91 / 91
エピローグ
エピローグ 4
しおりを挟む翌朝。
「いってきます!」
「はい、行ってらっしゃい」
「お気を付けて」
色味の少ない地味なカットソーに、これまた地味なスカート。ぱっとしないカーディガン、大きな黒ぶち眼鏡。着なれた格好で坂道を下っていく。
教会の裏手に出たけれど、もう少し坂を下る。だってコーヒーを買いたいんだもの。
コーヒー屋のお兄さんには物凄く吃驚されたし恐縮されてしまった。結慧の事を元々知っている人には、道具の眼鏡で姿を誤魔化すことができない。仕方ないから慣れてもらう他ない。受け取り拒否されたコーヒー代を無理矢理渡して元来た道へ。
通勤ラッシュの時間帯、人の波に乗りながらたまに二度見三度見されつつ役所の中へ。廊下ですれ違う人たちが結慧を見て固まった。
「おはようございまーす」
「ユエちゃん!」
「ユエさん!」
「きゃあ!待ってコーヒーが!」
扉を開けたらまずアーベルとハンスが突進してきた。驚いて零れそうになるコーヒーを横からアイクがひょいと奪う。
「ありがとうございます、助かったわ」
「いや、いい。……おかえりユエ」
「ユエさん聞いて!もー最近残業がすごいんスよ!」
「いやぁ、一度楽を覚えると駄目だね。ユエちゃんがいなければ業務が回らなくなってしまったよ」
「ふふ、じゃあ気合入れてやらなくちゃ」
「助かった!ユエちゃん女神か?」
「えーと、はい」
「そういやそうだったな!」
「なんの茶番だ。ユエも乗らなくていいから」
「あはは!」
囲まれてもみくちゃにされる。机も筆記用具も以前のままで、本当に待っていてくれたのだと涙がでそうになった。
「おはようユエちゃん」
「おはようございます、部長。宰相様も」
そこへ部門長会議から戻ってきたウィルフリードがラルドをつれて部署へと入ってきた。ラルドは朝から疲れた顔。まぁ、色々心労があるのだろう。主に結慧のせいだろうが、このくらいのちょっとした仕返しは許してもらいたい。
「……なぜここに?」
「雇用期間が残ってたから」
そう。結慧は勝手に来て役所に不法侵入しているわけではない。まだ結んでいた雇用契約の期間内。本当にあと少しだけれど。
ウィルフリードが手元の紙をひらひらさせながら笑う。
「正式雇用の契約書持ってきたよ。後で書いてね」
「はい」
だって、二度手間だと思うのよ。
月神に何かを奏上したいのなら事前の事務処理が必要だし、大事な事をあんな執務室の電話口だけで済まされては困る。
それならもう、ここで働いて稟議も予算も見積もりも目を通したらいい。ちょうどいいことにこの部署はそのほとんどが通過していく。
「……では会議の場を設けるので出席するように」
神秘性や情緒の欠片もない提案だが、納得してくれたので良し。国王と大司教、それから宰相と結慧での会議。不安なので絶対に上司を巻き込むと心に決めた。
そしてラルドの頭痛の種はもうひとつ。
「で、あれはどういう事だ?」
「ああ、あれなー」
「びっくりしたっスよね」
「あれ?」
「あれだよ、あれ」
廊下を指差すウェーバー。廊下のその先、窓の向こう。裏の山に聳え立つ月の神殿。
もう結界はかかっていない。昨夜遅く、アストライオスにやり方を聞いて解いてしまったから。
突然山の上に現れた神殿に、ティコの街は朝から大騒ぎ。朝食をとりながら流していた放映具でトップニュースになっていて笑ってしまった。
「……観光地にでもどうかしら?」
「なるほど、集客は絶対に見込めるな」
「すでに宿に予約が殺到してパンクいるらしい。先ほどニュースで言っていたよ」
「観光地化するには街の整備が急務だね」
この街はどちらかといえば商業街。ビジネス用の宿泊施設は多いが、旅行客向けではない。その辺りの開発が今後進むのだろうが、そこはきっと街の行政担当から近い内に書類が回ってくるだろう。
「けど観光っていっても外から見るだけっスよね?」
「中は駄目だろ。ユエだって住んでるんだ」
「でも使ってないところが大部分なのよね」
だって三人しかいないのだから。使っているのはほんの少し。広い広い神殿の大部分はドロリスが少しずつ掃除をしてくれているとはいえ、このままでは朽ちてしまいそうで。
「……役所拡張の話が出てただろう」
「なるほど。神殿を第二庁舎にするかい?」
「土地購入と建設の費用と手間が省けるね」
「今後の修繕費も庁舎と神殿が一ヶ所で済むなら抑えられるな!」
「じゃあ私、起案の稟議を書くから部長承認してくださる?」
「いいよ。どんどん持っておいで」
「起案はユエさん、最終決裁もユエさんっスか?」
「その稟議に意味はあるのか?」
もう勝手にしてくれ、そんな諦めた顔で笑ったラルドが出ていってしまった。それを合図にみんな席に着く。
総合管理部は今日も仕事が山積みだ。捌いても捌いてもなくならない書類、追加されていく案件、舞い込んでくるイレギュラー。
誰も好き好んで毎日毎日残業している訳もないけれど、ここで働くのは好きだから。
好きにしていい。
そう言われて選んだこの場所。
ここが、自分の居場所。
*** *** *** ***
これにて終業
お疲れ様でした。
ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
10
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
龍王の番〜双子の運命の分かれ道・人生が狂った者たちの結末〜
クラゲ散歩
ファンタジー
ある小さな村に、双子の女の子が生まれた。
生まれて間もない時に、いきなり家に誰かが入ってきた。高貴なオーラを身にまとった、龍国の王ザナが側近二人を連れ現れた。
母親の横で、お湯に入りスヤスヤと眠っている子に「この娘は、私の○○の番だ。名をアリサと名付けよ。
そして18歳になったら、私の妻として迎えよう。それまでは、不自由のないようにこちらで準備をする。」と言い残し去って行った。
それから〜18年後
約束通り。贈られてきた豪華な花嫁衣装に身を包み。
アリサと両親は、龍の背中に乗りこみ。
いざ〜龍国へ出発した。
あれれ?アリサと両親だけだと数が合わないよね??
