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疫病神の発熱
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具合悪い。頭がくらくらする。背中が寒い。なんで俺、こんな状態なのに家で寝てないんだろう。
水上のせいだ。あいつが、新しいブルーレイ買ったから遊びに来て欲しい、なんて間抜けな内容のメールを昨日、寄越したからだ。
症状は既に出ていた。喉が痛むし、熱っぽいし、背骨が軋む。誰に教わらなくても自覚出来る風邪の初期症状。だから、行けないって断ればよかった。そうレスしようと思った。なのに、途端に水上の顔、俺を見つめる、従順で辛抱強い犬っころみたいなあの熱い目が頭を掠めて、つい、気が向いたらな、なんてレス送っちまったんだ。ハッキリ行かない、って言わなかった以上、熱が引かなくても俺は水上のところへ行くんだろうな、って、自分でもう分かっていた。
ことの発端は、あの女だ。
名前は巳死化、あ、違った、未紫華。アメリカ帰りのハチャメチャ台風ギャル。水上は、俺からあっさり乗り換えやがったのかってくらいその女に夢中で、登下校でも部活中でも所かまわずこれ見よがしにいちゃいちゃベタベタして、俺は何がなんだか分からなくて一人でパニくっていた。
結局、未紫華は、水上の彼女などではなく、幼い頃に別れた実の姉貴だという死ぬほど詰まらんオチだったが、そのクソ詰まらない結末に翻弄された俺の立場はどうしてくれるんだ。おまけに未紫華も水上も、ハルカを幸せにしてね、だの、嫉妬して欲しかっただの、姉弟揃って意味不明な台詞を吐きやがって、ますますワケが分からない。
おまけにだ。未紫華め、大人しくアメリカに帰国したかと思いきや、いきなり俺の自宅に国際電話を架けてきた、しかもあろうことか、コレクトコールでだ。信じられるか?俺は大概のことでは驚かない強心臓が秘かな自慢だったのだが、未紫華の行動には度肝を抜かれっ放しだ。
「ハロー、関。アタシよ、分かる?」
分かるも何も、コレクトコールなんだからオペレーターがおまえの名前を告げてるよ。っていうか、拒否ってやれば良かった。クソ。しかも、ほんの数日しか日本に、というより学校に在籍していなかったというのに、いつの間に俺の家電の番号なんか調べたんだ。早業過ぎだろ。
「あんたにどうしても伝えておかなきゃって思って。ハルカの誕生日と好きなもの。ああ、アタシってなんていいお姉さんなのかしら」
俺は既に学習していた。未紫華を敵に回して勝ち目はない、竹槍で戦闘機に立ち向かうほうが、まだしも勝算がありそうだ。カンザスの農民のように、マシンガントークというトルネードが過ぎるのをじっと耐えて待つしか術はない。
そんなわけで、俺のほうから訊ねたわけでもないのに、記憶に刷り込まれてしまった。水上の誕生日が一月であること、そして水上がプレゼントされて喜ぶものとは。
って、テディベアかウサちゃん、なんて本気か、それ。
冗談だろ。高校生にもなって、しかも男が、縫いぐるみなんか貰って喜ぶってのか?いや、縫いぐるみという単語は俺の聞き違いで、北海道土産の木彫りの熊(鮭咥えたヤツな)をコレクションしてるとか、剥製の兎が好きって話じゃないだろうな。縫いぐるみで合ってるよな。
いや、待てよ。これは罠かも知れない。俺が真に受けてデパートの玩具売り場で熊やら兎やらの縫いぐるみを買っているところを盗撮しインスタにあげて笑い者にしようってハラか。未紫華ならそのくらいのことをやらかしても不思議はない。
まあ、その辺のことは置いておくとして。
誕生日が一月ってことは、逆算すれば十二月末頃にはプレゼントを用意しなければならないってことで。クリスマス商戦真っ只中の十二月の玩具売り場なんて、想像もつかない。こまいガキを連れた若い親に混ざって、俺が縫いぐるみの熊か兎を抱えてレジに並ぶなんて幾ら何でも有り得ない。絶対、リボンを手にした厚化粧のデパガに作り笑いで「彼女さんにですね」なんて言われるに決まってる。口に出してハッキリ言われるならまだしも、彼女にプレゼントしてお返しにヤラせて貰うつもりなんでしょ、このエロ高校生めが、なんて胸中で呟かれニヤつかれる、そんな屈辱を受けるくらいなら、俺は舌噛んで死ぬ。被害妄想?自意識過剰?なんと思われたっていい、とにかく、嫌なものは嫌なんだ。
だから、ゲーセンのクレーンゲームにした。正直、普通にデパートで買うより倍くらいのカネが掛かった。俺も半ば意地になってたと思う。半日くらいねばってたんじゃないだろうか。最後は、地蔵のように固まって熊の縫いぐるみだけを狙い続ける俺を見かねてか、或いは余程目障りだったのか、何処からか近づいて来たオッサン店員が無言でケースの鍵を開け、タグがクレーンのアームに引っ掛かりやすい位置に縫いぐるみを移動してくれた。その気遣いは有り難いが、もうこの際、普通に販売してくれ。
それからさらに数時間を費やし、ようやく白い熊を一体、釣りあげることに成功したときには、俺は体力も精神力も使い果たしていた。なんでこの俺が水上のためなんかにここまで必死にならなきゃなんねんだ、と、自分でも疑問だった。
いや。未紫華の言葉に従う義理なんてなかったんだけど。でも、誕生日を知ってしまったからには、スルーはなしだろ。それに、口惜しいけど認めない訳にはいかなかった。なんていうか未紫華には、やることなすこと破天荒で無茶苦茶なのだが敢えてその無茶振りに乗ってみたい、なんだか面白そうって思わせる妙なカリスマ性みたいなものが備わっている。ある意味、途方もない大物なのかもな。未紫華が将来、女性初の、しかも極東の小国出身のアメリカ大統領になったとしても俺は驚かない。あの女なら米軍どころか自衛隊だって動かせそうだもんな。
そうこうしているうちに年が明け、ゲーセン出身の熊にはラッピングを施しリボンを着せて、いつ水上の元へ送りつけてやろうかと算段していたところに、ヒトの気も知らないような呑気な誘いのメールが来たのだ。
例え少々の熱があったって、ここは行くべきだろう。さもないと、ゲーセンで費やした俺の半日と九千円というカネ(俺に取っちゃ大金だ!)が無駄になる。
