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殺し屋、仕事帰りに推しの配信者と遭遇。
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都会の片隅──掃き溜めのような場所。
ジメジメとした暗闇には人影が少ない。仕事で訪れた俺には好都合だ。
「……」
廃ビルの上から地面を見下ろす。
ターゲットは予想通り一人で現れた。
スマホを開いて顔を確認する。
間違いない、今日の処分対象だ。
金にがめつく、人に対して情もない──ターゲットは何人にも恨まれていた。
今日の仕事を終えるだけで俺は3件分の報酬を手に入れることが出来る。
そうすればしばらく金に困らないだろう。
キョロキョロと左右を向くターゲットの背後にダッと降り立つ。
気付かれることなく後ろから首を絞め、ナイフで心臓を一突きする。
生死を確認する必要もない。確実に捉えた自信があった。
暗殺を得意とする殺し屋の俺は暗闇であればある程成功率が増す。
だから今回も間違いなく成功した。
ターゲットの心臓を貫き、尚且つ誰にも見られることはなかった。
人気のない時間に人気のない場所に呼び出したのだから当然だ。
金にがめついターゲットは金をちらつかせればすぐにしっぽを振って駆けつける。
適当に儲け話を吹っ掛けただけでこんなに暗い場所へ1人で来るのだから面白い。
自分が殺られることなど一切考えていないのだ。
あんなにも恨まれているのに。
「……」
とはいえただの殺し屋である俺にはそんな奴らの事情などどうでもいい。
仕事を終えて報酬を貰えれば何でも良いのだ。
依頼者に処分した旨を送ると3人共すぐに金を振り込んで来た。
今の時代、スマホひとつで依頼から振込まで全て出来るのだから便利になったものだ。
銀行にアクセスし、残高を確認すると間違いなく報酬が振り込まれていた。
いつもより高額の収入だ。
思わず口許が緩みそうになる。
いや、実際緩んでいたのだろう。そして浮かれていたのも事実だ。
プロの殺し屋としてあるまじき失態だがその時の俺はそれに気付くことが出来なかった。
だから、人がいることにすら気付けなかった。
ドンとぶつかって初めて人がいたことを認識する。
そもそもこんな暗い時間にこんな場所に人がいることの方が珍しい。
黒ハットの下から怪訝な顔で相手を覗き込んで──驚愕する。
「シキっ!?」
バッと口を押さえたがもう遅い。
その場で相手の名前を口にしたことは殺し屋人生最大の失態だ。
ぶつかった非礼を詫びて何事もなく去れば良かったのに。
それが出来なかったのには理由がある。
「え?俺のこと知ってるんですか?」
画面越しで見るのと変わらない顔と声。
むしろ実物は更に輝いて見えた。
「いや、その……」
何故ならその人は──毎日稼いだ金を全て貢いでいる最推しの配信者だったからだ。
「桜坂シキ」という名前の配信者を知ったのは半年前だった。
自分の好きなゲームの生配信をしている時にたまたま見掛けて訪れたのが切っ掛けだった。
淡いピンク色の髪にアイドル顔負けの容姿。
カッコイイというよりは可愛いという言葉の方が似合うかもしれない。
外見も然ることながら声も喋り方も自分の好みにピッタリだった。
今までそれなりに推している配信者はいたが「桜坂シキ」は別格だった。
出会った瞬間に衝撃を受けたのは初めてで。
「好きかもしれない」
配信を見始めて30分程度経った頃にはそんな想いが浮かんでいた。
所謂「ガチ恋」というやつだ。今までそんな感情は一切抱いたことがなかったのに。
シキの嬉しそうな顔を見ると自分まで嬉しくなる。
シキの悔しそうな顔を見ると自分も一緒に悔しくなる。
ゲームひとつで笑ったり怒ったり泣いたり──感情豊かなシキは見ていて飽きなかった。
その次の配信の時、シキが言った。
「そう言えば最近好きになってくれた子とかいるかな?いたらコメント頂戴ー!」
他の配信で滅多にコメントをしていなかった俺だがシキと喋るなら今だと思った。
投げ銭と共に「はい」と声を掛ける。
「えっ?1万円!?マジ?初コメさんが入れる金額じゃないっしょ!ありがとう!えっと……あああさん?待って待って!本当に名前これでいいの?絶対あだけでゲーム始めるタイプの人じゃん!でも逆にこういうとこでは目立つかもね。ありがとう、あああさん!」
シキは大喜びしてカメラに向かって笑顔を見せた。
その顔が可愛くて──俺は再び惚れてしまった。
それから俺は毎日シキの配信を見に行った。
シキは古いゲームから新しいゲームまで色んなゲームをプレイしていた。
知っているゲームも知らないゲームもあったが、シキがプレイしているだけでどれも楽しく思えた。
俺は定期的に投げ銭をしていて、毎回金額が大きいお陰か3日目で名前を覚えてもらうことが出来た。
「わー!あああさんありがとうございます!いつもこんなに入れてくれて嬉しいです」
ほぼ無言で高額の投げ銭を入れる俺をシキがどう思っているのか分からない。
ただお金を貰って嬉しくないわけがないと思う。
だから口下手でコミュ力が低い俺はとにかく投げ銭を入れることで応援しているつもりだった。
シキに貢いだ金が100万円を超えた頃、シキは「ご報告」という動画を投稿した。
その言葉があまりいい意味に働かないことを俺は知っていたし、動画を開くのが怖かった。
ガチ恋している自分的には結婚も辛いけれど何より引退してしまったらどうしようという思いが強かった。
今の俺にはシキだけが癒しで、シキに会えなくなってしまうのは辛い。
恐る恐る開いた動画は笑顔のシキから始まった。
「じゃーん!これ!見て見て!」
