私を捨てた公爵が、すべてを知った時にはもう手遅れでした

唯崎りいち

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本編

 ——後に、自分こそが捨てられたと知る公爵。

 私は王子を選び、彼を捨てた。

◆◇◆

 呪われた私は、婚約者の公爵に美しい花の前で捨てられた。

「『出来損ない』の君とは結婚できなくなった……」

 私は、婚約破棄の言葉に微笑んだ。

 公爵は側近たちの言葉をすぐに間に受ける。

 周りに咲いているのは美しい赤い薔薇。

 花びらの先から黒いシミが虫食いのように広がる。

 プツプツと穴を広げながら黒い点が中心に向かって薔薇を黒く犯す。

 火のついた紙が燃えるように黒いシミが赤い薔薇に穴を開ける。

 次のシミに、また穴を開けて、次へ——。

 花のカタチが黒く削られて行く。

 ボロボロと残った黒い残骸が風に舞った。

「……なんとも思わないはずだったのに、少しはショックみたい」

 少しでも心が痛むと、私の黒い呪いが周りを犯す。

 公爵様は真っ青な顔で私を見る。

「化け物だ……!」

「悪魔だ……!」

 公爵の護衛に来たらしい魔術師たちが腰を抜かす。

 枯れた花と私に背を向ける。

 這うように地面の上で手と足を動かすと、我先にと必死で逃げていく。

「アレは、護衛ではないの?」

「ご、護衛だ……」

 主人より先に逃げる護衛……か。

 虫唾が走るわ。

 ……。

「「うわあぁ」」

 黒いシミは魔術師を燃える紙のようにペラペラにして消す。

「公爵、あなたも、消されないうちに私の前から消えて」

「君こそ、危険すぎる……。王都から去るんだ」

「……ええ」

 一度だけ振り返って公爵が去って行く。

 真っ黒になった薔薇たちの後ろに若木があった。

 黒く燃えるように消えていく。

 もう、私の心を乱すものはない——。

◆◇◆

 国のはずれの真っ暗な森の小屋。

 ここが私の終の棲家。

 小屋の周りには色とりどりの花が咲く。

 ポコポコと湧く水を求めて動物たちが集う。

 心が穏やかでいられる場所。

 小さな小屋の中は清潔に整えられている。

 可愛い柄の布の入ったカゴが色別に棚に並んでいる。

 白い手袋をした右手で布を吟味する。

(パッチワークのベッドカバーは作ってしまった)

(次に作れる大物はなんだろう?)

(前世から好きだったパッチワーク)
 
「もう一つ、替えのベッドカバーがあってもいいか……」

 白い手袋の下で私を犯す呪いは今日も進んでいる。

 右手の指先から広がる黒いシミが、心臓に達したら私は死ぬ。

 国に漂っていた呪いが、ある日、私を呪うことに決めたらしい。

 人のそばでは、花を枯らし、人を殺す。

 一人で野垂れ死ぬ分には勝手にしろと自由にできている。

(こんな穏やかに過ごせる場所があったんだもの)

 私は、にこりと笑う。

(……公爵が、一緒だったら……)

 窓辺の白い花に黒いシミが広がり、燃え落ちる。

(嫌な事を考えてしまった——)

(パッチワークに集中しよう。前のベッドカバーよりいいものが作れるかしら? あれは最高傑作だから、難しいかも)

(子供の頃に笑い合った婚約者の男の子。思い出を全部詰めて出来た)

(……次は、どんな想いを詰めたらいいの……)

◆◇◆

「令嬢!」

「!」

(まさか、私を訪ねてくる人がいるなんて! 死にたいの?)

 小屋の入り口のドアに向かう。

 老いた騎士が立っていた

「公爵様が危篤で、あなたに会いたがっています」

 私の顔を見るなり、早口で言う。

「……公爵が……!」

(私より先に、公爵が死ぬの——!)

 胸が引き裂かれるように痛む。

(老騎士は、私のこの痛みに殺される為に来たのか!)

 老騎士の覚悟を決めた顔が見えた。

(ダメだ、もっと公爵の様子を聞きたい!)