というわけで、電車を乗り継いでやって来た、水上邸の門の前。
家を出るときは、なんとか平気だと思っていたのに、かなりキツい。今朝起きてから、一度も熱は計らなかった。体温計を手に取ってしまうと、それだけで熱が上がる気がするんだよな。でも、ちゃんと計っておいたほうがよかったかも、と今更ながら思った。
てか、俺、マジ、ゾンビ。
ゾンビっていいなあ。なんか楽しそうだよなあ。いつも集団で、手をだらーんて広げてワラワラワラ~って。て、んん、俺、何考えてんだろう。水上、とっととドア開けろよ。て、あれ。呼び鈴鳴らすのを忘れていた。
指先を延ばして呼び鈴に触れると、程なく水上が家から転がり出て来た。そんな息せき切って走って来なくてもいいのに。
「さみーだろうが。いつまで待たせんだよ。とっと家に上がらせろ」
や、水上は俺を待たせてないけど。でも俺はゾンビ状態で絶賛思考回路停止中だから仕方ナイ。
水上悠(みなかみ・はるか)とは、高校に入学してから知り合った。だからそんなに長い付き合いってわけじゃない。最初からおかしなヤツだなって思っていた。
180㎝を超える長身でガタイが良くて、顔もそこそこイケメン。いまどきの高校生らしくもなく短く切り揃えられた黒髪が真面目と健全さを主張しているというか、私立のお坊ちゃん学校や企業のパンフレットの表紙に載っていそうな、笑顔の口許から零れ落ちる真っ白い歯にキラーンなんて効果音が聞こえてきそうな、もう、パッと見から爽やかな好青年。
実際、水上はボンボンだった。確か両親は父母共に代々弁護士だか医者の家系だって誰かが言っているのを小耳に挟んだ。住んでいる家はモチロン都心の高級住宅街。本人もそんな出自を裏切らない優等生で、いつも穏やかな物腰、争い事は、口喧嘩でさえ苦手。生まれついての貴種、というのはこういうヤツのことなのだろう。そのくせ、出自の良さを鼻にかけることなんて一度も無い。気分にムラが無く、誰に対しても心が開けていて接し方が公平で、年代や男女の関係なく、何処に行っても誰にでも好かれ、ナチュラルに受け容れられるヤツ。
下町のボロアパートで生活力が極めて低いダメ親父と二人住まい、小柄で細身のくせに喧嘩上等、文句のあるヤツはかかってきやがれオーラ常に全開(これは俺の自称ではなく、前に付き合っていた女の言葉だ。誰に言われたかまでは覚えてないけど)な、自他共に認める人間嫌いで偏屈な俺とは明らかに生まれ育ちも性質も違うし、共通点なんかまるでない。
なのに、同クラになった日、つまり、初対面のときからどういうわけか、水上は俺をいたく気に入ったらしい。控え目ではあるが、実に頑固に俺の側から離れない。理由は知らない。そんなもん知ったところで意味はない。箱入りで育てられた純血種のお坊ちゃまが、珍種の動物やら虫やらに子供っぽい一過性の興味を持っただけで、どうせ、飽きたらすぐに離れていくだろうくらいに思っていた。
無論、最初は気に障った。もともと俺は、誰であろうと他人とツルむのが大嫌いな性分なのだ。
数週間は口なんか一言もきいてやらなかった。それでも、ウザいからどっか行け目線を投げると、主人に叱られたワンコみたいにシュンとし、あからさまに哀しそうに項垂れるので、段々、罪悪感というか、ちょっと可哀想になって、なんというか、要するに情が湧いてしまった。懐かれると無下に出来なくなる辺り、日頃から冷血漢を自称している俺も、まだまだ甘い。
そんな成り行きで、水上は半ば強引に、俺の唯一の友人、という立ち位置に収まった。正直、俺的には、友人というより舎弟か下僕、もっと悪く言うと、所有物って感覚だった。
だからってワケじゃないが。水上が俺の言うことを聞かないとイラつくようになって、俺以外の違う誰かを気遣っているとムカついて。おまけに水上め、爽やかな見た目に反してムッツリ助平なのだ、ちょっと可愛い女子が通りかかると、ヤニ下がったツラして後姿を目で追ってたりする。そんな、エロ親父みたいな真似するくらいなら堂々と声を掛ければいいのに、そこまでの度胸はないらしい。
小柄で華奢で色が白くて、笑うときには手で口元を隠し鈴の音色みたいな小さな声をたてる娘(ちなみに俺は、そういう可愛い仕草ってのを意図的にやる計算高い女が大嫌いだ)が好みらしく、同じ委員会の白坂ナントカってのが特にお気に入りで、離れたところからいつも見ていた。なんだか面白くなかった。
だから、白坂を奪ってやった。
白坂だけじゃない、水上が物欲しげな目線を投げる他の女も全部、先に俺の彼女にした。
そういう行為に腹を立て、俺から離れるならそれで構わない。水上が消えて一人になれれば、俺は余計なもんを見る必要が無くなり、つまりイラつかなくて済む。或いは、好きな女を横から掻っ攫われるのがイヤなら、紳士ぶっていないで自分から積極的に攻めに出ればいい。
なのに。どこまで鈍クサく出来ているんだか、どれだけ恋路を潰されてもこれっぱかしもヘコタレないどころか、女とくっついちゃ離れるを繰り返す俺に「またフラれちゃったのか。でも、次こそいいコが現れるから、落ち込むなよな」なんて優等生な台詞を恥ずかし気もなく口にしながら、普段より一層、暑苦しいくらいに密着してくる。
だから違うってのに。元々、惚れたハレタの対象の女じゃないんだから、フろうがフラレようが俺にダメージなんてないんだよ。
胸の裡ではそんなふうに舌を出しても、不器用なくせに俺を精一杯慰めようと寄り添ってくる血統の良いデカいワンコの体温は思いのほか不快じゃなくて、いつの間にか俺はそれに慣れ、それが当たり前になっていた。
気づくのに、それ程時間はかからなかった。女を口説くことも出来ないダサ具合が見ていて焦れったくて腹立たしくて、それが理由で水上の好きな女を奪っていたんじゃない、俺のワンコを、知らない女に奪われるのが癪に触るから邪魔してきたんだ、ってことに。
だって、仕方ないだろ。俺は、同年代の奴らとバカやるのが昔から得意じゃなくて、小学校でも中学校でも、なんとなく周りから敬遠されてきて、だから独りでいるのが当たり前で、そんなふうにずっと17年間過ごして来たんだ。こんなに無条件に誰かに慕われるのなんて、生まれて初めてなんだから。
