お嬢、メイドになる! 番外編

相坂桃花

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番外編1 レディース&ジェントルマン【完】

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「シニョーレ・ピアニッシモ。時間です」

 仕切りにしているカフェを一夜貸切にして、店の一番奥にあるテーブルにその男は座っていた。

 座っていても上背があることがわかる整った身体をしており、上品な黒いスーツに、彼は身を包んでいた。

 綺麗に整えた金髪の髪。蜂蜜色の瞳。

 口元には、穏やかな笑みが浮かんでいた。

 だが、その口元の笑みとは裏腹に瞳は濡れた刃のように鋭い光が宿っている。

 品のある美貌だが、どことなく遊び慣れた雰囲気も併せ持った男だった。

「まあ、待て。このコーヒーを一杯飲む時間くらい、あるだろう」

「し、しかし」

 時間を告げた男が、戸惑った声を上げる。

 こちらは、三十を超える前の、眼鏡をかけている男だ。

 ファミリーに入って、五年ほど経つ。

 大きな仕事を一人でこなしたことはないが、それなりの利益を出してきた。

 こうやって、大事な取引の夜に連れてきてもらえる程度には、顔を覚えてもらっている。

 今夜は組にとっても大事な取引になるはずの、大事な夜だ。

 自分の上司にあたる男――コーヒーを優雅に飲んでいるピアニッシモ幹部にも、そのことは十分にわかっているはずだ。

 店内には自分を含め、数人の部下しかおらず、あとは二十歳は超えていないであろう店の若い女のスタッフが給仕のためにいるだけだった。 この空間で焦っているのは、もしかしたら自分だけなのかもしれない。

 決して表面には出さずに、男はスーツの下で冷たい汗を流していた。

 取引の時間通りに動いてくれないと、困るのだ。

 この場所は貸切にしているが、取引の現場ではない。元々、取引の現場として押さえていた場所を、いきなりの気まぐれで、このピアニッシモ幹部が直前になって変更してしまったのだ。

 元のままだったら、何も問題はなかったのに。

「どうした。ブルーノ。落ち着きがないようだが」

 ドキリとした。

 それを隠して、男――ブルーノは冷静に答える。

「取引の時間に遅れると、先方にもあまりよい印象は与えられないのではないかと、思いまして」

「なるほど。まあ、大丈夫だろう。取引の時間は、半刻ほどずらした」

「は?」

 なんでもないことのように言われて、思わず間の抜けた声が漏れてしまった。

 慌てて、表情を取り繕う。だが、その仮面の下でブルーノは混乱していた。

 取引の時間がずれた?

 そんな話、聞いてはいない。予定通りではないのか。

 取引も場所も、時間も変更。その話は、きちんと相手側に伝わっているのか。

 いや、伝わっているはずだ。そうでなければ、取引は成立しない。

「ブルーノ。お前も落ち着いて、コーヒーの一杯でも飲んだらどうだ?」

 カップを軽くあげられるが、とてもじゃないけれど、そんな気分にはなれない。

 もっとも、ただの兵隊でしかない自分が幹部とテーブルを共にすることなど、ありえない話なのだが。

 目をかけてもらっている者ならば、そういうこともあるだろうが、自分はそうではない。

「いえ、シニョーレ。お気持ちだけで」

「そうか、残念だ。お前にとって、人生最期のコーヒーになるだろうに」

「!?」

 ゴリッと背中に何か固く、そしておそらく冷たいものを押し付けられる。

 ブルーノも、仕事ではよく使うことのあった武器だ。小型だが、威力はある。

 肩越しにふり向くと、若い女が立っていた。給仕のためにいたスタッフだ。

 彼女は一切の感情を表情には乗せずに、静かな眼差しをしていた。

 間近で見て驚いたのは、その整った顔立ちだ。どうして今まで気づかなかったのかと不思議なくらいに、女は美しかった。
 この女、白刃の乙女ヴァルキュリーか!

「な、何を!? シニョーレ! どういうことです!?」

 ブルーノは悲鳴を上げた。
 バレたのか。そんなわけはない。秘密裏に、動いてきた。

 尻尾を掴まれることはない――はずだ。

「お前は、認識が甘いんだよブルーノ。俺たちを――ローズハート・ファミリーを甘くみすぎている。オイタがバレていないと思ったか? そんなわけはない。お前が、他のファミリーとパイプを作っていたことに関して、早い段階で掴んでいたよ」

 確信を得ている言葉だった。

 どこで、バレた。

 どこで!?

 ブルーノは震えそうになる唇を噛んで耐える。

「……誤解です、ドン・ピアニッシモ」

 若手だが組織内では十分すぎるほどの地位を得ているピアニッシモ幹部を、内部の者たちはドンと呼ぶことがある。

 主に、忠誠心を表す時にだ。

「誤解?」
「そうです、誤解です。私が、ファミリーを裏切るだなんて」

 誤魔化せ。言い訳を考えろ。認めれば、破滅だ。ファミリーは決して、裏切りを許さない。 待っているのは、血の制裁だけだ。

「おかしいねぇ。最近、ウチの情報がちょくちょく漏れているようだったから……ある程度の目星をつけて、お前を探らせたら……お前が、今夜の取引を外部の人間に漏らしている通話記録が確認されたんだね」

 そう言って、ピアニッシモ幹部は部下の一人に視線で合図を出して小さな箱を持ってこさせた。それは四角の、黒光りしている頑丈そうに見える箱だった。

 金庫のようなものに見えなくはない。

「お前のような末端は知らないだろうが、これは通話内容を録音しておける特殊な機械だ。使う回線させ特定させておけば、どこと繋がって、何を話しているのか……記録することができる」

