「エリアーナ? ああ、あの穀潰しか」と蔑んだ元婚約者へ。今、私は氷帝陛下の隣で大陸一の幸せを掴んでいます。

椎名シナ

文字の大きさ
11 / 13

第十一話:過去からの手紙、仕組まれた悪意の罠

しおりを挟む

 父、クライネル公爵がヴァルエンデを去ってから数日。私の心は、ようやく穏やかさを取り戻しつつあった。カイザー陛下の変わらぬ庇護と、ライナルト宰相をはじめとするヴァルエンデの人々の温かい支援のおかげで、私は自分の研究に没頭し、充実した日々を送っていた。クラウヴェルトでの屈辱的な記憶は、まるで遠い悪夢のように薄れ始めていた。

 しかし、そんな平穏は、ある日、ライナルト宰相が私の研究室を訪れたことによって、突如として破られることになる。

「エリアーナ様、少々お時間をいただけますでしょうか。……先日、クライネル公爵がお帰りの際に、私にこれを……」

 宰相は、どこか複雑な表情を浮かべながら、一通の古びた羊皮紙の書簡を私に差し出した。その書簡には、クライネル公爵家の紋章ではなく、見慣れない、しかしどこか懐かしさを感じる奇妙な印章が施されている。

「これは……?」

「クライネル公爵曰く、『エリアーナがヴァルエンデに残ると決めた時に、これを渡してほしい』と……。そして、『これは、エリアーナ自身の過去に関わる、重要な手紙だ』とも仰っておりました」

 父からの、私自身の過去に関わる手紙……? 一体、何のことだろうか。私の過去など、クラウヴェルトで「無能」と蔑まれ続けた、思い出したくもない記憶しかないはずだ。

 訝しみながらも、私はその書簡を受け取り、震える手で封を開いた。羊皮紙には、インクの滲んだ、しかし力強い筆跡で、ある人物の名前が記されていた。

 ――ソフィア・フォン・クライネル。

 その名を見た瞬間、私の心臓が氷水で冷やされたかのように、ドクンと大きく脈打った。ソフィア……それは、私の実の母親の名前だった。私が物心つく前に亡くなったと聞かされていた、ほとんど記憶のない母。父は、母について多くを語ることはなく、私にとって母の存在は、まるで霞のかかった幻のようなものだった。

(お母様が……私に、手紙……?)

 信じられない思いで、私は書簡を読み進めた。そこには、私が今まで知らされていなかった、衝撃的な事実が綴られていたのだ。

『愛しいエリアーナへ。あなたがこの手紙を読む頃、私はもうこの世にいないでしょう。……いいえ、正確には、「この世から消された」後かもしれません。どうか、驚かないで聞いてください。あなたは、クライネル公爵家の血を引いてはいません。あなたは――ヴァルエンデ皇家の、正当な血を引く者なのです』

「なっ……!?」

 私は、思わず声を漏らした。ヴァルエンデ皇家の血を引く……? 私が? そんな馬鹿なことがあるはずがない。私は、クライネル公爵家の令嬢として育ってきたのだ。

 しかし、手紙はさらに衝撃的な内容を続けていた。

『あなたの本当の父親は、第三ヴァルエンデ皇子、アレクサンダー陛下。そして私は、かつてヴァルエンデ皇妃候補として、クラウヴェルトから人質同然に送られた存在でした。しかし、アレクサンダー陛下と私は真実の愛で結ばれ、あなたは、二つの大国が平和に手を取り合う未来を願って、秘密裏に生を受けたのです。……しかし、その愛は、両国の権力者たちによって引き裂かれました。アレクサンダー陛下は暗殺され、私はクラウヴェルトへ送り返され、そしてあなたは……クライネル公爵の実子として、偽りの人生を歩むことになったのです』

 頭が真っ白になった。私が……ヴァルエンデの皇女……? カイザー陛下の……いとこ……? 

 思考が、完全に停止する。あまりにも衝撃的な事実に、呼吸すらままならない。

『エリアーナ。あなたがこの事実を知る時、おそらく大きな混乱と苦しみに苛まれることでしょう。しかし、どうか覚えていてください。あなたは、決して孤独ではありません。あなたの血の中には、ヴァルエンデの誇り高き魂が流れています。そして、いつか必ず、あなたを理解し、愛してくれる人が現れるはずです。その時まで、どうか強く生きてください。……この手紙は、私の最後の願いであり、そして、あなたへの唯一の愛の証です』

 手紙は、そこで終わっていた。私は、ただ呆然と、その羊皮紙を握りしめることしかできなかった。これが……これが、私の本当の過去……?