シキはそう言って画面にパソコンを映した。
「ずっと欲しいって言ってた新しいパソコン買いましたー!あとこれもこれも!」
パソコンの隣にマイクとヘッドホンを並べていく。
「これでもっとちゃんとした配信していけるよー!こうやって欲しかった物買えたのは皆のお陰なのでしっかりとご報告させて頂きました!タイトルで驚かせちゃってたらごめんね」
にししと少し意地悪く笑うシキは当然狙ってやっているのだろう。
そんな所も可愛いと思う。
動画の高評価ボタンを押してからパソコンを閉じた。
最悪の「ご報告」でなくて本当に良かった。
気持ちを切り替えて仕事のことを考える。
今日のターゲットは処分するだけで3人分の報酬を手に入れることが出来る案件だ。
報酬だけを楽しみに俺は仕事へ向かった。
──そして無事にターゲットを処分した所までは良かった。
まさかその帰り道で推しの配信者に会えるなど考えもしなかった。
先程動画で見たままのシキが目の前にいて──不思議そうな顔をしている。
「えーっと……もしかしてファンの方?」
「……人違いだった。すまない」
誤魔化すように歩き出すが、当然シキが納得するわけがない。
そもそもゲームをしている時もシキは気になることがあると答えが分かるまで解こうとするタイプだ。追求心が高い。
「待って待って!」
グイッと手を引っ張られる。思ったより強い力に少し驚く。
「絶対ファンの人じゃん!ちょっと待ってってば!」
「……何か?」
「こんなとこにいるなんてヤバい人?」
「それは君にも言えることでは?」
正直シキのようなキラキラとした人間にこの場所は全く似合わない。
こんな所にいる理由が全く分からなかった。
「うーん……俺は貴方を追い掛けてきたから」
「え?」
「ここの路地に入って行くのが見えて気になったんで」
シキはそれからニコッと大きな笑顔を見せて言った。
「どう見てもカタギじゃないですもんね?」
「……そう思って何で追い掛けてくる?」
「普通じゃない人に会ってみたかったので」
「殺されるかもしれないのに?」
「強さには自信あるんですよね」
それは動画で聞くよりもずっと強い声だった。
先程腕を掴まれた時にも思ったが確かにシキは見た目以上に強そうだ。
とはいえ一般人とそうでない者には大きな差がある。
聡明なシキがそれを理解出来ないとは思えない。
「……」
指摘しようとする俺に「あ、分かってますよ」とシキは言った。
「俺みたいな一般人じゃヤバい人には勝てないって言いたいんですよね?でもそれ前提が違うっていうか……」
「つまり一般人じゃない、と?」
「元、ですけどね。少し歩きながら話しません?」
俺に視線を向けたシキは軽くウインクをした。
断られないと分かっているのだろう。
「……分かった」
別に一緒に行く理由はなかった。
けれどやっぱりその顔がその声が──桜坂シキそのものが大好きな俺には拒否することなど出来なかった。
「違ったら申し訳ないんですけどネットであああって名前だったりしますか?」
近くの公園に着き、ベンチに座ってすぐにシキはそう言った。
何となく見破られる気がしていた俺は驚くこともなく頷いた。
「やっぱり!いつもありがとうございます。あああさんのおかげで俺、配信頑張れてるので」
「いつも無言で申し訳ない」
「いえいえ。喋るの苦手な方っていらっしゃいますから。無言でもお金投げてくれるってことは誰よりも応援してくれてるんだなって思いますし」
こくりと頷く。
殺し屋になってからまともに人と会話をしたことがない俺には上手くコミュニケーションが取れない。
相手が大好きな人なら尚更だ。
言葉少なに返す俺を気にした様子もなくシキは笑った。
「あああさんが好きになってくれたのって半年ぐらい前ですよね。俺、あの頃引退考えるぐらい凹んでる時期で。だから毎回大きな金額入れてくれるあああさんのお陰で続けられたんです。こんなに俺のこと応援してくれてる人がいるんだなって思えて」
「そんな風には見えなかった」
「俺、リアル隠すの上手いんですよ。だから配信中は全然そんな素振りなかったと思います。でも配信外では本当に弱ってました。ちょうど自分の周りでもいいことなかった時期だったんですよね」
「それはさっき言っていた元という言葉と繋がるのか?」
俺の小声の問いかけにシキは頷いた。
「察しがいいですね。その通りです。まぁ詳しく言ったらもっと前から繋がるんですけど。俺のこと話す前にあああさんのこと聞いてもいいですか?」
「俺のこと?」
「あああさんって殺し屋ですよね?」
「……」
どう答えていいか悩み黙り込む。
それをシキは肯定と捉えたようだった。
「すごい。殺し屋なんて初めて見ました」
「怖くないのか?」
「そうですね。今はどっちかって言うとワクワクしてます。あまりにも非現実的で」
シキは全く怖がる様子もなくまじまじと俺を見た。興味津々と言った顔で尋ねてくる。
「黒いハットに黒い衣装とか殺し屋のイメージ通りでいいですね。ホルスター下げてないし獲物はナイフですか?」
「そうだな。基本的にナイフしか使わない」
「俺は拳銃ばっかり使ってました。結構上手かったんですよ」
「殺し屋だったということか?」
とてもそうは見えないが、試しに尋ねてみるとシキは首を横に振った。
「違います。俺はマフィアっていうのかな。そっち系に所属してました。結構前に抜けたんですけど半年前に何故か掘り返されちゃったんですよ」
「成程」
「それで狙われたりして大変で。今は落ち着いたのでたまに狙われる程度になりました」
「今も狙われてるのか?」
「たまにですよ。配信中にヘマしたりしないので心配しないでください」
シキは笑って言うが心配に決まっている。