 ブルーノの顔色から完全に血の気が引いていた。

 馬鹿な。そんな道具あるなんて、信じられない。けれども、こういったハッタリを、何の根拠もなしにこの男が、するわけもない。

「試しに、聞くか?」

 ブルーノの返事を待たずに、機械にスイッチが入り――この世界では“アスターシェ”と呼ばれるエネルギー動力源を使った機械は動きはじめ、記録していた音声を再生させた。


『……大丈夫……だ……ああ、取引は今夜……時間通り……建物に仕掛けた爆薬でうちの幹部ごと……爆死……』


 わずかに途切れている部分もあったが、それはまぎれもないブルーノの声だった。

 会話の内容には、痛いほどの記憶がある。

 それは昨日交わしたばかりの、ブルーノの裏切りの証拠だった。

 今夜は酒の取引を交わす予定だった。

 帝国外に住む他のファミリーと行う初めての取引で、利益は十分に見込めたはずだ。

 だが、その利益で潤うのは上層部だけで、自分たちのような平の構成員には、直接的な恩恵がくるわけではない。

 だからこそ、ブルーノは自分に――大きな利益が転がり込む手段に切り替えたのだ。

 ファミリーが嫌いなわけではなかった。

 だがそれ以上に、もっと大きな収益が欲しくなったのだ。ファミリーに知られないように、ブルーノは秘密の取引をしていた。

 第三の――勢力と。

 帝国のアングラサイドを取り仕切っているローズハート・ファミリーには、敵はいくらでも、いる。情報を掴み、蹴落としたいと思っているところは簡単に見つかる。

 そのうちの一つと、ブルーノは秘密裏にパイプを作っていたのだ。

 自分が、莫大な利益を得る為に。

 ファミリーを裏切れば、その制裁があるのは想定内だった。だが、バレなければ問題はないとたかをくくっていた。

 うまく立ち回れる自信が、あった……のに。

「お前がこそこそと動いていると聞いていたのでな、張っていたら面白いように引っかかってくれた。てっきり、今夜の取引相手が、お前との悪巧みの相手かと思えば……違うところを繋がっているとは、なんとも浮気性なやつだ」

 今夜の取引現場に集まる予定だったローズハート・ファミリーと、もう一つの取引相手であるファミリーを、取引場所を爆破することで、一網打尽にする予定だった。

 ファミリーに恨みがあったわけではない。

 それ以上の利益を欲していただけだ。

 自分だけは、何かの理由をつけて途中で抜ける予定にしていたのだ。

 そしてそのまま、報酬である大金を受け取り、逃げ切る予定だった。

「……ド、ドン……!」

「言い訳ならば、地獄でするといいさ。我らは誇りあるローズハート・ファミリー。皇帝陛下より下賜された庭先をみだりに汚すことは、許さない。身内ならば、なおのこと」

 帝国に置いて、皇帝陛下の存在は神にも等しい。
 それは、アングラサイドに生きるものたちにとっても同じこと。

 ローズハート・ファミリーは、歴史を紐解けば帝国に所属する騎士団だったが、長い歴史の中でアングラサイドへと身を潜めた特殊なファミリアだった。

 帝国の上層部と現在でも強いパイプを持っており、庭先――アングラサイドの仕切りを、皇帝陛下直々に命令されて、動いている。

 マフィアらしい仕事もするが、帝国にとって害になるような悪事の芽を摘むことを義務付けられている。
血の掟オメルタにより、裏切り者には凄惨なる死を――」

 麻薬・売春などの犯罪はもとより、公共工事への介入など、その活動は多岐に渡るものの、オメルタと呼ばれる、組織について沈黙を守るよう定める血の掟によって、その実態が表面化することは少ない。

 ファミリアは、けして裏切り者を許さない。

「あが!」

 空気が漏れるような音がし、ブルーノの背中に押し付けられた道具により細い光が貫いた。

 ブルーノの身体が、ビクビクと震え……そのまま崩れ落ちた。

 ギリギリで急所を外されているので、絶命をしているわけではない。

 受けた肉体的なダメージよりも、本当に殺されてしまうという心理的な負荷により、気を失ってしまったのだ。

 ブルーノには、吐いてもらわなければならない情報がある。

 この計画が、ブルーノ一人のものではないはずだ。

「ご苦労、リナ。これで、芋づる式に裏切り者たちを引っ張り上げられそうだ」

「いえ、若様」

 ピアニッシモ幹部と若い女の間で、短い会話が交わされる。

 元々、この裏切り者の話をキャッチして届けてくれたのが、この年若い女私兵だった。

 普段は屋敷内でメイドとして働いているが、有事の際はこうやって私兵となり戦ってくれる。別名、戦うメイドさん。まだ年若く、十代にも関わらず誰よりも優秀な少女だ。

 崩れ落ちた裏切り者を、ピアニッシモ幹部の部下たちが、屋外へと引きずり出していく。

 このあと、あの男は徹底的に情報を搾り取られ――その後に改めて、命を刈り取られるのだ。

「いつものメイド姿の君もいいが、ウエイトレスの姿もよく似合っているよ」

「ありがとうございます」

 リナと呼ばれた少女は静かに答える。

 言葉自体は静かだが、その瞳にはわずかな照れが含まれている。

 殺伐とした状況だというのに、二人の間にだけ他とは違う空気が流れていた。

「それでは、後始末もあるし……屋敷へ、帰ろうかリナ」

「はい、若様」

 粛々と、リナはスカートのすそを軽く摘まみ会釈をした。



 END

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みんなの感想(1件)

アイ
2021.06.26 アイ

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