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回想 異形の街

異形の街 28

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上位元素により、通常の物理保則が簡単に上書きされるこの世界において、体格や体重は戦闘能力の指標にはならない。

シャイナとヌエが互角に戦っていたように、重要なのは上位元素への適性であり、また、それによる基礎能力の強化度合いなのである。

とはいえ、体が大きいということはそれだけ上位元素の影響を受けている、あるいは受けやすいということでもある。
特に生命活動に上位元素が必須となる魔獣はその傾向が強い。

『・・・まあ、厳密にはヌエはキメラであって魔獣ではないが。』
「錬金術師殿、何か言いましたか?」
『なに、独り言じゃ。あやつのものが移ったかのう。・・・それで、その娘の様子はどうじゃ?』
「いえ、まだ目を覚ましません。前見た時は、意識を失うまでは行かなかったのですが・・・」
『ふむ、やはりその娘の権能は、今はヌエやそれに準ずる情報を得ることに特化しているようじゃな。故に、ヌエに物理的に接近したことにより情報量が増え負担が増加しておるのじゃろう。』

アルスのその言葉に、アリアは思わず動揺する。

「しゃ、シャイナは大丈夫なのですか!?」
『気絶しておるのならば大丈夫じゃ。恐らく、危険を察知して無意識で情報を遮断しておるのじゃろう。』
「そ、そうですか・・・」
『とはいえ、起きたところでヌエと戦わせる訳にもいかぬ。我もゴーレムの制御とヌエの解析で手が離せぬ。』
「・・・結局、彼に頼る他無いということですか。」
『救援が来れば別じゃがな。まあ、もっとも・・・』

アルスはキメラの顔で苦笑を浮かべる。

『あやつに、助力が必要かは甚だ疑問ではあるがの。』
「そう、ですね。こうやって離れて見るとよく分かりますが・・・」

アリアもまた、神妙な、しかし何処か呆れたような表情で呟く。

「彼は、死地に身を置く事に慣れている。死線を紙一重で見極め、その境界にのみ生まれる好機を必ず物にする。余程多くの戦場いくさばを経験していなければ、あんな動きはできません。」

そう言うアリアの視線の先では。

シルヴァが、ヌエと超至近距離で戦闘を繰り広げていた。


体格も体重も、シルヴァはヌエより大きく劣っている。当然、トンファーによる近接攻撃など全く効果が無い。
故に彼は、トンファーを武器ではなく移動手段・・・・として使うことにした。

グレイアントの時にも使った、相手に触れた場所を支点として、脚だけでの跳躍以上に飛び上がる移動法である。
しかし当然、シルヴァとヌエの間にある体格差はその程度で埋められるものでは無い。

そこで彼は更に、ヌエの力を利用することにした。

「・・・・・・・ふっ!」

シルヴァがバレーナに来てから初めて見せる真剣な表情。
視覚、聴覚、嗅覚はもちろん、触覚も研ぎ澄まし体に触れる空気の振動や温度などあらゆる情報を取得し処理する。

それによりヌエの体の動きを見極め、筋肉が下から上へ向かう動きをする瞬間にその力の流れに乗る。
大量に脚のあるヌエであれば、移動の際どこかしらにその動きをする筋肉はある。
彼はそれを見つけて利用しているのである。


純人種としての五感と、それを処理する脳の機能を限界まで鍛えた彼とて、普段の状態では取得した情報を十全に利用できない。

その理由は、神経の信号伝達速度にある。

感覚器官から得られた情報は脊髄を経由し脳に届く。そしてそこから情報を処理、意識的か無意識的かはともかくとして、脳から運動の信号が送られ、体が動く。故に、人が認識する世界は常に僅かに遅れた世界であり、行動は更に遅れる。

体の動きの、ごく基本的なシステムであるが、それ故に鍛えたところでほとんど向上しない能力でもある。

しかし逆に言えば。

その時間をゼロに出来れば、どんな達人や怪物を相手にしようと、誰よりも早く動ける。

速くでも、疾くでもなく、早く。


第七式汎用戦闘強化薬『擬似悪魔化デミ・デモナイザー


シルヴァが最高傑作と自負するこの薬は、神経の信号伝達速度を限りなく向上させる。
度重なる研究と実験の果てに生み出されたこの薬の原理は、本人ですらほとんど理解はしていない。

だが、それで問題は無い。

理論は戦場に赴く前にこそ重要なものであり、戦いが始まってしまえば必要なのは純粋な力のみ。


そして力とは当然、身体能力に限らない。


「「Gryuuuuuuuaaaaaaaaa!!!???」」

苦痛の叫びをあげるヌエ。
当然と言えば当然である。

3つある頭のうちの2つ、その口の中に大量の針が刺さっているのだから。

「あれは・・・?」
血吸薔薇ヴァンプハーツの針を使用した爆弾だそうじゃ。あれほどの巨体相手では殺傷力はさほどでも無いが、口内に大量の針が刺さっておる状況は相手に強いストレスを与える。あの体では、自分で抜くことも出来んじゃろうしな。』