狙われているということは命が危ないということで──安全を考慮したら配信者をやめてしまうかもしれない。
それは俺としても困る。
「心配だ。それに配信者をやめて欲しくない」
「あああさんって本当にめちゃくちゃ推してくれるから嬉しいです」
「最推し超えてガチ恋の域だからな」
「……それ、告白ってやつじゃないですか」
照れ笑いを浮かべるシキを見て初めてそうかと気付く。
自分では告白をしたつもりはなかったけれど、そう捉えられてもおかしくないセリフだった。
「すまない。忘れてくれ」
「……じゃあ俺のことずっと守ってくれません?」
「守ることは容易いが近くにいる必要がある」
「だからそういう意味ですって。あああさんって察しいいのにこういう時は鈍感なんですね」
むうっと頬を膨らませつつもシキは楽しそうだった。
「つまり近くにいていいということか?」
「付き合いましょってことです!」
シキはそう言って俺に抱き着こうとした。
「ま、待て!血が!」
俺の服には先程刺殺したターゲットの血が付いているかもしれない。
そう思って身を引いたが、シキは構わず抱き着いてきた。
「いいです、別に。今抱き着きたいって思ったから」
「おい!」
シキは抱き締める腕に力を込めた。
強い力で抱き締められ、思わず抱き締め返してしまう。
誰かに抱き締められたことも誰かを抱き締めたことも初めてだ。
それはすごく──安心感のあるもののように思えた。
「ふふっ、なんかこういうのって幸せですね」
「……そうかもしれない」
「嬉しいですか?」
「まあ」
俺よりも背が低いシキはじっと見上げて言った。
「俺のこと好きなら付き合ってくれますよね?」
小首を傾げるあざとい姿にやられないわけがない。そして好きな人に言われて頷かないわけがない。
こくりと首肯した俺を見てシキは嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます!じゃ、俺の家教えるので行きましょう」
グイッと腕を引っ張られる。
あまりにも急激な展開についていけずにいるが、とりあえずシキの歩調に合わせて歩き出した。
聞きたいことは沢山ある。だが何から聞けばいいか分からない。
「何でも聞いてくれていいのに」
突然言われた言葉に驚き、ばっとシキに視線を向けた。
偶然なんてあるはずがない。
今、シキは確実に俺の思考を読んだ。
「驚かせてごめんなさい。その通りです。俺は一緒にいる相手の思考が読めます。例えるなら脳内にネットがある感じかな。ネットニュースみたいに相手の思考が並んでるんですけど……分かりにくいですかね」
「いや、噂は聞いたことがある」
仕事関連で少し前に広まった噂だ。
思考を読める人間がいるから気を付けろ、と。
思えばそれはシキのことだったのだろう。
裏社会に少しだけいたというシキなら噂になってもおかしくはない。
「なるべくバレないようにしてたんですけどバレちゃって。そしたら俺を欲しがる奴が増えたんです。そりゃマフィアとか命狙われるとこにいたら俺の能力欲しくなるだろうけど」
「それで狙われているのか」
「それもあります。殺したいのか攫いたいのかどっちなんでしょうね」
ククッと笑うシキは困っているようにも楽しそうにも見える。
どちらにしても自分が狙われているというのに楽観的のようにも感じられた。
その理由は何となく分かる。
だから思考を読まれる前に口にした。
「強いんだな、かなり」
「そうですね。否定しません」
見た目に反して力があると思っていたがそれだけではない。
シキは恐らく相当のやり手だ。本気を出したら俺などひとひねりだろう。
暗殺をするにも思考が読まれてしまうなら近付きにくい。そんな自分視点の解釈を進めていると手を握られた。
「あの……だからって狙わないでくださいね?」
「当然だ。俺はお前を守るためにいる」
「それと気になったんですけど俺の能力、気持ち悪いって思わないんですか?考えていることが読まれて口にする前から返答されるのって普通嫌がると思うんですが」
不安げに俺を見上げたシキは何度も辛い思いをしたのだろう。
だが俺は逆にその能力に助けられていた。
「気付いていると思うが俺は口下手で喋るのが得意ではない。だが考えることは出来る。自分の思いを言わずとも汲み取ってもらえるのは正直助かる。職業や気持ちがバレている以上、今更隠すことは何もないしな」
「……そんなこと初めて言われた。嬉しい」
笑うシキの目には軽く涙が浮かんでいた。
その能力の所為で苦労してきたのだということは想像にかたくない。
知りたくもない情報まで頭の中に羅列されていくのは疲労感をもたらすはずだ。
「だから配信者になったんです。寂しがりの俺が誰かといるにはこれしかなかった。ネットなら画面越しだから思考を読むこともなくて疲れないんです」
でも、とシキは続けた。
「今度は数字とか人気とか気にしなきゃいけなくなっちゃって。どっちにしても辛い状況になっちゃったんですよね。そんな時にあああさんが来て救ってくれたんです」
「俺は別に何も……」
「それが嬉しかったんです。何も言わずに投げ銭だけくれたことが俺にはめちゃくちゃ響いたっていうか。変かもしれないんですけど、その時の俺には言葉があるよりもずっと応援してくれてる気がして」
シキは握った手に力を込める。それだけでその言葉がいかに本気なのか伝わってきた気がした。
「ファンの人に怒られちゃいますよね、こんなこと言ったら。ただ当時の俺はそれぐらいギリギリでやってました。画面の外には見えないようにしながら」
「そうか。それは辛かっただろうな。月並みな言葉しか言えないが、そんな中で配信を続けていてくれたこと、感謝する」
