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死体を目にして
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「靴は脱いだほうがいいよな」
藍はベランダの端に革靴を置き、スポーツバックに手を伸ばそうとする。
「スポーツバックもここに置いていったほうがいいかも」
手を伸ばす藍を止めるように雫は屈みこみながらスポーツバックを見る。
「てっきりいざがあるかもしれないから持っていったほうがいいって言うと思ってたんだけど」
「そう思ってたんだけど、そのいざは持っていくよりここに置いていったほうが役に立つような………そうでもないような」
「なんだそれ」
「なんていうか、勘?」
雫のはっきりしない態度に藍は首をかしげる。
「まぁ、完全なただの勘だから藍に任せるよ」
雫は立ち上がり、先に部屋の中に入っていった。
「………そんな風に言われたら、ここに置いたほうがいいんじゃないかって思うだろ」
藍は伸ばした腕を引き、雫の部屋に踏み入れた。
「お邪魔します」
藍は声を潜ませながらできるだけ足音を立てないようにそっと歩く。
入った瞬間、藍は体を強張らせる。ベッドに雫の死体が横たわっていたからだ。部屋に雫の死体があると前もって知らされていても、心臓がドクンと嫌な音を立ててしまう。
死体は昨晩と変わらない格好のまま、穏やかな表情で目を閉じていた。藍はドクンドクンと心臓の音を感じながらゆっくりと死体に近づき、顔を覗く。
「………まるで、眠っているみたいだな」
思わず漏らしてしまった率直の感想だった。雫の死体がベッドに横たわっている悲壮な光景であるのに無残だとはどうしても思えなかった。おそらく、清拭のおかげだろう。今にも動き出しそうと思えるほど、頭のてっぺんからつま先まで完璧に近い清拭がされていた。
今にも動き出しそうで決して動かない雫の死体。
絶対に動かない、そしてその霊である雫は隣にいる。頭ではわかっていることなのに、心臓の不快な鼓動は止まらなかった。
言葉では言い尽くせない緊張と不安と恐怖が藍の中で徐々に埋め尽くしていく。
「ねぇ、においとかする?昨日の今日じゃいくら何でも腐敗していないと思うから、臭くはないと思うけど」
緊張を孕みながら死体を覗く藍に雫は暢気な物言いで問いかける。
「気にするのそこか?」
「だって、私幽霊だからにおい嗅げないし」
「においは………まぁ、いまのところは」
「でも、夏の日って腐敗が進むって言うからね。やだなぁ、これからどんどん腐るのか」
雫は大げさに項垂れて見せる。
「雫、それわざとか?」
「何が?」
「いや、なんでもない」
藍は思わず、吹き出しそうになった。雫のおどけた態度が藍の張りつめていた気を緩くさせた。そのおかげか内心少し余裕ができ、嫌な音を立てていた心音が弱まった。
雫は気持ちを一新しようと背伸びをし、ふと雫の部屋を見回す。
「今気づいたけど、雫の部屋ってその………シンプルなんだな」
「今気づいたの?」
藍と雫が実際に親交を深めたのは二学年に上がった時からなため、付き合い自体の日は浅い。しかし、学校では一緒に行動を共にする時間が長いと共に自覚していた。短いながらも一緒に行動している以上、互いの人となりを知り得ている。
だから、雫の異様にものが少ない部屋も想定内の範囲。雫は人や物、己でさえこだわりがほとんどなかった。こだわりがないからこそ、他人の意見や余計な情報量に流されず自分なりの軸を持っていた。思春期真っ只中の高校生は他人の目や空気を読むことに敏感で大衆側に付くことが多い。 反して雫は他人の評価をものともせず、いとも簡単に反俗的な言葉を言う。物事を客観視できるのに、敢えて空気と読もうとしない場面をたびたび見かけてきた。
まるで、孤独や恐怖感をまったく感じ取っていないかのように。
人がものを集めるのは寂しさや恐怖を埋めたいと思っているからだと言われている。必要最低限のものしか置かない雫の部屋は孤独に対しての恐怖心や必要以上の人間関係の構築を必要としない、内面の表れのようだった。
「私、もっとドーナツ関連のグッズが置いてあると思っていた」
藍は隅に置かれていたチョコレート色のドーナツ型クッションを拾い上げる。
雫は物欲がないにもかかわらず、ドーナツに関しては異様なほどの執着を見せる。ドーナツを食している時、邪魔が入ると決まって不機嫌になる。普段、温厚な分それはあからさまにわかりやすかった。
ドーナツに固執している雫のことだから、ドーナツのグッズをいくらか収集しているものだと思っていた。しかし、何度も部屋を見回してもドーナツのグッズらしきものはドーナツのクッションしかない。
「だって、私にとってドーナツは飾るものでも集めるものじゃなくて食べるものだから」
雫はきっぱりと言い放った。
「すみません、調べるなら急いだほうがいいのでは?」
ドーナツのクッションを抱きしめながらきょろきょろと見回す藍に玖月は冷めた視線を向けた。
「ごめん、確かにな。最初はどうすればいいんだ?」
「じゃあ、まずは私の身体を調べてみよう」
雫は死体を指差した。
「ああ、わかった」
藍はクッションが置かれていた場所にそっと戻した。その時、隣の淡いピンクのテディベアに目が行く。古ぼけたテディベアなのか色が若干くすみ、所々にキズがついている。テディベアは壁にもたれ、安定して座った形になっている。若干傷んでいるがほこりは被っておらず、手入れもされているように見える。思考が大人びている雫が同性代の女子らしいぬいぐるみを一個でも大事に所持していたことを知り、微笑ましく思えた。