「エリアーナ様……? 大丈夫でございますか……?」

 ライナルト宰相が、心配そうに私の顔を覗き込んでいる。私は、かろうじて彼に視線を向けた。

「宰相……これは……これは、本当に……?」

「……はい。クライネル公爵から、全てお聞きいたしました。ソフィア様は……亡くなられた先代第三皇子の、真の伴侶であらせられた、と。そして、あなた様こそが、皇子の唯一の忘れ形見である、と……」

 宰相の言葉は、母の手紙が紛れもない真実であることを裏付けていた。私は……ヴァルエンデの皇女……。

 その瞬間、研究室の扉が勢いよく開き、カイザー陛下が息を切らせて入ってきた。その表情は、いつもの冷静沈着さとは程遠く、焦りと、そして言いようのない不安に満ちていた。

「エリアーナッ! 無事か!? ライナルトから、クライネル公爵の書簡のことを聞いて……!」

 彼は、私の傍らに駆け寄ると、私の両肩を掴み、心配そうに私の顔を見つめた。その蒼銀の瞳が、不安げに揺れている。

「陛下……私は……」

 私は、何と言えばいいのか分からなかった。この衝撃的な事実を、彼にどう伝えればいいのだろうか。彼は、この事実を知ったら、私をどう思うのだろうか。

 しかし、カイザー陛下は、私の言葉を待たずに、私を強く抱きしめた。

「……良かった。無事で、本当に良かった……」

 彼の腕の中で、私はその温もりと、そして彼の心臓の力強い鼓動を感じていた。その瞬間、私は悟った。彼にとって、私がクライネル公爵家の令嬢であろうと、ヴァルエンデの皇女であろうと、そんなことは些細な問題なのだと。彼は、ただ、エリアーナという一人の女性を、心から愛してくれているのだと。

「陛下……私……私、お母様の手紙を……」

 私は、彼の胸の中で、嗚咽を漏らしながら、母の手紙の内容を途切れ途切れに伝えた。私の出生の秘密、父である先代皇子の暗殺、そして母の悲痛な願い。その全てを、カイザー陛下は黙って聞いてくれた。

 全てを話し終えた後、カイザー陛下は、私をそっと抱きしめたまま、静かに言った。

「……そうか。やはり、そうだったのか。……エリアーナ。俺は、お前が初めてヴァルエンデの地を踏んだ時から、どこか懐かしい、そして抗いがたい引力を感じていた。それは、血の繋がりがもたらす、魂の共鳴だったのかもしれんな」

 彼の言葉は、私の心を優しく包み込む。そうだ。私と彼は、血を分けたいとこ……いや、もっと複雑な、しかし確かな絆で結ばれているのだ。

「エリアーナ。お前がヴァルエンデの皇女であろうと、なかろうと、俺のお前に対する想いは、何一つ変わらない。いや……むしろ、この事実を知った今、俺は、お前を何としても守り抜かなければならないという使命感を、より一層強くしている」

 カイザー陛下の瞳には、揺るぎない決意の光が宿っていた。その光は、私の全ての不安を消し去り、未来への希望を与えてくれるかのようだった。

「だが、エリアーナ。この事実は、我々にとって、そしてヴァルエンデにとって、新たな火種となるかもしれん。クラウヴェルトは、この事実をどのように利用してくるか……」

 彼の言葉に、私はハッとした。そうだ。父がこの手紙を私に渡したということは、クラウヴェルト側も、この事実を既に知っているということだ。そして、彼らがこの情報を黙って見過ごすはずがない。

「陛下……父は……クラウヴェルトは、一体何を企んでいるのでしょうか……?」

「……おそらく、二つだ」

 カイザー陛下は、冷静に分析を始めた。

「一つは、お前がヴァルエンデ皇家の血を引くという事実を公表し、ヴァルエンデ帝国内に混乱を引き起こそうとすること。俺の治世に不満を持つ貴族たちが、お前を担ぎ上げ、内乱を誘発する可能性も否定できん」

