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第四章 月神
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しおりを挟む議場から帰ってきて着替えて結った髪をほどいて。結慧は使用人室の暖炉の前から動けなくなってしまった。
絨毯の上にころりと横になったまま、大事に大事に一枚の署名用紙を握りしめて。
待っていると、できる事ならまた一緒に仕事がしたいとメッセージが添えられたそれ。本当は結慧だってそう思っていた。ずっと考えないようにしていたけれど、またあそこに戻りたくて戻りたくて仕方なかった。
けれど、いざ自由になったら臆病の風に吹かれてしまった。今更、どんな顔をして会ったらいいのか分からない。本当にみんなが書かれている通り待っていてくれているのか分からない。社交辞令かも、でも。
それに、もうひとつ。
ウィルフリードの丁寧な字。名前の横に添えられた、見慣れた懐かしい字。
――――今夜、あの場所で待ってる
どうしよう。どうしたらいいの。
今夜って今日の事よね?夜っていつ?具体的に何時?今日も仕事だろうから、一番早くて十七時すぎ。でもあの人が定時で帰っているところなんか見たことがない。残業は何時まで?今どのくらい忙しいの?
ぐるぐる、ぐるぐる。
考えても考えてもどうにもならない。
行きたいのに、会いたいのに、会いに行けるのに、いつまでも勇気がでない。
いつもならすぐに落とす化粧もそのままにしている。髪だってちゃんと梳かした。着替えたのは今朝着ていたものとは別の、綺麗なワンピース。
そこまで行く準備を整えておいて、待っているとまで言われているのに。
「……ユエ様」
顔をあげる。スミティが苦笑している。何も言わずに視線だけを斜め上へ。それを目で追って、辿り着いた壁掛け時計。
もうすぐ、十九時。
「うそ、」
いくらなんでも悩みすぎだ。
がばりと跳ね起きて、悩んでいた事など一瞬で忘れ去る。待たせてしまっているかも。もしかしたら帰ってしまうかも。
行かなきゃ。
「お待ち下さいな」
走り出そうとしてドロリスの声に止められた。その手にはコートとストール。一体いつから準備してくれていたのだろう。
「ほら、髪が乱れていますよ」
会いに行くのでしょう。綺麗にしないと。
そう言って、優しく手櫛で髪をすかれる。まるで頭を撫でられているようで。
「……本当に、待っていてくれているかしら」
「ええ、もちろんです」
「行って迷惑になったりしないかしら」
「そんな事はありませんよ」
「……好きって、言ってくれたのよ。なのに、何も言わないままで。今だってこんな風に悩んで、自信なんかこれっぽっちもなくて、意気地無しで。……そんな私を、あの人はまだ、」
好きだと、言ってくれるかしら
「大丈夫。きっと、大丈夫」
「……うん、」
「帰ってきたら、沢山お話聞かせてくださいな」
「うん」
「さぁ、行ってらっしゃい」
背中を押される。今度こそ走り出す。
笑って手を振るドロリスと、少し心配そうな顔をしたスミティに見送られて。
冷え込む春の夜を、月明かりを頼りに。
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