Wild in Blood ~episode Zero~

まりの

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10:不完全燃焼

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 地下への階段を降りた二人が辿り着いたのは、想像していたより広く明るい空間だった。
 白い無機質な壁と、白い照明。空調もしっかりしていて、上の階のように淀んだ空気ではない。
「明るいわね」
 慌てて京がサングラスをかける。
 広い通路ともホールとも呼べぬ場所に、奥へと続く通路と幾つかのドアがあり、ディーンがまだ新しいと言った血の臭いは、そのドアの一つから漂っていた。
『モニター室』
 そうプレートのついた部屋。薄くドアが開いているのが目に入り、二人は足音を忍ばせてそっと近づいた。
 人間のニオイ。複数人? ディーンは耳を澄ます。
 音はほとんど聞えてこない。微かな電子音と遠いモーターの音。人の吐息さえ聞える耳には、不気味なほどの静寂。
 ディーンがそっとドアの隙間から覗き込むと、プレートの通りのモニタが複数並ぶ壁がまず目に入った。そしてコンソールの前の人の居ない椅子が一つ。
「誰も……」
 居ないと言いかけて、ふと視線を降ろした先に白い塊を発見して、ディーンは思い切ってドアを開けた。
「これは?」
 男が床に仰向けに一人倒れていた。一見何処にも外傷は無いように見えたが、頭の下に微かに床に小さな血溜りが出来ている。
 脈を取って確かめるまでも無く、その男からは鼓動も呼吸の音も聞えて来ない事から、ディーンにはすぐに状況はわかった。
「死んでる」
 一応、京がライトを見開いたままの瞳に当て、瞳孔の反応を確かめたが、結果は変わらなかった。
 ディーンが更に分析する。
「後頭部に小さな傷があります。銃創では無いようですが……硬直もまだ始っていません。そう時間は経っていない」
 ふとモニターを見上げて、京が苦々しく唇を噛んだ。
 外は勿論、入り口、十五号のいた部屋の破壊されたドアも映っている。ここにいた者は、全てを見ていた事になる。
 だが襲っては来なかった。それは何故か。外の見張り以外、出られる人間がいなかったから。
「この男以外に人間のいた感じがあります。このニオイは……香水? 地下だからか排気が強力なのでほんの微かですが……一人ですね」
「後で科学班と警察に指紋の採取をさせるけど……そのもう一人と、この男で私達がここに入ったのを見ていたのね。そしてこの男が消された。今までの事と、これから推測できる状況は?」
 京が意地悪くディーンに訊いた。
「またお試しですか?」
「そう。だって初任務だし」
 この状況で笑えるこの女は怖いなとディーンは思ったが、そのくらいでないとやり切れない。
「上での十五号の言動から、A・Hを買い付けに来た人間……恐らく闇市場……が来てからそう時間が経っていなかったと推測されます。もしかしたらまだいたのかもしれない。そこへG・A・N・Pに乗り込まれて、口封じのためにこの男は消された」
 ディーンはすらすらといい終えたが、面白くは無かった。
「まあ、そんな所でしょうね」
「この男はアジア系? 日本人ですかね。ノーマルタイプですね。白衣を着てるし学者でしょう。俺は見たことの無い顔ですが」
「まあ非合法の研究者なんてそんなもんよ。多分コイツがここの研究所の所長なんでしょうね。偉くないと消す必要がないもの」
 土竜は実は身近にいる生き物のわりに、未だに生態も良くわからない生き物の一つだ。その遺伝子を最低でも十七年以上前から操作していたのだから、この男は相当の頭脳の持ち主であった事だけは、同じ生物学者としてディーンにはわかった。間違った方向にその才能を向けてしまったゆえの結末である。
 京が苛立ったように言う。
「不完全燃焼ってカンジ。あの女の子達の恨みに、捕まえるついでに一発お見舞いしてやりたかったんだけど。一足遅かったってわけね」
「俺も噛み付いてやりたかったですね」
 ふう、と二人同時に溜息をついた。もやもやした残滓が心に蟠るのを感じて。
「上手く行けば闇市場の情報を聞き出せたかもしれないのに」
「死人に口無し……ね」
 京がそう締めた時、今度はディーンが微かに口元に笑みを浮かべた。
「科学班や警察に引き渡すのに、現場維持は必須でしょうが、この男の死体を動かして良いでしょうか?」
「どうするの?」
「研究室の遺伝子チェッカーのロックを解除したい。死人に口はありませんが、手はありますからね。喋る代わりに働いてもらいましょう」
 これがディーンのこの男への精一杯の一撃だった。