藍はポンとテディベアの頭に手を置き、立ち上がる。
藍はベランダの端に革靴を置き、スポーツバックに手を伸ばそうとする。
「スポーツバックもここに置いていったほうがいいかも」
手を伸ばす藍を止めるように雫は屈みこみながらスポーツバックを見る。
「てっきりいざがあるかもしれないから持っていったほうがいいって言うと思ってたんだけど」
「そう思ってたんだけど、そのいざは持っていくよりここに置いていったほうが役に立つような………そうでもないような」
「なんだそれ」
「なんていうか、勘?」
雫のはっきりしない態度に藍は首をかしげる。
「まぁ、完全なただの勘だから藍に任せるよ」
雫は立ち上がり、先に部屋の中に入っていった。
「………そんな風に言われたら、ここに置いたほうがいいんじゃないかって思うだろ」
藍は伸ばした腕を引き、雫の部屋に踏み入れた。
「お邪魔します」
藍は声を潜ませながらできるだけ足音を立てないようにそっと歩く。
入った瞬間、藍は体を強張らせる。ベッドに雫の死体が横たわっていたからだ。部屋に雫の死体があると前もって知らされていても、心臓がドクンと嫌な音を立ててしまう。
死体は昨晩と変わらない格好のまま、穏やかな表情で目を閉じていた。藍はドクンドクンと心臓の音を感じながらゆっくりと死体に近づき、顔を覗く。
「………まるで、眠っているみたいだな」
思わず漏らしてしまった率直の感想だった。雫の死体がベッドに横たわっている悲壮な光景であるのに無残だとはどうしても思えなかった。おそらく、清拭のおかげだろう。今にも動き出しそうと思えるほど、頭のてっぺんからつま先まで完璧に近い清拭がされていた。
今にも動き出しそうで決して動かない雫の死体。
絶対に動かない、そしてその霊である雫は隣にいる。頭ではわかっていることなのに、心臓の不快な鼓動は止まらなかった。
言葉では言い尽くせない緊張と不安と恐怖が藍の中で徐々に埋め尽くしていく。
「ねぇ、においとかする?昨日の今日じゃいくら何でも腐敗していないと思うから、臭くはないと思うけど」
緊張を孕みながら死体を覗く藍に雫は暢気な物言いで問いかける。
「気にするのそこか?」
「だって、私幽霊だからにおい嗅げないし」
「においは………まぁ、いまのところは」
「でも、夏の日って腐敗が進むって言うからね。やだなぁ、これからどんどん腐るのか」
雫は大げさに項垂れて見せる。
「雫、それわざとか?」
「何が?」
「いや、なんでもない」
藍は思わず、吹き出しそうになった。雫のおどけた態度が藍の張りつめていた気を緩くさせた。そのおかげか内心少し余裕ができ、嫌な音を立てていた心音が弱まった。
雫は気持ちを一新しようと背伸びをし、ふと雫の部屋を見回す。
「今気づいたけど、雫の部屋ってその………シンプルなんだな」
「今気づいたの?」
藍と雫が実際に親交を深めたのは二学年に上がった時からなため、付き合い自体の日は浅い。しかし、学校では一緒に行動を共にする時間が長いと共に自覚していた。短いながらも一緒に行動している以上、互いの人となりを知り得ている。
だから、雫の異様にものが少ない部屋も想定内の範囲。雫は人や物、己でさえこだわりがほとんどなかった。こだわりがないからこそ、他人の意見や余計な情報量に流されず自分なりの軸を持っていた。思春期真っ只中の高校生は他人の目や空気を読むことに敏感で大衆側に付くことが多い。 反して雫は他人の評価をものともせず、いとも簡単に反俗的な言葉を言う。物事を客観視できるのに、敢えて空気と読もうとしない場面をたびたび見かけてきた。
まるで、孤独や恐怖感をまったく感じ取っていないかのように。
人がものを集めるのは寂しさや恐怖を埋めたいと思っているからだと言われている。必要最低限のものしか置かない雫の部屋は孤独に対しての恐怖心や必要以上の人間関係の構築を必要としない、内面の表れのようだった。
「私、もっとドーナツ関連のグッズが置いてあると思っていた」
藍は隅に置かれていたチョコレート色のドーナツ型クッションを拾い上げる。
雫は物欲がないにもかかわらず、ドーナツに関しては異様なほどの執着を見せる。ドーナツを食している時、邪魔が入ると決まって不機嫌になる。普段、温厚な分それはあからさまにわかりやすかった。
ドーナツに固執している雫のことだから、ドーナツのグッズをいくらか収集しているものだと思っていた。しかし、何度も部屋を見回してもドーナツのグッズらしきものはドーナツのクッションしかない。
「だって、私にとってドーナツは飾るものでも集めるものじゃなくて食べるものだから」
雫はきっぱりと言い放った。
「すみません、調べるなら急いだほうがいいのでは?」
ドーナツのクッションを抱きしめながらきょろきょろと見回す藍に玖月は冷めた視線を向けた。
「ごめん、確かにな。最初はどうすればいいんだ?」
「じゃあ、まずは私の身体を調べてみよう」
雫は死体を指差した。
「ああ、わかった」
藍はクッションが置かれていた場所にそっと戻した。その時、隣の淡いピンクのテディベアに目が行く。古ぼけたテディベアなのか色が若干くすみ、所々にキズがついている。テディベアは壁にもたれ、安定して座った形になっている。若干傷んでいるがほこりは被っておらず、手入れもされているように見える。思考が大人びている雫が同性代の女子らしいぬいぐるみを一個でも大事に所持していたことを知り、微笑ましく思えた。
藍はポンとテディベアの頭に手を置き、立ち上がる。
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