「そ、そんな……!」

「そして、もう一つは……より悪質だが、あり得るやり方だ。お前を『ヴァルエンデの正当な皇位継承者』としてクラウヴェルトに迎え入れ、ヴァルエンデに対する外交カードとして利用しようとすること。あるいは……」

 そこで言葉を切ったカイザー陛下の表情が、険しく歪んだ。

「……お前を、アルフォンス王子と再び婚約させ、両国の血を混ぜ合わせることで、ヴァルエンデをクラウヴェルトの支配下に置こうとする……そんな馬鹿げた野望を抱いているのかもしれん」

 彼の言葉は、私に戦慄を覚えさせた。クラウヴェルトの王族たちが、そこまで浅はかで、そして卑劣な考えを持っているとは……。しかし、彼らのこれまでの行動を考えれば、十分にあり得る話だった。

「エリアーナ。どちらにしても、我々は先手を打たねばならん。クラウヴェルトの悪意の罠に、お前を巻き込ませるわけにはいかない」

 カイザー陛下の声には、絶対的な守護の意志が込められていた。

「ライナルト!」

「はっ!」

 いつの間にか、ライナルト宰相がカイザー陛下の背後に控えていた。その表情もまた、厳しいものだった。

「クラウヴェルトの動向を徹底的に監視しろ。そして、国内の不穏分子にも警戒を怠るな。エリアーナ様の身に何かあれば、ヴァルエンデの未来はないものと心得よ!」

「御意!」

 ライナルト宰相は、力強く頷き、迅速に部屋を後にした。彼の背中には、この国を、そして未来の皇后を守り抜くという、確固たる決意が感じられた。

 残された私とカイザー陛下は、しばらくの間、黙って見つめ合っていた。部屋の中には、重苦しい沈黙が漂っていたが、私たちの心は、不思議なほどに固く結びついているのを感じていた。

「陛下……私……何をすれば……」

「お前は、何もする必要はない、エリアーナ。ただ、俺のそばにいてくれればいい。そして、お前の才能を、思う存分発揮してくれればいい。他の全ては、この俺が片付ける。それが、ヴァルエンデ皇帝としての、そして……お前の兄としての、俺の役目だ」

 カイザー陛下は、そう言うと、私の手を強く握りしめた。その温かい手の感触が、私に勇気と力を与えてくれる。そうだ。私は、もう一人ではないのだ。この人と一緒なら、どんな困難にも立ち向かっていける。

 ◆

 ――しかし、その時、エリアーナはまだ知らなかった。クラウヴェルト王国の卑劣な罠が、既にヴァルエンデ帝国の心臓部にまで忍び寄っていることを。そして、エリアーナの過去の秘密が、思いもよらない形で、二人の運命を大きく揺るがすことになるということを。

 父、クライネル公爵が残した手紙は、単なる過去の暴露ではなかった。それは、巧妙に仕組まれた、悪意に満ちた罠の序章に過ぎなかったのだ。

 物語は、エリアーナとカイザー陛下を、さらなる試練へと誘おうとしていた。そして、その試練の先には、彼らの愛の真価が問われる、過酷な運命が待ち受けているのかもしれない――。

しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

【完結】不貞された私を責めるこの国はおかしい

春風由実
恋愛
婚約者が不貞をしたあげく、婚約破棄だと言ってきた。 そんな私がどうして議会に呼び出され糾弾される側なのでしょうか? 婚約者が不貞をしたのは私のせいで、 婚約破棄を命じられたのも私のせいですって? うふふ。面白いことを仰いますわね。 ※最終話まで毎日一話更新予定です。→3/27完結しました。 ※カクヨムにも投稿しています。

えっ「可愛いだけの無能な妹」って私のことですか?~自業自得で追放されたお姉様が戻ってきました。この人ぜんぜん反省してないんですけど~

村咲
恋愛
ずっと、国のために尽くしてきた。聖女として、王太子の婚約者として、ただ一人でこの国にはびこる瘴気を浄化してきた。 だけど国の人々も婚約者も、私ではなく妹を選んだ。瘴気を浄化する力もない、可愛いだけの無能な妹を。 私がいなくなればこの国は瘴気に覆いつくされ、荒れ果てた不毛の地となるとも知らず。 ……と思い込む、国外追放されたお姉様が戻ってきた。 しかも、なにを血迷ったか隣国の皇子なんてものまで引き連れて。 えっ、私が王太子殿下や国の人たちを誘惑した? 嘘でお姉様の悪評を立てた? いやいや、悪評が立ったのも追放されたのも、全部あなたの自業自得ですからね?