「あああさんのお陰ですけどね。てか名前教えてください。ネット上ではいいんですけど流石にあああって名前で呼び続けるのはなぁって思うので」
ニコッと笑うシキの笑顔に負け、俺は小さなため息をついてから言った。
「……シキナ」
「え!?俺の名前に似てる」
「ああ。切っ掛けはそれだったから」
当時、俺が好きなゲームをやっている配信者は他にもいた。
その中で名前が似ているという理由でシキを選んだのだ。
殺し屋として生きるようになってからは誰にも名乗らなくなった名前で、今聞かれるまで失念していたぐらいだった。
「そうだったんですね。シキナってすごくいい名前。そう呼ばせてもらいます」
もう一度誰かにその名を呼ばれる日が来るなど思いもしなかった。
本名だというのに妙にくすぐったく感じられた。
「俺からも希望があるんだが、敬語はやめてくれ」
「あ、いいんですか?じゃあタメ語にするね。正直敬語苦手だから助かる」
タメ語になった瞬間、ますます画面越しのシキと重なった。
今、自分は推しと喋っているのだと突然実感が湧いてきた。
俺にとっては殺しの方が現実で、画面越しにいる推しと会話していることの方が非現実だ。
そんなことを考えていると案の定シキが笑った。
「シキナ、面白いこと考えてるね」
「事実だからな」
「今まで誰かと一緒にいるの疲れるって思ってたけど、シキナといるのはすごく楽しい」
それはきっと俺が思考を読まれることに対して嫌悪感を抱いていないからだろう。
それどころかむしろ読まれた方が楽だと思っているのだからシキにとっては初体験かもしれない。
思考を読まれることを快く思う人間の方が少ないはずだ。
「だからシキナと付き合えて良かった」
「……本当に俺と付き合うことにしていいのか?シキにはもっといい奴が見つかると思うんだが」
そもそも俺は殺し屋だ。シキと付き合ったとしてもそれをやめる気はない。
これからも依頼されれば躊躇なく暗殺しに行く。
声に出さず自分の思いを脳内に浮かべていくと、シキが俺の腕に抱きついた。
「勿論!殺し屋でも何でもシキナが好きだから!そもそも俺だってまともな人生歩んでないし。だって元マフィアの配信者だよ?普通じゃないでしょ」
「まぁな。元マフィアの頃に出会っていなくて良かった。殺していたかもしれない」
「言うねぇ。けど俺も負けてなかったと思うよ。異能持ちだしね」
キシシと意地悪く笑ったシキは鍵を回してドアを開けた。
いつの間にかシキの家に着いていたらしい。
「どうぞ」と当然のように中へと促すシキだったが、俺は首を振った。
「場所は分かったから大丈夫だ。外から護衛する」
「あー、もう護衛はいいや」
「は?」
「本当こういうとこは鈍いなぁ。一緒にいたいって意味!」
グイッと腕を引っ張られ、バランスを崩したところにキスをされる。
あまりにも自然な動きに一瞬何をされたのか気付かなかった。
数秒遅れて頬が火照る。
「ね?だから入って入って」
どんどんと身体を押される。
そこは画面越しに見ていたシキのスタジオそのもので軽く感動してしまった。
確か俺は今日、仕事をこなして3件分の報酬を得たことに喜んでいたはずだ。
それからあまりにも非現実的なことが起こり過ぎている。
推しに会って、話して、付き合って、キスして、同じ部屋にいるなんて。
「夢みたいだ」
「俺も夢みたいだよ。1番会いたかったファンに会えて、それが自分と同じ裏家業経験者で、しかも俺の能力に引かないでいてくれるなんてさ」
「こういうことがあるから人生は楽しいのかもしれないな」
「そうだね。今までで1番のサプライズかも。シキナのこと色々知りたいし、これから沢山教えてね」
「ああ、何でも答える」
数時間の出来事だとは思えないほど怒涛の展開だったが、シキの家に着いてやっと落ち着いた気がする。
一気に疲労感に襲われる。
「ありがと。シキナ、疲れてるだろうから休んで休んで」
「悪い」
「詳しくは明日聞くからさ」
ソファを借りて目を閉じる。
シキは隣に座ったようだ。ぎゅっと手を握られる。
人の体温を感じられることに泣きそうになってしまう。
1人で生きていけると思っていたが、本当はこうして誰かと一緒にいたかったのかもしれない。
『俺のどこが好き?』
一生懸命なところ。
『あー、ゲームとか?』
そうだな。ゲームしているのを見て好きになったから。けどトーク配信も一生懸命だよな。
『うん。一生懸命やってればリスナーさんに伝わると思ってたから』
伝わる。あと素直なところも好きだと思った。
『素直?そうかな?』
ゲームで泣いたり怒ったり。
『そこ、子供っぽいから自分では好きじゃないんだけどな』
可愛いと思う。それにそういうところが桜坂シキらしい。
『そ、そっか。なんか照れるな。客観的に言ってもらえることないから有難いし、また色々聞かせてね』
あぁ。俺で良ければ。
『シキナが1番俺のことわかってるだろうから』
新規ファンだけどな。
『熱心なのは伝わってくるから大丈夫』
そうか。それは良かった。
『じゃ、また明日ね。おやすみ』
おやすみ。
半分眠っていた俺はシキの質問にちゃんと答えられていたかわからない。
ただ、シキの能力はやっぱり有難いと思った。
言葉に出来ないことも全て読んでいってくれるから。
『ありがとう、シキナ』
涙交じりのシキの声が現実だったのかわからない。
だから俺も届くかわからない返事をした。
──こちらこそ、ありがとう。
シキに出会って、シキに貢ぐと決めたから俺の人生は意味を持ったのだと思う。
クズみたいな俺に生きる意味をくれたのは間違いなく桜坂シキだから。
恋人になっても変わらず高額投げ銭するし、世界一のファンでいさせて欲しい。
『何それ。最高過ぎるって』