水上は、気さくで誰にでも親切で、とにかく良いヤツで。そこに居るだけで、自然と周りにひとが集まってくるような、そういうヤツで。
引き換え、俺は。
俺は水上にとって、なんの益ももたらさない、どころか、ただの疫病神だ。水上と友達になりたがっているヤツは、男女問わず大勢いるのに、水上にはそれが見えていない。或いは、俺が、見えないようにしてしまっている。俺と離れさえすれば、可愛い彼女だってすぐに出来るだろうに、そんなことにすら気づいていない。
いい加減、縁を切って楽に、自由にしてやろう。そう思いながらも、いざとなると手放すのが惜しくて、らしくもなく気持ちが迷って、結局、リボンをかけた阿保な誕生日プレゼントを抱え、寒空のなか出掛けて来ている俺は、我ながら随分と滑稽だ。
家に来るのは確か二度目だけど、水上の部屋に上がるのは初めてだ。
俺の仏頂面とデフォルトの不機嫌は今更だけど、珍しく水上も口数が少ない。黙っているのが不意に気詰まりになって、先に立って部屋に案内してくれる背中に投げかける。
「しっかし、デカい家だよなあ。執事やメイドさんが一ダースくらいいんの?」
って、またしても何言ってんだ、俺。幾らなんでも失礼だろ。というか、貧乏人の僻み発言丸出し過ぎだろ。水上の親父さんとお袋さんが留守してて良かった。案の定、水上は振り向いて、そんなことないよ、と困り顔。
駄目だ、もう。渡すものを渡したら、とっとと帰ろう。このままじゃ、水上にもゾンビを感染させてしまう。俺、マジで疫病神。
だから、帰るって言ったのに。
縫いぐるみの熊を渡したら、それで今日のミッションはコンプリートの筈なのに。
帰るなんて言わないで、なんて、縋るような目で水上が言うから。捨てられかけの仔犬みたいに必死に俺を引き止めるから。だから、思わず頷いてしまった。
さすがに広い水上の部屋。おまけに、整理整頓が行き届いている。液晶ワイドテレビのサイズ、普通のサラリーマン家庭のリビングにあったとしたら、ちょっとした自慢の種だろう。それが高校生の部屋に当たり前のように置いてあるんだから、やっぱりボンボンってのは違う。
部屋をザっと見て、どこにも縫いぐるみだのファンシーグッズ的なアイテムは飾られていなかったので、やっぱり未紫華に揶揄われたのかと一瞬思ったが、俺が持参した誕生日プレゼントのラッピングを解いたときの水上の狂喜ぶりを見て、嘘じゃなかったことが分かり、正直、少し引いた。
数枚のブルーレイの中からチョイスしたアクション物を、水上がディスクにセットする。カーテンを引いて部屋を薄暗くしてあるので、映画館で観ているみたいだ。用意された飲み物やスナック、水上のもてなしも完璧。難点を言えば俺がコンディション最悪で、物語のストーリーがまったく頭に入って来ないということだけ。
胡坐をかいた俺の隣で体育座りの水上は、熊の縫いぐるみが余程気に入ったのか、片手でしっかり抱き締めて、今しも鼻歌でも唄いだしそうな雰囲気だ。なんだろう、また頭がぐるぐるする。俺、そろそろ本格的にヤバいんじゃないだろうか。
ぐらり、と傾きかけた体を、水上が素早く支えてくれた。
サンキューな。いきなりひっくり返るという醜態は曝さずに済んだ。でも、どうしてか、そのまま、俺の背に回した腕を離さない。むしろ、ちょっと力が籠められた感じで、なんか抱き寄せられてるっぽい。片手に熊で片手に俺。両手に花、じゃなくてなんて言うんだ、こういうの。なんだかもうよく分からない。
手許のリモコンを操り、水上が映画を止めた。部屋に溢れていた映像と音が途切れた途端、ヘンに息苦しくなる。
「翔一朗。どうしたの。やっぱり、今日、変だよ」
俺を、関、じゃなくて翔一朗って呼ぶオマエのほうがよっぽどヘンだと言い返そうとし、思い出した。そうだった、ついさっき、水上が、苗字じゃなくて名前で、ハルカって呼んでくれ、と言うので、じゃあ俺のこともファーストネームで呼べ、って俺が返したんだ。単に、その場のノリだったんだけど。そっか。水上じゃなくハルカって呼ばなきゃいけないんだな。そう約束したんだから。
「顔赤いし。熱があるんじゃない?」
知らない。体温計使わなかったし。
ハルカの大きな手が、不意に、俺の前髪を掬いあげた。え、と思う間もなく、コツ、と当たったのは、ハルカの額。
「え、なにしてんだよ」
めちゃ、近い。ていうか、近過ぎ。思わず突き飛ばそうとした。なのに、体に力が入らない。
「やっぱり、熱い」
「知ってる。俺、風邪」
俺、ゾンビ。
「嘘、風邪引いてるのに、それでも来てくれたの?俺のために」
ええええ?そこって、感動するとこなのか?熱があるのに遊びになんて来るな、って迷惑がるだろ、普通。歓喜に耐えないみたいに目を輝かせて俺の顔を覗き込むって、おまえ、何処にスイッチが入ったんだよ。
俺、いま、どんな顔してんだろう。うん、ゾンビだ。それもバイオハザードみたいな元気系じゃなくて、大昔のゾンビ映画に出てくる、動きの緩慢な、ぬたーっとした部類の。
「ねえ、翔一朗。可愛いね」
ああ、まあな。白いモフモフの熊は、確かに可愛いだろうさ。そんなに気に入って貰えて、俺も持ってきた甲斐があったってもんだ。
「弱ってる翔一朗って、いつもと全然違って可愛い」
バカヤローが。縫いぐるみのことだって好意的に解釈してやったのに、何わざわざ言い直してんだよ。可愛いとかナメたことぬかされて、反論しない訳にはいかないだろうが。
「何、言って」
怒鳴りつけるつもりが、切れ切れの掠れた単語にしかならなかった。くそ、もう、声を出すのもしんどい。
「ホントだよ。すっごい、可愛い。でも、もう限界」
何ほざいてんだ。バカじゃねーの、ハルカ。そう言おうとした。なのに唇を、塞がれた。
「ん、んむ」
って、熊チューかよ、ていうか、ワザとそうしたんじゃないとは思うけど、不意に押し付けられた熊の縫いぐるみにモロに唇と鼻を塞がれ、狼狽えたところを、いきなり横抱きに抱え上げられた。
世に言う、お姫様抱っこというヤツだ。熊をお姫様抱っこした俺を、ハルカが抱っこ?
