秋の日の旅立ち

千石綾子

文字の大きさ
1 / 1

秋の日の旅立ち

しおりを挟む
 「やっと止んだな」
 季節はずれの夕立のような激しい通り雨が上がった後。
 「大したもんだよお前の雨男ぶりもさ」
 ユウジはジーンズのポケットからくしゃくしゃになったタバコを取り出した。
 「火」
 「ないよ。タバコ吸わないもん」

 何度となく交わされたやりとりがまた繰り返される。
 「参ったな……。ガス台はもう外しちまったしな」
 そう言ってユウジはガランとした2DKを振り返る。まだ積み残したダンボールが少し残っているだけ。僕たちが過ごした2年間を思わせるのは壁に染み付いたタバコのヤニと日に焼けた畳だけだ。

 「あ、そういやカズトが持ってたっけな」
 余程ニコチンに飢えているらしく、ユウジは一度しっかり梱包したダンボールのガムテープを剥がし始めた。
 「おいおい。勝手に漁ったら……」
 「いいんだよ。カズトのものは俺のもの。俺のものは俺のもの」
 どこかで聞いたような台詞を呟きながらユウジは乱暴にダンボールを漁る。

 「あった」
 ひときわ嬉しそうな声をあげ、ユウジが取り出したのは渋く銀に光るジッポーだ。ベトナム戦争時代に兵士が使ったビンテージなのだというカズトの自慢の品だ。澄んだ金属音を立ててフタを開け、嬉しそうにユウジはタバコに火をつけた。
 「あー、仕事の後の一服は最高だな」
 そうしてさりげなくジッポーをポケットに仕舞い込んだ。
 「……大して作業もしてないくせに」
 そんな僕の恨めしい呟きも耳に入っていないようだ。
 「さ、また降り出す前に積んじまおうぜ」
 咥えタバコでユウジは一番軽そうな箱を持ち上げ玄関の軽トラックに積み始めた。僕はふと空を見上げる。さっきまでの雨が嘘のような青い秋の空。

 僕は引越し雨男だ。今までに何度も引っ越したが、必ずと言っていいほど雨に祟られる。 
 「今日は勘弁してくれよ……」
 そう空に向かって呟くと、残りのダンボールを積み込んだ。最後にブレーカーを落として忘れ物がないことを確かめる。
 「カズトは?」
 「もう乗ってる。荷台でいいだろ奴は」
 それもどうかと思ったが、口の達者なユウジとの会話にうんざりしていた僕は出かけていた言葉を飲み込んだ。
 「さ、運転手君。安全運転で頼むよ。晴れの門出に交通事故なんて願い下げだからな」
 2本目のタバコを車の灰皿に突っ込むとユウジは腕組みをして目を閉じた。
 「はいはい」

 この様子だと奴のナビゲートは当てにはできなそうだ。道路に出来た水溜りから水しぶきを上げて僕らのトラックは出発した。


 「なあおい。ユウジ、起きろよ」
 4度目の声でようやくユウジは目を開けた。
 「着いたぞ」
 僕はシートベルトを外して首を回した。

 「おお、ご苦労ご苦労」
 ユウジは大きな体を更に大きく伸ばしてあくびをした。雑然とした住宅街から出発して、今着いたここは緑の中だ。東京郊外のこの街には開発の進んでいないこんな場所がいくつかある。田舎から転校してきて植物に飢えていた僕には憩いの場所だった。

 「ここは変わらないなあ」
 雨の匂いに満ちた緑の小道を進んでいく。ユウジはそれには答えず何か小さく歌を口ずさんでいる。道の行き止まりは川だった。丸く大きな石がごろごろと転がる河原。清く澄んだ水が流れるせせらぎ。ふと目をやると木立の中に錆びた大きな鉄板が立てかけてある。夏になるとここでユウジとカズトと僕の3人でキャンプをしたものだった。あの鉄板でもうもうと立ち込める煙の中、バーベキューをしたんだっけ。僕はふと懐かしくなって目を細めた。

 「カズトは?」
 「ここだ」
 僕の問いかけに静かにユウジが答える。僕はユウジの手の中の箱に目をやった。ユウジがその白い箱を開けると、待っていたかのように急に強い風が木立を揺らす。その風に乗って、ユウジの手の中で傾けられた白い箱から舞い上がる白い灰。

 冗談のようにある日突然逝ってしまった僕たちの親友。身寄りのない僕たち3人はお互いに約束していた。もしも死んだら、この思い出の場所に眠らせて欲しいと。そうして僕たちは約束を果たした。

 「さて、お焼香しないとな」
 ユウジは3本目のタバコに火をつけた。
 「随分ヤニ臭い線香だな」
 僕のぼやきにユウジはにやりと笑って、ふう、と大きく煙を空に吐き出した。
 一筋の煙はどこまでも昇っていき、風に巻かれて消えた。



   了               
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします

二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位! ※この物語はフィクションです 流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。 当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

悪意のパーティー《完結》

アーエル
ファンタジー
私が目を覚ましたのは王城で行われたパーティーで毒を盛られてから1年になろうかという時期でした。 ある意味でダークな内容です ‪☆他社でも公開

野球部の女の子

S.H.L
青春
中学に入り野球部に入ることを決意した美咲、それと同時に坊主になった。

不倫の味

麻実
恋愛
夫に裏切られた妻。彼女は家族を大事にしていて見失っていたものに気付く・・・。

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

処理中です...