大泣きして、けれど嬉しそうに笑うシキの声は俺には届かなかったけれど。
手と手で繋がった体温の暖かさだけは夢の中でもずっと感じていた。
だから信じられないけれど明日も俺は推しの配信者と一緒にいられるのだろう。
これからは恋人として──誰にも負けないぐらい推していくから。
ジメジメとした暗闇には人影が少ない。仕事で訪れた俺には好都合だ。
「……」
廃ビルの上から地面を見下ろす。
ターゲットは予想通り一人で現れた。
スマホを開いて顔を確認する。
間違いない、今日の処分対象だ。
金にがめつく、人に対して情もない──ターゲットは何人にも恨まれていた。
今日の仕事を終えるだけで俺は3件分の報酬を手に入れることが出来る。
そうすればしばらく金に困らないだろう。
キョロキョロと左右を向くターゲットの背後にダッと降り立つ。
気付かれることなく後ろから首を絞め、ナイフで心臓を一突きする。
生死を確認する必要もない。確実に捉えた自信があった。
暗殺を得意とする殺し屋の俺は暗闇であればある程成功率が増す。
だから今回も間違いなく成功した。
ターゲットの心臓を貫き、尚且つ誰にも見られることはなかった。
人気のない時間に人気のない場所に呼び出したのだから当然だ。
金にがめついターゲットは金をちらつかせればすぐにしっぽを振って駆けつける。
適当に儲け話を吹っ掛けただけでこんなに暗い場所へ1人で来るのだから面白い。
自分が殺られることなど一切考えていないのだ。
あんなにも恨まれているのに。
「……」
とはいえただの殺し屋である俺にはそんな奴らの事情などどうでもいい。
仕事を終えて報酬を貰えれば何でも良いのだ。
依頼者に処分した旨を送ると3人共すぐに金を振り込んで来た。
今の時代、スマホひとつで依頼から振込まで全て出来るのだから便利になったものだ。
銀行にアクセスし、残高を確認すると間違いなく報酬が振り込まれていた。
いつもより高額の収入だ。
思わず口許が緩みそうになる。
いや、実際緩んでいたのだろう。そして浮かれていたのも事実だ。
プロの殺し屋としてあるまじき失態だがその時の俺はそれに気付くことが出来なかった。
だから、人がいることにすら気付けなかった。
ドンとぶつかって初めて人がいたことを認識する。
そもそもこんな暗い時間にこんな場所に人がいることの方が珍しい。
黒ハットの下から怪訝な顔で相手を覗き込んで──驚愕する。
「シキっ!?」
バッと口を押さえたがもう遅い。
その場で相手の名前を口にしたことは殺し屋人生最大の失態だ。
ぶつかった非礼を詫びて何事もなく去れば良かったのに。
それが出来なかったのには理由がある。
「え?俺のこと知ってるんですか?」
画面越しで見るのと変わらない顔と声。
むしろ実物は更に輝いて見えた。
「いや、その……」
何故ならその人は──毎日稼いだ金を全て貢いでいる最推しの配信者だったからだ。
「桜坂シキ」という名前の配信者を知ったのは半年前だった。
自分の好きなゲームの生配信をしている時にたまたま見掛けて訪れたのが切っ掛けだった。
淡いピンク色の髪にアイドル顔負けの容姿。
カッコイイというよりは可愛いという言葉の方が似合うかもしれない。
外見も然ることながら声も喋り方も自分の好みにピッタリだった。
今までそれなりに推している配信者はいたが「桜坂シキ」は別格だった。
出会った瞬間に衝撃を受けたのは初めてで。
「好きかもしれない」
配信を見始めて30分程度経った頃にはそんな想いが浮かんでいた。
所謂「ガチ恋」というやつだ。今までそんな感情は一切抱いたことがなかったのに。
シキの嬉しそうな顔を見ると自分まで嬉しくなる。
シキの悔しそうな顔を見ると自分も一緒に悔しくなる。
ゲームひとつで笑ったり怒ったり泣いたり──感情豊かなシキは見ていて飽きなかった。
その次の配信の時、シキが言った。
「そう言えば最近好きになってくれた子とかいるかな?いたらコメント頂戴ー!」
他の配信で滅多にコメントをしていなかった俺だがシキと喋るなら今だと思った。
投げ銭と共に「はい」と声を掛ける。
「えっ?1万円!?マジ?初コメさんが入れる金額じゃないっしょ!ありがとう!えっと……あああさん?待って待って!本当に名前これでいいの?絶対あだけでゲーム始めるタイプの人じゃん!でも逆にこういうとこでは目立つかもね。ありがとう、あああさん!」
シキは大喜びしてカメラに向かって笑顔を見せた。
その顔が可愛くて──俺は再び惚れてしまった。
それから俺は毎日シキの配信を見に行った。
シキは古いゲームから新しいゲームまで色んなゲームをプレイしていた。
知っているゲームも知らないゲームもあったが、シキがプレイしているだけでどれも楽しく思えた。
俺は定期的に投げ銭をしていて、毎回金額が大きいお陰か3日目で名前を覚えてもらうことが出来た。
「わー!あああさんありがとうございます!いつもこんなに入れてくれて嬉しいです」
ほぼ無言で高額の投げ銭を入れる俺をシキがどう思っているのか分からない。
ただお金を貰って嬉しくないわけがないと思う。
だから口下手でコミュ力が低い俺はとにかく投げ銭を入れることで応援しているつもりだった。
シキに貢いだ金が100万円を超えた頃、シキは「ご報告」という動画を投稿した。
その言葉があまりいい意味に働かないことを俺は知っていたし、動画を開くのが怖かった。
ガチ恋している自分的には結婚も辛いけれど何より引退してしまったらどうしようという思いが強かった。
今の俺にはシキだけが癒しで、シキに会えなくなってしまうのは辛い。
恐る恐る開いた動画は笑顔のシキから始まった。
「じゃーん!これ!見て見て!」