「いきなりナニしやがる?」
「いいから、大人しくして」
軽々と俺を抱き上げたまま大股に部屋を横切るハルカ、意外に力があるんだなーなんて思う間もなく、壊れ物みたいにそうっと降ろされたのは、ベッドだった。セミダブルくらいありそうな広いマットレス。
「もう限界、でしょ。見てたら、分かるよ」
何がだよ。
「俺も、子供の頃に扁桃腺炎でよく高熱出してさ、でも注射怖くて、医者に連れて行かれるのがイヤで、限界ギリギリまで平気な顔して我慢して、結局、ぶっ倒れたりしたこと、よくあったんだよね」
いやいや。医者嫌い注射怖いレベルのガキと、俺を一緒にすんな。
「休んでいきなよ。なんなら、泊まってってもいいよ、俺、看病するから」
なんか、反論するのも面倒くさくなってきた。瞼が重い。このまま目を閉じて、ぐずぐずに崩れてしまいたい。
ふと気がついた。俺は、渡された熊をまだしっかり抱き締めたままだ、まるで小さな子供みたいに。
なんでだろ、腕が空っぽじゃないのって、理由は分からないけど落ち着く。不安で弱っているとき、しがみついていい唯一の寄る辺みたいだ。こんなんじゃ、大の男が縫いぐるみかよ、なんてハルカを笑えない。でも、そっか。歯医者とか病院で、ガキんちょが縫いぐるみや人形を頑として手放さないのって、そういう心理なんだろうな。ってホントに、この状況でなに児童心理学に想いを馳せてんだよ、俺。
「お腹空いてない?俺、おかゆくらいなら作れるよ」
ハルカの声。ハルカの気配。ハルカの匂いのするベッド、不思議だ、すごく安心する。いや、理由は分かっている。大切にされている、って肌で感じられるからだ。
別に空腹ではないから目を瞑ったまま、小さく首を横に振る。ハルカに通じたかどうかは分からない。もう、なんでもいい。眠りたい。早く意識を手放したい。
「翔一朗」
「んー。なんだ」
「*****だよ、翔一朗」
ハルカがなにか言ったみたいだったが、よく聞き取れなかった。急激に強い眠気に捉えられ、意味を持った言葉として頭に入らなかった。好きだよ、翔一朗。そう聞こえたような気もしたが、多分、俺の空耳だろう。
「ん。俺も」
空耳に答えただけだから、俺の意思じゃない。勝手に言葉が零れ出ただけ。
思い掛けないくらいすぐ近くで、息を呑む気配がした。
「本気にして、いいの?」
わりい。いま俺、ゾンビなんだ。脳味噌も八割がたスポンジってる。だから、自分が何を言っているのか、おまえが何を言っているのか、よく分かんない。
温かい大きな手が躊躇うみたいにゆっくりと頬に触れた。唇が、柔らかいもので包まれる。今度は、縫いぐるみじゃあない。
なにこれ。ひょっとして俺、キス、されてる?
