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王国滅亡編
第3話 無能参謀、裁きを下す
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夜明け前、霜が砦の石を薄く白くした。中庭の中央に杭が一本打たれ、縄はからりと鳴っている。縛られたガストン少将はまだ威儀を崩さず、唇だけが震えていた。
「王都の命令に逆らえば、貴様らは逆賊だ」
低いざわめき。民兵、農民、捕虜、そして兵。昨夜の粥で温められた腹の奥に、別の熱が灯っている。ヘルマン軍曹が列を捌き、エリアス少尉が証人を揃えた。
俺は胸壁から降り、杭の前に立つ。凍れた空気が舌を刺す。短く言う。
「罪状の読み上げからだ」
読み手が巻紙を開く。声は揺れない。
「一、兵糧横領。王都倉庫にて虚偽の帳簿を作り、差額を私す。二、捕虜の無断処刑。三、虚偽報告により現地の兵と民を飢えさせたこと」
群衆から抑えた唸りが漏れる。ガストンは鼻で笑った。
「帳簿などいくらでも書ける。王都の印が正だ。お前の印は泥だ」
俺は静かに指を組む。「陰陽結界〈オンミョウ・バリア〉」
白と黒の薄膜が中庭に満ち、倉の陰からもう一冊の帳簿が押し出された。改竄の痕が冬の裂け目のように走る。エリアスが示すと、兵の目が一斉に細くなった。
ガストンが叫ぶ。「逆賊の手品だ! 私を解け!」
その言葉と同時に、彼の取り巻きが三人、刃を抜いて跳ねた。群衆が悲鳴を飲み込むより速く、俺は足下へ符を投げる。
「風刃符陣〈ヴェントゥス・シギルム〉」
空気が格子になり、刃と柄をたやすくはじき飛ばした。兵が体勢を崩す。すかさず、空の上にもう一枚。
「幻兵陣列〈ファンタズマ・レギオン〉」
仮初めの兵が輪となって現れ、刃先を敵へ向ける。幻は触れられぬが、刃の影は心を切る。膝が土を打った。
ヘルマンが前に出て、現実の棍で男たちの手を砕く。「武器を置け」
俺はガストンへ視線を戻した。
「王都の命令はここまで届かない。届くのは、お前のしたことだけだ」
「軍務卿オルガンの命だ! 宰相ローデリヒの承認だ! 王国の権威に逆らうのか!」
「腐った権威は権威ではない。戦場では正しさが秩序だ」
掌を握り、雷の鎖を呼ぶ。「雷鎖拘束〈カデナ・トニトルス〉」
稲光が縄のように絡み、ガストンの四肢を杭へ打ち付けた。喉から獣じみた声が漏れる。
俺は民へ向き直り、短く宣する。
「兵も民も聞け。ここで断つ。横領者、偽証者、民を飢えさせた者を」
刃を請う声は多かった。俺は首を振る。「斧は不要だ」
白墨で空に円を描く。「断罪光輪〈ユーディキウム・アーレオラ〉」
薄い光の輪が落ち、触れた縄が静かに断たれる。次の輪で、ガストンの声が途切れた。血は少しも跳ねない。冬の息だけが白い。
沈黙のあと、胸甲を打つ拳の音が広がった。最初は一つ、次に十、やがて百。誰かが囁く。「……閣下」
その呼び名は、焚き火の火の粉のように広がっていった。
群衆の端から、粗末な修道衣の女が進み出た。マルティナ――昨日、粥を配った修道士だ。彼女は杭に残る淡い光の粒を見つめて、胸の前で指を組む。
「ここにあったのは怒りではなく、秩序です。私は見ました。罪と罰が、釣り合った瞬間を」
誰も口を挟まない。彼女は続ける。「書き記します。『砦は血を浴びずに裁いた』と。歌にして村々へ運びます」
「記録に“兵は背を撃たず、腹を満たした”も加えておけ」と俺は言った。「それが次の流血を減らす」
マルティナは深く頭を下げ、筆記具を取り出した。紙に触れる音が、冬の朝に針のように響く。
⸻
同刻、王都・白大理石の会議堂。銀の燭台が震え、影が円卓の縁を濃くする。
