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13話 騎士は、その意味を知っている
「……困りました」
低く落ちたその一言に、部屋の空気が一瞬にして色褪せたようだった。
「えっ」
クリストフェルは肩をびくりと跳ねさせた。
先ほどまで温かかった胸の内側が、すうっと冷えていくのがわかった。
——困るって何っ、やっぱり重かった? 嫌だった? ……変……だった?
次々と浮かぶ言葉は、どれも良くないものばかりで喉の奥がひりつく。
顔色を変えたクリストフェルに気づいて、バッカスはすぐに首を振った。
「違います」
間髪入れない否定だけれど、クリストフェルの不安は消えない。
「じゃあ何が……」
思わず、身を乗り出して訊いてしまう。
バッカスは言葉を探すように思案してから、静かに口を開いた。
「嬉しすぎて、困るのです」
「……え」
クリストフェルの唇から、間の抜けた声が漏れた。
にわかに理解が追いつかないまま、バッカスの言葉を何度か頭の中で反芻する。
——嬉しい? 困るくらい?
繰り返し噛みしめるたび、胸の奥の冷たさが、じんわりと溶けていく。
「あなたは時々、私の理性を試してこられる……」
「えっ!?」
驚きで、今度は別の意味で心臓が跳ねる。
「無自覚だから、なお悪い」
低くぼやくように言われて、クリストフェルは口をつぐんだ。
何が悪いのかはわからないけれど、怒られているわけではないことだけは、なんとなく伝わってきた。
バッカスが箱を持つ手つきは驚くほど丁重で、壊れやすいものを扱うように、静かだった。
その仕草を見て、胸の奥が先ほどよりも温かくなる。
——ちゃんと、大事にしてくれてる。
「殿下」
「は、はい」
目線を上げたバッカスに呼ばれ、まだ少し緊張が残ったまま、背筋が伸びる。
「もう一度、同じ問いかけをすることをお許しください。……これを贈る意味を、どこまでご存知ですか?」
バッカスの真剣な眼差しに、また少し不安が戻る。
「……えっと、意味?」
クリストフェルは考え込むけれど、やっぱり特別な意味なんて思い当たらない。
「えっと、意味は、さっきも言……」
「……あぁ、……解りました、答えなくて大丈夫です」
言いかけた言葉を遮られて、クリストフェルは目を見開いた。
拒まれた、というよりも、欲しかった返事は貰えそうにないと諦めた、という雰囲気だった。
クリストフェルは、しゅんと肩を落とす。
「……でも、ちゃんと嬉しい?」
困るほどだと、聞いたばかりだった。
それでもクリストフェルは確かめずにはいられない。
「ええ」
今度は、間を置かずに返ってきた。
頷くバッカスの声も、先ほどよりずっとはっきりしていた。
「とても」
その一言が、胸の奥にまっすぐ落ちる。
「……ほんとに? 使ってくれる?」
「勿論です」
「ほんと?」
「今すぐにでも」
あまりにも迷いのない返答に、クリストフェルはようやく息をついた。
張り詰めていたものが、今度こそやわらかくほどけていく。
——よかった。
安堵が胸に広がるのと同時に、バッカスが静かに立ち上がった。
椅子が少し軋む音が、何故だか大きく感じられた。
「殿下」
短く呼んでから、バッカスは、今付けているマントの留め具へと手をかけた。
手早く外されたそれが掌に収まる。
金属の擦れるかすかな音が、鮮明に響いた。
続けて箱の中へと手を伸ばし、赤い石をあしらった新しい留め具を取り上げるその仕草は、慎重だった。
光を受けて石が小さくきらめく。その色にバッカスの視線が落ちる。
——この色に意味が無いわけがない。
どんなにクリストフェルが鈍感でも、年齢より幼くとも、自身の色を間違える筈はない。
今日の様子を顧みて、自身をバッカスに贈るという行為の意味を、無意識に感じ取っているのだとバッカスは思った。
言葉にならない万感が過ぎる胸元へと、それを運ぶ。
厚手のマントを指で整え位置を確かめ、少しのズレさえ許さないように丁寧に留め具を差し込み、固定した。
爪の先まで神経を行き届かせた丁寧な所作に、飾りの細い鎖さえ、ほとんど音を立てなかった。