いやいや、妄想だ。ハルカがそんなことするわけない。好みの女に声を掛けることも出来ない晩熟(オクテ)なヤツだ。おまけに、俺ら、男同士だっての。男が男にキスするなんて有り得ないだろう。でも、どうしてなんだろう。悪い気分じゃなかった。
億劫で目を開ける気にもなれなかったが、振動で、ハルカが俺の隣に横になったのが分かった。無言のまま、身を寄せて来たハルカに背中から抱き締められる。俺はそれを振り払わなかった。振り払う気力が無かったから、っていうのもあるけど、それだけじゃない。
俺が今日、初めて知ったこと。腕になにかを抱き締めているのは落ち着くし、心地よい。そして、誰かの腕にすっぽり包まれるのは、それ以上に安心できて、心地よい。
体調が万全だったら、こんなふうには思わなかっただろう。そのまま、俺の意識は空白のなかに霧散した。
翌日になっても俺の体調はまったく良くならず、結局、ハルカの親父さんの車で救急に運ばれた。保険証は、家に電話して父親に持って来させた。俺は風邪ではなく、ウイルス性の感染症、つまり、ゾンビ、いや違う、インフルエンザを発症していたのだ。
そして。
一晩中ずっと俺に添い寝していたハルカも、見事に感染した。まあ、当然だな。
だって、俺、疫病神だもん。
新学期に顔を合わせたら、一応、謝っておくか。でも、俺の聞き違いかも知れないけど、あいつ、なんかヘンなこと言ってたしな。それに、えーと、思い出したくないけど、その、キス疑惑、みたいなのもあるし。謝るよりもむしろチクチク攻撃してやろう。
年が明けても、俺はまだあのデカいワンコ、もといハルカを手放せない予感がひしひしと身に染みて、ちょっと一人でニヤついている自分に気がついた。
《Fin》
水上のせいだ。あいつが、新しいブルーレイ買ったから遊びに来て欲しい、なんて間抜けな内容のメールを昨日、寄越したからだ。
症状は既に出ていた。喉が痛むし、熱っぽいし、背骨が軋む。誰に教わらなくても自覚出来る風邪の初期症状。だから、行けないって断ればよかった。そうレスしようと思った。なのに、途端に水上の顔、俺を見つめる、従順で辛抱強い犬っころみたいなあの熱い目が頭を掠めて、つい、気が向いたらな、なんてレス送っちまったんだ。ハッキリ行かない、って言わなかった以上、熱が引かなくても俺は水上のところへ行くんだろうな、って、自分でもう分かっていた。
ことの発端は、あの女だ。
名前は巳死化、あ、違った、未紫華。アメリカ帰りのハチャメチャ台風ギャル。水上は、俺からあっさり乗り換えやがったのかってくらいその女に夢中で、登下校でも部活中でも所かまわずこれ見よがしにいちゃいちゃベタベタして、俺は何がなんだか分からなくて一人でパニくっていた。
結局、未紫華は、水上の彼女などではなく、幼い頃に別れた実の姉貴だという死ぬほど詰まらんオチだったが、そのクソ詰まらない結末に翻弄された俺の立場はどうしてくれるんだ。おまけに未紫華も水上も、ハルカを幸せにしてね、だの、嫉妬して欲しかっただの、姉弟揃って意味不明な台詞を吐きやがって、ますますワケが分からない。
おまけにだ。未紫華め、大人しくアメリカに帰国したかと思いきや、いきなり俺の自宅に国際電話を架けてきた、しかもあろうことか、コレクトコールでだ。信じられるか?俺は大概のことでは驚かない強心臓が秘かな自慢だったのだが、未紫華の行動には度肝を抜かれっ放しだ。
「ハロー、関。アタシよ、分かる?」
分かるも何も、コレクトコールなんだからオペレーターがおまえの名前を告げてるよ。っていうか、拒否ってやれば良かった。クソ。しかも、ほんの数日しか日本に、というより学校に在籍していなかったというのに、いつの間に俺の家電の番号なんか調べたんだ。早業過ぎだろ。
「あんたにどうしても伝えておかなきゃって思って。ハルカの誕生日と好きなもの。ああ、アタシってなんていいお姉さんなのかしら」
俺は既に学習していた。未紫華を敵に回して勝ち目はない、竹槍で戦闘機に立ち向かうほうが、まだしも勝算がありそうだ。カンザスの農民のように、マシンガントークというトルネードが過ぎるのをじっと耐えて待つしか術はない。
そんなわけで、俺のほうから訊ねたわけでもないのに、記憶に刷り込まれてしまった。水上の誕生日が一月であること、そして水上がプレゼントされて喜ぶものとは。
って、テディベアかウサちゃん、なんて本気か、それ。
冗談だろ。高校生にもなって、しかも男が、縫いぐるみなんか貰って喜ぶってのか?いや、縫いぐるみという単語は俺の聞き違いで、北海道土産の木彫りの熊(鮭咥えたヤツな)をコレクションしてるとか、剥製の兎が好きって話じゃないだろうな。縫いぐるみで合ってるよな。
いや、待てよ。これは罠かも知れない。俺が真に受けてデパートの玩具売り場で熊やら兎やらの縫いぐるみを買っているところを盗撮しインスタにあげて笑い者にしようってハラか。未紫華ならそのくらいのことをやらかしても不思議はない。
まあ、その辺のことは置いておくとして。
誕生日が一月ってことは、逆算すれば十二月末頃にはプレゼントを用意しなければならないってことで。クリスマス商戦真っ只中の十二月の玩具売り場なんて、想像もつかない。こまいガキを連れた若い親に混ざって、俺が縫いぐるみの熊か兎を抱えてレジに並ぶなんて幾ら何でも有り得ない。絶対、リボンを手にした厚化粧のデパガに作り笑いで「彼女さんにですね」なんて言われるに決まってる。口に出してハッキリ言われるならまだしも、彼女にプレゼントしてお返しにヤラせて貰うつもりなんでしょ、このエロ高校生めが、なんて胸中で呟かれニヤつかれる、そんな屈辱を受けるくらいなら、俺は舌噛んで死ぬ。被害妄想?自意識過剰?なんと思われたっていい、とにかく、嫌なものは嫌なんだ。
だから、ゲーセンのクレーンゲームにした。正直、普通にデパートで買うより倍くらいのカネが掛かった。俺も半ば意地になってたと思う。半日くらいねばってたんじゃないだろうか。最後は、地蔵のように固まって熊の縫いぐるみだけを狙い続ける俺を見かねてか、或いは余程目障りだったのか、何処からか近づいて来たオッサン店員が無言でケースの鍵を開け、タグがクレーンのアームに引っ掛かりやすい位置に縫いぐるみを移動してくれた。その気遣いは有り難いが、もうこの際、普通に販売してくれ。
それからさらに数時間を費やし、ようやく白い熊を一体、釣りあげることに成功したときには、俺は体力も精神力も使い果たしていた。なんでこの俺が水上のためなんかにここまで必死にならなきゃなんねんだ、と、自分でも疑問だった。
