冬の一陽

聿竹年萬

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少年期 大学入学~生活編

(N34)夜明け前

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 研究室には万年筆が紙面を掻く音ばかりが響いていた。魔石のカンテラに灯を頼りに夜更け過ぎてなお、フィンは師の万年筆でスクロールの作成に勤めていた。

 万年筆には過度の筆圧をかけてはならない。また人に貸してしまえば他人の書き癖がついてしまうから、貸し借りはご法度でもある。そのことを理解はしているが、スクロールを作るにあたっては構っている余裕はなかった。

 フィンはなるべく、師の万年筆の持ち方を真似して、姿勢も合わせて作業を進める。

「……ふう」

 フィンは一息つくと、万年筆にしっかりキャップして椅子から立ち上がった。体を伸ばすと妙に気持ちい。全身が凝り固まっていたようだった。
 キッチンまで足音をなるべく立てないように移動する途中、真ん中の部屋にだけある大窓、外はほの白く明るみ始めていた。

「朝か……」

 目が酷く痛む。夜を徹してしまったかと他人事のように感じる。

 フィンはキッチンまで行くと湯を沸かした。沸くのを待ちながらこの後の作業工程を考える。昼前には一通り完成する見込みだ。それを動作チェックして、納品して、念のため先方にも動作チェックしてもらい、これで問題が何もなければ万事解決である。

「……」

 万事解決するのでさるがフィンはまだ座りの悪さを胸に抱えていた。大丈夫だろうか。大丈夫だとは思うが、依頼人はドロシーの仕事を期待しているはずなのに、その弟子の手のスクロールが納品されればどのような顔をするだろうか。

「なんとかするしか、ないですよね」

 フィンは粉末コーヒーをカップに入れると熱湯をそこに注ぐ。最初の三杯目まではドリップしていたが途中から面倒くさくなって、粉末を避けて飲めばいいか、とこの形になっていた。胃が、焼けるようにじくじくするが、眠気だけはしっかりと飛ばしてくれるコーヒーの存在は有難かった。シロップもミルクも入れないで飲むコーヒーは苦くて仕方がなかったが、師と同じものを同じ味で飲んでいると思うと、少しだけ誇らしかった。いや、先生はカップに粉末コーヒーを直接入れたりはしないが。

 カップを片手に移動する。寝室からは静かな寝息が聞こえる。フィンは先ほどの自分の行状を思い返して恥ずかしさと申し訳なさを反芻する。キッチンに来るたびに同じように反芻するため、これで八度目の恐縮である。

 足早に書斎に戻りつつ、「また……」等と期待してしまう自分の不埒さに顔を赤くする少年は、少しばかり肩の荷を下ろせたかのように表情は明るかった。瞼は非常に重そうではあったが。

 しかし、とフィンは思う。同じ内容のスクロールを複数枚作る、というのは非常に心が疲れる。点画にはそれぞれ働きがあるので省略したりレイアウトを変更することはできないため、集中力を保ったまま同じ作業をとにかく繰り返すのだ。

 城下には印刷所があるのだが、使用するインクが特殊である都合から印刷機の使用ができないのである。金や白金よりも希少な魔力伝導性のある金属、ミスリルを微粒子化し、伝導性を損なわせない溶液と混ぜ合わせて作成する、ドロシーの開発した量産化もできないインクレシピである。

「ん……?」

 コーヒーの粉末が沈むのを待って上澄みを飲む。
 スクロールの点画の全てにそれぞれ働きがある。では余白は?
 フィンは何か思いつきそうになりながらも、疲労感と眠気に思考がままならない。

 とにかく今は、同じスクロールを同じ要領で同じ質で作る、というルーチンしかできそうになかった。疲れのある時は思考に精彩が宿らないのだと理解する。

「……僕は、弟子として先生の仕事を奪うくらいの気持ちでいなくてはいけなかったんだ」

 改めて口にすると、苦いものを飲みくだすような気持ちになった。「余計なことをしない」でいればミスはしないが、それはドロシーのためなんかではなく、自分の身しか考えていないなによりも寂しい考えだったとフィンは思った。

 フィンは万年筆を手に取ると蓋を開ける。インクを再度補充するとスクロールに改めて向かう。
 夜明けは近かった。
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