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第二章 月の国
2-24
しおりを挟むウィルフリードとのデート(仮)から二日。週が明け、出勤のために結慧は朝の道を歩いていた。
テイクアウトしたコーヒーで指先を暖めながら、まだ人もまばらな道を行く。もう一本向こうまで行けば大通り。まだ時間が早いけれど、それなりに人が歩いている。もう少し経てば通勤ラッシュ。そうなれば一気に人が増えていく。
「あ!結慧さぁん」
「あら、陽菜ちゃん。おはよう」
向かいからやってきたのは陽菜だった。今日も純白のひらひらふわふわ聖女服。目立つことこの上ない。
「一人?あのひとたちは?」
「あたし早く起きちゃって~、みんなまだ寝てたから一人でお散歩してたの」
そうなの、と適当な相槌を打つ。陽菜はどこか行くあてがあったわけではないらしく、結慧の隣に並んで歩きだした。
「それコーヒー?いいなぁ」
「買いに行ったら?あっちにあるわよ」
「ひとくちちょうだい」
「これブラックよ」
「じゃあいらなぁい」
嘘だ。いつもはブラックで飲むけど、今日の気分はカフェオレだった。砂糖はひとつ。蓋をしてあるから分からない。
陽菜はあっさり引き下がって、最近あったことをたらたらと話し出した。コーヒーのことはもう頭から抜けたようだ。聖女ご一行様の彼らや、触手に巻き付かれた人たちであれば陽菜のために戻ってコーヒーを買い与えるのだろうが、結慧はそんなこと絶対にしない。魅了にかかった人たちにとっては結慧のその態度が気に食わないらしい。知ったことじゃないけど。
結慧は、陽菜のことは別に嫌いではない。
好きかと言われれば好きではないし、平時であれば積極的に自分から関わりたいとは思わないけれど。
苦手なのは、陽菜の魅了にかかった人たちだ。
陽菜のことを全肯定して何でも言うことを聞くというのは、こちらに害がないのなら好きにすればいい。でも無条件でこちらを攻撃してくるのは如何なものか。それも陽菜の能力のひとつらしいから、彼らを悪く言うのはお門違いかもしれないけれど。
「それでね、その時リュカくんがね、」
「――――聖女様」
「んー?」
もう少しで大通りへ出る、そんな時。後ろから声をかけられた。二人で振り返ったそこには四十代くらいの男性が一人。
なんだろう、なにか、
(いやなかんじ)
「だぁれ?」
「先日、聖女様のお話を聞いてひどく感動しまして。もし宜しければまた是非お話をお聞きしたく」
「んん~……それ、また今度でもいいですかぁ?」
「さ、聖女様こちらへ」
押しが強い。明らかに嫌がっている陽菜をものともせず、ぐいぐいと迫ってくるその男。
回り込まれ、にじり寄られて後ずさる。
大通りが遠くなる。
「ちょっといい加減に、」
「騒ぐな」
ぎらりと光る、刃物。
男がポケットから取り出したそれは文句を言おうと陽菜の前に出た結慧の目の前に突きつけられた。
ひ、と陽菜の息を飲む声。そのままドン、と突き飛ばされて陽菜ごと後ろへ倒れこむ。手を離れたコーヒーが床に打ち付けられてばしゃんと弾けた。
押し込まれたのはどうやら空き家のようだった。埃っぽい、なにもない空間。ドアの前に立ち塞がる男。
結慧たちを押し込んだ張本人は、長く長く息を吐き出しながら閉じたドアに凭れ、ずるずると座り込んでしまった。
(ええ……?)
頭を抱えて、踞って。手にはナイフを持ったまま。そのまま、動かなくなってしまった。
「……あの、」
「うるせぇな黙ってろよ……!」
言葉は荒いが、勢いはなく。その声はどちらかと言えば泣き言のような響きを持っていた。
「目的だけお伺いしても?」
「テメェに用なんざねぇんだよ」
とすれば、やはり目的は陽菜――聖女か。
ちらり、陽菜を見やれば、カタカタと震えて涙を流していた。
「とはいえ、聖女もこの状態ですし」
だから、私で我慢しなさいな。
そう言外に伝えれば、顔を上げ陽菜を見て、何故か男は顔色を悪くした。
「ちがう、違うんだ……!聖女様を泣かすつもりなんてない……」
そう言って頭をかきむしり、男は喚く。
「だけど、聖女様が悪いんだ!俺を騙して教会を抜けさせて」
「あたし騙してなんかないよぉ」
「なら妙な魔術でも使ったんだ!そうじゃなきゃ俺が神官をやめるわけがない!もう少しで中央に行けるはずだったのに……!」
「なんでそんなこと言うのぉ?ひどいよぉ」
つまり。
地方の教会――陽菜はこの街を出ていないはずだから、どこかの区の小さな教会か――に所属の神官だったこの男は、言われるがまま月教会を脱会したということか。
「あの、それなら理由を話して脱会を取り消してもらえばよいのでは?」
「話したに決まってるだろ!だけど神官長が許してくれねぇんだ」
曰く、信仰心が薄いからそうして悪魔に惑わされるのだ、と。
(悪魔ねぇ……)
陽菜の能力を知っている結慧からすれば、男の言っていることは概ね正しい。魅了の魔法で陽菜の言いなりになってしまったのだろう。
ちらりと見れば、男には今もしっかりとピンク色の触手が巻き付いている。これはさっき巻き付いたものだろうが、それでも今、男は罪悪感に苛まれながらも陽菜に敵意を向けている。
相当に後悔をしたのだろう。
けれど、神官長の言うことも一理ある。
いくら魅了にかかろうとも、信仰心が揺るがなければそうはならなかったはずだ。陽菜への行為よりも仕事を優先したあの人たちのように。
(面倒ね……)
思わず溜め息が零れそうになってぐっと止める。
いつかはこうなるだろうと思っていたけれど、できればどこか見えないところでやってほしかった。
さて、どうしようか。
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