トゥーティリア王子の宿題

千石綾子

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王子は身軽

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 クロミアがふと振り返ったまさにその時、少年は崖の上から真っ逆さまに落ちてきていた。

「王子!」


 咄嗟に走り出す。崖の高さは8m程。果たして受け止められるだろうか。

 どすんっ、という鈍い音がして土煙がもうもうと舞い上がる。小さく「ぐう」という声も混じっていたかも知れない。それから一瞬の静寂があり、土埃が風に吹かれ消えていく。すると崖の下に重なるように倒れている二人の姿が現れた。


 まずは王子と呼ばれた少年が半身を起こし、けほけほと咳き込んだ。彼はよろよろとではあったが自力で立ち上がれた。そのお尻の下に敷かれていたクロミアはあまり無事そうには見えない。
 
目立った大きな傷はないものの、全身砂まみれであちこち擦り傷だらけ。肩まで伸ばし美しかった銀髪もぐしゃぐしゃになっていた。王子を受け止めた腹を押さえて呻いている。



「わっ、ご、ごめんなさい!」

 王子が手を貸そうとするのをぴしりと振り切り、クロミアはなんとか立ち上がった。全身にかぶった砂を不機嫌な様子で払い落とす。
「王子、何度言ったら分かるんですか。勝手に走ったり登ったり弄ったりしないで下さい」

「うん。でもね、すごく変わったトカゲがいたんだ」
 王子は悪怯れる様子もなく、にこにこと崖の上を指さした。ちょっと目を離した隙に高い崖をするすると登ってしまったようだ。はあ、とクロミアは大きいため息をついた。目の前には一面に広がる荒野。



 ここ中立地区は西域にある八つの国に囲まれるように隣接している。中立という名の通り八ヶ国のどの領土でもないのだが、常にそれぞれの国が他国からの侵略を警戒し、また我がものにしようと狙ってもいる。

 野盗や大型の肉食獣などが出没する治安も悪い地での二人きりの旅は少しの油断で命に関わりかねない。専ら事務方、宰相である彼は元気一杯の王子に少々手を焼いていた。

 足元に転がる通信機を拾い上げる。つい先程まで王国内の部下と話していたものだ。
「急に途切れたから、驚かせてしまったかもしれないな……。ヤンド君、聞こえるかね?」

 応答はない。落ちてきた岩にでも当たったのか、通信機は大きく凹んでいた。クロミアは何とか直せないものかとあちこち弄ってみたが、バネやらネジやらがびょーんと飛び出して完全に壊れてしまった。


「これは困りましたな」
「壊れちゃったの?」
 クロミアが黙って頷くと、王子は申し訳ないような心細いような表情になる。

「ご、ごめんなさい」
「壊れたものは仕方ありません。国の皆に心配をかける前に、近くの駐屯地まで急ぎましょう」



 淡々と返してすたすたと再び歩を進めるクロミア。小柄な王子も慌てて追い掛けようとして──ぽてんと転んだ。
「あ、あれ?」
 右足首に痛みが走り、かくんと力が抜けてしまっている。

「王子、まさか今ので足を痛めたなどとは……」
 鋭い三白眼、灰色の瞳が見下ろしていた。その迫力に気圧された王子は息を飲む。


「ま、まさかぁ。あははははは」
 クロミアはそんな王子をただ黙って冷ややかに見下ろす。

「……嘘です、ごめんなさい」
 王子はしょんぼりと俯いた。
「その足では目的地に着く前に夜になってしまいますね。さてどうしたものか……」


 しばし考え込んだ後、クロミアは北の方角に目をやる。

「先ず私ひとりで国境内の駐屯地まで歩き、車で迎えに来ます。近くに安全な場所がありますので王子はそこでお待ち下さい」
 一人きりになるのは心細いと王子は不安になったが、元はといえば自分のせい。仕方なくコクリと頷いた。


 その時、城内の一室は大騒ぎになっていた。

「無線の応答がない!?」
「通信が途切れる前に叫び声が……!」
「何か起きたに違いない!」


 ここは西大陸の西域にある小さな国、ヴィリアイン王国。不毛の荒野が広がる西域にあって、水や鉱物などの資源に恵まれている奇跡の国だ。しかしそれ故に、常に周辺国からの侵略の危機に晒されてもいた。
 国境の外には野盗や猛獣も多い。そんな危険な地で、宰相と王子が連絡を断ったのだから大変だ。通信担当の総務省総務課、ヤンドは青ざめて叫んだ。

「は、早く陛下と王立軍と近衛軍と議会に報告を……!」
 それを押し留めたのがチームのリーダー、オルグだ。チームは宰相であるクロミア直属で、優秀なメンバーが揃っている。

「待て。落ち着け。先ずは深呼吸だ」
 自らも大きく深呼吸しながら考えを巡らせる。
「まだ事態が把握できていないうちに陛下と議会への報告はまずい。近衛軍はそもそも担当外だ」

「王立軍の国境警備隊に捜索してもらいましょう」
 たとえ国境の外での事だといえ、通信が途切れた程度だ。もう少し詳細な状況を把握する必要がある。


「いいか、確実な情報が揃うまでは関係者以外には洩らすんじゃないぞ」
 青ざめた顔、強張った顔、明らかに動揺した顔が揃って頷いた。




「将軍。ツヴァイ将軍、宜しいでしょうか」
 オルグが訪ねた時、王立軍の副総帥、ツヴァイ将軍は軍の整備室に籠っていた。張りつめた面持ちでノックし名乗ると、機嫌の良さそうな声が返ってきた。

「おう、遠慮すんな。丁度良い感じに出来上がったトコだ」
 恐る恐る入室すると、ツヴァイは鉤爪のついた義手を丁寧に磨いていた。オルグは緊張の色を隠さぬまま将軍と向き合う。この将軍はオルグの感覚で言えば、かなりエキセントリックな風貌をしていた。


 190cmを超す巨体に金髪をツンツン逆立てているため、実際より大きく見える。三日月型の口から覗くギザギザの歯や低い鼻はまるで魚のような顔立ちだ。平時から装備しているピカピカの重鎧も鱗や魚の顔がモチーフになっている。普段は平穏な王国において、彼は常にこのような物々しい姿だ。

 ツヴァイは元々北の大陸出身の海賊だったという噂がある。北の国々には進んだ科学技術があり、彼の技手にもその技術が生かされているといわれている。そして彼自身、武器の開発に興味があり、普段からこのようにコツコツと新兵器の開発に余念がない。


「何だ? 俺サマの新兵器を見学したいのか? 何なら標的にしてやっても良いぞ」
 その提案は丁重にお断りして、オルグはツヴァイに事情を説明した。
「はあーん? ちょっと通信が途切れた位で騒ぎ過ぎだろ。まあ、あの辺には駐屯地もあるから俺も行って探しておいてやるぜ」


 一国の王子が行方不明と聞いても慌てる様子もなく、再び義手を磨く作業に戻った。オルグは少し拍子抜けしたが、ツヴァイの言い分も尤もかとその場を後にした。オルグが出て行くのを見送って、ツヴァイはニヤリと頬を緩めた。

「これはこれは。面白くなりそうだゼ……」
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