それで終わりのはずなのに、バッカスの手はすぐには離れなかった。
赤い石の上にそっと掌を添えたのだ。
そこにある重みと熱を確かめるように。
ようやく手が下ろされたとき、夜の闇を思わせる暗色のマントの上に、鮮やかな赤が灯っていた。
その光景を見た瞬間、クリストフェルの胸が、ふわりと満たされた。
——ああ、かっこいい。
自分が彼にとが選んだものが、そこにある。
それだけでどうしようもなく嬉しくて、気づけば笑っていた。
その無防備な笑顔を見た途端、バッカスは瞳を揺らし目を伏せた。
そんなバッカスに、けれどクリストフェルは気づかない。
安心したままの心で、彼の胸元を見つめていた。
「ありがとうございます、殿下」
静かな、けれど確かな重みを持った声だった。
「……うん」
応えるクリストフェルの声は小さい。
照れ臭くて落ち着かず、瞳が揺れる。
「一生、大事にします。殿下の お 気 持 ち ごと」
続いた言葉に、クリストフェルは一瞬理解が遅れる。
——いま、なんて?
瞬間、熱が一気に頬へと駆け上がった。
バッカスの言った言葉が心臓に突き刺さる。
完璧に気持ちを隠せていると思っていたクリストフェルは、ぷるぷる震えてバッカスを見上げ、
「……む、り……」
耐えきれず、両手で顔を覆ってしまう。
指の隙間から、顔の熱がこぼれ落ちそうだった。
胸の奥がどくどくとうるさい。
「何がです」
変わらない声音だけれど、その静けさが余計に逃げ場をなくす。
「無理ったら、むり……!」
顔を覆ったまま、かろうじて声を絞り出す。
自分でも、耳まで真っ赤になっているのがわかった。
——こんなの、ずるい。
贈っただけなのに、どうしてこんな言い方をされるのかわからない。
わからないのに全部が嬉しくて、困る。
——あ、……そうか。
クリストフェルは、わかってしまった。
ただ贈りものをしたかっただけじゃ無かったことを。
「可愛いですね」
ぽつりと落ちた一言に、びくりと肩が跳ねた。
「……っ、バッカスの馬鹿っ!!」
半ば泣きそうな声で抗議する。
もう隠しきれない感情のままに溢れていた。
バッカスはそれを静かに受け止める。
「ええ」
短く肯定する声はそのままに、また胸元へと手を添える。
贈られた赤い石が、指先のすぐ下で光を返した。
その感触を、存在を、確かめるように何度も触れる。
そこにある意味ごと掬い上げるように。
そして身を屈める。クリストフェルとの距離が近くなった。
「あなたに関してだけは、どうしようもなく」
低く落ちる声は、囁きに近かった。
その言葉の意味を、今のクリストフェルはまだ、正確には理解できない。
それでも、顔を覆ったままの指先が、震えて隠しきれない程に溢れるものが、確かにあった。
クリストフェルはますます顔を上げられなくなってしまったけれど、俯いたままでもわかる。
帰ってきた英雄の胸元に、自分の色がある。
それがたまらなく嬉しくて、顔を伏せたまま、クリストフェルはこっそりと笑った。
この日、クリストフェルは恋を自覚した。
∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴
『いいね』ものすごく励みになります、ありがとうございます!
頑張ります(๑•̀ㅂ•́)و✧
低く落ちたその一言に、部屋の空気が一瞬にして色褪せたようだった。
「えっ」
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顔色を変えたクリストフェルに気づいて、バッカスはすぐに首を振った。
「違います」
間髪入れない否定だけれど、クリストフェルの不安は消えない。
「じゃあ何が……」
思わず、身を乗り出して訊いてしまう。
バッカスは言葉を探すように思案してから、静かに口を開いた。
「嬉しすぎて、困るのです」
「……え」
クリストフェルの唇から、間の抜けた声が漏れた。
にわかに理解が追いつかないまま、バッカスの言葉を何度か頭の中で反芻する。
——嬉しい? 困るくらい?