影鳩が卓上に落としたのは短い報。『監察官ガストン、辺境砦にて処刑』
宰相ローデリヒ・ヴァインハルトが杖を鳴らした。「逆賊だ。王国の権威を踏みにじった」
軍務卿オルガン・デュランは朱の判を握りしめ、唇を歪める。「討伐軍を三倍にせよ。辺境を塵に還す」
ハルトマン・グライフ大将が椅子を引き、立ち上がる。「総司令を拝命する。二万では足りぬ。三万を」
宰相の甥、クラウス・エッケルト中将が追従の笑みを浮かべた。「無能参謀の運はここまでですな」
兵站局ベルナール・ホルシュタイン大佐が帳簿を叩く。「兵糧は王都の倉で再配分。辺境供出を命じます」
ローデリヒは机に身を乗り出した。「聖堂の意見はどうだ」
聖堂付き司祭ユルゲンが立つ。白金の縁取りの衣、冷えた眼差し。「断罪は僭越。神の座を侵す」
「神は秩序を望む」とジークフリート。「飢えさせた者が罰を受けた――それが秩序だ」
「異端の兆しだ」とユルゲン。「“奇術”で民心を惑わす輩を放置すれば、王権は地に堕ちる」
「王権は既に地に堕ちている」とディートリヒ。「兵糧を抜いたのは誰だ」
場がざわめく。ベルナール大佐が声を荒げた。「軍を動かすには倉の鍵が要る! 規則だ!」
「鍵を持つ者が腹を満たすだけの規則は、規則ではない」と老将。
ローデリヒは杖を二度打った。「決は変わらぬ。討伐軍を動かし、砦を囲んで窒息させろ。聖堂は“異端糾問使”を派遣せよ」
ユルゲンは薄く笑った。「審問の火は、寒さを癒やしましょう」
拳が鳴った。老将ジークフリート・ランベルク伯だ。「軍律に照らせ。監察官が横領と虚偽報告を働いたなら、現地における断罪は正当だ」
「老いぼれの感傷だ」とローデリヒ。杖の先が石を叩く。「王国は測れるもので動く。測れぬ力に統治は委ねられない」
「測れぬからこそ戦果で見るのだ」ジークフリートは言い返す。「千で一万二千を退けた戦果を」
現場派のディートリヒ・クラウザー中佐が一歩進む。「砦は民を飢えさせず、捕虜に粥を与えた。兵の信はすでにあちら側に――」
「黙れ」オルガンが吐き捨てる。「兵は命令で動く」
「兵は腹で動く」とジークフリート。「腹を空かせた命令は、命令ではない」
円卓の周囲で罵声が交錯した。窓が閉じられ、空気は重く冷える。結論は速かった。「討伐軍、三万動員。総司令ハルトマン。副司令クラウス。治安軍よりヨハン少佐を付す。現地兵糧の没収を強化」
判は打たれ、蝋は冷えた。正義派の顔は少ない。だが目だけは消えない。
末席で、灰の目をしたハンス・グロース少佐が黙って数字を弾いた。勝つ側につく、それだけだ。王都の机は温かいが、兵の胃よりは冷たい。隣で王都騎士団のオスカー騎士長が拳を握る。「逆賊は斬る。それが騎士の務めだ」言葉は堅いが、揺れていた。書記は羽根ペンを震わせ、議事録に小さく『処刑』と記した。紙は重くなる。
⸻
砦。処刑台の杭は撤去され、土は丁寧に均された。血は流していない。ここを祈りの場所にするつもりはなかった。
エリアス少尉が歩み寄る。「……閣下。王都は必ず討伐軍を」
「来る。だから準備する」
俺は指で地図に点を置く。「ここに狼煙台を追加。“白嶺の道”は明日で半ばまで通す。影の橋は二本目。谷の入口に落石崩陣〈ルペス・カスカード〉の印を刻んでおけ」
俺は作戦卓に布告文を広げた。「本日より砦の軍律を改める。第一条、捕虜の処刑を禁ず。第二条、民の糧を徴さず。必要あれば労役と引換に報いる。第三条、戦利品は倉に集め、兵と民に等しく分配。第四条、嘘をついた者は、役目から外す」
兵と民の目が同じ色になっていく。言葉は剣より速い。剣は一人を殺すが、言葉は怨恨を殺す。
