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6:嫁入り
しおりを挟む※娘目線
母は早くに亡くなって、顔も知らない。
私を男の腕一つで育ててくれた父は……
「嘘……」
山神様の花嫁となった。男であるにも関わらず、父が選ばれた。
「お父ちゃんが、花嫁? 嘘よね? お願い、嘘って言って!」
「イロハ……すまない。お前を一人にしてしまう事を、どうか許しておくれ」
嘘なんかじゃない。父の土下座に、それが事実だとわかってしまう。
日照り続きで井戸水も尽きかけて、作物も果物も実らず、村全体が餓えている。
雨乞いも意味を成さず、時は無情に過ぎていく。
そして、通常ならば三日間にわたる懇願の儀式は一日で済まされ、別れを惜しむ時間すらなかった。
白無垢姿の父と交わした短い会話。
「お父ちゃん……私を一人にしないでよぉ」
「ああ……マサヤとの結婚を認める」
「そーいう意味じゃなぁいぃ!」
恋仲にあるマサヤとの結婚を認められたが、父に居てほしいという私の思いは届かなかった。
いや、届いていたとしても、受け取ってもらえなかったんだ。
「男が嫁入りなんて聞いた事ないよ」
「概ね、娘を差し出したくなかったんだろうねぇ……男手が減るのは痛いけど、親としての気持ちはわかる」
私の代わりに、父が嫁入りを志願した事を父が居なくなった後日、子供たちの為に井戸水を分け合う妻達の井戸端会議を聞いて、漸く知った。
ただの口減らしの悪習だ。父だってそう思ったから時間稼ぎの為に名乗り出たんだ。けれど……何も、事態は好転しない。数日楽になるだけ。
きっと、次には私が選ばれる。その時は、マサヤには悪いけど、嫁入りを受け入れるつもりだった。
『ガララ!』
「イロハ! ちょっと来い! 山が!」
「マサヤ……どう、したの?」
慌てた様子のマサヤが扉を開けて、力の入らない私の体を支えて外へと連れ出した。
「……え?」
寒空の下、開けた視界に映るのは色付いた山。甘く、芳醇な香り。
「実りが…………」
春にはまだ早いというのに、様々な色の果実が木々に実をつけ始めている。
夢でも見ているのでは? そう思ったが、ボトリと落ちた季節外れの柿がココは現実だと思い知らせる。
「奇跡じゃ」
「山神様のお恵みだ」
「奇跡だ。奇跡だ」
「我らの祈りが通じた……」
皆が山の実りを採り、口に運ぶ。
マサヤが私へ桃を持ってきてくれた。
ずっしりと重い立派な桃を齧れば、忘れていた空腹が息を吹き返す。
皆と共に無心で貪る。
霞かかった視界と思考が澄んでいく。
「……お父ちゃん」
山神様に娶られたのか、ただ山に食われてしまったのか……もう、何もわからない。
「う、うわぁぁん……うあああん……あああああん」
「イロハ……きっと親父さんが、山神様にお願いしてくださったんだ」
潤いを得た側から目から水分が出て行ってしまう。
マサヤに肩を抱かれながら、みっともなくわんわん泣いた。
白無垢姿で微笑む痩せ細った父の姿が頭から離れない。
体は貪欲に食べ物を欲するけれど、私は食べ物より父との時間がもっともっと欲しかった。
「……イロハ。うちに来るか?」
「ふ、うう……マサヤがうちに来て」
「わかった」
それから山は実り続け、村の枯れた田畑が立て直し始めた頃、マサヤと祝言を挙げて夫婦となった。
マサヤのおかげで少しづつ、笑えるようになったけど、父が居なくなってから二月。私は時折山に入って山菜や果物を採るようになった。
「イロハ、今日はもう帰ろう」
「……うん」
「あまりキョロキョロしてると転けるぞ」
「……うん……あ。ねぇ、マサヤ」
「ん?」
「あっちにスモモの木があるの。一緒に食べて帰ろ」
目の端に父を探してしまう。家族の生を諦めきれないのは仕方ない。
それに、祠のある洞窟には血痕も布切れも無かったから余計に希望を抱いてしまう。
「お、立派なスモモの木があるな。アレか?」
「うん、あ……れ……?」
あれ? 誰か……居る、ような?
「マサヤ、人が居るみたい。誰かわかる?」
「人?? 誰も居ないぞ?」
「…………ぇえ……」
目を凝らし、じっと人影を見つめれば、その人の体が透けて向こうが見える。
「!?」
「イロハ?」
幽霊だろうと山の怪だろうと、この際どうでもいい。
「お、と……」
スモモが半透明の指に摘まれ消えていく。
父だ。薄かろうと見間違えようが無い。
「おと、お父ちゃん!」
「ま! 危ないぞイロハ! 斜面を走るな!」
「マサヤ、お父ちゃんが居る! スモモの木の下に!」
「何言って……ああ、もう……イロハ、焦らず向かおう」
マサヤと共にスモモの木へ近付くと、父はボヤけながらスタスタと斜面を上がっていく。
「ま、って……」
私達がスモモの木の下に辿り着いた頃には、父は斜面を軽やかに登って行ってしまった。
そんな父に別の人影が寄ってきた。影というより光だったけど、父に二つが寄り添うように身を寄せた。
「……なんか、あそこ妙に眩しいな」
「そう、ね」
ああ、そうか……本当に、父は……山神様の花嫁になったんだ。
「イロハ」
「んぐ!」
「スモモ食って帰ろう。な?」
「……うん」
口の中に突っ込まれたスモモの味は、父の肩の上で食べた頃と変わらず美味しい。
「……ぐす……マサヤ。子どもが出来たら、三人で食べにこようね」
「ぉ、おお。そうだな」
照れ臭そうにはにかみながら、私に寄り添うマサヤと下山する。
「(お父ちゃん……笑ってた。きっと、幸せなお嫁さんになれたんだ……)」
「うん。スモモ美味いな」
「……美味しい」
きっと父は山に居る。山神様の元で幸せに暮らしている。
ああ……良かった……お父ちゃん、やっぱり生きてた。
「お父ちゃん、元気そうで良かった」
「……なぁ、イロハ。親父さんが気になるのもわかるけどさ、自分の事ももっと気にかけて良いんじゃないか? 親父さんだってイロハの幸せを願ってるはずだ」
「マサヤ……」
繋いだ手が強く握り返される。
父の事でずっと俯いてる私を、マサヤは何度も慰めてくれている。
優しい優しい私の夫。家族以外で初めて、私を愛してくれた人。
私は一人ぼっちじゃない。
「そうね……私も今の家族に気を向けなきゃね。ごめんなさいマサヤ。貴方には本当に感謝してる」
「……親父さんに負けないぐらい、幸せになろう」
「…………うんっ」
お父ちゃん、私……幸せなお嫁さんになってみせる。
どうか、山の何処かで見守っていてください。
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