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第六話:目覚める才能と、皇帝の揺るぎない盾
しおりを挟むライナルト宰相の熱のこもった称賛は、私の心に温かい波紋を広げ続けていた。クラウヴェルトでは「無駄な知識」「女の道楽」と一蹴され続けた私の研究が、このヴァルエンデ帝国では国家の発展に寄与するほどの価値を持つと評価されている。
その事実は、長年私を覆っていた劣等感という名の厚い氷を、少しずつ溶かしていくようだった。
「エリアーナ様、もしよろしければ、後日、改めてあなた様の論文について、じっくりとお話を伺うお時間をいただけませんでしょうか? 特に、古代ルーン文字の解読と、それを用いた魔力増幅の術式については、我が国の魔術師団も大きな関心を寄せております」
ライナルト宰相の目は、少年のようにキラキラと輝いていた。その純粋な探究心と、私への敬意に満ちた眼差しに、私は自然と笑みを浮かべていた。
「ええ、もちろんですわ、ライナルト宰相。私でお役に立てることがあれば、喜んで。むしろ、私の方こそ、ヴァルエンデの進んだ魔導技術について、色々とご教授いただきたいと思っておりましたの」
「なんと! それは願ってもないお言葉! エリアーナ様の知識と、我が国の技術が融合すれば、あるいは……長年不可能とされてきた『完全なるエーテル制御』すら、夢ではないかもしれませんぞ!」
宰相の興奮は最高潮に達しているようだった。彼が口にした「完全なるエーテル制御」という言葉に、私の心も高鳴る。
それは、あらゆる魔術師が追い求める究極の目標であり、実現すれば世界のあり方そのものを変えてしまうほどの、禁断の領域とも言える技術だった。
(まさか……私が、そんな壮大な研究に関われる日が来るなんて……)
クラウヴェルトの片隅で、誰にも理解されずに孤独な研究を続けていた頃には、想像もできなかった未来。カイザー陛下が与えてくれたこの機会を、私は決して無駄にはしない。そう固く心に誓った。
「ふふ、どうやら話が弾んでいるようだな」
いつの間にか、カイザー陛下が私たちの会話に加わっていた。その表情は、先ほど宰相と対峙していた時の厳格さとは異なり、どこか満足げで、そして私に対する誇らしさのようなものさえ感じられた。
「陛下! エリアーナ様は、やはり我々が探し求めていた『賢者の石』そのものでございましたぞ! この方のお力があれば、ヴァルエンデはさらなる飛躍を遂げることができます!」
ライナルト宰相は、まるで自分の手柄のように胸を張ってカイザー陛下に報告する。その様子は、厳格な宰相というよりは、むしろ子供のようにも見えて微笑ましかった。
「うむ。俺も、そう信じている。だからこそ、エリアーナをヴァルエンデに連れてきたのだ。……ライナルト、エリアーナのための研究室と、必要な人員、そして予算は、惜しみなく提供しろ。彼女の才能を、最大限に活かせる環境を整えるのだ。これは、皇帝命令だ」
「ははっ! 身命を賭して!」
ライナルト宰相は、深々と頭を下げた。その声には、私への期待と、そしてカイザー陛下への揺るぎない忠誠が込められているのが分かった。
(皇帝命令……。そこまで、私を……)
カイザー陛下の、私に対する信頼と期待の大きさに、私の胸は熱くなった。もう、彼を疑う気持ちなど微塵もなかった。この人のためなら、私は自分の持つ全ての知識と力を捧げてもいい。
そう思えるほどに、彼の存在は、今の私にとって絶対的なものとなりつつあった。
「さて、エリアーナ。長旅の疲れもあるだろう。今日はもう休むといい。明日からは、お前の新しい生活が始まる。楽しみにしておけ」
カイザー陛下は、私の頭を優しく撫でると、ライナルト宰相と共に部屋を後にした。残された私は、しばらくの間、呆然とその場に立ち尽くしていた。あまりにも目まぐるしい展開に、頭が追いついていかない。
しかし、胸の奥で燃え始めた情熱の炎は、確かに本物だった。クラウヴェルトでは決して得られなかった、自分の才能を認められ、そしてそれを活かせる場所を与えられたという喜び。
それは、何物にも代えがたい、私にとって最高の贈り物だった。
(頑張らなくては……。カイザー陛下のためにも、そして、新しい自分自身のためにも……)
その夜、私は久しぶりに深い眠りについた。悪夢にうなされることもなく、ただ、温かく、そして希望に満ちた光に包まれているような、穏やかな眠りだった。
【一方、その頃――クラウヴェルト王国】
アルフォンス王子と聖女マリアベル襲撃事件の波紋は、クラウヴェルト王国内に急速に広がっていた。聖女の力の減衰という事実は、巧妙に隠蔽されてはいたものの、ティアラが奪われたという事実は隠しようがなく、民衆の間には不穏な噂が流れ始めていた。
「聖女様のティアラが盗まれたですって? なんてこと……あれは、我が国の守りの要なのに……」
「犯人は、一体どこのどいつなんだ……? ヴァルエンデの仕業ではないのか?」
「いや、待て。おかしいじゃないか。なぜ、王子と聖女様はご無事だったんだ? ティアラだけが狙われたなんて……何か裏があるに違いない」