「工房班に伝えろ。稲光瓶を五十、震石を百。油布は二百。ロープは三千尋。釘は多いほど良い。杭は乾いた木、松脂を塗り焼き締めろ」
エリアスが矢継ぎ早に記す。「狼煙台には乾燥松葉、銅鈴二十、交代表は三日刻み」
最後に布告文へ印を押す。「この砦は白嶺堡(はくれいほ)と改める。守る名には、守る責が宿る」名は旗だ。旗は人を立たせる。
「よし。『歌』も配れ。“白嶺の道の歌”だ。子どもが覚えられる調子でな」
「はっ。兵站班は農具を徴用、根の編み橋を進めます。井戸には清浄結界を二重に」
「民の炊き出しは続けろ。捕虜は労役に回し、食わせて返せ。噂を運ぶ足は多いほど良い」
ヘルマン軍曹が鼻を鳴らした。「兵の胃袋は俺が見ますぜ」
「頼む」
焚き火の脇でヘルマンが民兵に背負い袋の詰め方を教える。「重いものは背に寄せろ。水袋は二つ、片方は塩水だ。足の皮は道具だ、甘やかすな」
些末に見えるこれらが軍を強くする。俺はそれを数字に置き換えるつもりはない。数字にすると、王都の机に似てしまうからだ。
夜、焚き火の輪が狭まり、火の粉が星に紛れる。俺は短く命じる。
「伝令、三つの言葉を刻め。“監察官を断罪”“砦は粥を与える”“白嶺の道が開く”。影鳩を飛ばせ。帝国の耳にも王都の耳にも同時に届かせろ」
情報は矢より速い。矢は一本、言葉は百。
静けさの中で、誰かが再び言った。「閣下」
その音は、戦太鼓より重く響いた。呼び名は軍を作る。軍は勝ち戦を作る。
空気の底を撫でるような足音がした。見張りが駆け上がってきて低く報せる。「西の街道に、旗多し。竜旗と王国旗の混ざり」
「来たな」俺は立ち上がる。「兵を起こすな。眠らせたまま、道だけを起こせ」
「道、ですか」
「道は軍だ。道があれば、俺たちは必ず勝つ」
火がぱちりと鳴った。東雲はまだ遠い。だが道は、もう地の下で目を開けている。
砦の裏の林で、根が土を編む音がした。「森喰契約〈コントラート・ダ・フロレスタ〉」の余波が、細い橋を二つ産む。渡して揺らし、子どもでも渡れるかを確かめる。砂丘の端では、偵察班が砂塵旋幕〈デゼルト・ヴェール〉の試験を繰り返していた。風は答える。今日も味方だ。
遠くで子どもの歌声が風に乗った。『白嶺の道を行け、腹は満ち、背は軽し』――それでいい。歌は軍令より早い。
⸻
王都。会議が終わった後の長い廊下で、クラウス中将が薄笑いを浮かべた。「無能は測れるから無能だ」
その背を、老将ジークフリートの視線が貫いた。彼は誰にも聞こえぬ声で呟く。「測れぬ者こそ、器の外にいる」
誰も答えない石の壁に、古い軍靴の音が響いた。やがてその音は, 遠い戦場へ混じっていく。
俺は門楼へ上がり、闇を指で刺す。「戦は明日からではない。もう始まっている。夜は味方だ。星も」
遠見台に薄い狼煙がひと筋。予定より早い合図だ。帝国の斥候が王国旗の列に寄り添っている。味方のふりをした敵――それでよい、噂は混ざるほど強くなる。
俺は砂盤に指を走らせる。「迎撃ではない。渋滞を作れ。狭窄で隊列を折り、背の補給を焦らせろ」印を置くたび、勝ち筋が線になっていく。
「兵を寝かせたまま、道具だけを動かせ。杭と縄と歌だ。殺すより先に、歩かせなくしろ。音を立てるな、音は恐怖を呼ぶ」
風が頷いた。兵の息も頷いた。勝ち戦は拾わない。作る。そして積む。王都が倒れるまで、何度でも。必ず
「王都の命令に逆らえば、貴様らは逆賊だ」
低いざわめき。民兵、農民、捕虜、そして兵。昨夜の粥で温められた腹の奥に、別の熱が灯っている。ヘルマン軍曹が列を捌き、エリアス少尉が証人を揃えた。
俺は胸壁から降り、杭の前に立つ。凍れた空気が舌を刺す。短く言う。
「罪状の読み上げからだ」
