(続編連載中)わけありのイケメン捜査官は英国名家の御曹司、潜入先のロンドンで絶縁していた家族が事件に

川喜多アンヌ

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65 獣医は家に帰っていなかった

 ドックランドの高層アパートの玄関に人影はなかった。

 獣医の請求書にあったアダムの部屋番号を呼び出す。

 応答はない。

 無事に帰って既に眠りこけているのか、それともどこかに連れ去られて――もう殺されたか。

 何度か呼び出したが応答がなく携帯にも応答がないので、車に戻って前日に行ったパブに向かった。

 そこにいなければカルロに頼んで、アパートの電子ロックを解除してもらうしかない。

 パブは閉店したそうな感じに半分明かりを落としていた。

 店員が片づけをしているのだろう。ホークは入り口のドアを開けた。

「あ、すみません、もう閉店です」

 ええ、わかっています、とホークは言った。

「アダムが来ていませんか?」

「いますよ。お客さん、知り合い?」

 奥のテーブルにアダムがいた。

 飲みつぶれたのか、突っ伏して眠りこけているようだった。

「連れて帰ります」

 アダム、と声をかけて肩に担ぎ、殆ど引きずるようにして車まで連れて行った。

 彼はホークがわからないようで、まともな返事もできなかった。

 助手席に乗せてシートベルトで固定し、アダムのアパートの少し手前にZ4を停めた。

「しばらくここで待っていろよ」アダムは「うう~」と唸り声で応えた。

 アダムの携帯が胸ポケットに見えた。

 指紋認証にアダムの親指を当てる。ホークは着信記録から、自分がかけた分を削除した。

 別のポケットにあったアパートの鍵を拝借する。

 アダムのアパートに戻り、鍵を開けてエントランスを通った。

 部屋は十五階だ。ロビーには人影がなく、気配もなかった。

 そのままエレベーターに乗り、十五階のボタンを押した。

 エレベーターには防犯カメラが設置されている。

 十五階でドアが開いた。降りる前に、ほんの一瞬左右の廊下を目で伺った。

 廊下はまっすぐではなく、各部屋のドアが相対しないように配置されている。

 アダムの1511号室へ行くためには、いくつか角を曲がる必要がある。

 化学繊維のカーペットが足音を吸収する。

 誰かが身を隠そうと思えば、そこここの角にある大きな観葉植物の陰にいればよかった。

 普通の速さで歩いて1511のドアに辿りつき、鍵で開けようとした。

「グリーンバーグさん?」

 振り向くと、男が二人立っていた。

 一人は四十半ばくらいの革ジャンを着た白人。

 短く刈り込んだ白髪交じりの灰色の髪に、薄い水色の瞳が冷たい。

 そいつの身体から微かに硝煙の匂いが漂うのを感じた。

 もう一人も白人で、黒っぽい瞳に黒髪の縮れっ毛だ。

 年は二十歳そこそこに見える。

 年上の男のお供を命じられた下っ端というところか。

 二人とも背は低い。百七十くらいだ。

「グリーンバーグさん、あんたにちょっと訊きたいことがある」

 年上の男が言うのを聞いて、アイルランド人、と思った。

「なんですか?」

「一緒に来てもらおうか」男がいきなり腕を掴んできた。

「ちょっと待てよ、なんの……」

 男が反対側の手に持つ銃をホークの脇腹に押しつけた。

「来るんだ」

 若い方の男がホークの背中を押した。

 三人で先ほどのエレベーターに乗り、地下に降りた。

 脇腹にずっと銃が突き付けられている。

 駐車場から外に出て、人気のない道を、更に人気のない埠頭の倉庫の方へ歩かされた。

「あんた、誰なんだ」歩きながらホークは訊いた。

 男は答えず銃身でホークの背中を押した。

「そこに跪けひざまず」膝の後ろを蹴られた。

 ホークはわざとよろけ、コンクリートの上に膝をついた。

「両手は頭の後ろだ」男が銃口をホークの額に向けた。

「なんでこんな目に遭うのかな」

「おまえ、蛇を預かっただろう」男が言った。

「蛇? もう返したぜ」

 男は含み笑いした。

「鼠に触っただろう」

「鼠なんて知らない。預かったのは蛇だけだ」

 若い方の男の腕が動くのが見えた。

 予測した方向からパンチが来て、右の頬骨に当たった。

 動きに合わせてホークは派手に倒れた。