シキはそう言って画面にパソコンを映した。
「ずっと欲しいって言ってた新しいパソコン買いましたー!あとこれもこれも!」
パソコンの隣にマイクとヘッドホンを並べていく。
「これでもっとちゃんとした配信していけるよー!こうやって欲しかった物買えたのは皆のお陰なのでしっかりとご報告させて頂きました!タイトルで驚かせちゃってたらごめんね」
にししと少し意地悪く笑うシキは当然狙ってやっているのだろう。
そんな所も可愛いと思う。
動画の高評価ボタンを押してからパソコンを閉じた。
最悪の「ご報告」でなくて本当に良かった。
気持ちを切り替えて仕事のことを考える。
今日のターゲットは処分するだけで3人分の報酬を手に入れることが出来る案件だ。
報酬だけを楽しみに俺は仕事へ向かった。
──そして無事にターゲットを処分した所までは良かった。
まさかその帰り道で推しの配信者に会えるなど考えもしなかった。
先程動画で見たままのシキが目の前にいて──不思議そうな顔をしている。
「えーっと……もしかしてファンの方?」
「……人違いだった。すまない」
誤魔化すように歩き出すが、当然シキが納得するわけがない。
そもそもゲームをしている時もシキは気になることがあると答えが分かるまで解こうとするタイプだ。追求心が高い。
「待って待って!」
グイッと手を引っ張られる。思ったより強い力に少し驚く。
「絶対ファンの人じゃん!ちょっと待ってってば!」
「……何か?」
「こんなとこにいるなんてヤバい人?」
「それは君にも言えることでは?」
正直シキのようなキラキラとした人間にこの場所は全く似合わない。
こんな所にいる理由が全く分からなかった。
「うーん……俺は貴方を追い掛けてきたから」
「え?」
「ここの路地に入って行くのが見えて気になったんで」
シキはそれからニコッと大きな笑顔を見せて言った。
「どう見てもカタギじゃないですもんね?」
「……そう思って何で追い掛けてくる?」
「普通じゃない人に会ってみたかったので」
「殺されるかもしれないのに?」
「強さには自信あるんですよね」
それは動画で聞くよりもずっと強い声だった。
先程腕を掴まれた時にも思ったが確かにシキは見た目以上に強そうだ。
とはいえ一般人とそうでない者には大きな差がある。
聡明なシキがそれを理解出来ないとは思えない。
「……」
指摘しようとする俺に「あ、分かってますよ」とシキは言った。
「俺みたいな一般人じゃヤバい人には勝てないって言いたいんですよね?でもそれ前提が違うっていうか……」
「つまり一般人じゃない、と?」
「元、ですけどね。少し歩きながら話しません?」
俺に視線を向けたシキは軽くウインクをした。
断られないと分かっているのだろう。
「……分かった」
別に一緒に行く理由はなかった。
けれどやっぱりその顔がその声が──桜坂シキそのものが大好きな俺には拒否することなど出来なかった。
「違ったら申し訳ないんですけどネットであああって名前だったりしますか?」
近くの公園に着き、ベンチに座ってすぐにシキはそう言った。
何となく見破られる気がしていた俺は驚くこともなく頷いた。
「やっぱり!いつもありがとうございます。あああさんのおかげで俺、配信頑張れてるので」
「いつも無言で申し訳ない」
「いえいえ。喋るの苦手な方っていらっしゃいますから。無言でもお金投げてくれるってことは誰よりも応援してくれてるんだなって思いますし」
こくりと頷く。
殺し屋になってからまともに人と会話をしたことがない俺には上手くコミュニケーションが取れない。
相手が大好きな人なら尚更だ。
言葉少なに返す俺を気にした様子もなくシキは笑った。
「あああさんが好きになってくれたのって半年ぐらい前ですよね。俺、あの頃引退考えるぐらい凹んでる時期で。だから毎回大きな金額入れてくれるあああさんのお陰で続けられたんです。こんなに俺のこと応援してくれてる人がいるんだなって思えて」
「そんな風には見えなかった」
「俺、リアル隠すの上手いんですよ。だから配信中は全然そんな素振りなかったと思います。でも配信外では本当に弱ってました。ちょうど自分の周りでもいいことなかった時期だったんですよね」
「それはさっき言っていた元という言葉と繋がるのか?」
俺の小声の問いかけにシキは頷いた。
「察しがいいですね。その通りです。まぁ詳しく言ったらもっと前から繋がるんですけど。俺のこと話す前にあああさんのこと聞いてもいいですか?」
「俺のこと?」
「あああさんって殺し屋ですよね?」
「……」
どう答えていいか悩み黙り込む。
それをシキは肯定と捉えたようだった。
「すごい。殺し屋なんて初めて見ました」
「怖くないのか?」
「そうですね。今はどっちかって言うとワクワクしてます。あまりにも非現実的で」
シキは全く怖がる様子もなくまじまじと俺を見た。興味津々と言った顔で尋ねてくる。
「黒いハットに黒い衣装とか殺し屋のイメージ通りでいいですね。ホルスター下げてないし獲物はナイフですか?」
「そうだな。基本的にナイフしか使わない」
「俺は拳銃ばっかり使ってました。結構上手かったんですよ」
「殺し屋だったということか?」
とてもそうは見えないが、試しに尋ねてみるとシキは首を横に振った。
「違います。俺はマフィアっていうのかな。そっち系に所属してました。結構前に抜けたんですけど半年前に何故か掘り返されちゃったんですよ」
「成程」
「それで狙われたりして大変で。今は落ち着いたのでたまに狙われる程度になりました」
「今も狙われてるのか?」
「たまにですよ。配信中にヘマしたりしないので心配しないでください」
シキは笑って言うが心配に決まっている。