シルヴァは空中に飛び上がりヌエを翻弄しながら、隙を見つけては針爆弾を投げつける。
非常に単純な仕組みである針爆弾は、一つ一つがとても小型なため数が多い。それでいて起爆させればヌエから見ても無視できない大きさの針になる。

つまり、この針爆弾が現在のシルヴァの主武装である。

ヌエの口が開いた一瞬を狙って、2つの爆弾を片手で別々の口に同時に投げ込む。
ここまで彼が見せた動きと比べれば地味ではあるが、それだけでも凄まじい技である。

「恐ろしいですね。その爆弾も、それを簡単に相手の口の中に入れる技量も。」
『うむ、そうじゃな。・・・ところでさっきから思っておったんじゃが、あやつ、空中で当然のように体勢を変えておらんか?』

生身で空中戦を繰り広げているシルヴァを見ながらアルスは言う。
そもそも高速の近接戦闘において跳躍など隙にしかならない。移動のために力を加えたところで、抗力の発生する土台が無いからだ。
多少体勢を変えることはできるが、それも跳ぶ前に行動を決めておく必要がある。

しかし、シルヴァはその常識など知らないかのように自在に空中で身体を動かす。
もちろんシャイナのように飛び回るわけではない。
ただ、空中で迫るヌエの脚や牙、果ては口から出る唾まで紙一重で躱している。


アルスの呟きを聞いたアリアも頷いて同意する。

「・・・やはり、そう見えますよね。私は地から脚を離すことが無いので分かりませんが、翼も持たない純人種があのように空中で自在に動ける物なのですか?」
『そんな訳無かろう。立体機動は身体強化をしている状態であっても基本的に足場を必要とする。魔力や霊力で足場を作ることはあるが、それも1部の優秀な戦士のみにできる技術じゃ。』
「なるほど・・・では、彼は一体どうやってあの動きを?」
『知らぬ。我が聞きたいくらいじゃ。』

にべもない返答だが、その気持ちはアリアにもわかった。

そもそも上位元素を持たない存在が特異なのだ。シルヴァを自分たちの常識に当てはめたところで推し量れるものでは無い。



アリア達が見ている間にも、シルヴァとヌエの戦いは続いている。

シルヴァは2種類の針爆弾と少量の炸裂弾を使い分け、少しづつ、しかし確実にヌエに傷を増やしていく。

針爆弾でヌエの手足や肌を狙ったところでその強靭な体には有効打にはならない。故に彼が狙うのは眼球や口内である。

しかし当然それだけでは直ぐに手詰まりになる。そこで彼は炸裂弾も必要に応じて使用し弱点を作り出す・・・・・・・


ーーーーーーーーー!!!


響き渡る爆発音。ヌエとの距離が近いため乱発は出来ないが、炸裂弾は単純な威力で言えば針爆弾を大きく上回る。

ドワーフ仕込みのこの炸裂弾は針爆弾に比べて破片が大きく、指向性が高いため範囲が狭いが破壊力が高い。

強靭なヌエの肉を僅かながら抉るほどに。

「っ、はぁっ!!」

炸裂弾の余波が消えると同時にシルヴァはそこに向かって距離を詰める。
そして拡散型の針爆弾を、その傷口からヌエの体内にトンファーで直接叩き込んだ。
筋肉の動きを見極め、柔らかい場所、瞬間に直撃した攻撃は、爆弾を体の中まで埋める。

起爆機構が内部で完結している針爆弾は、外の環境で起爆が阻害されることがない。

故に体内にて爆発すれば、周囲の肉を押し広げながら針が全方位に広がる。

「Jyaaaaaaaaaa!?!?!?」
『うお、あれは痛そうじゃな・・・』

見ているだけでも痛くなるようなその攻撃に、アルスは思わずそう漏らす。
アリアも頷きながら同調する。

「鍛えられない場所への攻撃というのは、痛みの経験も少ない故に外傷以上の効果を発揮しますからね。意図してかどうかはわかりませんが、彼の攻撃は傷を与えるよりもストレスや怒りを蓄積させる物が多い。」
『まあ、ほぼ間違いなく意図的じゃろうな。現在最も危惧すべきは、ヌエがシルヴァを無視して街を襲うことじゃ。シルヴァには巨大な質量を押しとどめる力は無いからの。・・・無いよな?』
「わ、私に聞かれましても・・・」
『それはそうじゃな。とりあえず無いと仮定すれば、シルヴァがヌエを足止めするのなら、それは物理的な手段ではなく精神的に縛ることが必要じゃ。』

つまり、その方法が現在の戦い方というわけだ。相手に危機感と怒りを同時に抱かせ、見えない鎖で自分に縛り付ける。

『恐ろしい手管じゃな。あやつ、ヌエの知能レベルも考慮して使う攻撃手段を限定しておるぞ。』
「・・・と、いいますと?」
『毒を一切使っておらん。持っていないわけが無いにも関わらずな。毒を使用した場合、シルヴァと戦うのが割に合わないとヌエが判断して逃げられると踏んだのじゃろう。』