いや。未紫華の言葉に従う義理なんてなかったんだけど。でも、誕生日を知ってしまったからには、スルーはなしだろ。それに、口惜しいけど認めない訳にはいかなかった。なんていうか未紫華には、やることなすこと破天荒で無茶苦茶なのだが敢えてその無茶振りに乗ってみたい、なんだか面白そうって思わせる妙なカリスマ性みたいなものが備わっている。ある意味、途方もない大物なのかもな。未紫華が将来、女性初の、しかも極東の小国出身のアメリカ大統領になったとしても俺は驚かない。あの女なら米軍どころか自衛隊だって動かせそうだもんな。
そうこうしているうちに年が明け、ゲーセン出身の熊にはラッピングを施しリボンを着せて、いつ水上の元へ送りつけてやろうかと算段していたところに、ヒトの気も知らないような呑気な誘いのメールが来たのだ。
例え少々の熱があったって、ここは行くべきだろう。さもないと、ゲーセンで費やした俺の半日と九千円というカネ(俺に取っちゃ大金だ!)が無駄になる。
というわけで、電車を乗り継いでやって来た、水上邸の門の前。
家を出るときは、なんとか平気だと思っていたのに、かなりキツい。今朝起きてから、一度も熱は計らなかった。体温計を手に取ってしまうと、それだけで熱が上がる気がするんだよな。でも、ちゃんと計っておいたほうがよかったかも、と今更ながら思った。
てか、俺、マジ、ゾンビ。
ゾンビっていいなあ。なんか楽しそうだよなあ。いつも集団で、手をだらーんて広げてワラワラワラ~って。て、んん、俺、何考えてんだろう。水上、とっととドア開けろよ。て、あれ。呼び鈴鳴らすのを忘れていた。
指先を延ばして呼び鈴に触れると、程なく水上が家から転がり出て来た。そんな息せき切って走って来なくてもいいのに。
「さみーだろうが。いつまで待たせんだよ。とっと家に上がらせろ」
や、水上は俺を待たせてないけど。でも俺はゾンビ状態で絶賛思考回路停止中だから仕方ナイ。
水上悠(みなかみ・はるか)とは、高校に入学してから知り合った。だからそんなに長い付き合いってわけじゃない。最初からおかしなヤツだなって思っていた。
180㎝を超える長身でガタイが良くて、顔もそこそこイケメン。いまどきの高校生らしくもなく短く切り揃えられた黒髪が真面目と健全さを主張しているというか、私立のお坊ちゃん学校や企業のパンフレットの表紙に載っていそうな、笑顔の口許から零れ落ちる真っ白い歯にキラーンなんて効果音が聞こえてきそうな、もう、パッと見から爽やかな好青年。
実際、水上はボンボンだった。確か両親は父母共に代々弁護士だか医者の家系だって誰かが言っているのを小耳に挟んだ。住んでいる家はモチロン都心の高級住宅街。本人もそんな出自を裏切らない優等生で、いつも穏やかな物腰、争い事は、口喧嘩でさえ苦手。生まれついての貴種、というのはこういうヤツのことなのだろう。そのくせ、出自の良さを鼻にかけることなんて一度も無い。気分にムラが無く、誰に対しても心が開けていて接し方が公平で、年代や男女の関係なく、何処に行っても誰にでも好かれ、ナチュラルに受け容れられるヤツ。
下町のボロアパートで生活力が極めて低いダメ親父と二人住まい、小柄で細身のくせに喧嘩上等、文句のあるヤツはかかってきやがれオーラ常に全開(これは俺の自称ではなく、前に付き合っていた女の言葉だ。誰に言われたかまでは覚えてないけど)な、自他共に認める人間嫌いで偏屈な俺とは明らかに生まれ育ちも性質も違うし、共通点なんかまるでない。
なのに、同クラになった日、つまり、初対面のときからどういうわけか、水上は俺をいたく気に入ったらしい。控え目ではあるが、実に頑固に俺の側から離れない。理由は知らない。そんなもん知ったところで意味はない。箱入りで育てられた純血種のお坊ちゃまが、珍種の動物やら虫やらに子供っぽい一過性の興味を持っただけで、どうせ、飽きたらすぐに離れていくだろうくらいに思っていた。
無論、最初は気に障った。もともと俺は、誰であろうと他人とツルむのが大嫌いな性分なのだ。
数週間は口なんか一言もきいてやらなかった。それでも、ウザいからどっか行け目線を投げると、主人に叱られたワンコみたいにシュンとし、あからさまに哀しそうに項垂れるので、段々、罪悪感というか、ちょっと可哀想になって、なんというか、要するに情が湧いてしまった。懐かれると無下に出来なくなる辺り、日頃から冷血漢を自称している俺も、まだまだ甘い。
そんな成り行きで、水上は半ば強引に、俺の唯一の友人、という立ち位置に収まった。正直、俺的には、友人というより舎弟か下僕、もっと悪く言うと、所有物って感覚だった。
だからってワケじゃないが。水上が俺の言うことを聞かないとイラつくようになって、俺以外の違う誰かを気遣っているとムカついて。おまけに水上め、爽やかな見た目に反してムッツリ助平なのだ、ちょっと可愛い女子が通りかかると、ヤニ下がったツラして後姿を目で追ってたりする。そんな、エロ親父みたいな真似するくらいなら堂々と声を掛ければいいのに、そこまでの度胸はないらしい。
小柄で華奢で色が白くて、笑うときには手で口元を隠し鈴の音色みたいな小さな声をたてる娘(ちなみに俺は、そういう可愛い仕草ってのを意図的にやる計算高い女が大嫌いだ)が好みらしく、同じ委員会の白坂ナントカってのが特にお気に入りで、離れたところからいつも見ていた。なんだか面白くなかった。
だから、白坂を奪ってやった。
白坂だけじゃない、水上が物欲しげな目線を投げる他の女も全部、先に俺の彼女にした。
そういう行為に腹を立て、俺から離れるならそれで構わない。水上が消えて一人になれれば、俺は余計なもんを見る必要が無くなり、つまりイラつかなくて済む。或いは、好きな女を横から掻っ攫われるのがイヤなら、紳士ぶっていないで自分から積極的に攻めに出ればいい。
なのに。どこまで鈍クサく出来ているんだか、どれだけ恋路を潰されてもこれっぱかしもヘコタレないどころか、女とくっついちゃ離れるを繰り返す俺に「またフラれちゃったのか。でも、次こそいいコが現れるから、落ち込むなよな」なんて優等生な台詞を恥ずかし気もなく口にしながら、普段より一層、暑苦しいくらいに密着してくる。
だから違うってのに。元々、惚れたハレタの対象の女じゃないんだから、フろうがフラレようが俺にダメージなんてないんだよ。
胸の裡ではそんなふうに舌を出しても、不器用なくせに俺を精一杯慰めようと寄り添ってくる血統の良いデカいワンコの体温は思いのほか不快じゃなくて、いつの間にか俺はそれに慣れ、それが当たり前になっていた。