狙われているということは命が危ないということで──安全を考慮したら配信者をやめてしまうかもしれない。
それは俺としても困る。
「心配だ。それに配信者をやめて欲しくない」
「あああさんって本当にめちゃくちゃ推してくれるから嬉しいです」
「最推し超えてガチ恋の域だからな」
「……それ、告白ってやつじゃないですか」
照れ笑いを浮かべるシキを見て初めてそうかと気付く。
自分では告白をしたつもりはなかったけれど、そう捉えられてもおかしくないセリフだった。
「すまない。忘れてくれ」
「……じゃあ俺のことずっと守ってくれません?」
「守ることは容易いが近くにいる必要がある」
「だからそういう意味ですって。あああさんって察しいいのにこういう時は鈍感なんですね」
むうっと頬を膨らませつつもシキは楽しそうだった。
「つまり近くにいていいということか?」
「付き合いましょってことです!」
シキはそう言って俺に抱き着こうとした。
「ま、待て!血が!」
俺の服には先程刺殺したターゲットの血が付いているかもしれない。
そう思って身を引いたが、シキは構わず抱き着いてきた。
「いいです、別に。今抱き着きたいって思ったから」
「おい!」
シキは抱き締める腕に力を込めた。
強い力で抱き締められ、思わず抱き締め返してしまう。
誰かに抱き締められたことも誰かを抱き締めたことも初めてだ。
それはすごく──安心感のあるもののように思えた。
「ふふっ、なんかこういうのって幸せですね」
「……そうかもしれない」
「嬉しいですか?」
「まあ」
俺よりも背が低いシキはじっと見上げて言った。
「俺のこと好きなら付き合ってくれますよね?」
小首を傾げるあざとい姿にやられないわけがない。そして好きな人に言われて頷かないわけがない。
こくりと首肯した俺を見てシキは嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます!じゃ、俺の家教えるので行きましょう」
グイッと腕を引っ張られる。
あまりにも急激な展開についていけずにいるが、とりあえずシキの歩調に合わせて歩き出した。
聞きたいことは沢山ある。だが何から聞けばいいか分からない。
「何でも聞いてくれていいのに」
突然言われた言葉に驚き、ばっとシキに視線を向けた。
偶然なんてあるはずがない。
今、シキは確実に俺の思考を読んだ。
「驚かせてごめんなさい。その通りです。俺は一緒にいる相手の思考が読めます。例えるなら脳内にネットがある感じかな。ネットニュースみたいに相手の思考が並んでるんですけど……分かりにくいですかね」
「いや、噂は聞いたことがある」
仕事関連で少し前に広まった噂だ。
思考を読める人間がいるから気を付けろ、と。
思えばそれはシキのことだったのだろう。
裏社会に少しだけいたというシキなら噂になってもおかしくはない。
「なるべくバレないようにしてたんですけどバレちゃって。そしたら俺を欲しがる奴が増えたんです。そりゃマフィアとか命狙われるとこにいたら俺の能力欲しくなるだろうけど」
「それで狙われているのか」
「それもあります。殺したいのか攫いたいのかどっちなんでしょうね」
ククッと笑うシキは困っているようにも楽しそうにも見える。
どちらにしても自分が狙われているというのに楽観的のようにも感じられた。
その理由は何となく分かる。
だから思考を読まれる前に口にした。
「強いんだな、かなり」
「そうですね。否定しません」
見た目に反して力があると思っていたがそれだけではない。
シキは恐らく相当のやり手だ。本気を出したら俺などひとひねりだろう。
暗殺をするにも思考が読まれてしまうなら近付きにくい。そんな自分視点の解釈を進めていると手を握られた。
「あの……だからって狙わないでくださいね?」
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「……そんなこと初めて言われた。嬉しい」
笑うシキの目には軽く涙が浮かんでいた。
その能力の所為で苦労してきたのだということは想像にかたくない。
知りたくもない情報まで頭の中に羅列されていくのは疲労感をもたらすはずだ。
「だから配信者になったんです。寂しがりの俺が誰かといるにはこれしかなかった。ネットなら画面越しだから思考を読むこともなくて疲れないんです」
でも、とシキは続けた。
「今度は数字とか人気とか気にしなきゃいけなくなっちゃって。どっちにしても辛い状況になっちゃったんですよね。そんな時にあああさんが来て救ってくれたんです」
「俺は別に何も……」
「それが嬉しかったんです。何も言わずに投げ銭だけくれたことが俺にはめちゃくちゃ響いたっていうか。変かもしれないんですけど、その時の俺には言葉があるよりもずっと応援してくれてる気がして」
シキは握った手に力を込める。それだけでその言葉がいかに本気なのか伝わってきた気がした。
「ファンの人に怒られちゃいますよね、こんなこと言ったら。ただ当時の俺はそれぐらいギリギリでやってました。画面の外には見えないようにしながら」
「そうか。それは辛かっただろうな。月並みな言葉しか言えないが、そんな中で配信を続けていてくれたこと、感謝する」
「あああさんのお陰ですけどね。てか名前教えてください。ネット上ではいいんですけど流石にあああって名前で呼び続けるのはなぁって思うので」
ニコッと笑うシキの笑顔に負け、俺は小さなため息をついてから言った。
「……シキナ」
「え!?俺の名前に似てる」
「ああ。切っ掛けはそれだったから」
当時、俺が好きなゲームをやっている配信者は他にもいた。
その中で名前が似ているという理由でシキを選んだのだ。