様々な憶測が飛び交い、王宮内は疑心暗鬼に包まれていた。そして、その混乱の渦中にいたのが、アルフォンス王子その人だった。
「エリアーナはどこだ! エリアーナを呼んでこい! あの女がいれば……あの女の知識があれば、こんなことには……!」
アルフォンス王子は、自室で荒れ狂っていた。高価な調度品を叩き割り、侍従たちに当たり散らすその姿は、かつての冷静沈着な第一王子の面影などどこにもなかった。
「王子、お気を確かに! エリアーナ様は、既に追放された身。今さら呼び戻したところで……」
側近の騎士団長が必死になだめようとするが、アルフォンス王子の耳には届かない。
「うるさい! 黙れ! 全て貴様らが悪いのだ! あの時、エリアーナを追放するなどと進言しなければ……! そうだ、悪いのはエリアーナだ! あの女が、俺を見捨てたからだ! 俺の聖女を……俺の力を奪ったのは、あの女に違いない!」
支離滅裂な言葉を叫びながら、アルフォンス王子は床に崩れ落ち、子供のように泣きじゃくった。その姿は、哀れというよりも、むしろ滑稽でさえあった。彼にとって、エリアーナは都合のいい責任転嫁の対象でしかなく、彼女がどれほどの苦痛を味わってきたかなど、想像すらできないのだろう。
聖女マリアベルもまた、失われた力の大きさに絶望していた。以前のように、民衆の前で奇跡を起こすこともできず、ただ怯えることしかできない自分の無力さに打ち震えていた。彼女の周りからは、あれほどまでに彼女を崇拝していた取り巻きたちも、一人、また一人と姿を消し始めていた。失われた力の代償は、あまりにも大きかったのだ。
クラウヴェルト国王もまた、この事態に頭を抱えていた。ヴァルエンデ帝国との関係は悪化の一途を辿り、国内では不穏な動きが活発化し始めている。そして何よりも、聖女の力の減衰は、クラウヴェルトの国力そのものの低下を意味していた。
「……もはや、ヴァルエンデに頭を下げるしかないのか……? いや、しかし、それでは我が国の威信が……」
苦渋の決断を迫られる国王。しかし、彼にはもう、残された選択肢はほとんどなかった。エリアーナという「切り札」を自ら手放してしまった代償は、あまりにも大きすぎたのだ。
そして、そんなクラウヴェルトの混乱を、カイザー・フォン・ヴァルエンデは、全て計算ずくで見守っていた。
【ヴァルエンデ帝国・皇城の一室】
「――以上が、クラウヴェルト王国の現状でございます、陛下」
ライナルト宰相が、恭しく報告を終える。カイザー陛下は、窓の外に広がる帝都ヴァルハイトの夜景を見下ろしながら、静かにその報告を聞いていた。その表情は、いつものように冷静沈着で、感情の起伏を一切感じさせない。
「……ふん。アルフォンス王子も、随分と見下げ果てたものだな。だが、好都合だ。クラウヴェルトが内側から崩れてくれれば、我々が手を下すまでもない」
「はっ。全ては陛下の深謀遠慮の賜物。して、エリアーナ様はいかがでございましょうか?」
ライナルト宰相の問いに、カイザー陛下は初めて、その表情に微かな変化を見せた。それは、氷の仮面の下に隠された、確かな温もりと、そして深い愛情の光だった。
「……ああ。エリアーナは、俺が思っていた以上に聡明で、そして強い女だ。クラウヴェルトでの日々が、彼女から多くのものを奪ったが、その魂の輝きまでは奪えなかったようだ。ヴァルエンデでなら、彼女は必ずや、その才能を存分に開花させるだろう」
「それは、何よりでございます。エリアーナ様の知識は、我が国の魔導研究に、新たな光明をもたらすことでしょう」
「うむ。だが、ライナルト。エリアーナは、ヴァルエンデの道具ではない。彼女は、俺の……俺だけの光だ。そのことを、ゆめ忘れるな」
カイザー陛下の声には、絶対的な独占欲と、そしてエリアーナに対する揺るぎない守護の意志が込められていた。ライナルト宰相は、その言葉の重さを理解し、深々と頭を下げる。
「……肝に銘じます、陛下。エリアーナ様は、我がヴァルエンデ帝国にとっても、かけがえのない宝となることでしょう」
「そうだ。そして、その宝を傷つけようとする者が現れれば……」
カイザー陛下の蒼銀の瞳が、再び氷のような冷たさを取り戻した。
「――ヴァルエンデの皇帝として、この俺が、容赦なく全てを焼き尽くすまでだ」
その言葉は、絶対的な王者の宣言であり、そして、エリアーナという一人の女性に向けられた、究極の愛の誓いでもあった。
ヴァルエンデの夜空には、無数の星が輝いていた。その中で、ひときわ強く輝く一つの星があった。それは、まるで、これから始まるエリアーナの新しい人生を祝福しているかのようだった。
そして、その星の輝きは、遠く離れたクラウヴェルト王国で後悔と絶望に沈む者たちにとっては、あまりにも眩しく、そして残酷な光であったのかもしれない。
彼らが本当の意味で、自分たちが失ったものの大きさに気づくのは、もう少し、先のことになるだろう。そしてその時、彼らにはもう、いかなる選択肢も残されていないのだから。
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