 コンクリートにうつ伏せになったまま、痛そうに呻いた。

 若い男が乱暴にホークを引き起こした。肩を掴んで元通り膝をつかせる。

 二人とも前に立っているのでホークの背中は見えない。

 周囲が暗いので、互いの顔もはっきりとは見えないくらいだった。

 年上の男はホークの胸ぐらをつかんだ。

「もう一度訊いてやる。鼠の中からICチップを取っただろう」

「何言ってるのかわからない。獣医に訊けよ」

「ああ、訊いたさ。やっこさんも知らないと言ってたな」

 ――もう訊いた……。

「誰に訊いても知らないという。鼠は確かに入っていた。じゃあ金は、どこで消えたんだ?」

「……知らない」

 若い男の脚が動いた。予測通り脇腹を蹴られた。

 ホークは蹲りうずくま、派手に呻き声を上げた。

「おまえとおまえのダチと、どっちが早くしゃべるかな?」今のはアラン・キャンベルのことだ。

 こいつらは、ボリスたちがどうなったか知らない。

「金を返してもらおうか」

 年上の男はコンクリートに蹲るホークの額に銃口を当てた。

「どこにある? おまえの銀行口座か? 現金のまま隠したのか?」

 若い男は年上の男の背後に立っている。

 蹲ったまま、ホークは痛みに耐えるような弱々しい声で言った。

「新しい口座を作ったんだ……番号を覚えていない」

「調べろ」

「……携帯で見れば、わかる」

「見ろ」

 ホークは半身を起こし、内ポケットに手を入れる振りをして、脇に差しておいたナイフの柄を掴んだ。

 手を出す前にわざと携帯を落とした。

「あ」と身を屈め、携帯を拾うように手を伸ばし――

 身を起こすと同時に身体を回転させ、伸ばした腕で弧を描いた。

 逆手に持ったナイフが、男の首に突き刺さった。

 男がくず折れるより速く、その後ろにいた若い男の胸を、上段回し蹴りで蹴った。

 倒れた相手の頭部に素早く腕を巻き、首をひねる。骨の折れる音がした。

 服の汚れをはたきながら、携帯でカルロに連絡した。

 新たに二人分の死体の処理を頼む。

「念のため、エレベーターと駐車場の防犯カメラも処理した方がいいかも」

「怪我は?」

「ない」ただ、顔を冷やさないと腫れる。

「獣医は家に帰っていなかった」

「え?」

「今クリニックを見に行っている」

「……ここで死んでる二人が先にクリニックに行ったらしい」

「おまえ、早くそこを離れろ。フラットの方の処理は終わった」

「了解」

 目を開けたまま絶命した年上の男の手元に銃が落ちている。

 手に取ると、銃身がわずかに温かい。火薬の匂いがきつい。

 カートリッジをはずし、九ミリの弾が残り十発になっているのを見た。

 この銃は十七発装填できる。七発はどこかで撃って来たのだ。

 Z4に戻って、アダムをアパートに連れて帰った。

 肩に担いで1511号室まで運び、部屋の中に入れた。

「いい加減に起きろよ、アダム」

 ソファの上に、新聞や雑誌、脱ぎ捨てた服が散乱している。

 まずそれを床に落とし、アダムをドサリと寝かせた。

「アダム!」

 うう~と言いながら薄眼が開いた。

「飲み過ぎだぞ。あれだけ運動しても帳消しだ」

 ミャオ、と小さな声がした。

 寝室の方から優美な尻尾をくねらせながら、ペルシャ猫が走り出して来た。

「君がカーチャだね」

 猫は半睡状態のアダムに近寄って腹に飛び乗り、くるりとホークの方に頭を向ける。

 アダムが無事でよかったな。ホークが微笑む。

 カーチャは立ち上がり、ホークの脚に前足でつかまった。

 ミャオンと小さく鳴いて甘えている。

 手を伸ばすと、前足を伸ばして捕まえようとする。

 ひょいひょい追いかけてくる前足が、ホークの手を引っ掻いた。

「痛いよ」

 猫を放してキッチンへ行き、冷凍庫から氷を拝借した。

 かかっていたナプキンに氷を包んで頬に当てる。

 アダムには、冷たい水をグラスに入れて持って行った。

「飲めよ」薄眼を開けているアダムを引き起こしてグラスを握らせた。

「あれ……アラン、なんで?」

「送ってやったじゃないか。忘れたのか」

「そうだったか……わりいな」

 いい気なもんだ。

 水を飲み干すなりソファーに倒れたアダムに、じゃあ明日な、とホークは言った。
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