 黒いシミが小屋の周りの色とりどりの花を黒く変える。

 湧水の清らかな水にも黒いシミが混じる。

 黒いシミが水の表面に現れるとジュッと湯気を立てる。

 湯気を上げながら水嵩を減らす。

 最後の水を消す熱がかつての水底に乾いたヒビを入れる。

 水源の最後の一滴が黒い泡になって飛び出す。

 ジュッと水源の枯れた音と共に湧水は干上がった。

 運悪く居合わせた動物は黒いシミに燃やされるように消えた。

 運の良かったものにも水は残っていない。

 美しかった小屋が見る影もない。

 ただ、老騎士は無傷だ。

 右手の黒いシミが少し増えた。

「公爵はどうしているの! 教えて」

◆◇◆

 長い間、眠っていた気がする。

 目が覚めると身体がだるい。

「……! なんだ! これは?」

 公爵家の屋敷の外が真っ黒だ。

 美しかった庭園が見る影もない……!

「公爵様! お目覚めになりましたか!?」

「大臣……いらしていたのか」

「公爵に婚約破棄された令嬢が、公爵が伏せっている間にやって来たんです」

「令嬢が?」

「そうです! 呪われた『出来損ない』令嬢が、公爵家だけでなく、王都中を荒らしまわったんです」

「公爵に会わせろと騒ぎまくって王都中を破壊して回っていきました……!」

「……まさか、あの令嬢が……」

 不意に、俺のベッドの上のベッドカバーが目に入る。

 黒く呪われている。

「……こんなもの……前からあったか……?」

「令嬢が置いて行ったものです……」

 老騎士が言う。

「本当に令嬢が来たのか!? 何故、俺に会わずに消えた!」

 パッチワークのベッドカバーはところどころ黒くボロボロになっている。

「……令嬢はずっと、公爵のそばにいました……」

「この国を救って、ボロボロの身体で戻って行かれました」

『生きていても仕方ない命だから、公爵にあげます』

『私が命を救った事を公爵には知らせないで』

『他にあげる人がいなかっただけ、公爵を救いたかったわけじゃない』

「令嬢は、呪いの力を自ら進めることで、少しだけ操れるようになったと言っていました……」

「呪いを操り、公爵の病魔だけを黒く燃やしていった。ただ周りの景色も一緒に燃えることは止められなかったようです……」

「公爵の他にも、同じ病魔に侵された人々を救って回っていました……」

「呪いは白い長手袋を超えて、頬まで黒く染めていました……」

「……令嬢が……」

 令嬢の作ったパッチワークを手にする。

 どこかで見た柄がたくさん使われている。

「思い出で作ったパッチワークと一緒に公爵を見ると、心の傷が痛んで呪いやすいと……」

(俺の服だった布だ。子供の頃の、お互いを婚約者だと意識する前の純真だった頃)

(……何故、あのままでいられない……!)

「ふん」

 大臣が言う。

「それが本当でも、貧乏人など助けなくていいものもいたでしょう。救ってもらう方が迷惑だ。これだから令嬢は『出来損ない』だと言われる」

 俺はカッと血が昇る。

(コイツは、黒く燃えて消えろ!)

 バサッ

 老騎士の剣が大臣を切った。

 どっさっと床に倒れ死んだ。

「令嬢に殺されるはずだった命です。乱心して襲ったことにでもしてください」

 老騎士はそのまま逃げていった。

 残ったのは性根の腐った男の死体だけだ。

(俺は令嬢を捨てて、こんな腐った奴らを優先したのか……)

 ポロッ

 涙がこぼれ落ちる。

 黒くボロボロのパッチワークが、今の令嬢の姿に重なる。

(すまない、令嬢)

 とめどなく涙は流れ続けた。

◆◇◆

 令嬢のいる黒い森に着く。

 馬が入るのを嫌がる。

 濃い緑の葉の奥に光の差さない真の闇があるようだった。

(令嬢は、ここにどんな気分で入っていったんだ……)

『ボロボロの身体で戻っていかれました』

 うつむいて足をひきづるように歩く令嬢が見えるようだった。

(早く会って、抱きしめたい)

 呪われる前の令嬢と王都の森を歩いた。

 木々の間から木漏れ日がもれて、令嬢の髪を煌めかせる。

 つないだ手の暖かさに、永遠に離したくないと思った。

 きっと、永遠に離さない、そう確信していた。

 暗い森の中で、湿って地面に足跡をつけながら歩く。

 あの日とは、似ても似つかない森だ。

 帰りは令嬢の手を引いて帰ろう。

 彼女の靴を汚さないように、抱き上げて帰ってもいい。

 きっと、令嬢は笑ってくれる。

 暗い森の中を、期待を膨らませて歩いていると——。

 光が満ちる。

 ——。

「なんだ……」

 見渡すと、深い緑は明るくなり。

 日の光が湿った地面まで届いていた。

 色とりどりの花が咲き乱れる。

 湧水の湧く音が聞こえ、小川を作る。

「あなたが、私の運命の人だったの」

 小屋の前に美しい女性が立っていた。

(令嬢——!)