読み手が巻紙を開く。声は揺れない。
「一、兵糧横領。王都倉庫にて虚偽の帳簿を作り、差額を私す。二、捕虜の無断処刑。三、虚偽報告により現地の兵と民を飢えさせたこと」
群衆から抑えた唸りが漏れる。ガストンは鼻で笑った。
「帳簿などいくらでも書ける。王都の印が正だ。お前の印は泥だ」
俺は静かに指を組む。「陰陽結界〈オンミョウ・バリア〉」
白と黒の薄膜が中庭に満ち、倉の陰からもう一冊の帳簿が押し出された。改竄の痕が冬の裂け目のように走る。エリアスが示すと、兵の目が一斉に細くなった。
ガストンが叫ぶ。「逆賊の手品だ! 私を解け!」
その言葉と同時に、彼の取り巻きが三人、刃を抜いて跳ねた。群衆が悲鳴を飲み込むより速く、俺は足下へ符を投げる。
「風刃符陣〈ヴェントゥス・シギルム〉」
空気が格子になり、刃と柄をたやすくはじき飛ばした。兵が体勢を崩す。すかさず、空の上にもう一枚。
「幻兵陣列〈ファンタズマ・レギオン〉」
仮初めの兵が輪となって現れ、刃先を敵へ向ける。幻は触れられぬが、刃の影は心を切る。膝が土を打った。
ヘルマンが前に出て、現実の棍で男たちの手を砕く。「武器を置け」
俺はガストンへ視線を戻した。
「王都の命令はここまで届かない。届くのは、お前のしたことだけだ」
「軍務卿オルガンの命だ! 宰相ローデリヒの承認だ! 王国の権威に逆らうのか!」
「腐った権威は権威ではない。戦場では正しさが秩序だ」
掌を握り、雷の鎖を呼ぶ。「雷鎖拘束〈カデナ・トニトルス〉」
稲光が縄のように絡み、ガストンの四肢を杭へ打ち付けた。喉から獣じみた声が漏れる。
俺は民へ向き直り、短く宣する。
「兵も民も聞け。ここで断つ。横領者、偽証者、民を飢えさせた者を」
刃を請う声は多かった。俺は首を振る。「斧は不要だ」
白墨で空に円を描く。「断罪光輪〈ユーディキウム・アーレオラ〉」
薄い光の輪が落ち、触れた縄が静かに断たれる。次の輪で、ガストンの声が途切れた。血は少しも跳ねない。冬の息だけが白い。
沈黙のあと、胸甲を打つ拳の音が広がった。最初は一つ、次に十、やがて百。誰かが囁く。「……閣下」
その呼び名は、焚き火の火の粉のように広がっていった。
群衆の端から、粗末な修道衣の女が進み出た。マルティナ――昨日、粥を配った修道士だ。彼女は杭に残る淡い光の粒を見つめて、胸の前で指を組む。
「ここにあったのは怒りではなく、秩序です。私は見ました。罪と罰が、釣り合った瞬間を」
誰も口を挟まない。彼女は続ける。「書き記します。『砦は血を浴びずに裁いた』と。歌にして村々へ運びます」
「記録に“兵は背を撃たず、腹を満たした”も加えておけ」と俺は言った。「それが次の流血を減らす」
マルティナは深く頭を下げ、筆記具を取り出した。紙に触れる音が、冬の朝に針のように響く。
⸻
同刻、王都・白大理石の会議堂。銀の燭台が震え、影が円卓の縁を濃くする。
影鳩が卓上に落としたのは短い報。『監察官ガストン、辺境砦にて処刑』
宰相ローデリヒ・ヴァインハルトが杖を鳴らした。「逆賊だ。王国の権威を踏みにじった」
軍務卿オルガン・デュランは朱の判を握りしめ、唇を歪める。「討伐軍を三倍にせよ。辺境を塵に還す」
ハルトマン・グライフ大将が椅子を引き、立ち上がる。「総司令を拝命する。二万では足りぬ。三万を」
宰相の甥、クラウス・エッケルト中将が追従の笑みを浮かべた。「無能参謀の運はここまでですな」
兵站局ベルナール・ホルシュタイン大佐が帳簿を叩く。「兵糧は王都の倉で再配分。辺境供出を命じます」
ローデリヒは机に身を乗り出した。「聖堂の意見はどうだ」
聖堂付き司祭ユルゲンが立つ。白金の縁取りの衣、冷えた眼差し。「断罪は僭越。神の座を侵す」