気づくのに、それ程時間はかからなかった。女を口説くことも出来ないダサ具合が見ていて焦れったくて腹立たしくて、それが理由で水上の好きな女を奪っていたんじゃない、俺のワンコを、知らない女に奪われるのが癪に触るから邪魔してきたんだ、ってことに。
だって、仕方ないだろ。俺は、同年代の奴らとバカやるのが昔から得意じゃなくて、小学校でも中学校でも、なんとなく周りから敬遠されてきて、だから独りでいるのが当たり前で、そんなふうにずっと17年間過ごして来たんだ。こんなに無条件に誰かに慕われるのなんて、生まれて初めてなんだから。
水上は、気さくで誰にでも親切で、とにかく良いヤツで。そこに居るだけで、自然と周りにひとが集まってくるような、そういうヤツで。
引き換え、俺は。
俺は水上にとって、なんの益ももたらさない、どころか、ただの疫病神だ。水上と友達になりたがっているヤツは、男女問わず大勢いるのに、水上にはそれが見えていない。或いは、俺が、見えないようにしてしまっている。俺と離れさえすれば、可愛い彼女だってすぐに出来るだろうに、そんなことにすら気づいていない。
いい加減、縁を切って楽に、自由にしてやろう。そう思いながらも、いざとなると手放すのが惜しくて、らしくもなく気持ちが迷って、結局、リボンをかけた阿保な誕生日プレゼントを抱え、寒空のなか出掛けて来ている俺は、我ながら随分と滑稽だ。
家に来るのは確か二度目だけど、水上の部屋に上がるのは初めてだ。
俺の仏頂面とデフォルトの不機嫌は今更だけど、珍しく水上も口数が少ない。黙っているのが不意に気詰まりになって、先に立って部屋に案内してくれる背中に投げかける。
「しっかし、デカい家だよなあ。執事やメイドさんが一ダースくらいいんの?」
って、またしても何言ってんだ、俺。幾らなんでも失礼だろ。というか、貧乏人の僻み発言丸出し過ぎだろ。水上の親父さんとお袋さんが留守してて良かった。案の定、水上は振り向いて、そんなことないよ、と困り顔。
駄目だ、もう。渡すものを渡したら、とっとと帰ろう。このままじゃ、水上にもゾンビを感染させてしまう。俺、マジで疫病神。
だから、帰るって言ったのに。
縫いぐるみの熊を渡したら、それで今日のミッションはコンプリートの筈なのに。
帰るなんて言わないで、なんて、縋るような目で水上が言うから。捨てられかけの仔犬みたいに必死に俺を引き止めるから。だから、思わず頷いてしまった。
さすがに広い水上の部屋。おまけに、整理整頓が行き届いている。液晶ワイドテレビのサイズ、普通のサラリーマン家庭のリビングにあったとしたら、ちょっとした自慢の種だろう。それが高校生の部屋に当たり前のように置いてあるんだから、やっぱりボンボンってのは違う。
部屋をザっと見て、どこにも縫いぐるみだのファンシーグッズ的なアイテムは飾られていなかったので、やっぱり未紫華に揶揄われたのかと一瞬思ったが、俺が持参した誕生日プレゼントのラッピングを解いたときの水上の狂喜ぶりを見て、嘘じゃなかったことが分かり、正直、少し引いた。
数枚のブルーレイの中からチョイスしたアクション物を、水上がディスクにセットする。カーテンを引いて部屋を薄暗くしてあるので、映画館で観ているみたいだ。用意された飲み物やスナック、水上のもてなしも完璧。難点を言えば俺がコンディション最悪で、物語のストーリーがまったく頭に入って来ないということだけ。
胡坐をかいた俺の隣で体育座りの水上は、熊の縫いぐるみが余程気に入ったのか、片手でしっかり抱き締めて、今しも鼻歌でも唄いだしそうな雰囲気だ。なんだろう、また頭がぐるぐるする。俺、そろそろ本格的にヤバいんじゃないだろうか。
ぐらり、と傾きかけた体を、水上が素早く支えてくれた。
サンキューな。いきなりひっくり返るという醜態は曝さずに済んだ。でも、どうしてか、そのまま、俺の背に回した腕を離さない。むしろ、ちょっと力が籠められた感じで、なんか抱き寄せられてるっぽい。片手に熊で片手に俺。両手に花、じゃなくてなんて言うんだ、こういうの。なんだかもうよく分からない。
手許のリモコンを操り、水上が映画を止めた。部屋に溢れていた映像と音が途切れた途端、ヘンに息苦しくなる。
「翔一朗。どうしたの。やっぱり、今日、変だよ」
俺を、関、じゃなくて翔一朗って呼ぶオマエのほうがよっぽどヘンだと言い返そうとし、思い出した。そうだった、ついさっき、水上が、苗字じゃなくて名前で、ハルカって呼んでくれ、と言うので、じゃあ俺のこともファーストネームで呼べ、って俺が返したんだ。単に、その場のノリだったんだけど。そっか。水上じゃなくハルカって呼ばなきゃいけないんだな。そう約束したんだから。
「顔赤いし。熱があるんじゃない?」
知らない。体温計使わなかったし。
ハルカの大きな手が、不意に、俺の前髪を掬いあげた。え、と思う間もなく、コツ、と当たったのは、ハルカの額。
「え、なにしてんだよ」
めちゃ、近い。ていうか、近過ぎ。思わず突き飛ばそうとした。なのに、体に力が入らない。
「やっぱり、熱い」
「知ってる。俺、風邪」
俺、ゾンビ。
「嘘、風邪引いてるのに、それでも来てくれたの?俺のために」
ええええ?そこって、感動するとこなのか?熱があるのに遊びになんて来るな、って迷惑がるだろ、普通。歓喜に耐えないみたいに目を輝かせて俺の顔を覗き込むって、おまえ、何処にスイッチが入ったんだよ。
俺、いま、どんな顔してんだろう。うん、ゾンビだ。それもバイオハザードみたいな元気系じゃなくて、大昔のゾンビ映画に出てくる、動きの緩慢な、ぬたーっとした部類の。
「ねえ、翔一朗。可愛いね」
ああ、まあな。白いモフモフの熊は、確かに可愛いだろうさ。そんなに気に入って貰えて、俺も持ってきた甲斐があったってもんだ。
「弱ってる翔一朗って、いつもと全然違って可愛い」
バカヤローが。縫いぐるみのことだって好意的に解釈してやったのに、何わざわざ言い直してんだよ。可愛いとかナメたことぬかされて、反論しない訳にはいかないだろうが。
「何、言って」
怒鳴りつけるつもりが、切れ切れの掠れた単語にしかならなかった。くそ、もう、声を出すのもしんどい。
「ホントだよ。すっごい、可愛い。でも、もう限界」
何ほざいてんだ。バカじゃねーの、ハルカ。そう言おうとした。なのに唇を、塞がれた。
「ん、んむ」
って、熊チューかよ、ていうか、ワザとそうしたんじゃないとは思うけど、不意に押し付けられた熊の縫いぐるみにモロに唇と鼻を塞がれ、狼狽えたところを、いきなり横抱きに抱え上げられた。
世に言う、お姫様抱っこというヤツだ。熊をお姫様抱っこした俺を、ハルカが抱っこ?