現在シルヴァが攻撃に使用している武装は針爆弾と炸裂弾のみである。
そしてアルスの予想通り、毒も持っているが使っていない。

その理由も大体アルスの言った通りだ。


と、ゴーレムに対処していたアルスの耳がピクリと動く。

『ふむ・・・やっと来たか。』

アルスの探知範囲に数人が入った。そしてアリアも周囲を見回してその姿を認める。

「む、その様ですね。あれは・・・ベン達と・・・ちっ、父上!?何故前線に!?」

ベン達3人を引き連れるようにかけてくるデュラスの姿に、アリアは驚愕の声を漏らす。

『なんじゃ、たったの4人か。まあ良い、シルヴァと交戦中故かゴーレムの数も少ない。ここを任せても対処はできるじゃろう。』
「ま、待ってください、父は過去の負傷が原因で戦えないのです。訓練兵3人では荷が重い状況ですし、私が投槍で援護するとしてもシャイナを守りながらでは殲滅力に不安が残ります。」
『むぅ、そうなのか・・・仕方ない、もう少し人数が集まるまで待機を・・・』

ーーーヒュッッッ。

落胆したようなアルスの言葉、それを遮ったのは一本の矢が響かせる風切り音と、それに貫かれ砕ける土塊の音であった。

「え・・・?」

予想外の一撃に驚くアリア。
弓使いはテラが居るが、彼は走りながら正確な射撃ができるほどの技量は無い。前衛が敵を押しとどめた上で足を止めていれば別だが、少なくとも現在の距離、状況では不可能なはず。

では、今の一矢を放ったのは。

「申し訳ありません、遅れました。状況は理解しています、これらのゴーレムの相手はお任せください。」
『おお、待っておったぞ。なんじゃ、戦えるでは無いか。』
「これでも、千の蹄の顔役ですから。・・・アリア、前衛はベン達に任せる。お前は私と共に援護に回りなさい。」

四足による驚異的な速度でアルス達の元まで来たデュラスであった。

デュラスは軽装であったが、その手に無骨なボウガンを持っていた。

「父上、何故前線に・・・っ、いえ、なんでもありません。援護、了解しました。」
「ふっ、心配は不要だ。槍は振るえないが、今の私にはこれがある。」

小さく笑い、デュラスはもう一度矢を放つ。
今度放たれた矢は、直線上のゴーレムを複数体貫いた。

『霊装・・・か。ボウガン型とは珍しいな。』
「知り合いに頼んだ特注品、というより改造品でしょうか。これの元になった霊装は『記録・賢者の馬弓レコード・ケイローン』という物でして、性能は疑いの余地がありません。」
『使い手も卓越しておるようじゃしな。・・・ふむ、ではここは任せた。そろそろヌエも、眠る時間じゃ。』

アルスはヌエと奪い合っていたゴーレムの制御を完全に手放した。
制限を失った獣たちは、再び活発に暴れ始める。

それらを千の蹄に任せ、アルスもヌエの元へ向かう。


その小さな体躯からは想像もつかない速度で、アルスは空中を駆ける。
トウテツという器に入っているアルスは、霊体とはいえ重力の影響を受けている。
故に、ただ単純に空を飛ぶことは出来ない。

それがわかっていたアルスは、保存されていた戦闘用の記憶を再度精神に刻んだ。

その結果が今の、縦横無尽に駆け回るアルスである。

魔法で足元に壁を生成したり、あるいは『不可視の腕』で自身の体を投げ飛ばしたり。

昔、体があった頃の動きでゴーレムを翻弄する。


10数秒という短い時間で、アルスはシルヴァのごく近くまで接近した。

そこで少しの間タイミングを見計らい・・・
ヌエがシルヴァの爆弾を受けて大きく仰け反った瞬間、アルスはシルヴァに声をかける。

『シルヴァ、下がるがよい!!』
「っ、りょーかい!!」

突然のアルスの言葉に、シルヴァは最速で反応した。

現在の動き全てをキャンセルし、全身で後方に飛び退く。


シルヴァが動き終わるのとほぼ同時、アルスは地面を叩きながら鋭く砲声した。

『跪けッッッ!』


ドズンッッッッ!!!


体の芯まで震えるような音と共に、ヌエの巨体が地面へと倒れ伏した。

重力を発生させる攻撃魔法、『無貌の王威』である。

『悪いが、我はあまり戦闘が好かん。さっさと、ケリを付けさせてもらうぞ。』

もがくヌエを冷めた目で見ながらそう無感情に言い放ち、アルスは宙に浮かぶ立方体から水晶を取り出す。

『錬金術とは違うが・・・貴様のような化け物にはこれで十分じゃ。』

水晶が強い光を放つ。

『燃え尽きよ。』

直後。

その場にいる全ての者の視界が、鮮やかで暴力的な紅に染め上げられた。
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