「神は秩序を望む」とジークフリート。「飢えさせた者が罰を受けた――それが秩序だ」
「異端の兆しだ」とユルゲン。「“奇術”で民心を惑わす輩を放置すれば、王権は地に堕ちる」
「王権は既に地に堕ちている」とディートリヒ。「兵糧を抜いたのは誰だ」
場がざわめく。ベルナール大佐が声を荒げた。「軍を動かすには倉の鍵が要る! 規則だ!」
「鍵を持つ者が腹を満たすだけの規則は、規則ではない」と老将。
ローデリヒは杖を二度打った。「決は変わらぬ。討伐軍を動かし、砦を囲んで窒息させろ。聖堂は“異端糾問使”を派遣せよ」
ユルゲンは薄く笑った。「審問の火は、寒さを癒やしましょう」
拳が鳴った。老将ジークフリート・ランベルク伯だ。「軍律に照らせ。監察官が横領と虚偽報告を働いたなら、現地における断罪は正当だ」
「老いぼれの感傷だ」とローデリヒ。杖の先が石を叩く。「王国は測れるもので動く。測れぬ力に統治は委ねられない」
「測れぬからこそ戦果で見るのだ」ジークフリートは言い返す。「千で一万二千を退けた戦果を」
現場派のディートリヒ・クラウザー中佐が一歩進む。「砦は民を飢えさせず、捕虜に粥を与えた。兵の信はすでにあちら側に――」
「黙れ」オルガンが吐き捨てる。「兵は命令で動く」
「兵は腹で動く」とジークフリート。「腹を空かせた命令は、命令ではない」
円卓の周囲で罵声が交錯した。窓が閉じられ、空気は重く冷える。結論は速かった。「討伐軍、三万動員。総司令ハルトマン。副司令クラウス。治安軍よりヨハン少佐を付す。現地兵糧の没収を強化」
判は打たれ、蝋は冷えた。正義派の顔は少ない。だが目だけは消えない。
末席で、灰の目をしたハンス・グロース少佐が黙って数字を弾いた。勝つ側につく、それだけだ。王都の机は温かいが、兵の胃よりは冷たい。隣で王都騎士団のオスカー騎士長が拳を握る。「逆賊は斬る。それが騎士の務めだ」言葉は堅いが、揺れていた。書記は羽根ペンを震わせ、議事録に小さく『処刑』と記した。紙は重くなる。
⸻
砦。処刑台の杭は撤去され、土は丁寧に均された。血は流していない。ここを祈りの場所にするつもりはなかった。
エリアス少尉が歩み寄る。「……閣下。王都は必ず討伐軍を」
「来る。だから準備する」
俺は指で地図に点を置く。「ここに狼煙台を追加。“白嶺の道”は明日で半ばまで通す。影の橋は二本目。谷の入口に落石崩陣〈ルペス・カスカード〉の印を刻んでおけ」
俺は作戦卓に布告文を広げた。「本日より砦の軍律を改める。第一条、捕虜の処刑を禁ず。第二条、民の糧を徴さず。必要あれば労役と引換に報いる。第三条、戦利品は倉に集め、兵と民に等しく分配。第四条、嘘をついた者は、役目から外す」
兵と民の目が同じ色になっていく。言葉は剣より速い。剣は一人を殺すが、言葉は怨恨を殺す。
「工房班に伝えろ。稲光瓶を五十、震石を百。油布は二百。ロープは三千尋。釘は多いほど良い。杭は乾いた木、松脂を塗り焼き締めろ」
エリアスが矢継ぎ早に記す。「狼煙台には乾燥松葉、銅鈴二十、交代表は三日刻み」
最後に布告文へ印を押す。「この砦は白嶺堡(はくれいほ)と改める。守る名には、守る責が宿る」名は旗だ。旗は人を立たせる。
「よし。『歌』も配れ。“白嶺の道の歌”だ。子どもが覚えられる調子でな」
「はっ。兵站班は農具を徴用、根の編み橋を進めます。井戸には清浄結界を二重に」
「民の炊き出しは続けろ。捕虜は労役に回し、食わせて返せ。噂を運ぶ足は多いほど良い」
ヘルマン軍曹が鼻を鳴らした。「兵の胃袋は俺が見ますぜ」
「頼む」
焚き火の脇でヘルマンが民兵に背負い袋の詰め方を教える。「重いものは背に寄せろ。水袋は二つ、片方は塩水だ。足の皮は道具だ、甘やかすな」