殺し屋として生きるようになってからは誰にも名乗らなくなった名前で、今聞かれるまで失念していたぐらいだった。
「そうだったんですね。シキナってすごくいい名前。そう呼ばせてもらいます」
もう一度誰かにその名を呼ばれる日が来るなど思いもしなかった。
本名だというのに妙にくすぐったく感じられた。
「俺からも希望があるんだが、敬語はやめてくれ」
「あ、いいんですか?じゃあタメ語にするね。正直敬語苦手だから助かる」
タメ語になった瞬間、ますます画面越しのシキと重なった。
今、自分は推しと喋っているのだと突然実感が湧いてきた。
俺にとっては殺しの方が現実で、画面越しにいる推しと会話していることの方が非現実だ。
そんなことを考えていると案の定シキが笑った。
「シキナ、面白いこと考えてるね」
「事実だからな」
「今まで誰かと一緒にいるの疲れるって思ってたけど、シキナといるのはすごく楽しい」
それはきっと俺が思考を読まれることに対して嫌悪感を抱いていないからだろう。
それどころかむしろ読まれた方が楽だと思っているのだからシキにとっては初体験かもしれない。
思考を読まれることを快く思う人間の方が少ないはずだ。
「だからシキナと付き合えて良かった」
「……本当に俺と付き合うことにしていいのか?シキにはもっといい奴が見つかると思うんだが」
そもそも俺は殺し屋だ。シキと付き合ったとしてもそれをやめる気はない。
これからも依頼されれば躊躇なく暗殺しに行く。
声に出さず自分の思いを脳内に浮かべていくと、シキが俺の腕に抱きついた。
「勿論!殺し屋でも何でもシキナが好きだから!そもそも俺だってまともな人生歩んでないし。だって元マフィアの配信者だよ?普通じゃないでしょ」
「まぁな。元マフィアの頃に出会っていなくて良かった。殺していたかもしれない」
「言うねぇ。けど俺も負けてなかったと思うよ。異能持ちだしね」
キシシと意地悪く笑ったシキは鍵を回してドアを開けた。
いつの間にかシキの家に着いていたらしい。
「どうぞ」と当然のように中へと促すシキだったが、俺は首を振った。
「場所は分かったから大丈夫だ。外から護衛する」
「あー、もう護衛はいいや」
「は?」
「本当こういうとこは鈍いなぁ。一緒にいたいって意味!」
グイッと腕を引っ張られ、バランスを崩したところにキスをされる。
あまりにも自然な動きに一瞬何をされたのか気付かなかった。
数秒遅れて頬が火照る。
「ね?だから入って入って」
どんどんと身体を押される。
そこは画面越しに見ていたシキのスタジオそのもので軽く感動してしまった。
確か俺は今日、仕事をこなして3件分の報酬を得たことに喜んでいたはずだ。
それからあまりにも非現実的なことが起こり過ぎている。
推しに会って、話して、付き合って、キスして、同じ部屋にいるなんて。
「夢みたいだ」
「俺も夢みたいだよ。1番会いたかったファンに会えて、それが自分と同じ裏家業経験者で、しかも俺の能力に引かないでいてくれるなんてさ」
「こういうことがあるから人生は楽しいのかもしれないな」
「そうだね。今までで1番のサプライズかも。シキナのこと色々知りたいし、これから沢山教えてね」
「ああ、何でも答える」
数時間の出来事だとは思えないほど怒涛の展開だったが、シキの家に着いてやっと落ち着いた気がする。
一気に疲労感に襲われる。
「ありがと。シキナ、疲れてるだろうから休んで休んで」
「悪い」
「詳しくは明日聞くからさ」
ソファを借りて目を閉じる。
シキは隣に座ったようだ。ぎゅっと手を握られる。
人の体温を感じられることに泣きそうになってしまう。
1人で生きていけると思っていたが、本当はこうして誰かと一緒にいたかったのかもしれない。
『俺のどこが好き?』
一生懸命なところ。
『あー、ゲームとか?』
そうだな。ゲームしているのを見て好きになったから。けどトーク配信も一生懸命だよな。
『うん。一生懸命やってればリスナーさんに伝わると思ってたから』
伝わる。あと素直なところも好きだと思った。
『素直?そうかな?』
ゲームで泣いたり怒ったり。
『そこ、子供っぽいから自分では好きじゃないんだけどな』
可愛いと思う。それにそういうところが桜坂シキらしい。
『そ、そっか。なんか照れるな。客観的に言ってもらえることないから有難いし、また色々聞かせてね』
あぁ。俺で良ければ。
『シキナが1番俺のことわかってるだろうから』
新規ファンだけどな。
『熱心なのは伝わってくるから大丈夫』
そうか。それは良かった。
『じゃ、また明日ね。おやすみ』
おやすみ。
半分眠っていた俺はシキの質問にちゃんと答えられていたかわからない。
ただ、シキの能力はやっぱり有難いと思った。
言葉に出来ないことも全て読んでいってくれるから。
『ありがとう、シキナ』
涙交じりのシキの声が現実だったのかわからない。
だから俺も届くかわからない返事をした。
──こちらこそ、ありがとう。
シキに出会って、シキに貢ぐと決めたから俺の人生は意味を持ったのだと思う。
クズみたいな俺に生きる意味をくれたのは間違いなく桜坂シキだから。
恋人になっても変わらず高額投げ銭するし、世界一のファンでいさせて欲しい。
『何それ。最高過ぎるって』
大泣きして、けれど嬉しそうに笑うシキの声は俺には届かなかったけれど。
手と手で繋がった体温の暖かさだけは夢の中でもずっと感じていた。
だから信じられないけれど明日も俺は推しの配信者と一緒にいられるのだろう。
これからは恋人として──誰にも負けないぐらい推していくから。
10
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