 令嬢の前には異国の服を着た高貴な身分を感じさせる男が立っていた。

「俺の呪いを解いてくれる人をずっと探していたんだ」

 男が言いながら令嬢に近付いて、頬にキスをする。

「……!!」

 令嬢は目の端に涙を光らせて、にこりと男を見つめる。

 令嬢が男の肩に手を置く。

 右手の白い手袋は外されて、もっと白い美しい手が見えた。

 俺に、命さえ捧げてくれた俺の令嬢だ。

「私は、呪いを解いてくれる人がいるって知らなかったの……。ありがとう、王子様」

 見つめ合って二人はキスする。

「——っ!」

 俺は陰から見つめて、絶望に息を呑む。

 わずかな音に王子が俺を見る。

 一瞬だけ目が合った。

「……あなたを傷つける者は俺の国にはいません。俺が何があってもあなたを守り、見捨てない」

 王子は令嬢を見て、真剣な眼差しでも伝える。

「俺の国に行きましょう。何か持っていくものはありますか?」

 令嬢は考えるようにして、振り返った。

 俺を見つけて、勝ち誇ったような笑みを見せる。

「ないわ。この国で私は一度死んだから、もう関係ないの。全て置いて行くわ」

 王子が令嬢の手を取り、俺の反対の森へ歩き出す。

 つながれた手と時折り見つめ合って笑う二人。

 歩調を令嬢に合わせる王子。

 それでも少しだけ距離が開く。

 王子は令嬢を見つめて、自分の横に並ぶのを待つ。

 令嬢は待つ王子に笑顔で答える。

 木漏れ日が令嬢の髪を煌めかせる……。

 王子が令嬢を引き寄せた。

「地面が濡れている。令嬢の足を汚すわけにいかないな……」

 王子は令嬢を抱き上げた。

「ありがとう……」

 令嬢が少し赤い顔をして言う。

 ただ、令嬢の手は王子の首に巻かれている。

 安心し切った瞳で王子を見つめる令嬢。

 王子はまたキスをした。

 当たり前のように王子の唇を受け入れる令嬢。

 そのまま幸せそうに王子の胸に顔を埋めて微笑む。

 幸せが彼女を包んでいるのが見えた。

(令嬢が……俺じゃない男と、幸せを手に入れた……)

 そのまま二人は森の出口に向かって進む。

 光の方へ——。

 俺は、ただ茫然と立ち尽くす。

(令嬢……俺が、君を捨てた……はずだったのに……)

(俺が、君に捨てられた——)

 令嬢の住んでいた小屋は、清潔で片付いていた。

 カゴに入ったパッチワーク用の布の中には俺の服だったものもあった。

 いくつかの模様が、令嬢との思い出を見せる。

 いちご柄の端切れはかつて、俺のハンカチだった。

 川に落ちた令嬢の顔の泥をぬぐった……。

 令嬢が捨てていった全て。

 奥に大きなベッドカバーがあった。

 汚れていない出来立てのベッドカバー。

 さっきの、いちごの柄……。

 次の花柄はもう少し大きくなった時のものだ。

 この柄のワンピースを令嬢が着ていた。

 俺と令嬢の思い出が順番に並べられた、素晴らしいパッチワークだ。

 俺と令嬢の記憶——。

『もう関係ないの。全て置いて行くわ』

 俺はベッドカバーを持ったまま膝から崩れ落ちる。

 横に倒れると、ベッドカバーが俺を優しく包む。

(俺は、なんてことをしてしまったんだ……)

「令嬢……愛してる……。戻って来てくれ……」

 声に出しても、伝わらない。

 ベッドカバーに令嬢の残り香だけが漂う。
 
 全てが、もう遅い——。

◆◇◆

 ギリギリで、間に合ったの。

 右手を覆っていた黒いシミが、私の心臓に届く時。

 小屋に飛び込んできた王子の呪いが、私の呪いに重なった。

 呪いは光になって。

 黒く燃え尽くした色とりどりの花や湧水、動物を、元に戻す。

 光が溢れる中で、私を崇拝するように見つめる王子が微笑んでいた。

 私も同じ表情をしている。

 心に感じたことのない温かさが溢れる。

(王子が私の運命の人——)

 王子の腕の中で幸せに包まれる。

「君が呪われたのも、俺と同じ、ただの偶然だ」

「あなたと出会うための偶然だったのね」

 二人が永遠の幸せを手に入れるための、呪い。

 幸せが、今度は周りにも広がっていく——
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