些末に見えるこれらが軍を強くする。俺はそれを数字に置き換えるつもりはない。数字にすると、王都の机に似てしまうからだ。
夜、焚き火の輪が狭まり、火の粉が星に紛れる。俺は短く命じる。
「伝令、三つの言葉を刻め。“監察官を断罪”“砦は粥を与える”“白嶺の道が開く”。影鳩を飛ばせ。帝国の耳にも王都の耳にも同時に届かせろ」
情報は矢より速い。矢は一本、言葉は百。
静けさの中で、誰かが再び言った。「閣下」
その音は、戦太鼓より重く響いた。呼び名は軍を作る。軍は勝ち戦を作る。
空気の底を撫でるような足音がした。見張りが駆け上がってきて低く報せる。「西の街道に、旗多し。竜旗と王国旗の混ざり」
「来たな」俺は立ち上がる。「兵を起こすな。眠らせたまま、道だけを起こせ」
「道、ですか」
「道は軍だ。道があれば、俺たちは必ず勝つ」
火がぱちりと鳴った。東雲はまだ遠い。だが道は、もう地の下で目を開けている。
砦の裏の林で、根が土を編む音がした。「森喰契約〈コントラート・ダ・フロレスタ〉」の余波が、細い橋を二つ産む。渡して揺らし、子どもでも渡れるかを確かめる。砂丘の端では、偵察班が砂塵旋幕〈デゼルト・ヴェール〉の試験を繰り返していた。風は答える。今日も味方だ。
遠くで子どもの歌声が風に乗った。『白嶺の道を行け、腹は満ち、背は軽し』――それでいい。歌は軍令より早い。
⸻
王都。会議が終わった後の長い廊下で、クラウス中将が薄笑いを浮かべた。「無能は測れるから無能だ」
その背を、老将ジークフリートの視線が貫いた。彼は誰にも聞こえぬ声で呟く。「測れぬ者こそ、器の外にいる」
誰も答えない石の壁に、古い軍靴の音が響いた。やがてその音は, 遠い戦場へ混じっていく。
俺は門楼へ上がり、闇を指で刺す。「戦は明日からではない。もう始まっている。夜は味方だ。星も」
遠見台に薄い狼煙がひと筋。予定より早い合図だ。帝国の斥候が王国旗の列に寄り添っている。味方のふりをした敵――それでよい、噂は混ざるほど強くなる。
俺は砂盤に指を走らせる。「迎撃ではない。渋滞を作れ。狭窄で隊列を折り、背の補給を焦らせろ」印を置くたび、勝ち筋が線になっていく。
「兵を寝かせたまま、道具だけを動かせ。杭と縄と歌だ。殺すより先に、歩かせなくしろ。音を立てるな、音は恐怖を呼ぶ」
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基本スローライフを目指してます(笑)
※挿絵有りますが、自作です。
無断転載はしてません。
イラストは、あくまで私のイメージです
※当初恋愛無しで進めようと書いていましたが
少し趣向を変えて、
若干ですが恋愛有りになります。
※カクヨム、なろうでも公開しています
最低のEランクと追放されたけど、実はEXランクの無限増殖で最強でした。
MP
ファンタジー
高校2年の夏。
高木華音【男】は夏休みに入る前日のホームルーム中にクラスメイトと共に異世界にある帝国【ゼロムス】に魔王討伐の為に集団転移させれた。
地球人が異世界転移すると必ずDランクからAランクの固有スキルという世界に1人しか持てないレアスキルを授かるのだが、華音だけはEランク・【ムゲン】という存在しない最低ランクの固有スキルを授かったと、帝国により死の森へ捨てられる。
しかし、華音の授かった固有スキルはEXランクの無限増殖という最強のスキルだったが、本人は弱いと思い込み、死の森を生き抜く為に無双する。
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