存在感のない聖女が姿を消した後 [完]

風龍佳乃
恋愛
聖女であるディアターナは 永く仕えた国を捨てた。 何故って? それは新たに現れた聖女が ヒロインだったから。 ディアターナは いつの日からか新聖女と比べられ 人々の心が離れていった事を悟った。 もう私の役目は終わったわ… 神託を受けたディアターナは 手紙を残して消えた。 残された国は天災に見舞われ てしまった。 しかし聖女は戻る事はなかった。 ディアターナは西帝国にて 初代聖女のコリーアンナに出会い 運命を切り開いて 自分自身の幸せをみつけるのだった。

婚約破棄の代償

nanahi
恋愛
「あの子を放って置けないんだ。ごめん。婚約はなかったことにしてほしい」 ある日突然、侯爵令嬢エバンジェリンは婚約者アダムスに一方的に婚約破棄される。破局に追い込んだのは婚約者の幼馴染メアリという平民の儚げな娘だった。 エバンジェリンを差し置いてアダムスとメアリはひと時の幸せに酔うが、婚約破棄の代償は想像以上に大きかった。

聖女になる道を選んだので 自分で幸せを見つけますね[完]

風龍佳乃
恋愛
公爵令嬢リディアは政略結婚で ハワードと一緒になったのだが 恋人であるケイティを優先させて リディアに屈辱的な態度を取っていた ハワードの子を宿したリディアだったが 彼の態度は相変わらずだ そして苦しんだリディアは決意する リディアは自ら薬を飲み 黄泉の世界で女神に出会った 神力を持っていた母そして アーリの神力を受け取り リディアは現聖女サーシャの助けを 借りながら新聖女として生きていく のだった

妹と婚約者が結婚したけど、縁を切ったから知りません

編端みどり
恋愛
妹は何でもわたくしの物を欲しがりますわ。両親、使用人、ドレス、アクセサリー、部屋、食事まで。 最後に取ったのは婚約者でした。 ありがとう妹。初めて貴方に取られてうれしいと思ったわ。

貴方もヒロインのところに行くのね? [完]

風龍佳乃
恋愛
元気で活発だったマデリーンは アカデミーに入学すると生活が一変し てしまった 友人となったサブリナはマデリーンと 仲良くなった男性を次々と奪っていき そしてマデリーンに愛を告白した バーレンまでもがサブリナと一緒に居た マデリーンは過去に決別して 隣国へと旅立ち新しい生活を送る。 そして帰国したマデリーンは 目を引く美しい蝶になっていた

【完結】死がふたりを分かつとも

杜野秋人
恋愛
「捕らえよ!この女は地下牢へでも入れておけ!」  私の命を受けて会場警護の任に就いていた騎士たちが動き出し、またたく間に驚く女を取り押さえる。そうして引っ立てられ連れ出される姿を見ながら、私は心の中だけでそっと安堵の息を吐く。  ああ、やった。  とうとうやり遂げた。  これでもう、彼女を脅かす悪役はいない。  私は晴れて、彼女を輝かしい未来へ進ませることができるんだ。 自分が前世で大ヒットしてTVアニメ化もされた、乙女ゲームの世界に転生していると気づいたのは6歳の時。以来、前世での最推しだった悪役令嬢を救うことが人生の指針になった。 彼女は、悪役令嬢は私の婚約者となる。そして学園の卒業パーティーで断罪され、どのルートを辿っても悲惨な最期を迎えてしまう。 それを回避する方法はただひとつ。本来なら初回クリア後でなければ解放されない“悪役令嬢ルート”に進んで、“逆ざまあ”でクリアするしかない。 やれるかどうか何とも言えない。 だがやらなければ彼女に待っているのは“死”だ。 だから彼女は、メイン攻略対象者の私が、必ず救う⸺! ◆男性(王子)主人公の乙女ゲーもの。主人公は転生者です。 詳しく設定を作ってないので、固有名詞はありません。 ◆全10話で完結予定。毎日1話ずつ投稿します。 1話あたり2000字〜3000字程度でサラッと読めます。 ◆公開初日から恋愛ランキング入りしました!ありがとうございます! ◆この物語は小説家になろうでも同時投稿します。

処理中です...