 研究室は、長らく使われた形跡は無く、新たに生育中のA・Hがいなかった事は京やディーンにとっての救いだった。
 今までの研究資料の押収、データの解析から、一号から九号までは失敗、もしくは適合できずに早期に死亡している事が確認された。十号は十八号のアルフィーと同じく、男性で戦闘用熊のA・Hであったが、こちらは警備用に育てられ、近年に事故で死亡しているようだ。
 だが、残る十一号から保護された十五号、十六号、十八号を除く、少なくとも五人は『商品』として売られて行った事になる。
「でも、何故土竜だったのでしょう? わざわざ退化した目まで特化させなくても……」
「さあね。でも相手が見えない方が嫌悪感が少ない。これは十六号や他の子に唯一の救いとして施された結果だったのかもしれないわ」
 京がまた大きく息を点いた。
「……こんな事を言っちゃいけなのかも知れないけど……ひょっとしたら、十五号が言った様に、ここにいるより誰かに買われた方が幸せって事もあるわよね。闇市場は恐ろしい事も平気でやるけど『商品』の命は何があっても守るもの」
 京が言うのも何となく頷けるディーンだったが……それでも、A・Hも人格を持った人間なのだ。売買されて良いものでは無い。
「いつか、どこかで保護できる日が来るかもしれないですよね」
「そうよ。G・A・N・Pで仕事をしている限り、いつか出会えるかもしれないわ、売られていった番号の子達にね」
 支部の科学班と警察に連絡を入れ、保護した十五号とアルフィーと共に、京とディーンはニューヨークに戻った。

 数日後。
 警察、科学班の解析から、土竜のA・Hを生み出した男の身元が判明した。
 旧日本の有名大学で将来を嘱望されていた研究生だったイサオ・キノシタが姿を消したのは二十年前。当時まだ十八だった。
 その後、何度か香港付近で目撃例も挙がっていたが、クーロン辺りの地下で研究を続けていたと見られる。
 元軍事施設跡の研究所は十六年前から使用されていたとみられる。長きに渡り摘発されなかったのは、闇市場による保護と情報操作があったためであろう。
 残念ながら、その更に黒幕への情報の一切はデータが抜け落ちており、そこから先のルートは掴めなかった。キノシタ所長を殺害したであろう人物に関しても、指紋はおろか、監視カメラの映像も一切残っておらず、逃走経路すら不明のままだ。

 十八号……アルフィーは性格も人懐っこく、身体能力も優れている事から、後見人を得て、アルフレッド・ボーガーと正式名称を与えられ、学校教育を受けながらG・A・N・Pの養成所に通うことが決定した。
「良かったな、アルフィー」
「うん。ボク、頑張って勉強、する。だから待っててね」
 一緒に仕事を出来る日が来るかもしれない、そういう意味での「待っててね」だったが、残念ながら彼が正式な隊員として登録された時には、ディーンは既に北米支部にはいなかったので、同じ職場で働く事は無かった。
 それでも、陽の下で生きることが出来るようになった恩人として、また名付け親として、その後もディーンがアルフィーの心の支えになったというのはあまり知られていない事実である。
 十六号、十五号はガラパゴス条約機構の療養施設に送られ、通常の栄養摂取のためのリハビリを受ける事になり、その後それぞれ里親に引き取られる事となる。
 既に闇市場に買い上げられ、取引されていた者のほとんどがその後の行方がわからなかったが、数年後アジアや欧州で保護された者もいた。
 一応この事件はこれで片付いたものの、ディーンにとっても京にとっても後味の悪さが残る事件だった。
「それにしても、初めて出動した任務がこれだもの。この先、あなたはどんな現場に出ても多分平然としていられるわよ」
 京の言葉通り、その後数々の事件に出動したディーン・ウォレスが、このシカゴ近郊の研究所の事件を凌ぐほど最悪な事件だと感じるのは、その五年後、ラップランドの北の果てのドーム都市での事件まで無かった。
 ほんの僅かだが、闇市場に近づけた事はディーンにとっては大きな意味を持つ初任務だった。
 闇市場だけは絶対に許さない。
 ディーンはその思いを更に強く刻み込んだ。


 昼休み。ちらほらと隊員が昼食をとるために、支部内にあるカフェや外に出かける姿が目に入る。
 唯一話せるダグは、今日はパートナーと出動している。また一人でぽつんと隅のほうに座るかな……ディーンはそう思いつつ、空いたテーブルが無いことに気がつき、トレイを手にしばらく考え込んだ。
 そこで、ディーンはふと以前ダグに言われた事を思い出した。
『一度自分から誰かに話し掛けでもすれば? そうすればわかるよ』
 一人でコーヒーを飲んでいる女性隊員と目が合った。同じタイプD。
「あの……ここ、いいかな?」
 思い切ってディーンが声をかけてみると、彼女は嫌な顔をせず、にっこり笑って席を指した。
「どうぞ。ふふ、声かけてくれるのをずっと待ってたのよ」
 こんな簡単な事が今まで何故出来なかったのだろう。
 ほんの少し、壁が低くなった瞬間だった。
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