繰り返し噛みしめるたび、胸の奥の冷たさが、じんわりと溶けていく。
「あなたは時々、私の理性を試してこられる……」
「えっ!?」
驚きで、今度は別の意味で心臓が跳ねる。
「無自覚だから、なお悪い」
低くぼやくように言われて、クリストフェルは口をつぐんだ。
何が悪いのかはわからないけれど、怒られているわけではないことだけは、なんとなく伝わってきた。
バッカスが箱を持つ手つきは驚くほど丁重で、壊れやすいものを扱うように、静かだった。
その仕草を見て、胸の奥が先ほどよりも温かくなる。
——ちゃんと、大事にしてくれてる。
「殿下」
「は、はい」
目線を上げたバッカスに呼ばれ、まだ少し緊張が残ったまま、背筋が伸びる。
「もう一度、同じ問いかけをすることをお許しください。……これを贈る意味を、どこまでご存知ですか?」
バッカスの真剣な眼差しに、また少し不安が戻る。
「……えっと、意味?」
クリストフェルは考え込むけれど、やっぱり特別な意味なんて思い当たらない。
「えっと、意味は、さっきも言……」
「……あぁ、……解りました、答えなくて大丈夫です」
言いかけた言葉を遮られて、クリストフェルは目を見開いた。
拒まれた、というよりも、欲しかった返事は貰えそうにないと諦めた、という雰囲気だった。
クリストフェルは、しゅんと肩を落とす。
「……でも、ちゃんと嬉しい?」
困るほどだと、聞いたばかりだった。
それでもクリストフェルは確かめずにはいられない。
「ええ」
今度は、間を置かずに返ってきた。
頷くバッカスの声も、先ほどよりずっとはっきりしていた。
「とても」
その一言が、胸の奥にまっすぐ落ちる。
「……ほんとに? 使ってくれる?」
「勿論です」
「ほんと?」
「今すぐにでも」
あまりにも迷いのない返答に、クリストフェルはようやく息をついた。
張り詰めていたものが、今度こそやわらかくほどけていく。
——よかった。
安堵が胸に広がるのと同時に、バッカスが静かに立ち上がった。
椅子が少し軋む音が、何故だか大きく感じられた。
「殿下」
短く呼んでから、バッカスは、今付けているマントの留め具へと手をかけた。
手早く外されたそれが掌に収まる。
金属の擦れるかすかな音が、鮮明に響いた。
続けて箱の中へと手を伸ばし、赤い石をあしらった新しい留め具を取り上げるその仕草は、慎重だった。
光を受けて石が小さくきらめく。その色にバッカスの視線が落ちる。
——この色に意味が無いわけがない。
どんなにクリストフェルが鈍感でも、年齢より幼くとも、自身の色を間違える筈はない。
今日の様子を顧みて、自身をバッカスに贈るという行為の意味を、無意識に感じ取っているのだとバッカスは思った。
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厚手のマントを指で整え位置を確かめ、少しのズレさえ許さないように丁寧に留め具を差し込み、固定した。
爪の先まで神経を行き届かせた丁寧な所作に、飾りの細い鎖さえ、ほとんど音を立てなかった。
それで終わりのはずなのに、バッカスの手はすぐには離れなかった。
赤い石の上にそっと掌を添えたのだ。
そこにある重みと熱を確かめるように。
ようやく手が下ろされたとき、夜の闇を思わせる暗色のマントの上に、鮮やかな赤が灯っていた。
その光景を見た瞬間、クリストフェルの胸が、ふわりと満たされた。
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クリストフェルは、わかってしまった。
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「……っ、バッカスの馬鹿っ!!」
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その言葉の意味を、今のクリストフェルはまだ、正確には理解できない。
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クリストフェルはますます顔を上げられなくなってしまったけれど、俯いたままでもわかる。
帰ってきた英雄の胸元に、自分の色がある。
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