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第二章 月の国
2-31
しおりを挟む――ユエちゃん
声がする。
――ユエちゃん
優しい声。
――ユエちゃん
またこの人と一緒に、
「仕事の時間だよ、起きて」
「――ッ!?」
飛び起きた。
がばっと音がでるくらい勢いよく起き上がって、ふらりと目眩。ぽすん、と柔らかく後頭部が枕に受け止められた。
目の前にはウィルフリード。「嘘でしょ本当にこれで起きるの……?」と呟いて頭を抱えているし、その後ろで何故かオシアスが爆笑している。
状況が理解できない。
「おはよう、俺は医者を呼んでくる」
「ぁ、……?」
笑いながら廊下へ出ていくオシアスに返事をしようと思ったら、喉が掠れて声が出なかった。
ウィルフリードは未だに「こういうのってもっといい雰囲気になるものでは?」と訳が分からないことをぶつぶつ言っている。
どうしたらいいの。
「……おはよう、ユエちゃん。気分は?」
やっと独り言から復活したウィルフリードが結慧へと話しかけてきたけれど、やっぱり声が出なくて返事ができない。そうこうしている内に医者が来て、検査が始まってしまった。
「異常がなくてよかったよ」
「退院は明後日か。早いな」
「本当にご迷惑をお掛けして……」
検査の間、廊下で待っていてくれた二人が水を持って来てくれた。それで喉を湿らせてなんとか声を出すけれど、やっぱり少し掠れたまま。
「いいよ、無事だったんだから」
あんなことがあったというのに、結慧の身体は驚くほど健康だった。何せ、傷がどこにもない。
確かに刺されたのに。あんなに痛かったのに。
その他特に異常もなく、強いて言うなら三日間寝続けたせいで胃が縮んでいるだけ。一日入院は様子見だ。
「仕事は念のため三日休んでね。週末挟んで、来週から復帰」
「そんなにいらな」
「一週間休みにする?」
「三日休みます……」
むぅ、と口を尖らせてみたけれど変わらなかった。けれど、無理をして迷惑をかけるのは本意ではないから大人しく引き下がる。
オシアスが神話関係の本を数冊くれたのでそれを読んで過ごすことにする。
「オシアス助かったよ。これでユエちゃんも大人しくしててくれそうだ」
「元々渡すつもりだったからな。タイミングよかったよ」
「私ってそんなに信用ないかしら……」
「ないね」
「ないな」
あんまりな言われように、思わず笑ってしまう。二人とも遠慮がない。けれどそれが心地良い。なんだか仲が良い友人になったようで。
「そうそう、信用がないといえば。お知らせが二件あります」
「……はい」
「まず一つ目。君の宿引き払ったからね」
うわぁ、なんて声が出そうになった。
「ビックリしたよ。てっきり聖女様と同じところに泊まってると思ってたから」
ウィルフリードは聖女の使う宿は知っていた。結慧の入院が長引くようなら一度荷物を引き取って解約したほうがいい、そう思って行ってみたら。
「まさか女の子が一人であんな所に泊まってるなんて思わないじゃない」
「あんな所って?」
「ボロボロのホステル。相部屋タイプの」
「そりゃ駄目だ」
ここではないと言われ、確認した雇用契約書に書かれた住所。行ってみたらそこはお世辞にも綺麗とは言えない宿泊施設だった。複数人が同じ部屋で寝泊まりするような、言葉は悪いが生活困窮者が利用するようなところ。
しかも、荷物がひとつもない。
正真正銘、結慧はその身ひとつで生きていた。
「魔道具の収納鞄を買ったから、それ一つで済んでるんですよ」
「これ?……ああ、中に隠してたのか。うん、正しい判断だと思うよ」
ベッドの脇に置いてあった鞄を手に取り、オシアスが確認する。彼の目から見ても結構良いものらしく、買ってよかったと改めて思う。
「その判断ができるのにどうしてあんな所に泊まるのかなぁ君は」
そんなことを言われても、節約のためとしか言いようがない。陽菜たちと同じ所に泊まっていては、すぐにお金が尽きてしまう。なにせ、太陽教会は結慧に対してお金を出してはくれないので。
ウィルフリードもそれは分かっているのか、これ以上は追求してこなかった。
「うちの社宅に空きがあるから使ってね」
「そんな。さすがに悪いわ」
「もう手続きしちゃったから」
さすがウィルフリード、仕事が早い。
しかも結慧の逃げ場を的確に潰してくる。これではもうそこを使うしかなくなるじゃないか。
「……分かりました。じゃあ陽菜ちゃんたちに言っておかないと」
「あ、それなんだけど」
お知らせの二つ目ね、と言ったその顔はどこか苦笑しているような。
「聖女様たち、行っちゃったよ」
「……どこへ?」
「さぁ?」
昨日、この街を出ていったらしい。
元々ここへ来たのは月神を探すため。中央教会の大司教を訪ねてきていた……はず。
それなら、結慧が寝ている間に大司教に会ったのかと思いきやそうでもないらしい。大司教はまだ、旅先から帰ってはいない。
「飽きたんだって。聖女様が」
「理解したわ」
この街の観光が終わったということなのだろう。
飽きた、と言い出したタイミングでルイが次の街へ行くことを提案したのだろう。結慧という邪魔者を排除するには都合が良い。
陽菜が結慧を置いていくことに抵抗したかどうかは分からないが、したとしても丸め込まれたに違いない。
「晴れて自由の身じゃないか。おめでとう」
「自由、……?」
よかったね、とオシアスに言われ。
陽菜が、彼らがいない。
自由。
それはつまり、もう陽菜の面倒を見なくてよくて、文句を言われることも嫌がらせをされることもない。
ついでに言うなら魅了の魔法を使う陽菜がいないから、かかる人間もいないわけで。何の理由もなく誰かに攻撃されることもない。
それは、
「……そっか」
身体から力が抜けた。
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