を取っていたそのボス。運がいいのか悪いのかボスはあなたに一目ぼれしたらしいわね。目ざといあなたはその視線を見逃さなかった。そして、ボスに取り入るためあなたは内縁の妻がいる客を脅して、自分をボスの目の前で殴るように命令した。あなたに惚れていたボスは颯爽とあなたを助けだし、かわいそうなことに男は半殺しにされた。それがきっかけで通訳になったというのは本当ね。それからは豪遊暮らし。ボスの通訳兼愛人のあなたはお金を使いに使いまくった。穂積さんの扱われ方は売春宿のときよりはマシだったらしいけど……。はぁ、もうかわいそすぎて言うのも嫌になっちゃうわ。ボスはあくまであなたが目当てだったから穂積さんをただのおまけか金魚の糞みたいに扱ったらしいわね。だから、部下が自分の目を盗んでどんなことをしているのか知っていても見て見ぬふりをしていた、あなたと同じ」
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当の話題である出雲は長話に飽き飽きしてきたようで、眠そうにあくびをしている。
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