「いきなりナニしやがる?」
「いいから、大人しくして」
軽々と俺を抱き上げたまま大股に部屋を横切るハルカ、意外に力があるんだなーなんて思う間もなく、壊れ物みたいにそうっと降ろされたのは、ベッドだった。セミダブルくらいありそうな広いマットレス。
「もう限界、でしょ。見てたら、分かるよ」
何がだよ。
「俺も、子供の頃に扁桃腺炎でよく高熱出してさ、でも注射怖くて、医者に連れて行かれるのがイヤで、限界ギリギリまで平気な顔して我慢して、結局、ぶっ倒れたりしたこと、よくあったんだよね」
いやいや。医者嫌い注射怖いレベルのガキと、俺を一緒にすんな。
「休んでいきなよ。なんなら、泊まってってもいいよ、俺、看病するから」
なんか、反論するのも面倒くさくなってきた。瞼が重い。このまま目を閉じて、ぐずぐずに崩れてしまいたい。
ふと気がついた。俺は、渡された熊をまだしっかり抱き締めたままだ、まるで小さな子供みたいに。
なんでだろ、腕が空っぽじゃないのって、理由は分からないけど落ち着く。不安で弱っているとき、しがみついていい唯一の寄る辺みたいだ。こんなんじゃ、大の男が縫いぐるみかよ、なんてハルカを笑えない。でも、そっか。歯医者とか病院で、ガキんちょが縫いぐるみや人形を頑として手放さないのって、そういう心理なんだろうな。ってホントに、この状況でなに児童心理学に想いを馳せてんだよ、俺。
「お腹空いてない?俺、おかゆくらいなら作れるよ」
ハルカの声。ハルカの気配。ハルカの匂いのするベッド、不思議だ、すごく安心する。いや、理由は分かっている。大切にされている、って肌で感じられるからだ。
別に空腹ではないから目を瞑ったまま、小さく首を横に振る。ハルカに通じたかどうかは分からない。もう、なんでもいい。眠りたい。早く意識を手放したい。
「翔一朗」
「んー。なんだ」
「*****だよ、翔一朗」
ハルカがなにか言ったみたいだったが、よく聞き取れなかった。急激に強い眠気に捉えられ、意味を持った言葉として頭に入らなかった。好きだよ、翔一朗。そう聞こえたような気もしたが、多分、俺の空耳だろう。
「ん。俺も」
空耳に答えただけだから、俺の意思じゃない。勝手に言葉が零れ出ただけ。
思い掛けないくらいすぐ近くで、息を呑む気配がした。
「本気にして、いいの?」
わりい。いま俺、ゾンビなんだ。脳味噌も八割がたスポンジってる。だから、自分が何を言っているのか、おまえが何を言っているのか、よく分かんない。
温かい大きな手が躊躇うみたいにゆっくりと頬に触れた。唇が、柔らかいもので包まれる。今度は、縫いぐるみじゃあない。
なにこれ。ひょっとして俺、キス、されてる?
いやいや、妄想だ。ハルカがそんなことするわけない。好みの女に声を掛けることも出来ない晩熟(オクテ)なヤツだ。おまけに、俺ら、男同士だっての。男が男にキスするなんて有り得ないだろう。でも、どうしてなんだろう。悪い気分じゃなかった。
億劫で目を開ける気にもなれなかったが、振動で、ハルカが俺の隣に横になったのが分かった。無言のまま、身を寄せて来たハルカに背中から抱き締められる。俺はそれを振り払わなかった。振り払う気力が無かったから、っていうのもあるけど、それだけじゃない。
俺が今日、初めて知ったこと。腕になにかを抱き締めているのは落ち着くし、心地よい。そして、誰かの腕にすっぽり包まれるのは、それ以上に安心できて、心地よい。
体調が万全だったら、こんなふうには思わなかっただろう。そのまま、俺の意識は空白のなかに霧散した。
翌日になっても俺の体調はまったく良くならず、結局、ハルカの親父さんの車で救急に運ばれた。保険証は、家に電話して父親に持って来させた。俺は風邪ではなく、ウイルス性の感染症、つまり、ゾンビ、いや違う、インフルエンザを発症していたのだ。
そして。
一晩中ずっと俺に添い寝していたハルカも、見事に感染した。まあ、当然だな。
だって、俺、疫病神だもん。
新学期に顔を合わせたら、一応、謝っておくか。でも、俺の聞き違いかも知れないけど、あいつ、なんかヘンなこと言ってたしな。それに、えーと、思い出したくないけど、その、キス疑惑、みたいなのもあるし。謝るよりもむしろチクチク攻撃してやろう。
年が明けても、俺はまだあのデカいワンコ、もといハルカを手放せない予感がひしひしと身に染みて、ちょっと一人でニヤついている自分に気がついた。
《Fin》
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