確か双子だったよね?
もう一人の女の子は〜どうしたのよ〜!
物語に登場する人物達の視点です。
【完結】そして異世界の迷い子は、浄化の聖女となりまして。
和島逆
ファンタジー
七年前、私は異世界に転移した。
黒髪黒眼が忌避されるという、日本人にはなんとも生きにくいこの世界。
私の願いはただひとつ。目立たず、騒がず、ひっそり平和に暮らすこと!
薬師助手として過ごした静かな日々は、ある日突然終わりを告げてしまう。
そうして私は自分の居場所を探すため、ちょっぴり残念なイケメンと旅に出る。
目指すは平和で平凡なハッピーライフ!
連れのイケメンをしばいたり、トラブルに巻き込まれたりと忙しい毎日だけれど。
この異世界で笑って生きるため、今日も私は奮闘します。
*他サイトでの初投稿作品を改稿したものです。
転生してモブだったから安心してたら最恐王太子に溺愛されました。
琥珀
恋愛
ある日突然小説の世界に転生した事に気づいた主人公、スレイ。
ただのモブだと安心しきって人生を満喫しようとしたら…最恐の王太子が離してくれません!!
スレイの兄は重度のシスコンで、スレイに執着するルルドは兄の友人でもあり、王太子でもある。
ヒロインを取り合う筈の物語が何故かモブの私がヒロインポジに!?
氷の様に無表情で周囲に怖がられている王太子ルルドと親しくなってきた時、小説の物語の中である事件が起こる事を思い出す。ルルドの為に必死にフラグを折りに行く主人公スレイ。
このお話は目立ちたくないモブがヒロインになるまでの物語ーーーー。
子供にしかモテない私が異世界転移したら、子連れイケメンに囲まれて逆ハーレム始まりました
もちもちのごはん
恋愛
地味で恋愛経験ゼロの29歳OL・春野こはるは、なぜか子供にだけ異常に懐かれる特異体質。ある日突然異世界に転移した彼女は、育児に手を焼くイケメンシングルファザーたちと出会う。泣き虫姫や暴れん坊、野生児たちに「おねえしゃん大好き!!」とモテモテなこはるに、彼らのパパたちも次第に惹かれはじめて……!? 逆ハーレム? ざまぁ? そんなの知らない!私はただ、子供たちと平和に暮らしたいだけなのに――!
【男装歴10年】異世界で冒険者パーティやってみた【好きな人がいます】
リコピン
ファンタジー
前世の兄と共に異世界転生したセリナ。子どもの頃に親を失い、兄のシオンと二人で生きていくため、セリナは男装し「セリ」と名乗るように。それから十年、セリとシオンは、仲間を集め冒険者パーティを組んでいた。
これは、異世界転生した女の子がお仕事頑張ったり、恋をして性別カミングアウトのタイミングにモダモダしたりしながら過ごす、ありふれた毎日のお話。
※日常ほのぼの?系のお話を目指しています。
※同性愛表現があります。
本の知識で、らくらく異世界生活? 〜チート過ぎて、逆にヤバい……けど、とっても役に立つ!〜
あーもんど
ファンタジー
異世界でも、本を読みたい!
ミレイのそんな願いにより、生まれた“あらゆる文書を閲覧出来るタブレット”
ミレイとしては、『小説や漫画が読めればいい』くらいの感覚だったが、思ったよりチートみたいで?
異世界で知り合った仲間達の窮地を救うキッカケになったり、敵の情報が筒抜けになったりと大変優秀。
チートすぎるがゆえの弊害も多少あるものの、それを鑑みても一家に一台はほしい性能だ。
「────さてと、今日は何を読もうかな」
これはマイペースな主人公ミレイが、タブレット片手に異世界の暮らしを謳歌するお話。
◆小説家になろう様でも、公開中◆
◆恋愛要素は、ありません◆
聖女なんかじゃありません!~異世界で介護始めたらなぜか伯爵様に愛でられてます~
トモモト ヨシユキ
ファンタジー
川で溺れていた猫を助けようとして飛び込屋敷に連れていかれる。それから私は、魔物と戦い手足を失った寝たきりの伯爵様の世話人になることに。気難しい伯爵様に手を焼きつつもQOLを上げるために努力する私。
そんな私に伯爵様の主治医がプロポーズしてきたりと、突然のモテ期が到来?
エブリスタ、小説家になろうにも掲載しています。
老聖女の政略結婚
那珂田かな
ファンタジー
エルダリス前国王の長女として生まれ、半世紀ものあいだ「聖女」として太陽神ソレイユに仕えてきたセラ。
六十歳となり、ついに若き姪へと聖女の座を譲り、静かな余生を送るはずだった。
しかし式典後、甥である皇太子から持ち込まれたのは――二十歳の隣国王との政略結婚の話。
相手は内乱終結直後のカルディア王、エドモンド。王家の威信回復と政権安定のため、彼には強力な後ろ盾が必要だという。
子も産めない年齢の自分がなぜ王妃に? 迷いと不安、そして少しの笑いを胸に、セラは決断する。
穏やかな余生か、嵐の老後か――
四十歳差の政略婚から始まる、波乱の日々が幕を開ける。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる